その2
それから七年の歳月が流れた。今や魔物は人間一人でも簡単に倒せる程度にまで弱体化。ルフェールは大陸全土に領土を広げ、勇者の伝説は今や知らぬ者などいない。
そして、多くの戦果を挙げたあの聖剣アトスは……。
「ねぇねぇお姉さん、俺勇者アトスの息子なんだけどさ。あー、待って待って。疑ってるでしょ? ほら、これがその証拠」
アトスの一人息子、アレスのナンパの道具に使われていた。数多の魔物を切り倒し一時は魔王と互角の勝負まで繰り広げた聖剣の末路がこれである。勇者アトスも天国で泣いていることであろう。
「信じてくれたようで何より。そんな訳でさちょっと、勇者の血筋を残してみる気はない? え? 彼氏いるの? 大丈夫大丈夫、俺そう言うの気にしないから。広い心を持って君を愛することを誓おう……って、待ってってば!」
呼びかけ空しく彼女は去ってしまった。聖剣を使ってもなお振られがっくり肩を落とすアレス。何を隠そうこれで十連敗なのである。およそ魔王くらいにしか負けていない聖剣が、こんなくだらないことで二桁連敗の汚点を残してしまったのだ。女神レーヌも空の上で嘆いているに違いない。
「こうならばあの子を尾行して、彼氏とやらをぶった切ってやるか」
「やっと見つけたぞアレス!」
物騒な考えを口走るアレスの元に走り寄って来たのは憲兵のアルドだ。日光を無駄に反射する光沢装備に大柄な体格、何よりむさ苦しい面構えにアレスは苦手意識を感じている。
「うおっ、まぶしっ! 近寄るなおっさん、目が悪くなる。それに俺は忙しい」
「残念ながらそうはいかんな。王がお前を呼んでいる。今すぐ城へ来てもらおうか」
「断る! そして断る!」
二重の拒否でその場を後にしようとするも、丸太のような太い腕に簡単に首根っこを掴まれてしまう。
「放せよ、俺は今機嫌が悪いんだ。自慢の光沢装備に傷をつけるぞ」
「それでもお前さんを連れて行かないとならんのだ。他ならぬ王の命令だからな」
「ジジイの? ちっ、忠犬め。わーったよ、その前にちょっと家に寄らせてくれ」
「いいだろう。じゃ、仲間を呼ぶからちょっと待ちな」
「は? 仲間?」
「当たり前だろう。お前さんのその手に何度も引っかかる私ではない」
ちっ、とアレスは舌打ちをかました。以前アレスは同じような状況でアルドを玄関前で待たせたことがある。その際裏口から脱出して彼の目をまんまと欺いたのだ。集まって来た憲兵の数から見るに、今回は裏口どころか自宅を囲む気でいるのだろう。アレスに逃げ道はない。
ぞろぞろと大所帯で自宅に向かっていく。着いたらやはり、他の憲兵が自宅の周りを取り囲んでいた。窓からその様子を眺めていたアレスは盛大にため息を吐く。
「しょうがねぇ、腹をくくるか」
彼が王に呼ばれる理由ついて、おおよその予想はついていた。どうせいつもの説教だろう、と。そう、アレスが王城に呼び出されるのは何も今回に限ったことではないのだ。
最初に呼び出されたのはアレスが十三歳、いわゆる反抗期真っ盛りの頃。現在の彼のシンボルでもある、金髪に染めたことから始まった。その時は軽いお小言で済んでいたものの、聖剣を見せる代わりに女子の胸を揉みしだこうとの考えで(無論結果は失敗)ナンパを始めてからは説教となった。以降邪なことを企んでは王に説教を受けるのが恒例行事となっている。
「あーあ、王様は暇で羨ましい」
どの口が言うのだろうか。アレスは呟きながら腰に携えていた聖剣を別の剣に入れ変えた。知り合いの鍛冶師に頼んで作ってもらった、聖剣を模したレプリカだ。彼の脳裏には最近、聖剣を没収された苦い経験が思い起こされていた。ナンパはほぼ聖剣頼りのアレスにとって大きな武器を失ったあの時は、目も当てられないほどの惨敗であった。
