その2
最高点まで上っていた日差しもだいぶ下降してきた頃。ついに来るべき時が来てしまった。喉の渇きが限界を迎えたのだ。アレスはボーっと虚空に目を漂わせ、ビスタはいつからか膝の間に顔を伏せたままピクリとも動かなくなっていた。
「……おーい、大丈夫かー」
試しにアレスはツンツンと二の腕をつついてみる。ペチン、と力ない手で叩き落とされた。どうやら生きてはいるようだ。
「うぅぅぅぅ、うぅぅぅぅぅぅぅぅ……」
「おや、また犬が唸っておるな」
「わんわん」
壊れたように不気味なうめき声をあげたビスタ、今や犬の鳴き真似すらかなり雑になっていた。それでもお爺さんをやり過ごすには十分なようだった。
「ほっほっほっ、もう少し待っておれ。リヴェール川も見えて来たところじゃ。もうちょっとで着くからのう。帰ったらうちで作った干物を分けてやろう」
お爺さんの言葉通り、何処からか水音が聞こえてきていた。直に馬車は橋へと差し掛かる。レガル村の方向を指し示す立て看板も見えた。いよいよ村は近い。後もう少しの辛抱、お爺さんの言葉と立て看板はきっと、二人にとって大きな励みになったはず。
「水がある水がいっぱいある水がたくさん流れてる」
「水水水水水水水水水水……」
逆だった。二人は言葉の先に見える希望よりも、今目の前にある欲望にうつつを抜かしていたのだ。
「はぁはぁ、もう、もういいよな?」
「そうよね、だって村は近いんだもの」
「そうだそうだ、ここまで来れば後は歩いていけばいい」
こんな時だけ意見が合う二人であった。あっさりと欲望に白旗を挙げると、何の躊躇もなく荷台から飛び降りた。そのまま一直線に川へと向かう。暑苦しいローブを脱ぎ捨て川に頭を突っ込み水をがぶ飲みする姿はまさに野生動物そのものである。
「ぷはぁー! うめぇ!」
「今まで飲んだ水の中で一番の美味しさだわ!」
桃源郷へと迷い込んだかのような心地よい表情にて、一心不乱に飲んでは息継ぎを一頻り繰り返す二人。もう飲めないと言うところまで水を体内へと蓄えた。少しの間ボーっとしてから、どちらからともなく立ち上がる。英気を養った二人は村への旅路を再開した。
「さっきの馬車の跡かしら」
幾多もの人や馬車で踏みならされて出来た道には、比較的新しい馬の足跡と轍が残っていた。
「じゃ、この上から落ちた方が負けね」
「子供かお前は」
「とか言っちゃて、あんたも歩いているじゃない」
ビスタに指摘され下を向く。そこで初めて轍の上に乗っていることに気づいたアレス。基本負けず嫌い性格の彼、どうにも体は無自覚のうちに勝負を受けて立つつもりでいたようだ。
「いざ、尋常に勝負!」
「乗り気なのを誤魔化す気ね。ま、勝負に乗るって言うのなら何でもいい、わっ!」
「うおっ!?」
ビスタは鞘のまま聖剣アトスにて不意打ちしてきた。だが所詮は素人の一振り、アレスはやや余裕を持って回避。少しよろめきはしたものの、轍の上からは落ちずに踏ん張った。
「流石の対応力ね。この辺は腐っても勇者ってところかしら」
「て、てめぇ……! あ、お前の後ろに超巨大な魔物がー!」
「んな訳ないでしょ。あたしを騙そうとしたって無駄よ」
「足元に金貨が落ちているぞ」
「えっ!? 何処!?」
「隙ありっ!」
負けじとアレスも転生返しをビスタへ向けて突き出す。しかしビスタはサルのようにひょいっと飛び上がり、アレス側の轍の上へ着地。見事身軽に剣をかわしたのだった。
「少しは出来るようだな」
「ふっ、数多の盗みで培ったあたしの身体能力をなめないことね」
バチバチと二人の間に火花が散る。その後の勝負は熾烈(?)を極めることとなった。互いに聖剣を交え、嘘で騙し騙されの応酬が激しく続いていく。
だが勝負と言うものはやがて勝敗が決する時が来るもので。すっかり茜色に染まった空の下、片や勝利の余韻に浸りながら、片や執拗に負けを認めないまま歩いていた。
「いやー、元勇者もたいしたことないわね~」
「俺は負けていない! 勝ったと思って先に降りたお前が負けだ!」
「ほんと、あんたの単純さと来たら笑っちゃうわ~。もし勝利を譲ってくれたらあんた好みのお姉さんを紹介してあげる、なんてしょーもない嘘をまんまと信じちゃうなんて」
「つま先がギリギリ、ほんのギリッギリ残っていたから~! 信じたフリして降りたように見せかけただけだから~!」
「はいはい、そう言うことにしておいて……ん? ね、ねぇねぇ! ちょっとあれ!」
「話を逸らすんじゃない!」
「いやほんとに! 前を見なさいよ!」
目の前で負け惜しみを垂れ流していたアレスだが、ビスタのあまりの慌てっぷりに仕方なくそちらを向く。最初に見えたのは、先ほどまでお世話になっていた屋根付きの馬車だ。何故か道端に停車している。
そして次に目に飛び込んできたのは、不気味にうごめく毛もくじゃらの生物だった。
全身を覆う体毛に短い尻尾、長く発達した一本の角。大型犬程度の大きさのそれはツノネズミだった。何処にでもいるネズミが魔力により突然変異し大きさと凶暴性を得た魔物だ。
「ああ、ネズミか」
「ああ、ネズミか、じゃないでしょ!? 襲われているのよ!?」
