35.風邪ひき諒さん
諒が風邪をひいた。私の風邪が感染ったんだよね。だからあんまひっつくな、って言ったのに油断したな、諒め。
とはいっても、私も多少なりと責任を感じて、高橋家に帰宅させず、私んちで療養することになった。
着替えを持ってきてくれた圭さんは、ぐったり横たわる諒を一瞥し、「体温は?」「食欲は?」とか尋ね、喉の炎症などを確認し、「1週間くらいかな。寝てろ」と簡潔に指示してさっさと帰っていった。滞在時間にしておよそ2分くらいだったかな。瞬殺。
「“看護師は優しい”とか、嘘だよ。病気とか怪我の対応慣れてるからヘタに同情したりしないし、絶対甘やかしてくれないからな。特に身内には容赦ないぞ」
とか、以前に諒がこぼしていたとおり、平常運転のあっさり対応でした。
一応私には
「面倒かけてごめんね、あい子さん。放っといてくれていいから、しばらく置いといて」
などと言ってたけれど、感染源は私だからなあ。
自分の時は諒があれこれ世話焼いてくれた訳だし、今度はこっちが看病する番だよね。
と言っても、諒は手のかからない病人だった。
薬や飲み物や栄養ゼリー的なものを自分で用意し「悪いけどベッド貸して」と倒れ込んで以来、こんこんと眠り続けた。
ちょっとつまらん。
弱ってる諒を甘やかして、ごはん食べさしたり着替え手伝ったりしてみたいんだけどな。
とか、のんきなこと言っておもしろがれるのは、これが単なる風邪で、寝てれば治る程度のことだからだよね。
聡美さんの場合はそうはいかない。
単なる風邪も悪化して肺炎を起こしたり、逆に自己免疫症状を起こしてあちこち関係ないとこまで炎症を起こしたり、呼吸困難に陥ったりしかねない。
そんなわけで、高橋家では体調管理が厳しめに習慣づいている。
諒も風邪ひくのなんて数年ぶり、って言ってたもんな。
きっちり肩まで布団に埋まって眠る諒は、少し苦しいのか、ちょっと早めの呼吸で寝息をたてている。鼻がつまってんのかな。枕を足して頭上げてみた方がいいのかな。
でも、よく寝てるし。
冷えぺタずれてない?かな?
あ、ヒゲ伸びてきてる。
けっこう睫毛長いな-。
なんだか、ヘンな感じ。
ちょっとだけ弱った男が、私のベッドで無防備に休んでいる。
鼻摘まんでやろうかな。とか、悪戯してみたいような気持と、静かにこの眠りを守りたい気持が拮抗する。
私の男。
私の、かわいい男。
なんつってな(照)。
聡美さんのことを思って、ほんの少し、申し訳なくなった。
風邪を「小さな不遇」程度に収めて楽しんでしまえる、健康で傲慢な私たち。
隣に客用布団敷いて寝たけど、諒は夜中も起きる気配はなかった。
ぐっすり眠れてたみたいでよかった。
次の日、私が出勤して仕事してる間も、きっちり食事を摂って、薬を服用し、着替えて、またしっかりベッドに収まって、大人しくしてたらしい。
さすがに食事は私が用意したよ。お粥とかじゃなくて普通のごはんを食べたがったので、いつもの私の弁当と同じものを用意しといた。
おにぎりとミネストローネ。おにぎりの具は梅干しとおかか、ミネストローネは手亡豆とカボチャ入り。
夕刻、帰宅してみたら、もうベッドから起きて、普通に過ごしてた。
「ただいま。あれ、起きて大丈夫なの?」
「お帰り。熱下がったみたいだし、寝てんのも飽きてさ。あ、シャワー借りたよ」
なんだとこんにゃろ。回復早いな!
呆れたことに、諒はシャワっただけでなく、昼食の食器の後片付けまでしてた。
「お昼のミネストローネ、よく味が沁みてて、うまかったよ。ありがとな」
「鍋も洗ってくれたんだ。助かるけど、大丈夫なの? もう少し休んどけばよかったのに」
「そう思ったんだけど。あんまりぐずぐずしてるのも、風邪が根付きそうで、ちょっと動きたくなったんだ。大丈夫だよ、湯冷めしないようにすぐ着替えたし、髪も乾かしたし」
確かに、顔色もよくなったし、声の感じも復調してる。
よかった。弱ってる感じもかわいかったけど、やっぱりホッとするな。
「諒、お腹は?すいてる? 晩ごはんは簡単に鍋でもしようかと思ったんだけど、どうかな?」
「おー、鍋いいね。あったまりそう。なんか手伝おうか?」
「いや、いい、いい。パックの鍋スープ買ってきたし、簡単だからすぐできるよ。休んでて」
今日は市販の鍋スープ(塩味)で白菜メインのあっさりピェンロー風に。
白菜は1cm弱ほどの幅で細切りに、大量に用意する。とにかく白菜。白菜たんまり。他には、椎茸と春雨、豚バラの薄切り。
土鍋の外側の縁から白菜を詰めてって、間に豚バラとか椎茸を挟みつつ、ぎゅうぎゅうに詰め込んでいく。中央に春雨。ぎっちり詰め込んだら、鍋スープを注いで火にかけるだけ。
付け合わせに、先日諒が仕込んだピクルスを出す。きゅうりとパプリカ、セロリ、小蕪と、彩りも鮮やかで、ディルが効いてて爽やかウマい逸品だぜ。こういう、作り置きの保存食、便利だよね。
買い置きのミックスビーンズにピクルスの漬け酢を垂らし、塩とオリーブ油で軽く和えたものも添える。
そうこうするうちに鍋が沸いてきて、弱火寄りの中火くらいに火力を落として少し煮込む。細切りの白菜がくたくたになるくらい煮ちゃうのがピェンロー風。
正調ピェンローは、干し椎茸のだしを使ったり、豚の他に鶏もも肉も使うらしいよ。スープも味をつけないで、各自が塩と唐辛子で調味しながら食べるものなんだけど、今日は市販のスープ使って簡単バージョンで。
「あ、うまい。白菜とろとろ。これ、無限に食えちゃうやつだな」
「諒、食欲は普通にあるんだね。よかった。いっぱい食べな」
「うん。今回は胃腸にはあんまダメージないみたいだ。病み上がり的には、あっさり塩味がありがたいよ。沁みるな」
「私がピェンロー食べたかったんだよ。白菜もだけど、椎茸や豚のダシが出たスープがたまんないんだよね-。締めはこれで雑炊するからね」
「あーそれ、間違いない。確実に美味い」
くたくたとろとろにほぐれた白菜はいくらでも食べられる。合間に甘酸っぱいピクルスとミックスビーンズを摘まみつつ、残ったスープでつくった雑炊もきれいにたいらげ、ふたりで土鍋を空にしてしまった。
食後にホットウーロン茶などいただきながら、
「そういや会社どうだった? 今、決算終わったばっかだし、そんなバタバタしてないはずだけど。なんか変わったことあった?」
諒は職場の様子が気になったらしい。生真面目なやつ。まあ、いちんちくらい休んだところで保たなくなるようなギリギリな仕事はしてないんだけどね。
「まあ、概ねヒマだったよ。ていうか、新年度に移行したばっかりだから他部署のほうがバタバタしててさ、総務の手伝いに呼ばれたりしてた。
ていうか、それよりもさ。帰る間際、課長に呼ばれたんだよね」
「課長に? あい子が?」
そうそう。その話があったんでした。




