八話 走れ!!
長いけれど楽しい。
早く、もっと疾く。
それだけを求め、巨大な悪鬼の周囲を駆け巡る。
基本性能で大幅に劣る以上、兎に角撹乱して、勝機を狙うのが得策だ。なのだがやはり、そう簡単には行かない。
悪鬼は俺の走る軌道を読み、的確に拳を振り降ろしてくる。勿論避けられはするが、このままこの状態が続くのはかなりマズい。
俺は『愚者の死刃』を地面に突き立てて跳躍。更に手のひらから『死刃』を放出する。
『眼を狙ってるのおぉぉおおお、ばればれえええぇぇええぇぇ』
「それもバレバレだッ!」
俺を狙って悪鬼が振り抜いた拳を、地面に突き立てたままの『死刃』を支柱にして回避する。そして勢いのまま、愚者に支配権を譲渡した。
「頼む!」
「全く、空中で渡す者があるかッ!!」
愚者はそう叫ぶと、薄ら笑みながら手のひらを擦り合わせる。
バチバチッ!!
電気が流れるような音とともに、俺の手のひらの間には、巨大な黒い球形のエネルギーが。
手が熱い。いや、体感温度的には熱くないのだが、なんだか熱い気がする。この矛盾した感覚に説明がつかない。
愚者はそんな俺をよそに、空中で体を捻って勢いを殺しつつ、その球形を投げた。
「『禍霊』が使えれば良いのだが……今はとれる手段が此れしか無い。――嘆け。『愚かなる行進』」
その闇は、そこまで疾くないスピードで悪鬼に向かっていく。
一見意味が無いように見える。悪鬼も拍子抜けだったようで、ニヤリと笑いながら避けようともせず向かってくる球を見ている。
しかし、俺には何故か解った。
あの球に、異常なまでに高い密度で練り込まれた魔力を感じるのだ。
その球は、悪鬼の体に着弾した。
……何かが、蘇る。
『……ハッ!! なあにいいいいいいいい、これぇぇぇぇぇえええ? 痛くも痒くもな……』
言っている間に。
「な……ッ」
「……ほう。貴様、随分と殺してきた様だな。ここまで骸共が歓んでいる姿を見るのは、初めてだ」
悪鬼の体は、とうに見えない。
言葉は遮られ、断片的に聞こえる悪鬼の声も、最早俺達には届かなかった。
先程まで悪鬼が居た場所には、数え切れない程の数の骸骨が、縋り付くように蠢いていた。
悪鬼の手が、骸骨たちを掻き分けて出てくる。
しかし骸骨たちのボロボロの剣に瞬く間に切り刻まれ、悲痛な叫びと共に沈んだ。
「何だ……これ……」
「志半ばに死を迎えた人間の怨念が作り出す魔物、骸骨。これはそいつらを短時間、あの世から呼び戻すスキルだ。死の気配を強く纏っている者……つまり多くの人間を殺して来た者程、多く集られる」
その言葉に、俺は正面に広がる異常な光景に改めて目を向ける。
悪鬼に纏わりつく骸骨の数が、悪鬼がどれだけの人間を殺してきたかを示しているようだった。
やがて叫び声も聞こえなくなり、悪鬼に集っていた骸骨たちが糸が切れたように動かなくなる。そしてガラガラ、と音を立てて落下し、そのまま地面に沈んでいった。
悪鬼の体は、言うにも堪えない程ぼろぼろだった。
かろうじて原型をとどめては居るが、先程までの悪鬼とは全くの別物だ。血は滝のように流れていて、魔力の気配も残り少ない。
『ぐ……うううううううううううううう……く……そ……ボク、が……おまえ、ら……ボクの、おもちゃ……なんで……』
悪鬼が血と傷にまみれた顔で、狂気的に笑う。
『でも……みんな……ころして、やったああああああぁぁぁあ……ダンジョンの支配権、奪って……あのオモチャの……なかま……あいつが守りたがってた……ヒトも、ころした……ははは、ざまあ……みろ……』
俺の体を、怒りが支配する。
こいつはここで殺さなくてはならない。そう、思った。
俺は本心のままに、息も絶え絶えの悪鬼に言い放つ。
「あの子はおもちゃじゃない。あの子の仲間だって同じだ。皆、生きているんだ」
「……哀れな玩具は貴様だ、魔王に操られし愚者よ。自らの力に驕り、意味なき殺戮を繰り返した迷宮の主よ。今こそ貴様の身を、果てなき地獄へ堕としてやろう」
『……ま、まおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』
不意に、悪鬼がダンジョン中に響き渡る程の声で叫んだ。俺は思わず耳を塞ぐ。
悪鬼の力が……弱まっていた筈の力が、どんどん強くなっていくのだ。
異常事態だった。
闇のオーラが鬼の体を包み、やがて発光しだす。
愚者すらも歯を食いしばった。そして――。
判断の間も無く、踵を返して走り出した。
何故だか分からない。力が集まっているのなら、尚更に止めないと!
「お、おい! 何で逃げるんだ、まだ勝負は……」
「阿呆!! 魔力の流れで分からぬか!! 此奴、ダンジョン諸共自爆するつもりだ!!」
自爆。
と、云うことは……あの子、も。
安地に居るあの子たちも、か?
『魔王様ああああああああああああああああああああああああああああああアアあ!! ありが、ありがとうございまああああああああああああああああすうううううううううううううう!! こいつらをはいじょする!! あのオモチャ諸共排除スルウウううううううううううううううううううううううううう!!』
力が、初めの力よりも大きな、明らかに見合っていない量のオーラが放たれる。
威圧感に苛まれる。けれども、腕を噛んで乗り切った。
俺は走る。
愚者から支配権を無理矢理に奪い取った。
「おい! 一直線に走らねば、貴様諸共死ぬかも知れんのだぞ!!」
何を考えているかは、さすがだ、もう分かるらしい。
けれど、無理だ。
俺にはそんな事は出来ない。見捨てて自分だけ逃げるなんて出来ない。
守る事が出来るのなら、守ってあげたいじゃないか。
俺の脚が階段を跳び上がる。悠長に階段を昇ってる暇なんかない。『死刃』を壁に突き立て、空中を機動する様にぐんぐんと進んでいく。
だが、俺の突き立てた刃は何かに折られた。
「なッ!?」
巨大なオーラの手だ。恐らく、悪鬼が出したものだろう。もうここまで追いついてきたのか、と、俺は歯を食いしばった。
バランスを崩し、地面に倒れ込む。全身を打ったようだ。
体は痛いが、振り返ってる暇なんかない!
『いかせないいいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃいいいいい!!』
最後の階段を、飛び越えた。
「えっ――」
一瞬、目に入ったのは、花が咲き誇る地面に立てられた、沢山の墓標。
そして、そこに花を供える少女だった。
罪悪感が、頭をよぎる。
でも、俺がすべきなのは何だ?
その答えは、やっぱり決まっていた。
「来いッ!!」
肺の空気を全部つぎ込んで、叫ぶ。
刃を手の様にして、俺は困惑した少女と未だ無表情のメイドさんを抱きかかえた。
手が、後ろから迫る。
「させるかァッ!!」
左手だけ支配権を取り戻した愚者が、『死刃』を出して手を叩き落とした。
俺は走る。
愚者は手を撃ち落とす。
前だけを見据えて、ただ。
どおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんッ!!
轟いた爆発音は、もう俺達の後方での事だった。
ポイントがつかなくてきつい