7話 守護者
強くなるには憎悪である。
少女に連れてこられたのは、安地の湖のほとりにあるコテージだった。
木で創られた素朴な建物、そしてその周りに広がる輝く湖。それを見てしまうと、やはりこの場所だけが一つの世界として独立しているような、そんな気がする。幻想的に咲き乱れた花が風に揺れる様を見ながら、俺は出された紅茶を啜った。
少女はニコニコしながらこちらを見る。その笑顔に見とれているうち、カップは空になっていた。
俺がカップをテーブルにことりと置くと、横に控えていたメイドさんがすかさず注いでくれる。
「私、ね。嬉しい、の。よ。誰も、来ないの。ここには、孤独しか、ない」
片言だが、少女が一生懸命に話している事は伝わった。
それに、遺跡に誰も来ないのも、恐らく真実なのだろう。普通ならダンジョンの中に住まう人など、魔物の変異体だのと疑われるだろうが、少女の雰囲気は、疑う気も起きない。純朴な町娘のそれと同じだった。
それでいて、どこかに寂しさを秘めている。
「君は、いつからここに?」
「……もう。覚えてない、わ。随分前、いや。数え切れない程前から、ここにいる。出ていく事も、出来ないのよ。外を、見たい、と思った、事は、……あるのだけれど」
「どうして、出られないの?」
俺は続けて聞いた。
事情は分からないけど、もし俺に何か出来るなら、少女に外を見せてあげたいと思った。
けれど、少女から帰ってきたのは、予想外の答えだった。
「私がここを、出たら、この遺跡は、壊れる。遺跡の為につくられた、役目、終るのよ。……だから、『守護者』は消える。私は、『守護者』」
頬を撫でる風が、不意に向きを変えた。
少女は言葉に詰まった俺に笑いかけ、そっと目を閉じる。
「『守護者』はこの迷宮と、共にあるもの。ここにあるものは、全て『守護者』の子。――そう言われたわ。誰かに。だから、私は出られないのよ。守らなきゃいけない、から」
少女の笑顔は、どこか諦めの感情を宿している様に見えた。
愚者は黙っている。何か口を出すと思ったけれど、特に何も言う気は無いようだ。まあ俺自身も、何を言えば、なんて声をかければいいか、わかっていない。
答えがあるのかも分からないが。
「主さまは、守らなくてはいけないのです。この迷宮の魔物を、最奥に眠る宝を」
メイドさんが、無表情のままに言った。
言葉の端々から、敵意の様な感情が読み取れる。
だが同時、悲痛な叫びのようなものが、魔力の流れから聞こえる気がした。
「だから貴方の様に、この迷宮を侵略する侵入者は、本来ならば排すべき敵。……なのですが。主さまにはその気は無いようですし、何より、今の主さまには、排除する為の力もありません。この階層に閉じ込められているのも、その為です」
閉じ込められている、という表現が、少し気になった。
けれども聞き返す事は出来ずに、そのまま二杯目の紅茶を飲み干す。
魔物をただ倒すのが、俺の、勇者の仕事だった。それはこの世界では常識だ。
でも、それは本当に正しいのだろうか。本当に、良い魔物は居ないのだろうか。
疑問を持った。
目の前の少女がもし魔物なら、彼女はきっと、良い魔物だろう。
「皆いい子たちなのよ、ね。ずっと、私と一緒に育って、きた。だから、人は本当は敵じゃないんだって、知ってるのよ。人は良い存在なんだって、知ってるのよ」
少女は笑う。
「だから、ね。もし会ったなら、仲良くして、あげてね」
俺は、何も言えなかった。
――
「良い魔物など居ない」
安地にいつまでも居られない。俺には目指すべき場所があるのだ。
何より、彼女と一緒に居るのが、今は辛かった。だから、俺は安地を出て、次の階層へと進んでいた。
幸い魔物には出会っていないが、愚者は開口一番にそう言った。
「それは当然だ。魔物は本能的に、人類に敵対する生物。あの小娘が言っていたのは嘘だ……そのはずだ」
「……本当にそうか?」
俺が言うと、愚者は笑った。
「貴様も見たろう? この遺跡の魔物が、瞳を殺意に染めて飛びかかってくるのを。あれが真実だ。あれこそ魔物の在るべき姿」
確かに俺は、この遺跡の魔物の骸をいくつも越えてきた。
でもやはり、彼女の言っていた事が頭から離れない。言いようのない疑問が、脳内を廻る。
そんな事を考えるうち、少し気になった。
安地の空気に流れる魔力と、今の空気に流れる魔力が、少し違うような気がするのだ。もしあの少女がこのダンジョンに魔力を流す『守護者』ならば、この様な事は起きない筈なのに。
「だが」愚者が真剣な面持ちで前を見据える。
「確かにあの小娘からは、嘘の気配を微塵も感じなかった。しかし魔物の現状は、あの小娘の言葉とはどうしても食い違っている。……これはどういう事だ?」
ある考えが浮かんでいた。
もしかしたら、この遺跡を守護していた魔物たちは、誰かに変えられてしまったのでは無いか。それこそ、この魔力の流れをつくった者に。
その時だった。
『ヤアヤア、久し振りの侵入者だぁあああああああ!! しかああぁああああああも、余計な事をぉぉぉ、してくれたらしいじゃああああぁあぁぁないか』
不快な声が聞こえる。
その瞬間、俺は吹き飛ばされていた。
ほぼ吹き飛ばされたことを感じないままに、背中から壁に激突する。空気が全て押し出される感覚と共に、鉄の味がした。
目がちらつく。そしてその目で捉えた景色は、先ほどまでの景色とは違う。
地面には骸が、インテリアの様に大量に転がっている。それも、全て魔物のものだ。金銀財宝を背に、骨で出来た巨大な玉座に座って、そいつは居た。
『あの愚かな守護者にぃぃいいいいいいいいい、変な事を教え込もうとしたなぁぁぁぁあああ? 残念無念だよぉぉおおおおおお、あいつはボクの支配下でえええええ、永遠にぃぃいいい、頭お花畑のままで暮らすはずなのにいいいいいいい……』
それは、巨大な絶望だった。
真紅の身体。そびえ立つ塔の様な角を生やし、大剣を研いでいる。黄金色の瞳で俺を見下ろし、地面を思い切り踏む。
俺のちっぽけな身体は、空へと舞い上がった。
「チイッ」
愚者は咄嗟に『愚者の死刃』を地面に向けて放出し、突き刺して落下の勢いを殺す。
そして空中に留まりつつ、その刃を真紅の巨鬼に向けた。
だが、その刃は鬼に到達する事なく、素手で弾き返される。
強い、と確信した。
だが、戦わなければいけないことは分かりきっている。何より――。
「お前が、あの子を侮辱するな!!」
『いいよおぉぉぉぉおおおお、おまえも凶暴化させてえええぇぇぇぇぇえ、ボクのおもちゃにしてあげるよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
倒してやる。
そう願った途端、愚者の纏う闇が、森に居た時の様に濃くなった。
「反撃開始だ、少年」
愚者の声に頷き、俺は鬼に飛びかかった。
しかし憎悪は、終わった後に空虚な絶望を残す。