5.高橋家の台所
「勘づかれるもなにも、あれだけあい子さんに相談してればバレるのも時間の問題だったよね」
「別に隠さなくてもいいのに。
……んで、塩加減こんくらいね」
「お。結構がっつり塩きかせるんだ。ちょっとビビるなぁ」
「うん、まあしょっぱいとリカバリきかないから、薄めにしといてもいいけどね。でも、これくらいの塩加減なら大丈夫」
どういう会話かというと、例の、買い物帰りのその日の夜だよ。なぜか私は高橋家の台所で高橋諒と肩を並べて夕食の支度をすることになったのでした。
イケメンはさすがにエプロン姿もイケてるんだぜ。おしゃれカフェ店員のタブリエ的なアレでなく、ちゃんと胸元までカバーする実用的な前掛けです。シャツ腕まくり on 前掛けの後ろ姿。
魅せる……!
と、多少ヨコシマな方向に引っ張られる私の心境などまったく頓着せず(当たり前だ)、高橋はてきぱきと調理をすすめている。
心なしか、彼の口調と態度はずいぶん砕けたものになってきて、つられて私もカジュアルな態度で応じております。いやまあ、会社でも特にかしこまってはいないけどな。
さて、ここに至る経緯としてはですね。
彼が言うに、
(1)報告・説明・相談したいことがある。
(2)だが自分は高橋家の夕食をつくる義務を負っているので、帰宅しなくてはならない。
(3)故に高橋家の夕食に招待する。そこで話をきいてもらえないか。
とのこと。
えー。うー。あー。正直めんどくさい。
が、家族に貢献すべく炊事の責任を負う高橋に少なからず感銘を受けたし、この際ぶっちゃけたいらしい彼の思惑も鑑みるといずれ時間をつくらされること必至。
だったら、ちゃっちゃと話を済ませてもらおうか。よかろう。と、ご招待を受けることにしたのでした。
輸入食材店でのあれだけの量の買い物にとどまらず、その後2件のスーパーとパン屋にも寄る羽目になったのは想定外。
「いつものことだよ。どこんちの主婦もこんな感じでしょ」
宅配頼んだりもするけど、なんだかんだであれこれ買っちゃうんだよね。特売品とか見過ごせなくって。
主婦だ。主婦だね。このひとダテじゃないよ。本当に毎日やってるよ。
そして「お客さんなんだからゆっくりしてて」と言われましても、初めて伺ったお宅でくつろげるかよ相手しろよもてなせよ。つか、まあ普通に「手伝います」って申し出るよねこの場合。
で、せっかくだから入手したばかりの緑豆を使って、緑豆ごはんを炊くことになりましたよ。というのがこれまでの経緯でございます。状況説明長いな。
炊飯器に米を仕込み、塩と日本酒で調味してから、下茹でした緑豆をばらっと入れて炊飯スイッチON。
緑豆も水戻しのいらない豆です。小豆より粒が小さいからすぐ煮えるよ。米と一緒に浸水しとけば、下茹でなしでいきなり炊いちゃっても大丈夫。
それにしてもでっかい炊飯器! しかも電気じゃなくてガス釜、プロユースの本格仕様ですよ。
「さすがに男三人兄弟となるとよく食べるね。5合のごはんとか仕込むの初めてだよ。こんだけの量を炊くとおいしいだろうなー」
ごはんは大量に炊く方がうまいよね。
「最近はだいぶ食べる量減ったよ。中高生くらいのころなんて1升炊いても足りなかった。これ、白ゴマは? 炊きあがってから混ぜ込むの?」
「いや、茶碗によそうときにひねりゴマで。お弁当にするときは混ぜちゃうけどね」
「なるほど、了解」
ひねりゴマというのは、指先でゴマを軽く擦りつぶしながらパラリすることをいいますよ。好々爺・あい子さんのワンポイントアドバイスでした。
ところで、高橋ん家にお邪魔して数十分ほど経ってますが、ご家族にはまだどなたもお目にかかっていません。家ん中にも気配がない。
「あの……。ご家族は? まだ帰ってないの?」
味噌汁のだしをとりながら尋ねると、高橋はシメジの房をほぐしながら、ああそういえば説明してなかった、とかなんとか呟く。
「両親はもうすぐ帰ってくるはず。兄貴は今日夜勤なんで仮眠中。そろそろ起きるだろ。弟はちょっと遅くなるかな。
えっとさ、味噌汁の仕上げ頼んでいいかな。今日はシメジと油揚げ、ネギ、メカブね。うちの味噌汁、具が多いんだ」
「ネギとメカブは煮すぎほうがいいよね?」
「さすが、わかってる。頼むよ。俺、兄貴起こしてくるから。あいつまた洗濯物放ったらかして出かけやがるつもりか」
……オカンだな。
「おい兄貴! そろそろ起きろよ!」
高橋諒が怒鳴ったと同時に、玄関のドアがガチャリと開いて「ただいまー」とご両親とおぼしき帰宅の挨拶が聞こえました。
いよいよ高橋ご一家登場か!
待て、次号!(なんなのこの煽りは。呆)