その2
城下町に戻ったアレスが最初に向かったのは顔なじみの食堂だった。戦いに空腹は最大の敵、まずは腹ごしらえしてから流星との再戦に挑もうと考えるのは何もおかしいことではない。
「サンテすわぁ~ん、今日もお綺麗ですね~!」
彼の女好きさえなければ、の話だが。サンテはこの店の看板娘、アレスのお気に入りである。朝昼晩とアレスがひたすらに足を運ぶのも単に彼女がいるからだ。
「こんばんは、アレスさん。今日も来てくれてありがとね」
サンテは当たり障りない回答でのらりくらりとかわし、水の入ったコップとメニュー表をアレスの前に並べた。その間彼の視線は彼女の胸元に釘付けなのは言うまでもない。
「あ、そう言えば聞きましたよ? 何でも異界の勇者様と手合わせしたんだとか」
「ごほっごほっ!」
何気ない開幕パンチに、口に含んでいた水が気道に入ってしまうアレスであった。
「そ、その話知ってたんだ……」
「はい、もう町中に広まってますよ」
噂が広まる前に流星を叩きのめしておこうと言う目論見は早くも頓挫。不貞腐れていた時間を今更悔いてももう遅い。
「一度お会いしてみたいですね~。何せアレスさんが手も足も出せないほどの強者ですから」
「サンテさんその噂は間違いだ! 俺が手加減してやっただけだから! 俺の手加減あっての勝利だから!」
必死の弁明も彼女の耳には届いていない様子。これ以上奴の話をされてはたまらないと、とっとと注文を済ませていく。かしこまりました、とメモを取り厨房へ引き上げるその背中を、アレスは何処か居心地の悪さを感じながら見送った。
「それ本当か!?」
「おう、本当の話よ。異界の勇者様、やっぱりモノが違うね~」
隣のオヤジ共の酒席からは、耳障りな会話が耳に飛び込んでくる。アレスはそちらから露骨に顔を背けるように肘を付くも、一度気になるとどうしてもその会話の声だけを聞き取ってしまうもので。
「何と言うか、纏っているオーラが違うって言うの? 城内であくびして気を緩めている俺とは違って、勇者様はのんびりとした雰囲気を醸し出しながらも、何処か緊張感も持っていて。近くを通りがかるだけでも分かっちまう。ありゃ只者じゃねぇ」
只者以下の凡人だろ、とボソリとごちるアレス。その声も食堂内の雑音にかき消され、誰にも聞かれることはない。
「くぅ~、俺も見たかったなぁ~! 今日に限って北門の警備に当たっちまうとか、本当についてないぜ」
「明日北門から出発するそうだ。良かったな、勇者様の出発はお見送り出来るぞ」
「明日は東門の当番なんだよ、ちきしょう!」
豪快な笑い声がより一層店の中を賑やかす。うるささと話題の不愉快さに耐え兼ねたアレスは、席を変えようと立ち上がった。
「そういや勇者様は今日何処に泊まるんだ?」
「ああ、城に泊まるってよ。ライラ様もずいぶんと気に入ったようで」
しかし、ライラ様と言うワードにピクリと反応し足を止める。ライラとは王の娘、この国の姫君のことだ。勇者と王家と言う関係上、彼女とは幼い頃からの付き合いがある。十歳ほど年が離れていることもあり、彼は当時より姉のように慕っていた。女たらしとなった現在では、異性として狙っていないはずもなく。流星のことを気に入ったなんて聞かされれば、心中穏やかではなかった。
「あのライラ様が!? どんな男にもあまり関心を示さないお方なのに」
「な、驚きだろ? なんでも今日は一緒のベッドで寝るとか言っていたな」
「うはぁ~、そりゃ羨ましいこった……って、な、何だ!? どうした!?」
ドスンと鈍い音、床には微弱な振動が走る。
アレスが倒れたのだ。まるで死の呪いを掛けられたかの如く白目を向き泡を吹いていた。
「誰かと思ったらアレスじゃねぇか! おーいサンテちゃん、水持って来てくれ水!」
「はーい。って、アレスさん、どうしたんですか!?」
「急に泡吹いて倒れちまってよ。どうせ女にフラれたことでも思い出したんだろ。なに、水でも引っかけりゃ目が覚める」
オヤジの手により、アレスの顔面にぴしゃりと水が掛けられる。程なくして彼はゆったりと上半身を持ち上げ……。
「許すまじド腐れ勇者ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
奇声を挙げながら店を飛び出していくのだった。行き先はもちろん王城だ。
