第2話 予想通りに不条理
不思議なことに、拳銃の音は映画のような突き抜ける銃声ではなく『パス……』と空気が抜けるような音だった。
そして、先生は次々と『パス……パス……』と軽い音を立てながら拳銃を撃ち込んでいく。
その拳銃はそんな軽い音に全く似合わない威力で、撃たれた多くの人間は身体の大部分を欠損し即死していた。
拳銃よりも、撃たれた身体のほうが遥かに大きな破裂音を出している。
「□※▲▲ーーーーーーー!!」周囲にいた現地人たちは銃撃事件に気づいたらしく一斉に悲鳴――大きな金切り声を上げた。
やがて、先生による銃撃の対象は先ほどの怒っていた者たちだけではなく別の現地人――ただの通行人にまでその範囲を拡大させていく。
『パス、パス……パスパスパス……パスパスパスパスパス』
「こうでもしないと野次馬は消えないからね」先生はいつもの明るい口調でそう言った。
『パスパスパスパスパスパスパスパスパスパス』
一気に血の色に染まっていく1929年のアメリカ、ニューヨーク州。
そんな惨状を目の当たりにして雷同くんは怖くなったのか俺の腕に両手をまわして抱きついてきた。
「安居院くん……わたし、怖いよ……」
雷同くんは虚ろな目をして汗をかいていた。
身体も震えている。
先生の凶行にとても怯えているのが伝わってくる……。そして、俺も先生が怖い……。
俺たちがあんなに信頼していた先生が躊躇なく殺人をしている……そんな光景を見ているだけで脳髄の奥がチリチリと痛くなる……。焦がしていく……。
……やがて、周囲から生きている現地人がみんないなくなると、先生は銃撃をピタッと止めてから静かに口を開いた。
「ははは……これじゃあ『ブラックマンデー』じゃなくて『ブラッドマンデー』だね」
先生が無邪気に笑っている。
こういう面白くないジョークを言って笑うのは確かにいつもの先生だが、さすがに今回のはブラックさが過ぎると思う……。
「うん……羽虫が自分の耳の周りを飛んでいると叩き潰したくなるよね。芋虫が逃げずに足元から威嚇してくると踏み潰したくなるよね」
「そうそう、特に人間じゃないのに人間の真似をして人間の言葉を喋っている虫だったら視界から残らず消し飛ばしたくなるね」
「でも彼らは人間の形をしているよ? それでも人間じゃないとどうして言えるんだい?」
「簡単さ! 叩いたり踏んだりすればすぐに分かる。潰れなかったら人間。潰れたら虫なんだよ」
この会話は全部先生の台詞だ。ピン芸人よろしく一人コントに興じているようだ。
正直ピクリとも笑えないので早くこの状況を説明してほしいな。
生徒たちの白けたムードを感じ取ったのか、先生はオホンと咳払いしてから俺たちのほうに身体を向けて片足で立ち、胴体を斜めにさせながら両手をパントマイムのように上下にずらして手のひらを空中に貼り付けた。
「なぁんちゃってね! 『冗談』だよ!」
先生がおどけたような表情をしながら明るい口調で喋った。
えっ……冗談……?
俺は周囲を見渡した。
――そこには『ドッキリ大成功!』と書かれたプラカードを掲げているバニーガールが……いるわけはなく、死体の山しかなかった。
人、死んでますやん!!
