2話 見据える未来
強くなれ。
いつの間にか、俺は吹っ切れてた。
古龍を前にしていても、さっきまでの様な恐怖を感じない。俺の身体に入っている愚者のお陰かもしれないが、今はただ、生きることだけに集中できた。
古龍が威嚇体勢を止め、腕を振り上げた。どうやらあちらも殺る気になったようだ。先ほどまでは怯んでいるように見えたが、やはり最強生物だけある。
しかし俺はと言えば、古龍のスピードに反応出来る程の速さが無い。
何とか躱そうと動くと、何かが俺の身体にブレーキを掛けた。
「まあ見ていろ、少年。……『真愚の円盾』」
俺を制止した存在――愚者が、特に身構える事なくそう呟く。
すると、俺を覆っていた闇が一瞬にして、俺の周囲全体をドームのように覆う。盾というには余りに頼りない、まるで硝子張りのようなそれは、古龍の巨躯から繰り出される振り降ろしを防げるとはとても思えない。
古龍の紅の瞳は一瞬見開かれ、確かに躊躇を見せたものの、そのままで爪を振り下ろす。
避けたい。生存本能が悲鳴を上げて、愚者から支配権を取り返せと訴えている。
だが、ダメだ。俺は変わらなくてはならない。
この盾は、きっと弱い俺を変えてくれる存在なのだ。
「愚かな事だ……」
静かに、愚者が呟いた。
「うぐるあああああああああああああああああああああああああああああッ」
着弾。
衝撃波が森中に伝うのを肌で感じる。対し、風を切るような爪が音すらも切り裂いてしまったかのように、森は静かだ。
『死の地』の噂に違わぬ死の気配。嘗て無く、今の俺は死に近かった。
だが俺は生きていた。
そして――倒れていたのは、俺では無かった。
「……何だよこれ、嘘だろ……」
「我が盾は全てを堕とす。如何なる攻撃も、練り上げられた魔法も――愚かな蜥蜴の、意識さえも」
パチン、と愚者が指を鳴らすと、『真愚の円盾』が霧散し、黒いオーラとなって俺の身体に再び纏わりつく。
目の前には、涎を垂らしながら倒れ伏した巨体――古龍が、居た。
ありえない。今さっき俺を攻撃したのは最強生物の古龍で、俺は防ぐ側だった。
なのにどうだ。立場が逆転している。それこそ、踏み潰されそうになった蟻が、人間を噛み殺したように。
「愚は愚を以て制す、この世界の理だ。『真愚の円盾』に触れた愚者は、皆等しく無価値なモノへと成り下がる」
未だに事態を把握出来ない俺をよそに、俺の身体に宿った精霊は、起き上がらない古龍に向けて歩み寄る。
目の前に立つと、古龍の身体に触れた。
その瞬間、触れられた箇所にぼうっと、何かの模様が浮かんで来る。黒く大きなそれを起点に、根を張るように闇が伝っていく。
――痺れ、だ。
見たことはないが、途轍もない恐怖が俺を支配した。痺れて動けないこの現象は、きっと毒によるものではない。
これに触れてはならないと無意識下で理解し、支配権が戻った途端に俺は手を引っ込める。
「では――終幕としようか、少年よ。烙印は終焉を呼ぶ」
愚者が嗤った。
ごくり、と唾が俺の喉を通る。それすらも無意識だった。
それ程に、愚者が放つ気配は異質だ。
自分が今どれ程おぞましい表情をしているのか、皆目見当もつかなかった。
愚者はもう、古龍を見ない。心底興味を無くした様に、古龍に背を向け、歩き出す。
「『禍霊』」
どおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんッ!!
爆発、した。
確かに、轟音が響いたのだ。愚者が心底興味なさそうに呟いた後、後方で。
振り向いた。
誰も居ない。
古龍が居ない。森は相変わらず鬱蒼と存在している。古龍はやはり居ない。空は曇りのない紫色だ。
まるで古龍だけが消え失せたように――否、初めから存在していなかったような世界が、そこには広がっていた。
死んだのかも判断がつかないこの状況ながら、古龍は永久に眠ったのだと解った。
『レヴェルアップを確認』
声が響く。
時間で言えばつい先程――愚者に呼ばれたときの様に脳に直接、抑揚の無い不気味な声が。
『レヴェルアップを確認』
「な、何だよこれ」
『レヴェルアップを確認』
俺の声にも答えず、何度も、何度も、同じ言葉が響いてくる。
愚者は知っているらしい。笑いながら、随分と才能があるようだな、と呟いた。
暫く続き、数えるのも億劫になるほどの回数を経た後、やっと音は鳴り止む。
「な、何だったんだよ……」
「……レヴェルという概念が、この世界には存在している。通常ではそれは、目に見えるものではない。レヴェルとは肉体、精神、生き物としての価値全ての成長を示す数値だからだ。しかし精霊は全てを見通す。『精霊憑き』である貴様は、レヴェルの上昇を感じとれるようになったのだ」
良く分からない。
しかし、なんとなく言わんとしている事が分かった。どうやら俺は、恐らく相当に強かっただろう古龍を倒したことで大きく成長したらしい。
でも俺の力じゃない。
愚者――最上位精霊の力で。
気づけば、俺は歯を食いしばっていた。
結局、何も変われては居ないんだ。仲間に頼って見放された、今までと何も。
「変わったさ」
俺の思考を見透かした様に、愚者が微笑む。
「言ったろう? 愚かな少年よ。貴様は自身の眠っていた才能を、死の淵に立ち叩き起こした。――『精霊憑き』、その力をな」
「……何だよ、それ」
「精霊は人間よりも高位の存在だ。人間がその身に精霊を宿す事など、本来は不可能なのだよ。……だが、嘗て一人だけ存在した或る精霊術師と、貴様だけは例外だ」
才能。
それに何度憧れただろうか。
努力をせず、生まれ持った職業とスキルだけでレベルを上げて、当然のような表情で民を救ける勇者。
劣等感を紛らわすために努力をしても、虚しいだけだった。
俺には才能が無かった。そんな事分かっていたのに、諦められなくて踏ん張った。
報われたかった。ずっと。
「少年よ、力を得たなら何に使う? 自らを裏切った勇者共を嬲り殺すか? それとも、金と女をかき集め、悠々自適な生活を送るか?」
「……それも、悪くはないかもだけど……」
もう、充分だと思えてしまっている。
認めてもらえて、それだけで良いと。
俺は笑って、静かに呟いた。
「一番は、魔王を倒して、皆を助けたいかな」
「……信じていた者に裏切られて尚、その答えを出すか。やはり、貴様は愚かだな」
森の陰で、何かが蠢いた。
顔を出したのは、おぞましい闇に覆われ、ぱっくりと開いた蛇の頭それだけではない。その後方にも、数え切れない程の鋭い眼光がこちらを捉えていた。
魔物だ。それも、一匹一匹が上級の。
「だが、それで良いだろう。貴様の歩む道、見届けさせてもらおうか」
俺は、魔物達に向かって拳を構える。
戦え。屠れ。今はそれだけでいい。
いつか魔王を倒すため。
今は、ここから出なくては。
鳴き声が全方位に、どんどん増える。どうやらいつの間にか、囲まれたようだ。
けれども、俺は笑っていた。
「行くぞ、『愚者』ッ!!」
「愚者の蛮勇、それもまた面白い! さア、派手に暴れるぞ!!」
闘志の目覚めを感じながら、俺は手近な魔物に飛びかかった。
頑張れ。




