44.芹沢家に到着
「てんこさんは、“あい子、出かける支度して”って、自分も財布用意しながら、ものすごい早口で言った」
「“我慢我慢、って何を我慢してるって言うの? 三度三度のごはんが出てくるのただ待つのを我慢って言ってんの? トイレットペーパーとリモコンの電池が切れてんのに買い置きしてなかったのを我慢? ワイシャツをクリーニングに出してなかったのを我慢? ゴミ出しさせられるのとか風呂掃除させられるのを我慢?”
“私はごはんつくるのが嫌なわけじゃないの。家のことやりたくない、なんて一言も言ってない。お父さんやあい子や健史とみんなで、快適に過ごせるのは幸せなことなの。
ずっと、私の仕事のせいで行き届かなくて申し訳ない、と思ってた。我慢させてごめんね。って。でもね、もうアホらしい。バカみたい”
“何が、アホらしいかって。
私が、家のことを、全部! 100パー!! パーフェクトに!!! こなせない、ってだけのことに、どうしてこんなに申し訳なく思わなくちゃいけないのか、わからない”
“この家には大人がふたりいて、高2の娘と中3の息子がいて、みんな元気で体力もあって、お金にも困ってなくて、やろうと思えば自分の口に入るものや身の回りのことくらい、どうとでもなるはずでしょ”
“それを、私が! 100%!! ケアできてないことに、我慢? 我慢してるって?! ”
“バカバカしい”
“もう知らない”」
「で、私の手を掴んで玄関までぐいぐい引っ張って、靴を履いて、
“ちょっと気晴らしに行ってくる。あい子も行こう。あんたがいると、お父さんも健史もあんたをお母さんの代わりにするから”
なんかもう逆らえない勢いでさ。ていうか、お母さんをひとりにしとけなかったな。ついててあげないと、って思った。
“じゃあね。いつ帰るかはわかんない。適当にして”
って言い置いて、財布と携帯くらいしか持たないで家を出てきた。
お父さんと健史はいきなりのことで唖然ボー然としてたね」
「で、私とてんこさんは地元でいっちばんの高級ホテルに泊まったの。
予約もなしで飛び込みでスイートルームとか、無茶したよね。あんな部屋初めてだったなー。すごかった。めっちゃ広いし眺めいいし、家具もインテリアも凝ってて照明もきれいで、ベッドでかいしバスルームも広いし。専任のバトラーが付いてて呼び鈴ひとつでなんでもして貰えんの。
ほとんど何も持たずに出てきたから、ホテルん中の高級ショップでファッションショーみたく着替えまくって、服とか靴とか小物買って散財してさ。
てんこさんは、
“働いててよかったー。お金あるのって自由~~”
って、やけくそみたいに笑ってた」
「それから部屋にエステサービス呼んで“毒吐きたいからちょっとどっかで遊んできて”って言われて。
エステサロンのマダムに付添してもらって、最上階のバーに潜り込んできた。まだ開店時間前だったから、こっそりね。未成年だし。
渋いバーテンさんにカクテルつくってもらってさ、シャーリー・テンプルとかノンアルのやつね。おもしろかったなー」
「いつ帰るかわかんない、とか言った割には、次の日に帰ったの。
お父さんと健史は掃除洗濯して、カレーつくって待ってた。
普通に“ただいまー”って言って、みんなでカレー食べて、吉田くんと山本部長のことはなんかうやむやな感じになって、それからはお父さんと健史もそこそこ家のことやるようになった」
「……それが、吉田山本事件?」
「そう。無茶苦茶だったけど、まあ結果オーライなのかなあ。
もっとも、てんこさんは“あのタヌキ部長に借りができたのは痛恨”ってめちゃめちゃ悔しがってたけどね。結局、例のプロジェクトにも引っ張り出されてたし」
「こういう話すると、お父さんは家のこと何もしてなかったみたいに聞こえるかも知れないけど。でもね、お父さん、子育て関係はがんばってたっぽいんだよ。
ちっちゃい頃から、めっちゃかまってもらった覚えあるし。寝る前にお父さんに本読んでもらうのが習慣だったんだけど、たぶん、もっとちっちゃい乳幼児の頃も、ずっと寝かしつけやってたんだろうね。
休みの日はよく遊んでくれたし、勉強もみてくれたし、塾の送り迎えもしてくれた。健史の野球チームの“お当番”も、いやいや行ってたわけじゃなかったし。
たぶんね、子育ては“ふたりの仕事”って思ってたんだよ。ミルクもおむつもお風呂も病院も、食事の世話も保育園の送り迎えも学校行事も、全然厭わずにせっせとやってた、って、お母さんも言ってた」
「それなのに、なんでか知らないけど、家事は渋るんだよ。ひょっとしたら、子育て頑張ってたからこそ、なのかもしれないけどね。俺はこれだけやってるんだから、これ以上求めるな、みたいな。
特に、夕飯の支度だけは頑なにてんこさんにやってもらいたがってた。夕飯がカップ麺でも文句言わないの。でも、お湯を注ぐのはてんこさんじゃないとダメ。
てんこさんが残業のときは、夕飯作り置きしてったんだけど、それでも不満そうにしてたな。なんかよくわかんないけど、こだわりっていうかツボがあるんだろうね。お父さんも、てんこさんも。
そういうの、子どもでも窺い知れなくて、夫婦ならでは、夫婦だからこそ、なのかなあ、とか思うよ」
ちょうど、最寄り駅からタクシーに乗り、我が実家の門扉が見えてくる頃合いに、話がひと区切りついた格好になった。
諒は「なるほどねー」と、深々とため息をついたものでした。
「そーいう感じか……。そりゃ、お母さんは心配もするよな、病気の母親+男ばっかの家じゃなあ、めっちゃ働かされそうだもんなぁ。お父さんだって、そんなふうにずっと子どもを大事にしてきた人なんだから、なおさら娘の相手が気になるよな」
うん。まあね。いや、どこんちにもその家なりのドラマがあるもんなんだよ、きっと。
「大丈夫だよ、諒なら。きっと気に入られて、逆に“なんでうちの娘なんかと”とか言い出すから」
「……そうかな」
「それに、最初が印象ヤバめのマイナススタートだから、それを覆していくだけでも取り返せるじゃん。勝ったも同然だよ」
「勝ち負けなのか(笑)」
とか言ってたら、芹沢家に到着しましたよ。