そこで聖剣没収対策として考えたのがこのレプリカ聖剣だった。本当に悪知恵だけはよく働く男である。
「ほい、お待たせ。さっさと城に向かうぞ~」
自主的に城へ行こうとするアレスに周囲は多少ざわつくも、懐疑的な声をあげる者まではいなかった。彼を先頭にして、縦長の行列を作り城へと向かっていった。
「よう、爺さん。まだ生きてたのか」
開口一番、白髭が立派な王へ無礼な挨拶をかます。
「こらアレス! 王に向かって何という口の利き方だ!」
「構わん、いつものことじゃ。それよりアルド、例の者達をここへ呼んで来てくれぬか?」
「はっ! 了解しました!」
アルドは小走りに玉座の間を後にした。
「さて、アレスよ。今日はお主に頼みがある。勇者の息子としてのう」
「あー、それは残念。実は明日はデートの予定があってな。そんな訳で他の奴に頼んでくれ」
もちろん大嘘であるし、王も薄々嘘だと感づいていることだろう。眉間にしわを寄せていた。
そんじゃお疲れさん、とアレスは立ち去ろうと踵を返す。しかし彼の背中に、王の重苦しい声がのしかかった。
「北の町フェスタの郊外にある旧フェノー砦に今、凶暴な魔物が封印されておるそうなのじゃ」
はたと足を止めるアレス。景気の良くない話に、とりあえず耳だけは傾けておこうと王に向き直る。
「で? 俺に砦へ出向いてその魔物をオシオキして来いってか?」
「理解が早くて何よりじゃ」
アレスはふっと鼻で笑うと、やれやれと肩をすくめた。
「魔物なんざ今のご時世、人間の敵じゃないだろ。適当に衛兵集めて剣やら槍やらでつついておしまいだ。俺の出る幕じゃないね」
「出来るならそうしておる。出来ぬからお主に頼んでおるのじゃ」
「魔物が砦の封印とやらを破り、ここまで侵攻してきたら考えてやるよ」
「それでは手遅れじゃ。勇者の肩書を与えられたお前の務め、忘れた訳ではあるまいな?」
「爺さんこそボケたんじゃねぇの? 資金面や生活面での援助の代わりに国への脅威を排除する、それが勇者の仕事だ。封印されているのならもはや脅威でも何でもねぇ。鎖で繋がれた犬と同じだ」
「もう一度言うぞ、勇者アレスよ。砦に出向き魔物達を鎮圧してくるのじゃ」
「もう一度言うぞ。爺さん。俺は明日、デートの予定があって忙しい」
「それがお主の答えじゃな? 本当に良いのじゃな?」
「一言一句間違いはないし訂正もしない。これが俺の答えだ」
「本当の本当じゃな? 後悔せぬな?」
「お、おう。そうだが何か問題でも?」
いつもなら王には何処か甘さと言うものが見受けられるはずである。しかし今の王からはそれが微塵も感じられない。いつもとは何かが違う王の態度に、流石のアレスも若干の戸惑いを覚え始めていた。
「……はぁ、止むを得ん。アレスよ、わしと一つ勝負をせんか?」
「は? 勝負?」
突然持ち掛けられた提案に、ますます意味が分からなくなる。
「何、簡単なこと。こちらで用意した刺客と今から戦ってもらうだけじゃ。お主が勝てばもう金輪際何の口出しもせん。好きに生きるがよい」
「短い間世話になった。どうぞお元気で」
もう既に勝った気でいるアレスだが王の話はまだ続く。
「先走るでない。まだ刺客が勝った場合を告げておらん」
「聞くだけ時間の無駄だけどなー」
そうとも限らんぞ、と王は軽くたしなめてから告げていく。
「もし刺客が勝った場合じゃが、その時はお主の聖剣は没収させてもらう。否、聖剣だけではない。勇者と言う肩書きもじゃ。刺客に聖剣と勇者の名を与え砦に出向いてもらう」
「どうぞどうぞ、ご勝手に。どうせ俺が負けることなどありえないのだから~」
「連れてきましたぞ!」
ちょうどその時、アルドの野太い声が響いた。