「あの……人、死んでませんか?」
俺は我慢できずに開口一番で先生に質問してみた。
茫然自失状態だった他の生徒たちはハッと我に返ってから、先生と俺とで交互に目を配った。
「安居院くん、さっき言っただろう? 彼らは人間じゃない。『虫』なんだよ」
どうやらあの一人コントも講義説明の一つだったらしい。
もはや先生が何の物事に対し『冗談』と装飾したのかは分からないが、もっと突っ込んで聞いてみよう……。
「俺には彼らが『人間』にしか見えません!」
「いや、彼らは『虫』だよ」
「『虫』は服を着たり、喋ったりはしません」
「でも『虫』なんだよ。さっき虫と人間の判別方法を教えたばかりだろう? 簡単に潰れたじゃないか」
「それは、その拳銃の威力が強すぎるからですよ……!」
「……ああ、これかい?」
先生は一度懐にしまった先ほどのチープな質感の拳銃を再度取り出して、持っている手をひらひらとさせる。
それを見て生徒全員が一様にビクッと身体を震わせて、何人かは慌てて両腕で頭を隠すようなポーズをし始めた。
「……その拳銃を使って、俺たちを……撃ったり……しますか……?」
いつのまにか生徒たちの代表者になってしまった俺は唇を震わせながら、みんなが一番気になっていることを先生に聞いてみた――。
「撃たないよ? 別に撃っても何もないしね。だってこれはおもちゃのピストルだし、中身もただのBB弾だしね」
そんなわけあるか。と突っ込もうとした矢先、先生は自身のもう片方の手のひらに向かって引き金を引いて見せた――。
『パス……』
先生の左手に当たって柔らかく跳ねて地面に落ちた弾は……まぎれもなく普通のBB弾だった。
え……? 同じ発砲音だ……どういうことだ……?
「ね? ただのおもちゃのピストルだね」
先生はまたさっきのおどけたポーズをしてにっこり笑った。
――生徒たちは呆気にとられ、誰も反応しなかった。その間もずっと先生は片足で立っておどけたポーズのまま立っている。少し足がしびれてきたのかちょっとふらふらし始めた……。
……本当にさっきと同じピストルか? でもそのことを問うたとしても、またさっきみたいな『人間』か『虫』かの禅問答になりそうだったので、頭をフル回転させて先生の発言内容に合わせた質問をひねり出した。
「先生! つまり、彼らがBB弾で弾け飛ぶくらい身体の弱い『虫』なんですか?」
「大正解! 座布団1枚進呈! 持ってきてないけどね」先生は両足で立つと拳銃を持つ手のひらをよけて手首で軽い拍手をした。
先生は上着のポケットを両方とも裏返して、何か進呈できるものはないかなぁとはにかんだ。
「じゃあ代わりにこのおもちゃのピストルを進呈! 試しに撃ってみよう」そう言いながら先生は俺の手に拳銃を握らせる。
……軽い。間違いなくおもちゃのピストルだ。
「撃つ対象は先生でも良いですか?」
「あはは、安居院くんはSっ気が強いね。でも全然良いよ。あ、弾は全部撃ち尽くさないでね」
了解を得たのでさっそく先生の身体めがけて引き金を二回引いた――『パス……パス……』と先生の身体に当たった後、BB弾は地面にこぼれ落ちた。
当たり前だが先生の身体が爆散することはなかった。
「ね、普通のBB弾だろう? じゃあ次はビルでも『虫』でもなんでも良いから撃ってみてくれるかな」
先生が言う『虫』は撃ちたくなかったので、BB弾が届きそうな距離の中で一番大きな建造物である『トリニティ教会』に向かって引き金を引いた。『パス……』
このおもちゃのピストルのBB弾の軌道はホップアップで飛んでいくタイプらしく、直線弾道のやや上側にふわっと浮いて思っていたよりもゆっくりしたスピードでBB弾がトリニティ教会の側面に着弾する。
――その瞬間、ゴロゴロとまるで遠くで雷が落ちたような重い音を立てて、BB弾が着弾したレンガの壁が地面へ次々と落ちていった。壁の一部は建物の中までが見えてしまえるほどえぐれている。
……驚いた……。確かにこの威力なら人間の身体が爆散するだろう。あの時の拳銃に間違いない。でも、理屈は分からない。
「先生、これは一体……――」
そう言いかけた途端に、大通りを挟んだ向かいの通り沿いから何やら騒がしい音が聞こえ始めてきた。
自動車の音だけではなく、ドドドといった連続した打突音がどんどん大きくなっていく。
こちらに近づいて来る……? すると――。
「■☆▽◇ーー!! ▽◎、■☆▽◇ーー!! 」
こちらを威嚇するような声が聞こえた。発声元のほうを見ると警察官の格好をした人間が複数人いる。
どうやら先ほどの事件で逃げきれた住民が治安部隊に通報したらしく、近くに駐在していた警察官たちが駆け付けて来たようだった。
そして先ほどの連続した打突音の正体はすぐに判明する。当時は自動車そのものは普及していたものの、まだ治安部隊が移動手段を騎馬からパトカーへと全面的に移行する過渡期の時代であるためか、警察官の何割かは馬に乗っていた。舗装されている道路はアスファルトではなく質の悪いコンクリートであるため、馬が走る音は立ち並ぶビルに反響して騒々しい音となって周囲を鳴り脅していた。
この街は都心だったこともあり、警察官が5人……7人……と来て、最終的には30人ほど集まってきた。彼らは全員本物の銃を装備している。
――まずい……これは危険だ! 逃げたほうがいい!
