第1話 授業中に人を殺そう
「いいか、もう一度よく考えてくれ!」
そうやって、自分自身に対して説得を試みる。
そして俺は続けて「いまお前は自身が記憶している様々な『情報』について、過大評価をしてしまっているんだ……!」と言葉をぶつけてみる。
しかし、同じ身体を共有するそいつは『無反応』を決め込んでいる。
ああ……やはり駄目か……!
なぁ、俺はやっぱりそいつが……嫌いだ。
うん? 「いま、こんな『異世界』の洞窟の中で一人ぼっちなんだから、せめて『自分自身』とは仲良くしようよ」だって……?
もちろん、分かってはいるさ。でも俺がそいつと仲良くできない理由はたくさんある。
さっきの無反応なところもそうさ。聞こえているくせに……。
きっと、そいつは『知らないこと』に対して『自分は何故それを知らないのだろう』と疑問に思うことすらないだろう。
そうなってしまう理由はもちろん俺にも分かっている。
ある物事に対して『自分は何も知らない』という事実を素直に受け入れるのはとても、とても耐え難いからだ……。
でも、あんたは違うよな?
そんな問題を孕んでいるのはそいつだけなんだ。
……『自分がいま知っていること』にだけ執着しすぎて、新しいことを受け入れられないことほど不幸なことはない。
俺たちが最初に『異世界』に来た時のことを思い出してくれ。
異世界に来た最初のほうは『異常』なことばかりで……なぁ、面を食らったよな。
何もかもが常識という枠の外だった。
でも、俺たち現実世界の人間にとっては『異常』であることでも、異世界にいる彼らにとってはそれが『普通』であると感じているようで、なんら疑いもしていなかった……。
彼らにとっての『普通』を受け入れることには時間がかかった。
しかし、いざ受け入れてみれば脳髄の中で色のついた新しい景色がパァっと広がっていき、生まれて初めてとも言えるほどに自分の心が踊り沸き立ったのをよく覚えている。……そして、それはいまでも記憶の中で輝き続けている。
異世界にいる彼らと仲良くなれば俺たちの『仲間』として、心の隙間を埋めてくれたし、『夢』にも出てくれるようになった。
『知らないこと』が『知っている』に変わるというのはそれほど素晴らしいことなんだ。
――そう、とても素晴らしい日々だった……。
だからだろうな。そいつがショックで寝込んでいるのは。
目の前にはそんな『仲間』たちの死体が散乱していたからだ……。
「気ぃにするなって! また新しい仲間を作ればいいさ」
無反応。
「もっと『知らないもの』を知るための旅に出よう。異世界も現実世界と同じく無限に広がっているんだ!」
無反応。
「目の前に転がっているのは『古い情報』なんだ。これは脱皮するチャンスだ! 新しい服を着るには古い服を脱がなければいけない。重ね着なんてしてちゃ重くなって歩けなくなるだろう?」
無反応。
もう起きたらどうだ? ……いい加減にしないと怒るぞ。
「俺たちは徹頭徹尾、この『愚かで可愛い脳髄』の中で一緒に生活するしかないんだ。だから拗ねてないで仲良くしようぜ?」
そいつは返事もしないし、頷きもしない。そのままそいつはただぼーっと一点を見つめてポツンと存在している。
おいおい……友達なくすぜ?
