8.引き続き、高橋家の事情
「家政婦さんには何人か来てもらったけど、最終的にお願いしたのは上原嘉子さんといって、もう10年くらいになるかな。
上原さんは、ひとことで言うとプロフェッショナルな人でさ。
仕事が早い、クオリティが高い、ってことも当然だけど、距離のとり方がプロだった。自分は高橋家の家族じゃなくてバックアップスタッフに過ぎない、って、立場を厳格に守って、ちょっと冷たいんじゃないかと思うくらいだった」
「でも何より重要だったのは、上原さんは俺たちに同情しなかったことなんだ。“かわいそうに”みたいなこと、まったく言わなかった。
何人かいたんだよ、気の毒に、かわいそうに、ってやたらに哀れんで構いまくってくる人。正直、ヒいた。心配してくれたのかもしれないけど、心配する自分に酔ってるみたいなふうにも感じられて」
「上原さんはそういう人とは全然違った。
高橋家には“新しいお母さん”みたいな家政婦さんはいらないんだ、ってことを、よくよくわかってた。
俺たちはかわいそうなんかじゃないし、できることはたくさんある。
そういう姿勢が、俺たちにはすごく救いになったんだ」
「上原さんは、父さんと俺たちに家事を教えてくれた。上原さんにしてみれば、自分でやっちゃうほうが何倍もラクだったろうと思うよ。
中学の家庭科で調理実習とかやったけど、実際やるとなると理論通りにいかないことがたくさんあるんだよな。特に、掃除の方法って意外と教わる機会がなかったから、系統立てて教えてもらえたのがすごく役だった」
「というわけで“チーム高橋”の体制が調って、全員でどうにかこうにかやってきたわけ」
調理器具などを洗い終わり、布巾で拭いて、食器かごをすっかり空にしたところで、高橋家の家事運営にまつわる秘話(ってほどでもないのか?)が締められた。
あ、私も拭くの手伝ったよ。こういう話、何もせずに黙って聞いてるのってつらいよね。やることあってよかったよ。
使った布巾をまとめて洗い桶に浸けつつ、今さらながら深々と得心がいった。
これなー、単に説明されるだけじゃ、伝わらなかったかもしれない。ご自宅まで招かれた理由がわかった。
実際に、家庭の設えられ方を見るだけで、家族に対する思いが伝わってくるもんね。
何より、お母上、聡美さんの存在が。
あれだけ会社で「母が」「母の」「母による」話題を頻出されてたら、息子のオマエもどうかと思うけど、母もさぞかし……、って思うじゃん? どんだけ過保護に息子をかまいまくる過干渉な母親かと想像しちゃうじゃん?
そういう、苦笑混じりに噂される「母」の人物像とは印象が大きく違ったんですよ。
パッと見てわかるくらい病人、って、相当だよ。もとから小柄だったのかもしれないけど、折れそうに華奢な細さで、顔色もよくないし、食も細いし、ちょっとドキッとする。大丈夫なのかな?って心配になっちゃって。
その一方で、聡美さんは全然フツーに生活してる。フツーに、っていうのは、なんていうか、病人病人してない、ていうか。
なんだか、あっけらかんとした、抜けのいい陽気さというか、脳天気さと紙一重の明るさというか。向日性の花みたいな。
そんで、オット氏や息子達とやりとりするさまを見てると、本当に普通のお母さん、なんだよね。
身体的な苦痛、ってリアルで逃れがたくて、きれいごとじゃないし、大変なことだと思う。そういうの抱えながら、普通のお母さんしてるのって、すごいことなんじゃないかなあ。
まあ、よそんちのご家庭の事情なんていちいち興味本位で覗くもんじゃないし、他人にはそうそう窺いしれないもんだろうし。
とはいえ、こんなふうに印象と実状の激しい差異を見せつけられると、正直、戸惑うよね。
で、それはそうと。
まだよくわかんないんだけど、どうしてまた、わざわざマザコン偽装してんのかな?
別に家族の事情を言いふらす必要はないけど、あんな不自然にごまかす理由もなくねえ?
と、首を傾げる私の表情を見て取って、高橋諒は困り顔で頷いた。
「それで、まあ。これからが本題なんだよね」
うん。はいはい。まあ、ここまで聞かされたら最後まで聞きましょうかね。