その4
「どうすんのよちょっと! 馬車なんて聞いてないわよ!」
「俺だって聞いてねぇよ! と言うか鳩を確認する前に馬の出入りの方を確認しとけよ!」
「は、はぁ!? あたしのせいにする訳!? あんたそれでも勇者なの!? 少しは下着泥棒の罪を被った親父さんを見習いなさいよ!」
「残念でしたー! もう俺は勇者じゃありませーん! 元勇者でーす! それにその話は全部俺がさっき作り上げた空想話だドアホが!」
「だ、騙したのね!? 嘘つきは泥棒の始まりなのよ、この泥棒!」
「盗賊に泥棒と叫ばれるなんて世も末だ!」
などと、しょうもない痴話喧嘩をしている間にも、馬車は遠ざかっていくばかりである。城の方でも見送りの兵がすっかり引き上げ、元の静けさを取り戻していた。
「クソッ、喧嘩してる場合じゃねぇ。とにかくあいつらを追う手段を考えねば」
「そうね。勇者達はローエン村に向かったことだけは確かよ」
「村へは馬車なら夜までには着くだろう。そこで一日宿泊してから先に向かうってところか」
村まで歩いても行けなくはないが、少なくとも一日半は掛かる。アレス達が着く頃には既に流星一行は出発していることだろう。馬車で追ってとんとん、馬で追ってようやく先回り出来ると言ったところだ。
「あ、ひらめいた!」
アレスになかなか名案が浮かんでこない中、ビスタをポンと手を打った。
「聞かせてもらおうか」
「えー、どうしよっかなー? ビスタ様教えてくださいお願いします、って頭下げたら教えてあげてもいいんだけど~?」
「こ、こいつ……!」
アレスのプライド故、ビスタの要求は非常に承服しがたかった。が、一方的に距離が離されている状況では、一分一秒でも迷っている時間はないのも事実。流星に負けたと言う恥を一生抱えて過ごすことに比べれば、今この時だけ一人の盗賊に頭を下げる方がマシなのは自明の理。
「おしえてくださいおねがいします」
頭を下げたアレスの顔は、それはもう大層引きつっていた。
「何その心のこもってないお願いの仕方? もっとハキハキと抑揚つけて」
「……教えてくださいお願いします」
「誰にお願いしているのかな~? 名前言ってもらわないと分からないな~?」
「ビスタ様お願いします! どうか無能で役立たずなこの私めに知恵をお貸しください!」
「うむ、よろしい。面をあげなさい。ん? 何その顔? もしかしてウケ狙ってる?」
「元からこんな顔だ気にしないでくれ」
怒りを抑え何とか笑顔でやり過ごそうとしていたアレス、口元を無理に吊り上げているせいで奇怪な笑顔になっていた。
「見てろよこのド貧相。あのクソザコを片付けたら次はお前だ。この屈辱、何倍にもして返してやる……!」
と、アレスは心の中で強く誓っていることをビスタは知ることもないだろう。スカッとした笑顔で自分の案を教え始めた。
「これ、あたしの知り合いのスリが故郷のローエン村に帰る際によく使っているやり方なんだけどね。北門に検問があるでしょ? あそこで通行証を見せるため一回馬車が止まるの。その隙に荷台に乗り込むんだって」
ただし条件として、荷台に屋根が付いている馬車に限ると付け加えられた。
「出来るのかそんなこと? 兵もいるし、他にも人目があるのに」
「それが出来ちゃうんだわ。先に北門に行って待ってなさい。準備を整えてくるから」
ビスタは一人、町の方へと向かって駆け出して行った。本当に大丈夫なのだろうか、頭の下げ損にならなければいいが。と不安に思いつつも、アレスは単身北門へと向かった。
「かっこよかったな~、新勇者様。俺もああいう立派な男になりたいもんだぜ」
「だよな~。まさに男の中の男って感じでさ」
北門に着いた時には既に流星のことで持ち切り状態だった。