「あはは……ここの『虫』たちは飽きさせないねえ。ちょうどいい……さっきのBB弾と同様に、少し面白いものを見せよう」
先生は、またさっきの怖い先生に戻ったように薄ら笑いを浮かべた。
先生が前方にゆっくりと近づくと、警察官たちは装備していたボルトアクション式のライフルを一様に先生のほうに向けた。
「▽◎……、▲◇□■!」警察官のリーダーのような男が喋っている。そのポーズから察するに射撃の合図のようだった。
「――先生! 危ない!」
生徒の誰かがそう叫んだ瞬間――警察官たちの一斉射撃が始まった。
先ほどのおもちゃのピストルとは違い、花火のような発砲音が立て続けに嘶く――。
先生は傍目から見て明らかに重い鉛弾の一斉射撃を受けているにも関わらず、その前進移動は一切緩まない……身体からはバン、バンと鉛玉の火花まで見えているのに全く物ともしていなかった。
――すると、先生を狙っていた弾丸のいくつかは外れ、生徒たち側へと向かってきた。
その中の一つ、燃える矢のように光る弾丸はそのまま俺のほうへと勢いよく真っ直ぐ飛び込み、そしてそのまま俺の眼球へと直撃した――!
「あっ!!」
……俺がそう叫んだ時には既に終わっていた。俺は眼球に弾丸を受けてしまった……。
しかし、全く痛くもなく感じもしなかった。
弾丸は当たった瞬間にくしゃっと潰れていたようで、そのままポロっと足元に転がり落ちた。
「えっ……いま、銃弾が目に直撃したのに……全く何も感じなかった……」
俺がそう呟くと先生は振り返った。
「ああ、すまない。もしかしたらこぼれ弾が君たちにぶつかったかもしれないが、何も痛くはなかっただろう? 私もそうで、いま発射されているライフルの弾丸を9割方受けているが文字通り全く痛くも痒くもないんだよ」
警察官たちは夢中でライフルを撃ち込んでいたが、全く効いた様子がない先生を見て目を丸くしていた。警察官のリーダーが撃ち方止めの合図をするまでもなく全員が次第に発砲を止め始めていく。
「これで分かっただろう。強化されているのはBB弾だけじゃなくて、私たちの身体もなんだよ。もう少し見せようか。たとえば……」
先生が自分の足元に向かって思いっきり踏み込んだ。
――すると地面に舗装されたコンクリートがずるりと剥けた。
先生はその自分の身長の何倍もあるコンクリートの破片――厚さ10センチメートル程度の板状のもの――を軽く持ち上げると警察官たちに向かって思いっきり投げつけた。
その投げつけたコンクリートの破片は風を切る音とともに回転しながら、その大きさに似合わずプロ野球選手の豪速球よりも速いスピードで警察官3名と馬1頭に直撃させ後方のビルへと押し潰した。
威力自体は先ほどのBB弾ほどではなかったが、その4体ともが即死を免れなかったようだ。
そして地面には血が広がっていく……。
なんなんだよ、これ……。
「〇、〇★▽■!?」
「ふふふ……『超人ハルク』にでもなった気分だね。さて、このままだとまた逃げられてしまうからそろそろ一気に決めようか」
先生は不敵な笑みとともに生徒たちのほうを振り向く。
「私たちの身体だけでなく、現実世界から持ってきているもの全てが『虫』たちにとって凶器さ。たとえば……私たちにとってはただの形状変化可能な衣服として使っている『ケアリングウェア』ですらもね。……おっと、もちろん『ケアリングウェア』本体じゃなくて分体を使う。君たちの前で素っ裸になるわけにはいかないからね」
先生は警察官のほうへ再び振り向いてから手をだらんとさせ前のほうに腕を伸ばした。
すると上着の袖から野球ボール大の白いチューインガムのようなものが出てきて空中にふわふわとなびかせながら留まった。
――俺たちの着ている服は全て一人一着の『ケアリングウェア』というガム状のものでできていて、その形や色や質感を自由に変えることができる。一部分を千切って分体としてアクセサリーにしたり簡易バッグを作ることも可能だ。……先生はそれを使って一体何をする気なんだ?
