第35話 【特賞 SSR】新妻優子の秘密 2
昼休みに入り、三十分が経過した。
「に~い~づ~ま~」
悟たちのいる校舎から遠く離れた別棟女子トイレの個室が、荒々しくノックされた。
「お~い、に~い~づ~ま~」
ドアを叩いている本人、有菜は笑いながらドアを叩く。
「さっさと出て来いよ、に~い~づ~ま~」
ぎゃははは、と近くの女子生徒と大きな笑い声をあげる。
「自分が間違ってました、ごめんなさい、って言えばいいだけじゃねぇかよ!」
有菜は激高し、激しい剣幕でがなり立てる。優子の入っているトイレのドアを蹴った。
「私が奈良君を誘ってました、私があなたの彼氏を取りました、って言えばいいだけだろうがよ!」
ドアを荒々しくノックする。優子からの返答は、ない。
「いつまで意地張ってんだよ、新妻さんよ~。も~、つまんな~い」
ぷらぷらと手足を振る所作に、ぎゃははははは、と取り巻きの女子たちが笑う。
「早く出て来いよ!」
個室の中にいる優子はそれでも、返答しない。
「お前が奈良君たぶらかしてること知ってっから。なぁ。もう皆に言いふらしてるから。お前が無理矢理奈良君に言い寄ってるってこと」
有菜はドスの効いた低音で、淡々と言う。
「毎日毎日、ここに来いって言ってんのに個室入ったまんまで顔も見せねぇしよぉ! こっちはあんたと話がしたいって言ってるわけ。分かる? は~な~し。そんな所いられたら会話のしようもないじゃん? どうせボッチなんだから、早く観念して出てきなよ」
「「「ぎゃははははははははは!」」」
「まぁ、ここ来なかったらお前の家まで行くだけだけど?」
「有菜ひどすぎ~」
「「ひどすぎ~~」」
半笑いで取り巻きが有菜に指をさす。
「それとも、また奈良君を誘惑するんでちゅか~? 自分はエッチなことをしなくちゃ何の価値もないでちゅか~?」
「「「ぎゃはははははは!」」」
スマホで動画を取りながら、有菜たちは楽しむ。
「はぁ……」
優子からの反応がないことに苛立ったのか、有菜はおもむろに歩き出した。
有菜は壁の出っ張りに足をかけ、上から新妻を覗いた。
優子は一人、個室で弁当を食べていた。
「きゃはははは、一人で便所飯してんのウケるんですけど~」
有菜は上から優子を撮影した。
「きっも! クソきっも!」
きゃははは、と笑いながら有菜は優子の写真をグループのチャットトークに流した。
有菜はおもむろにホースを持って来て、優子の個室を覗いた。
「有菜ちゃん、さすがに頭からは……」
「分~かってるって。いちいち指図しないでくれる?」
「ご、ごめん……」
有菜は不機嫌そうに立つ。
はぁ、とため息を吐いた有菜は出っ張りから下りた。
「ほら~、あんたにはトイレの水がお似合いでしょ~」
有菜は優子の個室を蹴る。
「ホース、水出して」
「有菜ちゃん、バレたらまずいって!」
「しつこい!」
有菜は蛇口をひねる。
「駄目だって! バレちゃう!」
蛇口が即座に閉められる。ホースから出た水は少しばかり床を濡らしている。
「有菜ちゃん、いつもみたいにやろうよ……」
「はぁ……」
有菜はホースを見る。
「新妻~、頭冷えたか~?」
有菜は優子の個室に、ホースを投げ入れた。
ホース内に残っていた水が優子に振りかかる。
「聞いてる~?」
返答は、ない。
「シャーペンの芯折っただけじゃ物足りない~? 机に虫の死骸入れただけじゃ物足りない~? もっとあげよっか~?」
有菜がドンドンと個室を叩いている時、
「撮ったから」
「……は?」
女子トイレの入り口から、一人の女がスマホを構え、有菜と対面した。
「と、撮ったから!」
クラスの委員長、紗友里がそこに、立っていた。
「委員長~、何してるか分かってる?」
有菜がホースをもてあそびながら言う。
「撮ったから……!」
紗友里は足を震わせながら、ただ言う。
「うちら、別に遊んでただけだからさ。だから委員長、分かるよね?」
有菜は笑顔で、紗友里に語り掛ける。
「うちらと対立したいわけじゃないっしょ? 遊んでただけだから。それとも卒業するまでうちらと対立したいわけ? お堅い委員長はどうすればいいか分かるよね」
「……」
紗友里は、脱兎の勢いで走り出した。
「待てよ!」
紗友里を追いかけた先には、
「おい」
司が、立っていた。紗友里は司の背後に回る。
「は? おい、は?」
司の隣には悟が、そしてその背後に、洋一がいた。
「は? 何? チクったの、朝井?」
「ひ!」
洋一は有菜に背中を見せる。
洋一の背後から、悟が姿を現す。
「自分ら、何?」
「新妻さんいじめんの、もう止めろよ」
悟が前に出て、言う。
「なんでこんなことしたんだよ、牧瀬、お前」
しらを切る有菜に、司が詰める。
「え、何のこと? うちらここでたむろしてただけだけど」
「嘘。私撮ったよ」
紗友里は司の後ろから顔を覗かせて、言う。
「見せてもいいんだよね、じゃあ」
「それ、誰か映ってた? 誰も映ってないよね。うちらが誰に何をしてたかなんて、分かんないよね? 誰もいない個室にホース入れただけなんだけど」