「リュウセイ様と次に会える日が、私待ち遠しいです」
「召喚士様にされたんだろ? 引き取り手がいないのなら、うちの息子にしたいくらいだね」
「あの姿はアトス様を思い出すわい。アレスももう少し真面目じゃったらのう」
「くぅ、どいつもこいつも勇者勇者と」
腹に据えかねたアレス、ついに動き出す。まずは流星を立派な男と囃し立てる屈強な男二人組。片方の耳元に立つと、こそこそと嘘を吹き込んでいく。
「おい、知ってるか? あの勇者、城でおねしょしたらしいぞ」
「ん? 誰だ?」
男が振り向いた時には既にアレスの姿は、流星を待ち遠しく思う彼女の隣にいた。
「昨晩城の女中を全員侍らせて王様気分だったそうだ」
「あの勇者、金遣いが荒いって聞いたな。息子にしたら苦労するタイプだろう」
「真面目そうに見えて裏ではとんでもない悪事に手を染めてるって噂だ」
何とも幼稚なことに北門の人間それぞれに流星のホラを吹き込んでは風のように去っていく。何とも暇な元勇者である。
「ったく誰だ? 勇者様を陥れるような嘘を言う奴は」
「リュウセイ様がアレスさんみたいば女たらしなはずありませんのに」
「勇者ともなれば多少の豪快も必要なもんさ」
「一見悪事に見えて実は世のため人のために役立っているのじゃろう」
しかも全く効果がないと来た。ご都合主義の前では、どんな嘘を吹き込んだところで勇者への好感度は変わらないのである。
「クソッ、もっととんでもない大嘘が必要だな」
「あんた何やってんのよ?」
「いいところに来た。今あのヘナチン野郎の悪い噂を広めまわっている。お前も考えるのを手伝ってくれ」
「しょーもなっ! 仮にも元勇者とは思えない小物っぷりね!」
「ほっとけ。お前がおせぇのが悪いんだよ」
「これでも結構早い方よ。来なさい、移動するわよ」
「ちっ、命拾いしたなザコ勇者め」
深くフードを被ったビスタに促され、北門の検問所近くへと移動する。ちょうどそこには一台の馬車が通行証を見せようと立ち止まっていた。
「お、爺さんローエンへお帰りかい? だったら実に運がいい。ついさっき勇者様が村へと出発したんだよ」
「ほう、そうなのですかい。道理で盛り上がっている訳ですじゃ」
馬車の老人は常連なのだろう。順番待ちしている馬車もいないこともあってか、その後も世間話を続けていく。
「話し込んでくれちゃって。好都合ね、この馬車にしましょ」
ビスタはすぐに狙いを付けた。人混みに向かって小さく二本指を立てる。くいくいっと二回ほど折っては伸ばすと、アレスの手を引き馬車の荷台の後ろへと移動。御者や兵からは完全な死角、後は衆目だけだった。
「一体何をするんだか……」
「きゃぁぁぁぁぁぁー!」
突如聞こえて来た甲高い悲鳴にざわつく人混み。アレスは元より、衆目もまた声の方へと視線を向けていたのだった。
「今よ、乗りなさい」
「お、おう」
ビスタの声で状況を理解したアレスはそそくさと木箱や樽の隙間へと体を押し込む。後は誰にも見られていないことを祈るだけだった。
「やけに騒がしいが、何かあったのかのう?」
「どうせいつものスリだろう。ここは多くの人が集まるから。奴らにとっても格好の餌場なんだよ」
「いやはや物騒なものじゃ。わしも気を付けんとな」
「どれ、俺もちょっくら騒ぎを収めてくるかね。じゃ、気をつけて帰れよ」
声の後にガタガタと荷台が揺れ出した。地面は石畳から草原地帯へと移り、人の声や城門も次第に遠のいていく。誰かに呼び止められることもない、アレス達は無事に荷台に乗り込むことに成功したのだった。
このまま目指すは流星達も向かったローエン村だ。そこで絶対にケリをつけてやる、とアレスは雪辱に燃えていた。彼の決意と執念は山よりも高く沼よりも深いのである。




