第十四場・Ya Ya(あの時代を忘れない)
場面転換。いよいよ本番当日、すでに客席は満員の様子、開演を待ちわびる喧騒が響いている。真姫、幸子、ソデから客席をチラ見して
真姫 「うっわ~、客席満杯じゃん、立ち見とか出ちゃうんじゃないのこれ?」
幸子 「弁天劇場が無くなる、しかも最後の上演作品が伝説の『ロミオとジュリエット』だっていうんで、往年のファンの人たちが口コミで集まってきちゃったらしいですよ」
真姫 「うっわやっべ~、あたしむちゃくちゃ緊張してきた」
幸子 「わわ、私も……」
二人 (顔を見合わせて)「……台本読もう!」
二人去った後、百合枝が出てくる。すでにロミオの衣裳。
百合枝 「ふ、震えが止まらないよ、ど、どうしよう(深呼吸)やだ止まらない、どうしよう、どうしよう……」
沢井が通りかかる。なんとか緊張を和らげようと悪戦苦闘している姿を見て
沢井 「緊張しない役者なんていないよ」
百合枝 「うひゃあ!え?」
沢井 (「静かに」のジェスチャーをしながら)「どれだけ上手くてベテランの役者でも、舞台ソデに立ったら緊張するもんだ」
百合枝 「そ、そうなんですか?」
沢井 「役者が一度舞台に立てば、そこまでに積み上げてきたものが全てさらけだされる。努力してきたことも、手を抜いてしまったことも、このソデを通った瞬間にその全ての責任を演じ手は背負う。だからそれを知っている奴はソデに立てばイヤでも緊張するもんだ。そこで緊張しないような奴は役者じゃない」
百合枝 「は、はあ」
沢井 「大丈夫、アンタは立派に『役者』だ」
百合枝 「……私、こんなにしゃべる愛さん初めて見ました」
沢井 「…………」
百合枝 「ありがとうございます、気を使ってくれて。愛さんって、いかつい見かけで損してるけど、本当はやさしいんですね」
沢井 「いかついは余計だ」
百合枝 「えへへ」
沢井 「軽口が言えるんなら大丈夫だな、よし、行ってこい」
百合枝 「はい!」
暗転、ついに本番が始まる。幻想的な音楽と照明の中、役者たちの姿が浮かび上がる。
口上1 「威權相如く二名族が、處は花のヴェローナにて、古き怨みを又も新たに、血で血を洗ふ市内鬪爭」
口上2 「かゝる怨家の胎内より薄運の二情人、惡縁慘く破れて身を宿怨と共に埋む」
口上3 「死の影の附纒ふ危き戀の履歴、子等が非業に果てぬるまでは、如何にしても解けかねし親々の忿」
口上4 「是れぞ今より二時間の吾等が演劇、御心長く御覽ぜられさふらはゞ、足はぬ所は相勵みて償ひ申さん」
舞台上の俳優たち、一散して対立姿勢に。
真姫 「こりゃ鬪爭を賣らっしゃるのぢゃな?」
石崎 「鬪爭! いや、決して。」
真姫 「鬪爭なら敵手にならう、モンタギューの犬め。汝等には負けんぞ。」
石崎 「勝ちもすまい、カピューレットの猿め。」
真姫 「うんにゃ、勝つわい。」
石崎 「うそを吐け。」
雁之介 「抜け、男なら。グレゴリー、えいか、頼むぞよ、しっかり。」
百合枝 (入ってくる)「待った/\!藏めい劍を。こゝな向不見が。」
雁之介 「やア、ロミオよ、下司下郎を敵手にして汝は劍を拔かうでな?」
剣を使った殺陣。シーン代わり、百合枝扮するロミオと清四郎扮するヂュリエット登場。ヂュリエットは後ろ向きのシルエット。
