第17話 【3等 R】九堂司の秘密 4
「保健室行こっか」
「あ、ありがとう」
新妻さんは俺の手を取り、立ち上がった。
「ティッシュ使うと良いよ」
「……がとう」
新妻さんはこくり、と頷く。
俺はポケットからティッシュを取り、差し出した。舞奈に毎日ティッシュとハンカチを持って行けと言っていて良かった、と思う瞬間だった。
「先生、保健室行ってきます」
「私も行きます」
さすがルールの委員長、委員長も名乗りを上げた。
「私も行くから。皆は取り敢えず試合を続行してて」
黒沼先生は生徒たちに指示を出し、ついてきた。
俺と委員長、そして黒沼先生は新妻さんについて行くことになった。
「俺、そんなつもりじゃ……」
ボールを当てた男子生徒はおろおろとしていた。さぞかし不安だろう。体育の授業をしている限り、こういった事故は必ず起こる。投げた本人が百パーセント悪いとも言い切れないあたり、やるせない。
こういった事故が起こるからこそ、基本的に体育の授業は男女別なのだ。
「十上」
「はい」
委員長に呼ばれる。
「地面見てて。私優子ちゃんのこと見とくから」
「なんで地面……?」
「血とか落ちてたら教えて欲しい」
「なるほど」
俺は目を皿にして、地面を見始めた。委員長は新妻さんにティッシュを補給し続けている。
「新妻さん、大丈夫?」
黒沼先生は委員長とともに肩を貸している。
委員長のこういう所は、素直に尊敬できる。委員長は他人のために行動することが出来る。他人を慮り、心配し、尽くすことが出来る。こういう点で見れば、やり方こそ違うものの、司と似ているのかもしれない。
新妻さんは下を向きながら、ティッシュで鼻元を押さえ、歩いた。
保健室についた俺たちは、早速新妻さんを診てもらうことにした。
「あ~、典型的な鼻血だね」
保健室の先生が診断を下す。
「ひとまず安静にしてなさい」
俺たちは先生の指示に従い、椅子に座った。
「じゃあ先生職員室で説明してくるから、あなたたちは安静にしてなさい」
「「「はい」」」
黒沼先生は職員室へと向かった。黒沼先生と同時に、保健室の先生も職員室へと向かった。
「……」
「……」
無言。静かな時間が流れる。保健室の先生というと、保健室で一度診てもらうたびに毎回職員室に向かっている気がするんだが、何か報告をしているんだろうか。
「とんだ災難だったね、新妻さん」
俺は新妻さんに声をかけた。新妻さんは首を横に、小さく振る。
「私が取れなかったから……大原くんには悪いことしちゃった……」
新妻さんはしゅん、とする。新妻さんにボールを当てた張本人、こと大原。
普段から明るくお調子者ではあるが、今回はそのお調子者が裏目に出たか。クラスでも司に次いで場を賑やかす一人ではあるが、体育館で暗い顔をしていることに違いない。
ボールを当てられているのに、大原の野郎を心配できる新妻さんは相当な聖人なんだろう。
「鼻血、痛い?」
「ううん、慣れてるから」
「いやいや……」
大原を庇う心の広さ、というやつなのか。
「ちょっと、十上、優子ちゃんケガしてるから黙ってて」
委員長が俺をたしなめる。当の委員長はと言えば、ぴし、と背筋を伸ばし座っていた。
「大丈夫だよ。十上くんのお話は聞いてて楽しいよ」
新妻さん、俺のことをそんな風に思ってくれていたのか。これは嬉しいな。今日の日記に書いておこう。
「そういえば鼻血出た時って上向いた方が良いって言われてきたけど、本当は上向いたら駄目らしいね」
「本当……?」
新妻さんは小首をかしげる。
「昔は正しいとされていたことが突然覆ることって結構あるよな。怪我したところは出来るだけ水に濡れないように、って言われてたけど、最近は乾かさない療法が正しいとも言われてるよな」
「何それ」
委員長は詐欺師を見るような顔で俺を見てくる。
「本当だもん! 嘘じゃないもん!」
「嘘っぽい」
「委員長は古い常識にとらわれすぎだね。きっと明日には地球の周りを惑星が回ってる、と言い出すよ」
「言わないから!」
委員長が俺の頭を叩く。
「ふふふ、あはは……」
新妻さんが肩を震わせながら笑う。
「優子ちゃんって……こんな風に笑うんだ」
「俺もあまり見たことなかったな」
新妻さんは案外、俺が思っているより明るい子なのかもしれない。
「まあでも、高校生になってケガをすることも減って来たし、ケガに対しての知識って古いまま止まってるところはあるかもね」
「そうだなあ」
委員長は保健室の壁に貼られている保険の常識、という紙を見ている。
「聖徳太子とか坂本龍馬とかも今や教科書から消えつつある、とか言うしなあ」
「何それ⁉ 初耳なんだけど⁉」
委員長が話に乗ってくる。
「真偽のほどは知らないけど、本当はいなかったとかなんとか。鎌倉幕府が開かれたのも一一九二から一一八五に変わったしなあ」
「全然聞いたことない!」
「もういい国作れないな」
バスケのルールと同じように、歴史も日々変わりつつある。
「なんでそんな何百年も昔の歴史がぽんぽん変わるんだよ、と思うけどね」
「えぇ~、知らなかった……」
勉強大好き委員長は勉強のネタに食いつくらしい。
「十上くんは……楽しそうにお話しするね」
新妻さんはにこ、と俺に笑いかけた。
「一瞬、喋りすぎでうるさいって皮肉言われてるのかと思ったよ」
「思ってないよ、ふふふ……」
新妻さんは、声を押し殺して笑う。
「もしかして十上と優子ちゃんって結構仲良い?」
委員長が小首をかしげる。
「そりゃあもう、ねぇ、新妻さん」
「……」
こくり、と新妻さんは頷く。
「言わせてない?」
「言わせてるんだとしたら多分委員長だよ」
「ふふふ」
新妻さんはくすくす笑った。
「もう鼻血とか大丈夫?」
「うん」
俺たちは新妻さんに大きなケガがないことを確認し、保健室の先生の了解を得て、再び体育館へと戻った。
「誠に、申し訳ございませんでしたあああぁぁっ!」
体育館に帰るや否や、新妻さんの前で大原が土下座した。
「バスケットボールを新妻さんの顔に当ててしまい、申し訳ございませんでした!」
「えと……大丈夫……です」
「大原、女の子の顔に傷つけるなんて最低だな」
「江戸時代だったら打ち首だな」
大原に冷ややかな視線が向けられる。
「えと、本当に、大丈夫、です。私も悪いところがあったので、大原さんを責めないでください」
「新妻さん……」
新妻さんの一言を切っ掛けに、大原はこのクラスでの人権を一応取り戻した。