「有菜ちゃん……」
取り巻きも女子トイレから出てくる。
「新妻さんだろ?」
悟は有菜の前に立ちふさがった。
「は? 別にあんたらに関係ないでしょ」
「出せよ」
「は?」
「出せって言ってんだよ」
有菜は悟を見上げる。
「は、何? 関係ないでしょ、あんたらには。うちらの問題に勝手に首突っ込まないでくれる?」
「お前だけの問題だろ。勝手にリーダー面してんじゃねぇよ。人のこといじめといて関係ないも何もねぇだろうがよ。お前が勝手にやりだしたんだろ。馬鹿かお前」
悟は有菜の眼前で、目を見た。
「死んだらどうすんだ?」
「は?」
「新妻さんが死んだらどうすんだ、って言ってんだよ」
「は? 訳わかんないから。そんなことなるわけないし。そもそもあいつが奈良君のこと誘惑したから」
「お前が死んでくれるのか?」
「……」
「お前が死んでくれんのか、って言ってんだよ!」
「…………」
有菜は一歩、また一歩と、後ずさる。
「人のこといじめておいて関係ないだとかぬかしやがってよ。お前ら自分が何してんのか分かってんのか?」
悟は取り巻きにも睨みをきかせる。
「何とか言えよ!」
「……」
壁を叩き、大きな音が響く。騒音に驚き、有菜は肩をびくつかせる。
「他人のこといじめといて勝手に問題を矮小化しやがってよ。自分たちがやったことの罪の重さも分からずに正当化しやがって。お前ら、自分がやってることがおかしいって思わねぇのかよ!」
悟が有菜を見下ろす。肩がすくんだ有菜は一歩一歩と、悟が前に出るに従い、後退していく。
「他人を責める前に、まずはお前ら自身が自分の力で何かを成し遂げろよ。どいつもこいつも、一人で何も出来ねぇクズどもがよ! 他人を責めるために群れになって嫌がらせしてんじゃねぇよ! 他人を攻撃するために群れてんじゃねぇぞ! 群れになって他人いじめて楽しいか、なぁ?」
有菜は壁の端まで追いつめられる。
「そ、そもそも、こいつが私の彼氏に色目使って……」
「勝手に思い込んで、相手が手を出さないのをいいことに好き勝手しやがってよ。だせぇことしてんじゃねぇよ!」
「……」
「天子」
悟は天子を呼んだ。
「連れて来たにょ」
「ちょっとちょっと、そんなに手を引かれても困るなぁ。俺に話があるっていうのは、どの女の子の――」
千次と有菜が、対峙する。
「こ、と……」
「奈良君……」
有菜は悟の横から飛び出し、千次に駆け寄る。
「あぁ、そういうこと。ごめん、俺そいつとはもう別れてるから関係ないわ」
「奈良君……!」
去ろうとする奈良の手を、掴む。
「離せよ!」
「奈良君! 奈良君は新妻なんか好きじゃないよね? 騙されてるんだよね?」
有菜が懇願する。
「んな訳ねぇだろ。別に関係ないだろ、お前には」
「私は……私は奈良君のこと思って……」
有菜は奈良にすがりつく。
「止めろよ。お前付き合ってた時から束縛激しいし、鬱陶しいんだよ。そういう所が嫌いなんだよ。何も直ってねぇじゃねぇか」
「わ、私だって……」
有菜は下を向く。
「てか、なんで俺がこんな所に連れてこられてんだよ。え、なに? 何の用?」
「新妻さんいじめてたんだよ、そいつ」
司が千次に、告げる。
「あぁ……そういうこと。もう良いよ、じゃあ。面倒臭ぇ、お前らで勝手にやってろよ」
「ま、待って! 待ってよ、奈良君……!」
千次は踵を返し、有菜は千次を追った。
「わ、私らは全然関係ないから! 有菜が勝手にやったことだから! 別にいじめとか全然してないから!」
「……関係ないから!」
取り巻きも一人、また一人、とその場を離れていく。
「新妻さん」
悟がトイレに向かって声をかけた。
「出て来なよ」
「と、十上……くん……」
優子が女子トイレから、出てきた。
「なん……で……」
「新妻さん、大丈夫だった? どこか濡れた?」
悟は優子にタオルを貸す。
「九堂さん、秋柴さん、朝井さん……」
新妻が順に、顔を見る。
「あと……」
天子の顔を見て、止まった。
「私? わたし、三笠天子! よろしく!」
「は、はい」
優子は肩を跳ねさせた。
「十上くん、皆さん……」
優子はゆっくりと顔を見回すと、
「本当に、すみませんでした!」
深く頭を下げ、謝罪した。
「私……なんかのために、皆さんにご迷惑をおかけして、すみませんでした……すみません」
「新妻さん……」
優子はぷるぷると肩を震わせる。
「新妻さんも、辛かったんでしょ? 顔上げてよ」
悟が優子の顔を上げさせた。
「クラスメイトなんだから、謝ることないよ。いじめがなくなるのが一番良いよ」
悟は優子の前で膝を曲げる。
「俺たちに迷惑がかかるからって、自分一人で解決しなくても良いよ。何かあったらいつでも、近くにいる人を頼ってよ、新妻さん」
「十上くん……」
優子は目尻を拭った。
「皆さん、本当にありがとうございました……!」
顔を上げた新妻さんは、何かから解放されたような顔をしていた。
悟たちの顔に、ようやく安堵が訪れた。