――そんな膠着状態の中、ふと「グルル……」という威嚇する声が聞こえてくる。
あ、やっと起きた? ……じゃねえや。魔物の声だな。
この惨状を生み出した魔物は目の前にいる。
その魔物の名を俺たちは知っている。グラシャという名だ。
巨人の体躯で獣の脚を持ち、背中には黒い翼が生えている。
かなりの巨体で、獣のような四つん這いの姿勢でありながら顔の高さは20メートル以上にもなる。
この洞窟はただでさえだだっ広い空間なのに、それすらをすっぽり覆うほどの大きさだ。
ここにいた奴らを殺したのはこいつで間違いない。……さっきまで仲間の死体をむしゃむしゃと食っていたからだ。
焼き加減はレアのほうが好みらしく、焦げたほうの焼死体には目もくれなかった。
「大丈夫、俺たちの身体の質量はこの星の『200倍』もあるんだぜ? 異世界の奴らには絶対に俺たちを傷つけることはできない」
俺がそんな台詞を吐いても、相も変わらずそいつは無反応。おいおい頼むぜ……。
「俺だけ一人で壁に向かって喋ってるみたいで恥ずかしいよ。視聴者もいるんだからさ。早くストーリーを進めようぜ」
「……」
そいつは一言も発せずただただ無反応を貫いていた。
「早く俺の言葉に反応しろって言ってんだよ。たった一人のキャラクターがその場から一歩も動かず延々と喋っているだけなんて大して面白くないだろう。『フォーン・ブース』みたいなサスペンス映画ならその設定でも十分面白かったが、残念ながら俺たちに貸し与えられている舞台装置はそこまで潤沢ではない」
「グルルル……!」
説得に勤しむ俺たちの身体に対してグラシャは睨み、唸った。
さしずめ『食事の邪魔をするな』といった様相だ。
その表情は牙をむき出しにしたハイイロオオカミのように仰々しい怒りを表していた。
「弱すぎてカスな生き物のくせに威勢だけは一人前だよな? ほら、挑発してるぜ? 期待に応えてあげればいい。すぐに殺るんだ」
「……」
「俺たちが小さなコイン1発でも弾いただけで、この世界の人間、魔物、風景……その全てに綺麗な大穴が空くんだ。無双だよ無双。絶対に勝てる消化試合さ。――ほら、いまあいつにムカついてるんだろ? 殺ろう、すぐ殺ろう。ゴールは目の前だ」
「……」
――すると、グラシャは轟音とともに一気にこちらに飛び掛かった。
ぎちぎちに固く握られた巨人の左手は大きく弧を描きながら、対象を粉々にせんとばかりに振りかぶってきた。
「ほおら、しびれを切らしてきた」
俺がそう言うと、そこでようやくそいつは身体を少し動かし始めた。
――おお、やっとかよ。
同じ身体を共有しているからか、身体中の筋肉に力が入っていくのが分かる。
「おい、魔物が向かってきているぜ? 俺たちを殴るつもりらしい。なんかムカつくよな? そこで提案なんだが、あの傲慢に満ちた拳を破壊してやれよ。簡単さ、俺たちも同じく拳を握ってそれに当てればいい」
身体中で瞬間的に力がみなぎり始めた。
俺たちは固く握った右手の拳を、風を切るような轟音をまとったグラシャの巨大な左手に合わせるように打ち込んだ――。
その瞬間『グチャアッ!』と、泥水の詰まった革袋を破裂させたような爆発音が洞窟中に響いた。
――グラシャの左腕はあとかたもなく爆裂していた。
胴体の半身も不揃いに裂けて接着面の大部分の肉は削げ落ちており、身体を支えきれなくなったその巨体はやがて崩れるように倒れ始めた。
「あはは、そうだよ。そうやってちょいと小突けば良いんだよ。簡単だろ? 俺たちはこの星を破壊することすらできる。たかだか『200グラム』の星だ……。利用価値が無ければすぐに潰すだけだ。仲間も魔物も同様に平等に価値が無い。なぁ、そう思うだろ?」
「……」
おいおい、まただんまりか?
「まだ黙っているつもりなのか? 俺たちは同じ脳髄出身の精神分裂主義者だ。お互いがそれぞれ這い寄る自意識で以てくだらねえ意見を主張し合いたいんだよ。俺の意見が間違っていると思うんだろ? じゃあ訂正してくれよ。お前が意見を主張しないなら俺たちはいつまで経っても子供のままだ」
「……」
うーん、やっぱり無反応か……。
悪いな、あんた。こんな面白くないコントに付き合わせてしまって。
どうやら役者にもその日の体調だとか色々あるようなんだ。