「『ケアリングウェア』分体よ、鳥黐状になって広がり、あの『虫』たちを捕まえてくれ」
そう先生が命じると白いチューインガム状のそれがその体を徐々に肥大化させながら20メートルほど上空まで浮遊し、少し間を置いてから警察官の集団のほうに向かって一気に触手状の粘糸を射出した。
「■◇●! 〇◆□□ーーーー!! ★☆▽!!」
残った警察官たちと乗ってきた馬、自動車がすべてその粘糸に捕まった。粘糸は非常に強力な粘着力があるようで、一人の警察官が右腕に粘着した粘糸を剥がすために引っ張るがびくともしない。そして埒があかなかったのか左手で掴んでしまい、左手が右腕から一切離れなくなってしまっていた。
人間よりも遥かに引っ張る力のある馬ですら同様であり、広がった粘糸による徐々に収縮していく力に負けてどんどん真ん中に引き寄せられていく……。
『ケアリングウェア』がこんなに力強く見えるのは初めてだ……。いつもなら、たとえ本体のほうでも少し力を入れて引っ張ればすぐ破けてしまうのに。
「全員捕まったね。それじゃあそのまま野球ボールのサイズくらいにまで戻ってくれ。あ、色々なものが洩れ出ないよう事前に隙間はピッタリ塞いでくれよ」
先生がそういうと粘糸の側面からさらに粘糸が無数に生え出し、まるで繭で自分の身体を覆う蛾の幼虫のようにその粘糸を使って彼らを塞ぎ始める。
……その最中も警察官たちの悲鳴はずっと聞こえてはいたが、完全に塞ぎ切ったあたりからもう聞こえなくなった。
――すると、『バシュン』と一瞬だけ大きな音を立て、一気に野球ボールのサイズまで何の抵抗もなくあっさり縮んだ……。
「終わったね。たぶん中身は私でも見たくないようなグロい状態になってると思うから、一瞬で中身をどこかに放り投げてくれ。場所は海がいい。方向は南東で頼む」
その白い野球ボールは先生の命令に呼応するように、ビル程度の高さまで空中を移動した。
そして、その位置を支点に大車輪のようにぐるぐると回り始める。
そのまま延々と回し続け最高速度に達したあと、一気に表面を剥がし野球ボールの中身を勢いよく射出した。
本当に一瞬で視界から消えたので中身まではよく見えなかった。
「『ケアリングウェア』がこんなに元気に動き回れるのはこの世界だけかもね」
先生は中身が飛ばされた方角を見ながらンフフと笑った。
……俺も慣れてきたのかもしれない。最初こそは呆気に取られたが、コンクリートの板を投げた辺りからあまりにも非現実過ぎて、逆にスクリーンで観る映像作品内での出来事のように自分にとってはどうでもよい他人事だと思えてきた。
――とりあえず、授業の続きだ。先生に状況を説明してもらわないと話が進まない。
「先生、そろそろ説明をしてもらってもいいですか?」
俺は少しぶっきらぼうな口調で先生にお願いすると、先生は優しく微笑んで両手のひらを上に向けた。
「はいはい……そうだね。そろそろこの『マイクラース』の特徴について説明しよう」
どうやらやっと本筋の話をしてくれるようだ。生徒たちも心なしか徐々に警戒を解き始めている。
「そうだね、どこから話そうか……そうだ。みんなは私が撃ったBB弾の威力がとても強くてびっくりしたよね。これはこの『マイクラース』の特性によるものなんだ」そう言って先生は地面を指さした。
「このBB弾はね、徹頭徹尾、普通のBB弾なんだ……私たちの世界にとってみれば、ね」
先生はにやりと不敵な笑みを浮かべる。
「私たちはこの世界に小さくなって入ったが、実は身体や持ち物が小さくなってもその質量は全くそのままなんだ。BB弾の重さが仮に0.2グラムだとすれば、この世界に来ても0.2グラムのままさ。でも、それは私たちにとっての0.2グラムであって、彼らにとっての0.2グラムではない」
