その1
夜、人々が酒場で盛り上がり始める時間帯。流星に負けてしまった《元》勇者アレスは、国の北部にある泉のほとりにいた。何か嫌なことがあったり、凹んだりへそを曲げたりするとここに来るのは、幼少の頃より変わっていない。
「嘘だ嘘だ何かの間違いだこの俺があんな魔物にいの一番にやられた挙句その骨を武器として利用されそうな名もない哀れな村人ごとき貧弱野郎に負けるなんてありえないありえないありえない……」
一人膝を抱えながら呟く呪詛は、鬱蒼と生い茂る木々の隙間に消えていく。彼がここにやってきたのは負けてすぐのこと。今にも倒れてしまいそうな足取りでやって来ては、何時間もこのように呟いている。
「そうだこれは夢だ何かの悪い夢三つ数えたら覚めるんだ三、二、一、はい覚めたー全部夢~」
残念ながら現実である。アレスも心の奥底では理解しているようで、またも膝の間に顔をうずめてボソボソと呟きを再開する。
「情けないものよのう、勇者アトスの息子アレスよ」
泉のほとりに、突如アレスのものではない声が広がる。ふと顔をあげそちらを見ると年端も行かない子供の姿があった。
「聖剣を没収され、勇者の肩書も剥奪され、全く困ったものじゃわい」
ぐさりぐさりと言葉の矢がアレスの身体に突き刺さる。アレスの脳裏には数時間前、レプリカ聖剣をあっさりと見破られたことが、鮮明に思い起こされていた。今頃本物の聖剣は自宅から没収され、流星の手元に渡っていることだろう。その姿を想像したアレス、ムカっ腹を立てるも、どうにかしようとする気力までは湧いてこなかった。
「しょぼくれている暇はないぞアレスよ。お前には大事な使命がある」
「俺の聖剣はとっくに回収されているんだろうなぁ。あーあ、こんなことならもっとちゃんと隠しておけば良かった」
アレスは依然無視する構えを続けるも、幼女はお構いなしに話を進めてくる。
「今世界は重大な危機を迎えようとしておる。あの魔王が復活しようとしておるのじゃ」
「魔王が復活して世界滅ぼしてくれればいいのに。そしたら俺の負けも全部なかったことになるし。ああでも女の子もいなくなっちゃうな。なら俺と女の子だけ残して滅ぼしてくれないものか」
「縁起でもないことを言うものではないぞ」
幼女はたしなめるも、現実逃避モードのアレスにその言葉は届かない。はぁ、と一つ嘆息した彼女は、アレスを立ち直らせるには十分すぎるほどのカンフル剤を注入した。
「お、あんなところにムチムチの水着美女がおるのう」
「何処だ小娘! 俺にも見せろ!」
「ああ、すまぬ。見間違いのようじゃ」
すぐにガックリ肩を落とし定位置へ戻ろうとするアレス。そんな彼を一喝するように、幼女は大きな声を張り上げた。
「勇者の息子アレスよ、世界を救うべく魔王の復活を阻止するのじゃ!」
急にそんなことを言われたところで、アレスはポカーンとする他なかった。それもそのはず。
「……お前、誰?」
いきなり現れては彼の傷をえぐったり、魔王が復活だの水着美女がいるだのとわめきたてたり。話を順に説明してほしいものである。
「おっと、すまぬ。自己紹介がおくれたな」
幼女はそのつつましい胸元をポンと叩くと、偉そうにふんぞり返りながら名乗りを上げた。
「我が名はレーヌ、他でもないお前の父に聖剣を授けた女神じゃ!」
何と幼女の正体はあの女神レーヌ様であった! 出会えた奇跡にマジ感謝! ……とはなる訳もなく。
「女神様ごっこは余所でやってくれ」
異様に低いテンションでしっしと幼女を追い払う仕草を見せるだけだった。
「ごっこではないわい! 本物じゃ!」
「えー? だって本物の女神様がこんなちんちくりんな訳ないじゃーん。絵画や石像だともっと出るとこ出て、締まるとこは締まった、色っぽい身体の持ち主になってるぞ」
「神罰与えるぞ戯け者が!」
真剣に怒っているつもりだろうが、自称レーヌからはイマイチ迫力が伝わってこなかった。アレスは無事定位置に戻ると、木の根元からボーっと空を見上げる。
「あーあ、このまま木になりたい」
「魔王の完全復活を阻止したら木でも何でもしてやるわい。とにかく話を聞け」
「やだ」
「魔王は三聖者の施した封印を自力で破り、精神体としてこの世界に復活しよった。全く大した奴じゃわい」
勝手に話し始めたレーヌらしき幼女。虫やフクロウの鳴き声くらいしかしないこの場では、否が応でも聞こえてきてしまう。