「グ……ルル……」
グラシャが悲痛を抱いた表情で呻き声を上げていた。
気持ちわりーなこいつの顔。ちっぽけな存在ではあるが人間の俺たちの気分を害するには十分な威力だ。ただ存在しているだけなのに鳥肌が立つ。
『虫』だ。『害虫』だ。さっさとトドメを刺しておこう。
「分かった。お前が俺たちの身体を乗っ取ったままぼーっとしているなら、どけ。俺がそこに代わろう。警告する……『3秒』だ。あと3秒数える間に目の前のグラシャを殺せ。――じゃないとお前の大事な記憶の中身を全部、食っちまうぞ」
俺がそう言うと、そいつはやっと脱力しきっていた身体に力を込め始めた。そしてグラシャの元まで歩いていく。
――やっとか、良いぞ……。
あと3秒。
俺たちの身体は魔物の巨大な顔の前に立ち、右脚に力を込め始めた。
すると、グラシャが何かに気づいたように目を大きく広げ、こちらを見て唇を震わせた。
あと2秒。
グラシャが喋る。「あなたは、まさか……」
あと1秒。
グラシャが喋る。「……様――!」
ゼロ。
――瞬間、先ほどよりもさらに大きな爆発音を鳴らしてグラシャの残った身体もすべて爆裂し、洞窟をその血で濡らした。
俺たちの身体は右脚を使ってただ思いっきり蹴っただけだ。たったそれだけの動作で何十倍もの大きさの巨体は粉々に散っていく。
洞窟中に音が鳴り響き、反響音がさらに反響する。完全に静かになるまで数秒の時間が必要だった。
「あっはっは! ……気持ち良いよな? そうだよ。弱い存在を取り潰すのはとても気持ちが良いんだ」俺は声を上げて爆笑したあと、諭すような口調に変えて言葉を続ける。「間に合って良かったよ……。俺が身体を操っても俺には面白いことなんて一つもないからな。俺はずぅーっと観客席から見ていたいんだよ。主観的に観ると『悲劇』の場面でも、客観的に観れば『喜劇』に感じるからな。お前、最高に面白かったぜ」
俺たちの身体がわなわなと震えた。
眼球に涙を溜め始め、次第にぽろぽろと地面を濡らしていた。
「何泣いてるんだよ。自分でゴキブリを殺しておきながら泣く奴なんていないだろう?」
そのまま地面にしゃがみ込み、おろおろと泣き崩れた。
「悪い悪い、結果的に脅してしまったことは謝る。大好き。愛してる。……俺たちは同じ脳髄を共有しているんだ。もっと仲良くしていきたいんだよね」
――しばらくそうしていると、後方から俺たちを呼ぶ声が聞こえた。
まだ生きているほうのお仲間だ。
その声を聞くと俺たちの身体はむくりと立ち上がり、その声のする方向へ走っていく。
やれやれ、ちっぽけな人間のためにやる気になったりやる気を失くしたり……忙しいね。
でも、可愛いよ。
「走ってる最中で申し訳ないが、いま一度過去を振り返ってみないか? 俺たちがこの異世界に来た日のことさ。古い服を脱ぎ捨てたばかりのいまだからこそ、初心に帰って確認したい。なぜ俺たちの精神はここまで変わっていったのか……とかさ」
「……」
相も変わらず無反応……。ふふ、それも逆に可愛いと感じてきたよ。
俺はそいつのことが大嫌いなんだけど、大好きなんだ。憎んでるんだけど、愛してるんだ。無関心とは相反する感情全てをそいつに抱いている。
……さぁ、いま一度振り返ろう。一番最初の日を――。
*
「今日でみんな晴れて13歳……『グレード3』の学生となりました。まずは、進級おめでとう」
陽の明かりが窓から差し込む教室で、初老に差し掛かった先生はにっこり笑って俺たち生徒の進級を祝福した。
進級を祝福されて嬉しいか? と問われれば俺たちは『特にどちらでも』と回答してしまうかもしれない。進級して大きく変わったことはないし教室はそのままだし、このクラスに30人ほどいる生徒たちは小さいころからずっと同じメンツだ。先生もそのまま。席の数も変わらない、どうやら新しい仲間が増えることもなさそうだ。
「先生~! このクラスに新しい仲間は増えないんですか?」
「ははは、残念ながらこのクラスに在籍しているのは君たちだけだ。でも誰も欠けることなく全員進級できたんだ。そこは『おめでとう』だね」
クラスメイトたちは揃って私たちは落胆しましたとばかりにため息をもらした。