「このポンコツ勇者ァ! もう一度俺と勝負しやがれ!」
「アレス、静かにしないか!」
城門にて怒声をあげていると当然門番に注意される。それでもアレスは叫ぶことを止めない。
「逃げるのかヘナチン野郎! 十秒以内に出てこないと俺の不戦勝だからな! はい、十九八七六五四三二一ゼロ、時間切れー! 俺の勝ちー!」
「子供か貴様は! とにかく早く帰れ! 入城時間はとうに過ぎている!」
「お前の母ちゃんデベソって町中に言いふらしてやるからなー!」
門番に引きずられつまみ出されたアレスの口からは、最後の最後まで子供の悪口しか出てこなかった。
「くそっ!」
路肩の石を蹴り飛ばす。この短時間で勇者の座から転げ落ち、更には女の子まで取られるなんて屈辱を味わったのだ。絶対にタダでは済まさないと、悪役の決まり文句のような決意を胸に抱いていた。
「見つけたわよドラ勇者!」
そんな彼の背後からやたら元気で間延びした声が掛けられるも、無視して帰路を進んでいく。
「ここで会ったが百年目! 今日こそあんたをギャフンと言わせてやるわよ!」
今日も彼女はめげずに付いてくるようだ。割といつものことなのでもう慣れているのかもしれない。
「ふっふっふ、このあたしを恐れるがあまり声も出ないようね!」
いや違った。単純に前向きなアホなだけであった。
「いいわいいわ、それも仕方ないことだもの。目を付ければどんな物でも盗み出す、敗北知らずの大泥棒、ビスタ様があんたの目の前にいるんだからね!」
と、目の後ろからギャアギャア喚きたてる彼女はケチな盗賊ビスタ。口では大泥棒などと宣うが、実状はただのスリである。
彼女とアレスの出会いは数ヵ月前。アレスの持つ聖剣に目をつけ、色仕掛けを行ってきたのがそもそもの始まりだった。
しかし彼女はお世辞でも色仕掛けには向いているとは言えない、貧相な体つきであった。色気のある女性を好むアレスから、好みじゃない、と言う痛恨の一撃をくらい無惨に散っていったのである。
それがどうにも彼女の導火線に火を点けてしまったようで。以降何かと絡んで来るようになっている。アレスからしたら面倒くさいだけである。
「今日は最強の盗賊であるあたしが、あんたにいい物を持って来てあげたわよ」
やたら上機嫌な彼女はアレスの目の前に回り込んだ。が、彼は目に光を宿すこともなく、心底ウザったい気持ちを濃縮した目を向けた。
「やっと足を止めたわね? ふふふっ、これを見て驚きなさい!」
自慢げに、彼女は後ろ手に隠していた物を、アレスの前に明かす。
それは一本の剣だ。しかも、ただの剣ではない。柄に打ち付けられているレーヌの紋章が剣の正体を全て物語っていた。
「どうよ! あんたの聖剣をついに盗み出してやったのよ!」
「へー、そ、じゃ」
眉一つ動かさずアレスはビスタの横を通り抜けていった。あまりにも予想外過ぎる反応だったようで、彼女は渾身のドヤ顔のまま動作を停止していた。
「ま、待ちなさい!」
「待たない」
「待ちなさいって!」
「いやだ」
早足で進むアレス、しつこく食い下がるビスタ。追いかけっこのような光景はアレスの自宅の前まで続いていく。
「はぁはぁ、逃がさないわよドラ勇者……」
最後は家のドアの前に立ちふさがると言う暴挙により、アレスを無理やり止めるのだった。
「何なんだしつこいな、お前の相手をしてやる気分じゃないんだ。さっさと森へ帰れ」
「人を野生動物みたいに扱わないでくれる!? それよりもこの聖剣のことよ!」
「しょうがねぇな、どうしても俺にプレゼントしたいって言うなら貰ってやらなくもない」
「どうしてそんなに上から目線なのよ! 聖剣を持っているのはあたし! 主導権を握っているのもあたし!」
「そう恥ずかしがるな。俺のことを諦められないんだろ? 気持ちは分からんでもない」
「誰がフラれた片思い相手を想うがあまりストーカーと化してしまったメンヘラ女よ!」
「はいはい、もう十分話してやったろ。気が済んだら聖剣だけ置いて森へ帰りな」
「寂しくて話しているんじゃないし聖剣は渡さないしあたしは野生動物じゃないっての!」
律儀にも全方位のツッコミを返してくれたビスタだったが、目の前に我が家があるのに預けを食らっているアレスとしては、正直面倒この上なかった。苦肉の策として、ビスタの話を阻害することなく要件を聞き出すことにした。
