第26話 第2のガチャ 1
ジリリリリリリリリリリリリリリリ。
朝。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
目が覚めた。
じっとりと汗をかいている。嫌な脂汗だ。
ジリリリリリリリリリリリリリリ。
俺は不快な音を鳴らすスマホの電源を切った。
「新妻優子は、自殺する」
口に出してみても、実感がない。あの新妻さんが、何故、どうして。俺は新妻さんのことを何も分かっていなかったのだろうか。
「はぁ……はぁ……」
少しずつ呼吸を整えていく。
「させない」
俺は一人、呟いた。
「そんなことは、絶対にさせない」
秘密ガチャはあくまで秘密であって、絶対に起こる未来ではない。新妻さんが何かに苦しんでいるのなら、俺はその苦しみを取ってやりたい。新妻さんが困っていることがあるのなら、俺が全力で力になる。
「新妻さんは、死なせない」
俺は確固たる決意を胸に、朝の支度を始めた。
× × ×
ガラガラガラ。
教室、椅子を引いた俺はいつものように、新妻さんの隣に座った。
「……」
新妻さんは静かに、ぺらぺらと本を読んでいる。何度見ても、自殺なんて考えてそうには見えない。何故新妻さんは自殺するのか。それは止められないことなのか。
「あ、お、おはよう……」
「え、あ、おはよう」
新妻さんの様子が気になって、すっかり挨拶をするのを忘れていた。
「大丈夫? 顔色、悪くない?」
俺の強張った表情を見てか、新妻さんは心配する。
「大丈夫大丈夫、スマイルスマイル! 人生の幸せは笑顔から生まれるのです! さぁ、信者の皆さん、笑いましょう! はははははははは!」
「信者じゃないよ」
ふふふ、と新妻さんは笑う。良かった、新妻さんに余計な心配をさせてはいけない。俺は明るく振る舞った。
「新妻さんは今日も本読んでるの?」
「うん、こころ」
「本の虫だねぇ」
俺はカバンから教科書を取り出し、机の中に入れ始めた。
「……ほ、本の虫だぞぉ~」
「え?」
新妻さんは本を置き、両手の人差し指を上げ、頭まで手を持って行った。
「む、虫だぞぉ~……」
指を角代わりにして、新妻さんは左右にゆらゆらと揺れる。
俺はぽかんとしてしまう。
「虫だ……ぞぉ~……」
新妻さんはそこまで言うと、頬を赤らめ、再び本を取った。
「も、もしかして俺のため……?」
「……」
新妻さんはこくり、と頷く。
「十上くんが辛そうだったから、何か面白いことしようと思って……。十上くんにいつも良くしてもらってるから……」
本の上からちら、と俺を見る。
か、可愛い~~。
なんて可愛いやつなんだ、新妻さん、君は。
「ありがとう、新妻さん。俺は大丈夫だから。本当にありがとう」
俺は新妻さんに感謝を告げる。男、十上、今ここに新妻さんを守ることを誓うよ。
「新妻さんもユーモアセンスあるじゃない」
「……」
首を横に振る。俺は今日一日、新妻さんの動向を見守ることにした。
二時間目の授業が終わり、十五分の少し長い休憩時間に突入した。
「音痴イントロクイズしようぜ! 音痴の俺が歌うから、皆は何の歌かイントロで当ててくれよ! 一位になったやつにジュース奢るわ」
司は教室の端の方で男を集め、またしょうもない遊びを披露している。
「じゃあやるぞ。ちゃちゃちゃ~ちゃ~ちゃ~ちゃ~ちゃ~」
司は歌い始めた。何の歌なのか、音痴すぎて全く分からない。
「龍と子熊のテレカクシ!」
「正解! 大原一ポイント!
正解するのかよ。俺は自席でアホの司たちを眺める。
「やあやあ、優子ちゃん」
「……?」
知らぬ間に、知らない男が俺の近くまで来ていた。
「今日は良い天気だね」
イケメン太郎の、奈良千次だった。
奈良は新妻さんの前の席に座り、声をかけた。
「は、はい……」
「なに読んでるの?」
「え、えと……」
新妻さんはこころを読んでいる。
「こころを……」
「あはは、心⁉ 俺の心を読んでるってわけ⁉ 優子ちゃん面白いこと言うねぇ」
全然違う話をしているはずなのに、奇跡的に話が嚙み合っている。
「じゃあ俺が今優子ちゃんに何を思ってるか当ててみてよ」
「えと、そういう本で……」
「そういう本……? 心理学系ってこと? あぁ~、俺も心理学とか詳しいんだよね~、そういうの。優子ちゃんも恋愛心理学みたいなの読むんだ」
何故こんなに話がすれ違っているのに会話が成立しているんだろう。
「あれ」
奈良が新妻さんの手を見た。
「優子ちゃんって、爪綺麗なんだね」
奈良は新妻さんの手を取る。
「……っ!」
新妻さんは手を引っ込めた。奈良の野郎、俺も手をつないだことがないのにうらやましい、じゃなくて、けしからん。
「あははは、相変わらず引っ込み思案だねぇ」
奈良は笑う。
そして新妻さんの耳元まで顔を近づけた。
「もし俺と付き合ったら、もっと君のこと開放させてあげることが出来るよ。優子ちゃんが頑張り屋なの、俺が一番知ってるよ。優子ちゃんがもっと自分を開放出来るように、俺が出来ることなら、なんでも手伝うよ」
奈良は自信を持って、新妻さんにそう言った。
「じゃ」
暫く新妻さんと話をした後、奈良はその場を立ち去った。
「あ、あと」
そして振り返る。
「優子ちゃん、シャンプー変えた? 良い匂いだね」
あはは、と言いながら奈良は教室を出て行った。
嵐のような時間だった。
「……新妻さん?」
「……」
新妻さんは顔を伏せる。
また新妻さんがふさぎ込んでしまった。奈良千次、あいつは退治せねばなるまい。あの邪知暴虐を許してはおけない。俺は血の涙を流しながら、鬼の形相で次の授業を受け始めた。