『進級したら新しい友達が増えるかも』とクラスメイトは噂していたが、その期待を裏切った恰好だ。
裏切ったといっても別に先生があらかじめそう言い含めていたわけではない。ただ、生徒が勝手に期待して勝手にがっかりしているだけだ。
でも、進級して何も変わらないかというと厳密にはそうではない。
まず授業で取り扱う範囲が広くなり、新しい知識を習得できるようになった。これは非常に大きなメリットがある。
なぜなら『グレード』によって知っていて良い範囲と知ってはいけない範囲が決まっていて、上位のグレードは下位のグレードに対して上位でしか知りえない情報を言ってはいかず、もしうっかり教えてしまうと処罰されてしまうからだ。
下位だった自分にしてみれば『聞いちゃいけないこと』が普通に聞ける、これほど解放感があることはない。
うっかり上位が喋った場合の処罰の内容までは公開されていないけど、噂では針の筵の上で正座させられたり、突然『転校』させられたり……と言われてはいるが、幸いクラスメイトの誰も先の違反はしていないので処罰を受けた人間はいない。まぁ、どんな処罰なのかというのは非常に気になるところだが、先生も『駄目なものは駄目だよ』と言うだけで肝心の内容は全然なにも教えてくれないのだ。
まぁ、そんなことより……グレードが上がることで俺が何よりも期待していることがある。それは……。
「さあ、今日は新しい『アーティファクト』を使った授業をしよう」
先生がまさに期待通りの発言をしてくれた! そう、グレードが上がると新しい『アーティファクト』が使えるようになるのだ。
アーティファクトとは大昔の日本人が作ってくれた遺物で、まるで『魔法』のような効果がある。
「安居院くんは新しい授業に喜んでくれているみたいだね。良かったよ」
先生は微笑ましそうに俺を見つめた。
ああ、しまった。喜びを身体で無意識に表現していたようだ。自分の右腕を見るとバッチリとガッツポーズをしていた。俺は赤面しつつある顔を俯かせて右腕を机の下にしまった。
俺と先生がそんなコントを繰り広げている中、他のクラスメイトは俺ほど新しい授業やアーティファクトには興味がないようで、頬杖をついているか近い席の生徒とおしゃべりしているか、もしくは机に突っ伏して寝ている。
なんとまぁ好奇心の足りない現代っ子たちか。同じ13歳だけど。
先生はにこにことした表情のまま、件のアーティファクトを掲げて教卓の上にゆっくり置いた。
お……! これが新しいアーティファクトだな。
大きさは少しコンパクトで片手で持ち上げられそうだ。しかし、効果や不思議さは必ずしも物体の大きさと比例しない……。
たとえば以前の授業で見たアーティファクトは小さな風船の形をしていたが、なんとそれ1つで自動車などの重量物を空に飛ばすことができていた。
あれはビックリした……。まさに魔法のような道具だった。そう、それこそがアーティファクト。常識だとか物理法則だとか、そういう既成概念をぶち壊して新しい神秘的な体感をもたらしてくれる。
――さて、今回のアーティファクトはどんな効果があるのだろう?
「今回の授業に使うアーティファクトについて簡単に説明しよう。これの名前は『小地球』といって、小さな地球を意味する『マイクロ・アース』を縮めた造語だ」
先生が『マイクラース』と呼んだそれは手のひらにすっぽり収まる地球儀のような形をしていた。
地球儀といっても台があって固定されているような普通の形ではなく、手のひら大の携帯水槽のようなケースの中に小さな地球がポツンと浮いている。先生はさらに説明を続けた。
「このアーティファクトは本来グレード5以上の人間でないと使用することは禁じられているものだが、引率する教師が監督する場合に限りグレード3の生徒も利用できるんだ」
へぇ、第5アーティファクト! 今までは第2アーティファクト、つまりグレード2までしか使用を許されなかったものばかりだったから、いきなり3つもランクが上がってドキリとした。俺の好奇心はいま最高潮だ!
「このアーティファクトは見ての通り、中に地球に似た球が浮かんでいる。この球の重さは約200グラム。小さいし軽いよね。それら以外は地球とそっくりな外見をしているが、実はこれ……本当の地球なんだよ」
――うん?