お……この後たぶん計算問題を出してくるなこれ……。さっき先生は喋りながら携帯端末を取り出して何やら調べものをしていた。複雑な問題を出すときにいつも先生は事前に答えの裏取りをしてから生徒たちに質問攻撃をする。こちらから画面は見えなかったが指の動きからフリック入力ではなくシングルタッチで素早く打ち込んでいたからおそらく電卓アプリだ。
「はい、突然だけどここで問題。私たちの世界における地球の重さが60垓トンで、『マイクラース』の重さが200グラムであると仮定した場合、私たちの世界における0.2グラムのBB弾は『マイクラース』の世界の人にとっての何グラムになるでしょうか?」
予想が当たった。数字の単位が『垓』の時点でもう俺の脳みそは思考を放棄している。俺は興味あることには一生懸命だが数字にはあまり興味ないのだ。
突然の質問攻撃に生徒たちはギョッとした。そのうち何割かの生徒は暗算を始めだしたりしたが、残りの生徒は俺みたいに思考放棄した組か、さっきの衝撃的な事件に茫然と気が抜けてしまっている組かだ。
10秒近く経ってから、横にいた雷同くんがおもむろに手を挙げた。「はい! BB弾の重さは60京トンになります」
なんで分かるの!?
「速いね! その通り、大正解! 『マイクラース』は地球の30抒分の1の重さだから、この世界に現れたBB弾の重さは0.2グラムの30抒倍、つまり 60京トンだね」
もはや何語か分からん。
「――正解者の雷同くんにみんな拍手を」
生徒たちみんなは先生の拍手に倣って雷同くんに拍手を送っている。雷同くんはエヘヘとはにかみながら喜んでいる。
――さっきまではウサギのように震えていたから元気になって良かった……。雷同くんは勉強好きではあるがその中でも特に計算問題には目がなくて、少し難しい計算をしている時がとても心地良いのだそうだ。先生は相変わらずわけが分からない性格をしているが、フォローの段取りはちゃんと考えているみたいだった。
「比較しやすいからあえて『重さ』の話をしたけど、実際にはその重さに相当する『密度』となってこの世界に現れるんだ。じゃないとこのBB弾を一つ落としただけでこの星が一瞬で滅んじゃうからね。このあたりの計算式は非常に複雑だから割愛するよ。気になる人は図書室で調べるといい。この後このアーティファクトの情報は開放するから」
「はーい!」生徒たちは声を合わせて返事をした。お、割と普段の雰囲気が復活してきたようだ。ごめんな、人が死んでるんやけど。
「先生、さっき先生が『虫』と呼んでいた現地人たちは殺しちゃっても大丈夫だったんですか?」
「ああ、そうそう。その話のフォローのほうが先だったね……ごめん」
先生がそう言うと生徒たちに向かって、90度腰を折ってお辞儀をする。お騒がせして申し訳ないと言わんばかりの姿勢だ。
「驚かせてしまってすまなかった。実はこれは『マイクラース』を使った授業をする際に担当の先生が必ずやらなくちゃいけないことでね、カリキュラムであらかじめ決められていることなんだ」
先生はそう言うと頭を上げた。
「まず、最初に言っておこう。今殺してしまった現地の人間は、さっきも言ったが人間ではないんだ。『マイクラース』の用語で『小人間』というもので、『地球の遺伝子』どおりに決まった行動をするいわばデータ上の存在なんだ。ちなみに『フェムト』とは『とても小さいもの』、『ちっぽけなもの』を意味する言葉だ。データ上の存在なので、一度ここを出てからもう一度入りなおすとリセットされるため、何度でも生き返るんだよ。建物ももちろん元通りさ」