百合枝 「此賤しい手で尊い御堂を汚したを罪とあらば、面を赧うした二人の巡禮、此唇めの接觸を以て、粗い手の穢した痕を滑かに淨めませう。おゝ、いでさらば、我聖者よ、手の爲す所爲を唇に爲さしめたまへ。唇が祈りまする、聽したまへ、さもなくば、信心も破れ、心も亂れまする。お動きなされな、祈願の御報をいたゞきます。」
シーン変わり、乳母役の幸子登場。
百合枝 「あの方の母御とは、何誰ぢゃ?」
幸子 「はて、お若い方、母御樣は此のカピューレット家の内室さまぢゃがな、よいお仁で、御發明な、御貞節な。」
百合枝 「ではあの方はカピューレットの女か? おゝ、怖しい勘定狂はせ! 俺の命はこりゃもう敵からの借物ぢゃわ。」(去る)
幸子 「あの方は、ありゃ誰れですとな?…………名はロミオと言うて、お邸とは敵どうしのモンタギュー家の若ぢゃといな。」
百合枝 「まあまあなんと、類無いわが戀が、類ないわが憎怨から生れるとは!あさましい因果な戀、憎い敵をば可愛いと思はにゃならぬ。」
舞台裏。雁之介が早着替えをしている。
雁之介 「うひ~、モンタギューからチッバルト早替えはキツイ」
幸子 「はい」(服を渡す)
真姫 「ほい」(服を渡す)
石崎 「はい」(小道具を渡す)
弁天 「はい」(剣を渡す)
雁之介 「ありがとよっ……(気がついて)今渡してくれたの誰!?」
暗転。シーン代わりヂュリエットついに面を現す。有名なバルコニーのシーン。
百合枝 「あの窓から洩るゝ光明は? あれは、東方、なればヂュリエットは太陽ぢゃ!……あゝ、昇れ、麗しい太陽よ、そして嫉妬深い月を殺せ!物を言うた。おゝ、今一度物言うて下され、天人どの!」
清四郎 「おゝ、ロミオ、ロミオ! 何故卿はロミオぢゃ!父御をも、自身の名をも棄てゝしまや。それが否ならば、せめても予の戀人ぢゃと誓言して下され。すれば、予ゃ最早カピューレットではない。」
百合枝 「おゝ、取りませう。言葉を其儘。一言、戀人ぢゃと言うて下され、直にも洗禮を受けませう。今日からは最早ロミオで無い。」
舞台裏、シーンを終えた清四郎が戻ってくる。
石崎 「お疲れ様です、どうでしたお客さんの反応は」
清四郎 「最悪だ」
石崎 「拍手が起きてたじゃないですか、爆笑してたけど」
幸子 「かっこよかったですよ、ヂュリエット、爆笑してたけど」
雁之介 「ほれぼれするような漢っぷりだったねえ、爆笑してたけど」
真姫 「いいな~ヂュリエット、爆笑してたけど」
清四郎 「お前ら、後でおぼえてろよ~」
マーキューシオーに扮する石崎、最期の演技。
石崎 「やられた! 畜生、兩方の奴等め! やられたわい。去にをったか」
百合枝 「これ、氣を確に。手傷は決して重うはない。」
石崎 「畜生、兩方の奴等め!……うぬ! 犬、鼠め、人間を引掻いて殺しをる! ロミオよ、何で眞中へ飛込んだんぢゃ足下は! 足下の腕の下でやられた。」(マーキューシオー死ぬ)
百合枝 「マーキューシオーは死にゃった! あの勇敢な魂は氣短に此世を厭うて、雲の上へ昇ってしまうた。けふの此惡運は此儘では濟むまい。これは只不幸の手始、つゞく不幸が此結局をせねばならぬ。」
雁之介 「青二才どの、最初同伴って來た足下ぢゃ、冥土へ行くも一しょにお往きゃれ。」
ロミオとチッバルトの決闘、チッバルト倒れる。
百合枝 「おゝ、俺ゃ運命の玩弄物ぢゃわい!」
健太郎扮する大公現れ、ロミオを裁く。
真姫 「チッバルト! おゝ、わしの甥の! おゝ、御領主!親族の血汐が流されてゐる! 公平な御領主さま、モンタギューの血を流して吾等のを償うて下さりませい。おゝ、甥よ/\!」