「ふーん、運の悪いこった。この辺りにしては結構大柄なネズミに当たっちまって」
「あんたそれでも勇者!? 普通なら勇者らしく颯爽と駆けだすところでしょ!」
「都合のいい時ばかり勇者にするな。大体ネズミなんざ今や、一般人が食肉目当てで狩りに行く程度の相手。助けたところで無駄に疲れるだけだ。それに俺は腹が減っている。やる気も力も絶賛半減中だ」
「恩義に報いるのが人間として当然だとか言ってたわよね!?」
「いかんせん空腹で記憶が曖昧でな」
二人が口論している間にも馬車の陰から槍を持ったお爺さんがジリジリと後退してきていた。ネズミの数は三匹。数では魔物が有利でも、今では人間の敵ではない。アレスの言う通り通常なら全く苦戦する要素もない。
「危ないっ!」
なのに戦局はどう見ても、お爺さんが押されていた。角を向け飛び掛かってきたネズミ一匹をかわすのも間一髪。しかも腰が抜けたのか、その後は立てず仕舞い。槍も手放してしまい、あれよあれよという間に窮地へと陥っていた。
「ああっ、もう! あんたなんか知らないわこのヘタレ勇者!」
「あっ、おい待て! 誰がヘタレだ誰が!」
もう説得は諦めたのか、ビスタは馬車の方へと駆け寄っていく。お爺さんをかばうように立つと、両手で聖剣アトスを構えた。
「はぁはぁ、お爺さん、大丈夫?」
「な、何とかのう」
「後はあたしに任せて。レーヌ様に選ばれたあたしの力、見せてあげるんだから!」
じわじわとにじり寄ってくるネズミ。その一匹を目掛けてビスタは剣を大きく振り上げた、のだが。
「うおっとっと!?」
張り切ったのか調子に乗ったのか、あまりにも振り上げ過ぎていた。そうなればバランスを崩してしまうのは火を見るよりも明らかで。ビスタの手から剣は離れ、お爺さんの股の間へと突き刺さる。
「ひぃぃぃ!?」
「あ、ありゃ~?」
年甲斐もなく怯えた声をあげたお爺さんとは対照的に、ビスタは地面に突き刺さった剣を目にして苦笑いしていた。それでもすぐさま引き抜こうと踏ん張るも。
「ぬ、抜けない……!」
見た目以上に深く突き刺さっていたようだ。女の腕力では両手でも苦戦してしまう。しかもその間のビスタは隙だらけ。背後のネズミにとっては、まさに絶好の攻撃チャンスであった。
「お嬢ちゃん! 危ない!」
「へ?」
角を突き出したネズミが、勢いよくビスタに向かって飛んでくる。きっとビスタがネズミの方を向いた時には既に、彼女の胸元をネズミの角が突き刺していることだろう。
しかしその悪夢のような未来が現実になることはなかった。
ネズミが彼女に到達する直前にて、颯爽と現れた元勇者が叩き落したのである。
「何処かのなんちゃって勇者と似たような光景を見せやがって。おかげであの時のイライラを思い出してきたぞ」
地面に突き立てられた聖剣アトスの方を見て眉をしかめるアレスだったが、すぐさま気持ちを切り替える。地面で気絶しているネズミを適当に蹴り転がすと、残りの二匹のネズミも同様に剣の平でぶん殴っていく。アレスにかかればネズミ駆除など、ナンパよりも容易いことであった。
「あ、あんたは確かアトス様のとこの」
「その通り。偉大なる勇者アレ……」
「不埒な息子アレス殿ではないか!?」
「どうやら今すぐ寿命を迎えたいようだなジジイ」
アレスは一瞬本気で剣を構えるも、これ以上余計な体力は使いたくないとすぐに収める。
「しかしどうしてアレス殿がここに? それにわしを助けてくださるなんて」
「のっぴきならない事情があるんだよ。助けたのは、まぁ犬と猫の恩返しってとこだ。そこらに転がってるネズミも売りさばけるだろう。運賃として受け取っとけ」
剣を鞘に戻すと、じゃあな、と軽く手を振り歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってよー! 剣を抜いて行ってよー!」
「やだ」
手短に返すと、アレスは容赦なく置き去りにしていった。息も切れ切れのビスタが追いついたのは、空が薄紫へと変わった頃だった。一応腰にはしっかりと聖剣アトスが刺さっていた。差し詰めお爺さんに手伝ってもらったのだろう。
「はぁはぁ、あ、あんた! 相棒に対してこの仕打ちはあんまりじゃないの!」
「勝手に相棒の立ち位置に収まろうとすんな」
「でもまぁ、あたしとお爺さんを助けたその行いだけは認めてあげるわ」
「通り道で邪魔だったから退かしただけだ。勘違いすんな」
「とか何とか言っちゃって~。本当は見捨てておけなかったんでしょ? いいとこあるじゃないの、このこの~」
「うっざ。肘でつつくな。次はお前をぶっ叩くぞ」
「あ、そうだ。お爺さんからお礼貰っちゃった。ほら、金貨五枚! あんたと分けてくれって。そんな訳で、はい。あたしが三のあんたが二って配分ね」
「いらん。礼をしたいなら金じゃなくて綺麗なお姉さんを用意しろ」
「あっそ。ならあたしが貰うわ。儲け儲け~」
ビスタはご機嫌そうに金貨の小袋を懐へとしまい、アレスはムスッとしたまま歩を進めていく。金より女、何処までも自分のスタンスを貫くアレスであった。
「やっぱ俺にもよこせ!」
訂正、元勇者様はある程度お金にもがめつい。