生徒たちはその話を聞いてふっと楽になったようだ。安堵の声が漏れ聞こえている。
「……そうそう、安居院くんがここに来る前に質問したよね? 『魂はあるか』と……。いま聞いての通り、彼ら『フェムト』はデータ上の存在だから魂は存在しないんだ」
あの人間に見える人たちがすべてデータなのか……? にわかには信じられないが、そんな不思議を可能にするのが古代日本人が作った『アーティファクト』だ……。
質問には答えてくれたので俺はとりあえず先生に軽くお辞儀をした。
先生はにこっと微笑む。
「そして次に、なぜ最初の授業で『フェムト』を殺すことがカリキュラムで組み込まれているかというと、昔『マイクラース』を使った授業の後に一人の生徒が重大な事件を起こしてね……。その生徒は『フェムト』たちに心を奪われてしまっていたんだ」
心を奪われた……? どういうことなんだろう。
先生はハァとため息をついて話を続けた。
「『フェムト』は言葉を喋るので言語さえ分かれば意思疎通ができてしまうんだ。ただ、高度に管理された教育を受けている26世紀の私たちとは違い、『フェムト』は非常に野蛮な性格をしている。現在の倫理意識に照らし合わせると非常に問題がある行動や言動がとても、とても多いんだ」
先生はそう言いながら自身の頭に人差し指をさしてくるくる回した。
「その生徒はなぜ『フェムト』の話を聞いてしまったのか? それは『フェムト』が自分と同等の存在であると認識してしまっていたからなんだ。自分と同等の存在の『人間』が言うことならば、自分より詳しい知識や面白い話を持っていたら聞いてしまうだろう? だからその事件が起きたあとに国の偉い人たちは『フェムト』が人間と同等の存在ではない事を明示的に教えるように先生たちに厳命したんだ」
「そういう事情があったんですね……」俺は少し納得してしまった。……でもちょっとやり過ぎな気がするなぁ。
「あの、一つ質問いいですか?」雷同くんが先生に尋ねた。
「はい、どうぞ」先生が暗くしていた表情を笑顔に戻して答えた。
「その生徒はその後どうなったんですか?」
先生はその質問を聞いた瞬間に俯いて、少し悲しそうな顔をした。
「……その生徒はね『転校』しちゃったよ」
『転校』……。その単語を先生が呟いた瞬間に、生徒たちは全員それぞれの身を引き締めた。
『転校』とは学園に不適格だと思われる生徒を放校する制度だが、その後の具体的な処遇内容は誰も知らない。ただ、『いまより環境は悪くなる』とだけ教えられている。
また、噂ではあったが適格の生徒であったとしても行動に問題があると『処罰』として実施されることもあるというのを聞いたことがあった。しかし、まさか本当にあったとは……。
「『転校』したあとどういう処遇になったかまでは言えないけど、生活の質は少なくともそれまでより悪くなってしまうし、今までの友達と離れ離れになるし……そんなのは嫌だよね? 『フェムト』を自分と平等な『人間』として扱ってはいけない。これだけは絶対に守ってね……!」
生徒たちは『はい!』と声を揃えて答えた。もうみんなは納得したようだ。『フェムト』を人間扱いしてはいけないこととその理由を。
……俺は、その生徒の話について一つだけ引っかかった部分がある。その生徒が起こした『事件』とはなんだったのか、ということに。
それを質問をしようと思ったが、既にクラスメイトのみんなが納得済みの雰囲気だったので、これは別の機会に個別で先生に質問することにしよう。
「『マイクラース』の大体の説明は以上だ。さて、ちょっと中断しちゃってたけど1920年代のアメリカの話に戻ろうか」