先生は生徒の想像力を刺激するためか、よくもったいぶった説明をする。
「先生、地球はそんなに小さくありませんよ」前のほうに座っているクラスメイトがすかさず突っ込みを入れた。
「あはは、サイズは違うけど地球というのは本当なんだよ」
先生はあくまでそれを本当の地球と呼んでいた。
上位グレードのアーティファクトだ。きっと俺たちの知識の外側にある何か凄い仕掛けがあるのだろう。
俺はにやりとしながら先生の続ける話に興味深く耳を傾けた。
「大昔の偉い人たちはね、人間や動物に遺伝子と呼ばれる設計図が存在することを発見したが、それからしばらくして実は鉱石や水などの無機質にも遺伝子のような設計図があることが分かったんだ。そしてその設計図を辿っていくと……それらを生み出した母なる大地、つまり地球そのものにも遺伝子はあったんだ」
このスケールの大きな話には俺はもちろん、クラスメイトの何人かも興味を示した。
「『地球の遺伝子』には、地球そのものどころか地球に存在するあらゆる植物や生物の情報が記録されていた。しかも、その情報には設計図だけではなく今まで起こった出来事すべてが記録されていることが分かったんだ。つまりね……理論上、地球が誕生した46億年前から今までの地球上の出来事をすべて再現できるんだ。――それを使って西暦2000年の地球を再現し、サイズを思いっきり小さくしたのがこれ……手のひらの地球『マイクラース』さ」
さらに続いていくスケールが大きな話に、次第にクラスメイトたちのほとんどが食いつき始めた。
「その中では人間も生きているんですか?」
「生きているよ。彼らは自分たちがこの『マイクラース』の登場人物とは知らずに普段通りに生活している」
「今までの出来事が記録されているならば、どの時代でも自由に設定できるんですか?」
「そうだよ。さっきは西暦2000年と言ったが、きりが良い数字だったからたまたま最初に設定したみただけで、どんな年代でも設定したらすぐにその当時の状態で再構築されるんだ」
「歴史で習った出来事も忠実にすべて再現されているんですか?」
「もちろん。ケネディ暗殺の真犯人やバミューダトライアングルでの飛行機消失事件の真相も全部分かるよ」
何人かが質問し始めた途端、みんな堰を切ったように次々と手を挙げながら、当てられるのを待たずに質問をぶつけ続けた。
「見てみたい時代があるんですが希望してもいいですか?」
「『マイクラース』の中の人間と会話することはできますか?」
「地球がこんなに小さいならどんなに高性能な顕微鏡でも人々を観察するのは難しいんじゃないですか?」
「私たちがその人間に干渉して歴史を変えることはできますか?」
なんという熱量……ぼーっとしがちなクラスメイトたちがここまで湧いたことが今までにあったか?
俺も負けじと手を挙げて質問する。「『マイクラース』にいる人たちに魂はあるんですか?」
生徒たちからの余りある質問の雪崩に対して先生は、笑顔はそのままでなんだか困っちゃったなというような仕草をした。
「ははは、順番に順番に……と言いたいところだが、授業の時間には限りがある。そろそろ進めよう。いま追加で言ってくれたいくつかの質問はここに入ったらだいたい分かるよ」
先生は『マイクラース』に人差し指を向けてそう言った。
えっ、まさか……!
「その中に入れるんですか!?」俺はあまりの衝撃から机を両手で叩いて立ち上がり大声で叫んだ。
「その通りだよ」先生はにっこり笑って答えた。
あまりの衝撃……あまりにも既存知識の外側……全然想定していなかった。そんなことが可能なのか?
俺だけじゃなく、他のクラスメイトたちの驚きも相当なようでガヤガヤと教室の中を騒がしくさせていた。
先生はパン、パンと手を叩いた。
「はい、みんな静かに。いまから私は『マイクラース』の中に移動する準備を始めるから、みんなは机と椅子を一箇所に片づけておいてね」
みんなは一斉に起立をして自分の机と椅子を教室の後ろ側に集め始めた。「こんな面白そうな授業は初めて」「どの時代に行くんだろう?」「移動方法はどうやるんだろう」「行き先は? 外国ならうれしいな」生徒たちはそんな会話をしながらみんな生き生きとしていた。
俺も少し遅れて机と椅子を運び始めると、先に運び終えていた一人の生徒が俺に近づいてきた。
「安居院くん、凄くワクワクしてるでしょ? 顔に書いてあるんだから」
その生徒は両手を後ろ手に組み少しかがんで上目遣いにそう話しかけてきた。
あー……今日も可愛いなぁ。
この子の名前は雷同有栖。見た目はとても華奢な子だけど、運動神経はクラスでも良いほうで、しかも成績優秀……まさに非の打ち所がない存在。しかも俺の幼馴染だぜぇ? ……といってもクラスメイトは全員幼馴染だけどね。
「雷同くんも楽しそうだね。目が期待でキラキラしているよ」
生徒同士はお互いの名前を必ず『くん』付けで呼称することが義務付けられている。
こうすることで不思議とお互い喧嘩をしなくなるのだそうだ。
『くん』付けはそれだけで相手の存在を無意識に尊重する敬称みたいなものだから、喧嘩をしている時には中々出せない。
だから逆説的に最初から『くん』付けで呼ぶことで喧嘩を未然に防ぐのが狙いのようだ。
そういうこともあってか、俺たちのクラスはとても仲が良いんだ。
「だって私も凄くワクワクしてるもん! 歴史の勉強は好きなほうだけど、実際に見た聞いたの実感がないから細かいところが中々覚えづらくて……でも今回みたいな授業なら忘れないし、もっと楽しく覚えられそう!」
雷同くんは勉強熱心だ。そんなこともあって成績はクラスで一番。先生も一目置いている。
もちろん俺も一目置きまくっている。はぁ、可愛いなぁ……。
はぁ……好き……。
机と椅子を運び終わってからも俺たちがしばらく会話をしていたら、他の生徒の一人が割り込んで雷同くんの肩に手をまわした。
「雷同くんさぁ、そんなオタクみたいなのと喋ってないでオレともお喋りしようぜ」
お、来たな天敵! こいつも俺と同じく雷同くんのことが好きなようで、こんな感じでよく割って入られてしまう。シッシッ!