「んで、お前はどうしたいんだよ」
「よくぞ聞いてくれたわね!」
「聞きたかないけどな」
「この剣はね、あんたの自宅から出て来た衛兵の隙を突いて奪った代物よ」
「情けない衛兵共だ。平和ボケしてんじゃねぇのか」
「あんたにとっても大事な物でしょう? あたしはそれをある意味で守ったのよ? まずはその件について感謝しなさい!」
「別に頼んだ訳でもないし。それにもう俺の名がついた聖剣を持ってるから」
「頭を下げるのはあんたのプライドが許さないって言うのね。ふふん、想定済みよ」
「話を聞け。俺には別の聖剣があるの。親父のは別に無くても構わなくなったんだよ」
「しょうがないわね~、そこで今回は特別大サービスよ。防衛代込みで聖剣を売ってあげる」
ビスタは得意満面のまま饒舌に話を進めていく。
「ひとまずあんたの気持ちとして、どれくらい出せるのか言ってくれる?」
やれやれと肩をすくめ、アレスは咄嗟に頭に浮かんだとある金額を言い渡した。
「あら? 渋っていた割には意外と太っ腹じゃない。いいわ、交渉成立ね」
「おう。なら行こうか」
「行くって何処へよ?」
「決まってんだろ、憲兵の元だ」
「あんた一人で勝手に行けばいいじゃない。何であたしも行かなきゃならないのよ。捕まっちゃうわ」
「捕まってくれなきゃ、お前に支払う金が貰えんだろ」
「あたしの懸賞金で払おうとするんじゃないわよ! 道理で聞いたことある額だと思ったわ!」
「じゃあいらん。王とか異界のボケにでも吹っ掛けとけ」
「だから捕まっちゃうっての!」
今日のビスタはいつにもまして執念深い。せっかく手に入れた聖剣と言う切り札を何としてでも有効活用してやろうと躍起になっているのだろう。この調子では夜が明けても二人のくだらない漫才が続くことになりそうだった。
「えー、てすてす。聞こえるかー、アレスとケチ女」
聞き覚えのある幼い声が聞こえてくるまでは。
「んあ? 誰だ?」
アレスは後ろを振り向くも誰もいなかった。この場には依然アレスとビスタの二人きりだ。
「我じゃ、お前に転生返しを授けたレーヌじゃ」
「あー、そう言えばさっき聖剣アレスをくれたガキンチョと同じ声だったな」
「転生返しじゃからな。ま、お前の無礼な発言は全てが終わってからまとめて神罰を下すとして。今我はお前達の聖剣を通じて話しかけておる。周りを見ても誰もおらぬぞマヌケ」
アレスと関わる者は女神であろうと口が悪い者ばかりである。
「えっ!? ちょっ、この声レーヌ様なの!? うわぁ~凄い! 話せた奇跡にマジ感謝!」
「うむ、ちんちくりんの方は信仰心が篤いな。特別に盗みの罪は少しだけ目を瞑ってやろう」
「寛大な心にマジ感謝っ!」
「お前がちんちくりん言うな」
真に受けてマジ感謝する方も、マジ感謝されただけで罪状を軽するほうも、大概ちょろ甘い。
「で、何の用だよ?」
「うむ、せっかく聖剣を持つ者がお前の目の前に現れたからのう。仲間に引き入れておこうと思ってな」
「余計なことせんでいい」
その言葉も空しく余計なことはされていった。レーヌは手短にビスタへと事情を説明していく。この場にいない女神の説明を止める手段など、一介の人間が持ち合わせているはずもない。
「へー、なるほど。これ持ってるだけでご都合主義を無効化ね~」
「あくまでもご都合主義の駒にならないだけじゃがな」
「何でもいいわ。とにかくあたしが聖剣使いとして、こいつの仲間になれば良い訳ね?」
「良くない」
「いやー、どうせあたしなんか一生泥棒しながらその日暮らしの生活を続けていくものだろうと思っていたのに。まさか女神様に選ばれる日が来るなんて、人生って分からないものだわ~」
「とんだ人選ミスだ」
「単純、じゃなくて乗り気なようで何よりじゃ」
「何よりじゃない」
「じゃ、明日現地集合ね。城門前で勇者の首を狙うわよ~。チームビスタの力を見せつけてやろうじゃない!」
「さらりと自分をリーダーにするな。それと絶対に来んな」
「じゃ、お前もさっさと寝るのじゃぞ~。明日は忙しい一日になるからのう」
ビスタは走り去り、レーヌとの通話は途切れた。間違いなくここ数年で一番喋ったであろう一日の終わり。一人残されたアレスはこう思うのだった。
「人生史上最低最悪な一日だっ!」