……そういえばいま授業中だったな……。
「1920年代のアメリカは『狂騒の20年代』と呼ばれていて、非常に文化的な革命を遂げたんだ。大躍進を遂げる技術革新に国民は熱狂し、『不可能なんてない』と誰もが固く信じていた。そして何世紀も続いた伝統を破壊し新たな時代を迎えた……この時代はまさに『イノベーション』の固まりなんだ。この文化的革命精神がいまを生きる私たちにも強く受け継がれているんだよ。歴史上の出来事で一番重要な時代を生きた彼らには多大なる尊敬の念を抱かざるを得ないね」
でも先生、その尊敬していた人たちめっちゃ殺してましたやん。
「それでね、『狂騒の20年代』が生んだ文化革命の中で特に『あれ』は、いまの私たちに非常に……! 大事な、だーいじな精神を宿したんだ。いまもまさしく現在進行形で私たちを加護してくれている精神さ。『あれ』について……いま私は猛烈に喋りたいんだが、まだ授業で触れる範囲ではないので言えないんだ……! はぁ……」
先生が肩を落として非常に残念そうにしている。先生の授業自体はあまり面白くないので期待はしていないが、それなりに熱のこもる内容ではあるのだろう。
「授業で『あれ』について触れられる時期が来たら再びここに来て教えよう! ……というわけでこの辺で『マイクラース』は終わりにしてそろそろ教室に戻ろうね」
『マイクラース』自体はとても面白いアーティファクトだった。正直、欲しいな……。
「先生、教室に戻るにはどうすれば良いんですか?」生徒の一人が質問した。
「簡単だよ。お空に向かって『アッカンベー』をするのさ」
なんじゃそら。
「このアーティファクトが作られた時から既に決められている帰還方法だから私が決めたわけではないよ。たぶん、普段しないポーズだからこそ作った人はこれに決めたんだろうね。とりあえずそれしか帰る方法はないからね。はい、さぁみんな一緒に!」
生徒たちがバラつきながら真上の空を見つめて『アッカンベー』のポーズをする。
俺は全員が上を向いたことを確認してから同様のポーズをした。
*
「はい、みんなお疲れ様! 『マイクラース』は楽しかったかい?」
正直、結構楽しかった。もし質問が『授業は楽しかったかい?』だったなら今回は星一つだったけど。
「今日の授業はどっと疲れましたよ……。せめて『フェムト』を殺すんだったら事前に彼らが『データ上の存在』であることを言っておいてくださいよ」
俺は少し悪態をついて見せた。ちょっぴり怖かったのだ。
「あはは、ごめんごめん。でもあの出来事があったからもう忘れないだろう? 記憶に強く残るのはいつも『意外な出来事』とセットだからね」
理由には納得したけど、俺たちは本当に大人の都合に振り回されているなぁと感じた。
「ああ、そうだ。初日の授業で必ず教えなくてはいけないことがもう一つあるんだ……でも……」先生は顎を触って困った表情をしながら上を向いた。「あのことは個人的にはいまの段階で教えなくても……とは思うんだけどね」
出た! お得意のもったいぶった説明! でもまぁ嘘はつかない人だからカリキュラムで義務付けられていることは本当だろう。
教えることが義務付けられている内容というのが正直気にはなる。
「……実は、君たちの身体にはある『秘密』があるんだ……。いままでの13年間、君たちにはずぅっと『秘密』にされていたその身体のことをいまから話そう……」
先生が本日最後の授業を始めた。……その内容は説明が5分、質疑応答が5分、合計10分程度で終わる簡単なものだった。
……先生が言った俺たちの身体の『秘密』……その話は、やはり先ほどの授業と同じように――予想通りに『不条理』なことだった。