26.諒のチキンソテー(前編)
「諒のチキンソテーっておいしいよねー」
あい子さんちでおうちデートな休日の昼下がり、「お腹減った。なんか食べよ?何がいいかな?」とか話してて、そういや、って思い出したのでした。
諒の焼いた鶏はおいしい。
単に焼いて塩コショウふっただけ。と言っちゃえばそれだけなんだけど、火通りの加減が絶妙なんだよね。
皮はパリパリで香ばしく、肉はジューシー、かつ、ぎゅっと締まってて柔らかすぎない、いかにも肉!って感じ。
鶏焼くのって難しくない? よくやっちゃうのが、脂と肉汁で煮つけたみたいになって、皮がぶよぶよに柔らかくなったり、肉が汁に浸ってるみたいな状態になっちゃうの。
食べられない訳じゃないし、失敗ってことでもないけど、諒のと比べるとおいしくない。
「……そうかな? まあ確かに鶏肉はよく使うからなあ」
「うん。私は苦手。なかなか火通らないし、蓋して蒸し焼きにすると、皮目がパリッと仕上がらないし」
「簡単なんだけどね。時間はちょっとかかるけど」
マジか。本当に簡単なんだな。教えろください。
「はいはい、いいよ。でもホントに簡単だよ」
……本当か? 本当だな?
料理上手の方がおっしゃる「簡単だよ」には、ときどき罠があります。
例えば、
・特別な技術は要らないけど、段取りが細かくて面倒
・特別な技術は要らないけど、ものすごく時間がかかる
・あっという間にできるけど、特殊な用具や食材が必要
・あっという間にできるし、特別な技術も要らないけど、3日前くらいから仕込みが必要
これみんな「簡単だよ」って言いやがります。
料理が不得手な人にとっては、
・段取り面倒い→素材の特性や調理の基本がわかってないと、段取りは理解しづらいので実は難しい。
・時間かかる→調理のタイムマネジメントは経験積まないと掴みづらいので実は難しい。
・特殊用具・食材→その用具や食材の情報にアクセスする手段に乏しいので実は難しい。
・3日前から仕込み→調理のタイムマネジメントの中長期バージョン。簡単ではない。
ということになるのです。
つーてもあい子さんわりかし料理できるけどね。それでも、「簡単だよ」を鵜呑みにはできねえな……ということを言いたかったのです。
さてこの場合、どのような「簡単だよ」がカマされるのでしょうか(疑惑)。
幸いにも昨日買い物に行ったばかりで、鶏もも肉ありまーす。アレコレ他の材料もふんだんにございます。
さ、存分に腕を奮いなさるがよろしいよお若いの(久々に好々爺)。
「んじゃ、まず鶏もも肉ね。買ってきたパックのそのまま」
「常温に戻しとくの?」
「戻してもいいし、冷蔵庫から出してすぐでも別に大丈夫だよ。肉の温度はそんなに影響しない。冷凍だったらさすがに解凍したほうがいいけど」
「下味は? 塩をもみこんでおいたりしないの?」
「してもいいけど、しなくてもいいよ」
……なんかゆるいな? どっちでもいい回答続いたよ?
「このへんは俺、好みだと思うんだよね。
先に塩ふっとくと、肉が締まって、味が中まで染みこんでウマい。ソースとか絡めるなら、軽めに塩しとくと味なじみがいいかもね。
で、塩しないで焼いても、そのままの肉の味と後からふった塩とのコントラストが楽しめて、それはそれでいいと思う。俺、わりとこっちも好きなんだ」
「脂身をそぎ取っておく、とかしなくていいの?」
「脂身は逆にあったほうがいいかな。取らなくていい。大丈夫だよ、脂っこくなったりしないから」
えーホントに?
「肉のぶ厚いとこに切り目を入れて火通りよくするための下ごしらえ、とか、よく言うじゃん? あれは?」
「それも、どっちでもいいかな。確かに切り目入れれば火通りいいし、多少早くできるかもしれないけど、別に入れなくてもいいよ」
またしても“どっちでもいい”です! 本当かー?!
「ホントホント。ていうのはさ、これも好みなんだけどね、厚みがマチマチなのも美味いんじゃないかな、って思っててさ。
肉の分厚いところにガブガブ噛み付くのって、楽しくない? で、肉の薄いところはちょっとカリカリ気味に焼けてて、それもまたウマい、っていう」
「……そう言われると、確かに」
なんか本当に簡単な気がしてきたぞ。
「あ、でもね、これ道具が大事なんだ。鉄のフライパンとか持ってる? 長時間火にかけるから、フッ素加工とかだと鍋が傷んじゃうかも」
はい、お道具指定きました。でもそんなにハードル高くないかな?
最近は100均でも300円くらいで鍋売ってるもんね。そしてまさしく私所有の鉄鍋は100均で300円のスキレットでございます!
「あ、十分十分。ていうか、厚手だし相当いいよ、これでばっちり」
「でもこれ、蓋ないよ。アルミホイルかなんかで蓋する?」
「蓋はしないよ。そのまま弱火で焼くだけ」
「…………」
マジかー。
スキレットがまだ冷たいまま、サラダ油を敷いて、皮目を下に肉を載せる。
「このスキレットだと、鶏もも肉1枚しかのっからないね」
「まあそれはしょうがないね。うちみたいな5人家族とじゃ、サイズが違って当然だよ。順番に焼こう」
ではでは、中弱火で火にかけます。
「……そろそろ温まってきたかな」
「じゅうじゅう焼ける音がしてきたら、弱火に落として、放置な」
「放っといていいの?」
「そう。触んなくていいよ、放ったらかしで。10分くらい経ったら様子見てみようか」
放置している間に、他のおかずとかサラダとか、別の作業ができます。マジで放置。本気で放ったらかし。
今日は簡単に粉ふきいもとロメインレタスのサラダなど添える程度で。
「ね、諒、これはやっぱりビールかな。敢えてのあっさり発泡酒ってのもアリ?」
イエイ。酒飲んじゃうんだぜ。
「そうだなー。こないだのアレ試してみる? ドライシードル」
「あ、いいね」
そうこうしてる間に、10分経過。
端っこに脂がジワッとにじんでて、皮に火は通ってるみたいだけど、まだ焼き色ってほどでもないかな。ところどころ色づき始めた、くらい。肉は縁が少し白くなってて、でも上側の面はピンク色の生肉のまま。当たり前だけど。
「どうかな。まだ放っといていいね」
「まだ放置かー。ひっくり返したいな……」
「皮目が固まったらひっくり返してもいいけど。どうせまたひっくり返すことになるし、あんまり動かしても意味ないんだよ」
「それにしても、こんだけ長時間焼くから、事前に常温とか冷たいままとかもあんまり関係ないんだねー」
「そうなんだよね。常温で放置、と、火にかけて放置、の差くらいしかないんじゃないかな」
「それにしても、諒は鶏肉の扱い本当に巧いよね。ソテーだけじゃなくて、唐揚げも照り焼きも、八角と紹興酒で煮込むやつも、あ、あと鶏ハムとか茹でるのも。胸肉もしっとり柔らかいしスープも濁らないし」
ホントに美味しいんだよ、諒の鶏料理。すごいよ。
ところが諒は、微妙な表情で苦笑気味に返す。
「あー。うん。まあね。好きで巧くなったんじゃないんだけどね」
「そうなの? 鶏肉好きなのかと」
「違うんだよなー」
へー。そうなんだ。