健太郎 「ロミオはチッバルトを、チッバルトはマーキューシオーを殺したとすれば、マーキューシオーの血を償ふべき者は誰れぢゃ?」
群集 「ロミオ!ロミオ!ロミオを殺せ!」
健太郎 「なればロミオよ、即刻追放を申附くる。急ぎロミオを退去らせい。さもなうて見附けられなば、其時が即て最期ぢゃ。」
暗転。シーン代わりカピーレット夫人とヂュリエット登場。
真姫 「はて、其方は仁情深い父御をお有ちゃってぢゃ。其方に愁歎を忘れさせうとて、俄にめでたい日をお定めなされた。女よ、次の木曜日の朝早う、あの風流な、立派な若殿のパリスどのが、セント・ピーターの會堂で、めでたう其方を花嫁御にお爲やる筈ぢゃ。」
清四郎 「何のそれがめでたからう!嫁入はせぬわいの。父さまに言うて下され、わたしは嫁入はまだしませぬ。嫁入すれば如何あってもロミオへ往く、憎いと思ふあのロミオへ」
暗転。シーン代わり沢井扮するロレンス法師登場。
沢井 「ヂュリエットよ、明日は水曜日ぢゃ。明日は何とかして一人でお臥やれ、乳母をも同じ間には臥かさッしゃるな。床にお入りゃったら、(小さき藥瓶を取出し)此瓶を取って此なる藥水をばお飮みゃれ。すると、即て慄然として眠たいやうな氣持が血管中に行渡り、脈搏も全く止み、生きてをるとは思はれぬ程に呼吸も止り、死切ったやうにも見えう。さて、此死切ったらしい相で四十と二時經つときは、氣持の好い睡から醒むるやうに、自然と起きさッしゃらう。然るに、翌朝、あの新郎殿が迎ひにとて來するころは、卿は恰ど死んでゐる。すれば、當國の風習通りに、柩車に載せて、カピューレット家代々の古い廟舍へ送られさッしゃらう。其間に、ロミオが卿をばマンチュアへ伴れて行う。卿の心さへ變らずば、女々しい臆病心の爲に、敢行くる勇氣さへ弛まなんだら、此度の耻辱は脱れられうぞ。」
清四郎 「下され、さ、それを。早うそれを! おゝ、何の臆病心!」
沢井 「主の御加護が共にあらんことを」
清四郎 「戀よ、予に力をくれい! 力さへあれば事は成らう。」
ヂュリエット、薬を飲み、仮死となる。ロミオ登場。
百合枝 「……おゝヂュリエット、戀人よ!我妻よ!卿の息の蜜を吸ひ盡した死神も、卿の艶麗さには能い勝たいでか、鮮な此唇、此兩頬。……あゝ、戀しい、懷しい、ヂュリエット、何として今尚ほ斯うも艶麗ぢゃ?俺ゃもう決して此の暗の館を離れぬ。俺ゃ永久も此處にゐよう。おゝ、今こゝで永劫安處の法を定め、憂世に厭き果てた此肉體から薄運の軛を振落さう。(毒薬の瓶を取り出し)……見よ、これが最後ぢゃぞ!腕よ、抱け、これが最後ぢゃ!おゝ、眞實な彼藥屋、效力は忽ち……かう接吻して俺ゃ死ぬるわ。」
ロミオ毒杯をあおって死ぬ。ヂュリエット目覚めて
清四郎 「……こりゃ何ぢゃ?戀人が手に握りゃったは盃か? さては毒を飮んで非業の最期をお爲やったのぢゃな。……まア、あたじけない! 皆な飮んでしまうて、隨いて行かう予の爲に只一滴をも殘しておいてはくれぬ。……まだ温い、お前の脣!なりゃ、片時も早う。……おゝ、嬉しや、短劍!(ロミオが佩びたる短劍を取りて)さ、鞘はこゝに。(と胸を貫き)そこに居附いて、予を死なせてくれ。」
ヂュリエット、剣で男らしく割腹。暗転。
「ロミオとヂュリエット」のカーテンコール。割れんばかりの拍手が沸き起こる。
一同、舞台裏に戻ってきて
石崎 「お疲れ様でした、お疲れ様でした!」