「魔王の今後の目的は肉体を手に入れること。そこで他の魔物の肉体に乗り移ろうと考えたのじゃが、どの器も魔王の精神に耐えられるものではなかった」
「ほっとけばいいじゃん。どうせ魔物なんていずれ絶滅するだろうし」
「そう言う訳にもいかぬ。奴は魔物に乗り移ることを諦め、人間の肉体を標的にしたのじゃ」
女神レーヌ(仮)が言うには、魔王を信仰する者が人間の中にも少なからずいるとのこと。魔王はそれに目をつけ、信者の肉体を得ようとしていたのだ。
「じゃがその目論見も失敗に終わる。確かに魔物よりは強く定着出来た、しかし魔王の精神力は人間にとっても強大じゃ。長くはもたんかった。そこで奴は更なる妙案を思いついてしまう」
退屈な話を聞いているうちに、アレスは自然とうつらうつらしていた。今の彼にとって魔王復活なんて実感がわかないし興味もない。失敗したのならそれでいいじゃないかとばかりに、夢の世界へと旅立とうとしていた。
「魔王は異界の者をこの世界に召喚し、その者を育てることで依り代にしようと考えたのじゃ」
その言葉を聞いた途端、アレスの意識は急激に引き戻される。
「異界の人間はとてつもない潜在能力を秘めておると言う。魔王はそこに目を付けた。魔王を崇拝する召喚士に命じ、異界の人間をこの世界に呼び寄せたのじゃ。それが……」
「ルドンナちゃんと何とか太郎ってことか」
「葛西流星じゃ」
「全く、可愛い顔して腹に一物抱えているじゃないの。ま、俺はそういう子も好みだけど」
徹底して流星のことには触れない方針であった。
「ところでアレス、お前が異界の者と戦った時に、一つ不自然な点があったはずじゃ」
「思い出させないでくれ……」
「いちいち凹むでない、それも魔王の仕業なのじゃ。魔王は召喚に干渉して、とある力を異界の者に与えたのじゃ。後に乗り移った際、魔王自身がその力を使えるようにのう」
「で、その力ってのは?」
ずーんと沈むアレスに、彼女は真の敗因を示唆した。
「その者を中心にして世界が回る力、その名もご都合主義じゃ!」
「ご、ご都合主義!? ……って何だ?」
もしかしたら本当にレーヌかもしれない幼女は軽くガクッとするも、すぐに持ち直して詳細な説明に入った。
「例えばじゃ。お金がなく困っていると道端で金貨入りの小袋を拾えたり、お腹が空いて困っていると親切な人が食べ物を分けて与えたりしてくれる。このように都合よく事が運ぶ展開をご都合主義呼ぶのじゃ」
「じゃあつまり、俺があの時転んだのは」
「その通り。負け戦で困っているところに、奴のご都合主義が働いた結果じゃ」
あの時転んだのはご都合主義のせい。そのご都合主義は魔王が与えた力。即ちあの戦いは魔王を含めた実質一対二の不平等な戦い……と、アレスの中で方程式が組み立てられていく。
「つまり試合は不成立! 結果は全て帳消し! 俺はまだ勇者のまま!」
そして都合の良い結論が導き出された。わっはっはと高笑いするアレスを、お前も奴に負けず劣らずのご都合主義じゃな、と幼女レーヌは呆れながら見つめていた。
「さて、話はこれで分かったじゃろう。早速じゃがお前には魔王の計画を阻止してもらいたい。異界の者を元の世界へと戻すのじゃ」
レーヌがパッと両手を広げると、アレスの目の前に神秘的な光をまとった剣が現れた。
「これは?」
「切った者をたちまち元の世界へと戻す剣、その名も『転生返し』じゃ」
「転生返し?」
ダサい名前だと思いつつアレスは剣を鞘から抜いてみる。アトスと比べ刀身が少し短く細いが、腕にかかる負荷が小さくなっている。扱いやすい代物と言えるだろう。
「我の加護も掛かっておる。持っているだけで奴のご都合主義の影響下から抜け出すことが出来るぞ。これで奴と戦っても、お前が再度転ぶことはなくなる。ちなみにちゃんと鞘にも加護は掛かっておる。仮に剣を失うようなことがあっても安心じゃ」
「よし、この剣は聖剣アレスと名付けよう!」
「転生返しじゃ! 本来なら聖剣アトスも我の名が付いておったと言うのに、勝手に名前を変えられて……」
「んじゃ、あのイカサマポンコツダメ転生者をいっちょシバいてきてやるかね~」
「話を聞かんか! これ待つのじゃアレスよ!」
気分を良くしたアレスは、女神レーヌを用済みとばかりに置いて泉を後にした。目指すは城下町、アレスは来たるリベンジに向けて意気揚々に進み出した。