ところが雷同くんは嫌な顔などは全くせず「ほら、授業の続き始まっちゃうよ。早く私たち三人も一緒に行こう!」とにっこり笑いながら俺たち二人の背中を押して先生の前に集まり始めている場所まで一緒に移動する。
雷同くんは誰にでも優しいのだ。まさにクラスメイトたちの天使! 人間できてるぅ。
そんなこんなで雷同くんに連れられて俺たちも先生の前に集まった。どうやら俺たち三人で最後だったようだ。
先生は全員が揃ったことを確認して、教卓の上にある『マイクラース』のスイッチを入れた――そして先生は教卓から生徒の集団の一番先頭まで移動し改めて俺たちのほうを向いて喋り始めた。
「さっきスイッチを入れたから、もうすぐ移動が始まるよ」
先生は少し横に移動するとこちらに体を向けたまま『マイクラース』に改めて指をさした。
「みんな、台についてあるカメラのほうをじっと見てごらん」
先生に言われるがまま、俺たちは『マイクラース』の台に備え付けられたカメラのほうをじっと見つめた――。
*
――はっ!
ふと、気づいたら見たこともない場所にいた。
周りには他のクラスメイトも先生もいる――なるほど、ここが『マイクラース』の中ということか……。
先生はパン、パンと手を叩いた。先ほどと違って屋外であるためか、手を叩く音は反響せず軽やかな音となって響いた。
「はい、急に移動が始まったからびっくりしたよね。ここが『マイクラース』の中だよ。――さぁみんな、ここは『いつ』の『どこ』だと思う?」
移動したばかりでくらくらしているのにいきなり先生お得意の質問攻撃が来た。
どうやらもう授業は始まっているようだ。
さぁ、一体ここはどこなんだ? 俺たちはまわりをじっと観察してみた……。
まずいくつも建ててある大きなビルに目がついた。30~40階建てのビルがいくつもあることから、産業革命以降だと思う。
あと、人だ。ぞろぞろと人々が行き交っていて有数の都市部のようだ。当時の先進国であることは間違いない。日本人はあまりいないようだ。
場所は……イギリスかな? アメリカ、イタリアかもしれない。
そういえば変わった形の車も多く走っている。特徴的な形……結構古くさいデザインだ。22世紀……いや、21世紀……?