真姫 「いや~終わったあ~!あっという間だったねえ」
幸子 「私もうなんだか自分が何しゃべってたか全然覚えてないです、私、大丈夫でした?変なこと口走ってなかったですか?」
雁之介 「大丈夫大丈夫、幸子ママも真姫も百合枝ちゃんも、初舞台とは思えなかったぜ」
百合枝 「あはは、今頃になってまた震えてきちゃった」
真姫 「ねーねー聞いてよ、例の、あたしのこと『つまんないヤツ』っていった元カレなんだけどお」
百合枝 「来てたの?」
真姫 「そう!でね、さっき楽屋に来て『やるじゃん、見直したよ』だって」
雁之介 「へえ、よかったじゃねえか、じゃあおかげで元サヤってか?」
真姫 「隣にオンナ連れてやがった」
一同 「あちゃー」
真姫 「もうアッタマきたー!ぜってえあれよりいいオンナになってギャフンと言わせてやるう~」
雁之介 「おうその意気だ、がんばれ~」
百合枝 「そういえば、幸子さんはお子さんは見にいらしたんですか?」
幸子 「さあ、たぶん……来てないんじゃないですかねえ」
百合枝 「そう」
沢井 (花束を抱えて入ってくる)「ん……」
幸子 「はい?」
沢井 「客から、アンタに」
幸子 「あ、すみませんありがとうございます。……?」(カードを見る)
真姫 「なになに、誰から」
幸子 「『おかあさん、すてきだったよ』って……」
百合枝 「娘さん、来てたんじゃない!よかったねえ幸子ママ」
幸子 「うん……私……よかった、このお芝居、やって……本当に……よかっ……」(泣く)
清四郎 (入ってきて)「みんなお疲れ様、本番は終わったけど、客席がはけたら早速バラシに入ります、バラシが終わって、劇場を最初の状態に戻すまでが舞台公演です、みんな気を抜かないように。よろしくお願いします」
一同 「お願いします!」
清四郎 「あれ、親父……先生は?」
百合枝 「さあ?本番始まってから見てませんけど」
清四郎 「あの野郎、バラシ手伝わないでとっとと帰りやがったな、仕方ねえなあ。じゃあとりあえず楽屋の荷物の片づけから。バラシの段取りは愛ちゃんの指示に従ってください」
一同 「は〜い」
健太郎 「じゃあ俺ちゃまは打ち上げ会場の準備に……」
清四郎 (つかまえて)「ふざけんな手伝え」
健太郎 「い~や~だ~」(ずるずる)
一同去る。誰もいなくなり、波音が遠くで響く舞台に稲村登場。力尽きたのか、センターで座り込む。そこへ弁天さま登場。
稲村 「……あれはずるいぞ」
弁天 「あら」
稲村 「あんなもん後生大事に持っていやがって、くそ、一生の不覚だ」
弁天 「だって私のだーいじな宝物ですもの。貴重よう、稲村慈円先生直筆のラブレター☆」
稲村 「からかうなよ」
弁天 「やーん、情熱的だったわあ、ほんと、見かけによらずロマンチストだったわよねえ。『君は僕の弁天様だあ!』ですって。うふふふ」
稲村 「勘弁してくれよもう、あんなもん息子どもに見られたら親父の威厳もくそもあったもんじゃねえや。まさか死んで二十年も経ってから脅迫の材料に使われるとは思わなかった……」
弁天 (笑う)
稲村 「…………」
弁天 「……いい舞台でしたね」
稲村 「……ああ」
弁天 「あの子たちもあんなに立派になって……」
稲村 「ああ」
弁天 「あなたも、もう安心でしょう?」
稲村 「…………」
弁天 「ね、あなた。あなた知らないでしょうけど、私ね……とーっても幸せだったのよ」
二人、いつまでも舞台をながめつづける。
暗転