――と、そんな思案に暮れていたところ、生徒の一人が先に手を挙げて先生の質問に答え始めた。
「いくつも走っているあの車種は『T型フォード』だ! しかもほとんど外装が新しいからアンティークじゃなくて現役モデル。ということは20世紀の前半、1910年代、もしくは1920年代ですね?」
さっきの恋敵が鼻息を荒くして自動車の知識を披露した。なんだよ、お前のほうがオタクじゃねーか。
「その通り! 正確に言うと1929年さ。今からちょうど600年前だね。場所はどこだと思う?」
「フォード車だからアメリカです」
「そう、それも正解だ。みんな彼に拍手を」
生徒たちからパチパチパチと俺の恋敵へ拍手が送られる。本人は珍しく照れ臭そうに頭をかいて控え目に喜んでいる。
ずかずか物言いすることもあれば時には意外と謙虚なやつだ。悪いやつじゃないのは最初から知っていたけど、まぁ見ていて飽きない性格はしているかな……。
「さて、『マイクラース』の最初の授業にこの年代を選んだのは人類の歴史上重要な意味があるからなんだ。1920年代のアメリカといえば具体的に何が思いつくかな?」
先生の質問攻撃はどんどん続いていく。ここで慣れてきたのかみんな次々と手を挙げて思い思いの答えを出した。
「『世界恐慌』です」――雷同くんの発言。俺もそれを言おうとしていた。1929年のアメリカといったらやっぱりそれだよね。
「ゼネラルモーターズ社がフォード社に対して自動車のシェアで圧倒しました」――恋敵の発言。こいつの頭の中は車ばっかりか。
「テレビが発明されました」――一般生徒Aくんの発言。うーん、普通だ。
「『禁酒法』です。でも酒の味を覚えているアル中はやっぱり酒を求めてマフィアが大儲けしました」――これは俺の発言。俺、こういう話大好き。
それぞれの生徒が答えるたび先生は打って響いたように優しい笑顔を答えた生徒に向けてくれた。
「うん、みんなありがとう。ちゃんと勉強してくれているようだね」
先生が笑顔で俺たちの回答を讃えてくれる。こういう性格の先生だから俺たち生徒はみんな先生のことが大好きだし、積極的に言うことを聞いている。
まぁ授業が面白いかどうかは別の問題で、みんなは微妙だったと感じていただろう――今までは。
今日の授業は……凄く面白くて、とっても楽しい!
「この1920年代は『狂騒の20年代』と呼ばれていて、人類にとっての文化的な大革命が起こった時代なんだ。これは……私個人の持論も入っているが、『産業革命』よりも『情報革命』よりも……もっと、もっと大きな革命だと私は考えている。もしかしてみんなはピンと来ないかもしれないが、具体例を挙げると――」
「○◇※▲! ◇●×■〇△!」
――先生が喋っていた矢先に遠巻きにいた現地の人間が数人、俺たちの授業に割って入ってきた。
現地人たちは日本語ではない言葉を使っていて何を喋っているか分からないが、とても怒っているようだ。
なるほど、こんな人ごみを溢れる中、道路の真ん中を陣取って呑気に授業をしている俺たちに注意をしているんだな。
「□☆◆! ▼※〇××□!!」
現地人たちはまだ怒っているらしく、次々と怒号のような言葉を叫んでいる。
――ん? いや、待てよ……? てっきり俺は『マイクラース』はただの地球の歴史再現装置だと思っていたが、彼らには俺たちの存在をハッキリ認識しているようで、実際に現地人と会話をすることができる(といっても言葉は分からないが)のか……?
なぁんだ、じゃあさっき俺が移動する前に質問した『マイクラースにいる人たちに魂はあるんですか?』の答えは『Yes』ということになる。
実は結構気になっていた部分だからこれでスッキリした。
あと、他の生徒が言っていた『私たちがその人間に干渉して歴史を変えることはできますか?』という質問の答えも多分『Yes』だろう。
第一、コミュニケーションが取れるんだ。本来の歴史とは違う方向に転がせることができるはずだ。
……これは面白そうだ。
――すると、先生はしばらく黙りこくったあと……今まで生徒の誰にも見せなかったであろう表情を顔に貼り付けていた。
その表情は険しく、とても失望しているように見えた。まるで、家の中にネズミが湧いて困ったような、あきれているような……。
先生は怒れる現地人たちのほうを向くと、上着の懐に手を入れて――拳銃を取り出した。
え、拳銃? ……いや、とてもチープな質感だ……おもちゃのようでもある……先生は一体なにを――。
先生は取り出した拳銃を、その現地人たちにまっすぐ向けた。
「授業中に……うるさい『小人間』たちだ……」――先生は拳銃の引き金を引いた。
その瞬間、『パス……』と、あまりにも軽い発砲音とともに――現地人集団の一番先頭にいた人間の頭を爆裂させた。
衝撃がすさまじかったのだろう、爆散し宙を舞っている頭部の血肉を置き去りにして撃たれた身体は勢いよく後方に弾け飛んだ。
――そしてその身体は、後方、人ごみで溢れかえっていた歩道にいる十数人の身体をまるごとクッションにしてようやく静止した。
コンクリートの地面には生々しい血だまりができ、その面積を徐々に拡大していく……。
俺たち生徒はみんな唖然としていた。声を出せなかった。理解が追い付かなかった。
――先生は、授業中に人を殺した。