23.風邪ひきあい子さん(後編)
「あい子、それからこっちの、」
「諒」
エンドレスで続きそうな説教を遮り、できるだけ頼りなさげな声で言ってみた。
「うどん、熱くて食べらんない」
嘘です。私は猫舌ではない。
我ながらあからさまに甘ったれてるな、とは思いますが、アイアム風邪っ引きなんですよ? ちょっとくらい甘えさせろ。そこ座れ。ふーふーしてあーんしろ、とまでは言わないが、もうちょっと優しくしろ。
と、上目遣いに目で訴えてみましたが、通じないだろうな……。
諒は、なにやら心得顔で「ん? そっか、待ってな」と台所方向に向かった。狭いワンルームなのでさほどの間も置かず戻ってきて、うどんの鍋とお椀に何かをころんと投入する。
「……何これ?」
「きのこ刻んで水煮にして凍らしといたやつ。さっき仕込んでみたんだ、いろいろ使えて便利だよ。それで少し温度下がるから、よく混ぜて食べなよ」
エノキとかしめじ、椎茸、エリンギなど、各種きのこを粗みじんに刻んで水煮にしたものを製氷皿でキューブ状に凍らしたもの、であるらしい。何それ便利。
きのこ氷(どうやらエノキ氷にヒントを得たらしいよ!)は椀の中でしゅるしゅると溶け、新たな具が加わって、きのこうどんに変貌したぜ! わあ楽しー! 嬉しー!
「って、そーーーじゃなくてさーーー!!」
だあっ! と、思いきりちゃぶ台返しをかましたいところだが、ぶちまけた鍋の後片づけを想像して耐えた。我が理性を讃えたい(大げさ)。
諒は呆気にとられ、「な、何? どうした?」と、狼狽した。その反応は予想しなかった。と言いたげに私を見てくる。
箸とレンゲを握りしめたままぶんむくれる、というのは完全にコドモ状態な訳ですが、だってしょうがないじゃん、カレシが実家の母親みたいな説教野郎と化してんだからこっちはコドモになるじゃん全然意味不明だけどでもでもしょうがないじゃん、って熱上がってきたかなやべー。
「なんだよバカ。何がきのこ水煮だよ。おいしいけど。便利だけど」
「……は? どうした急に」
「しんどいのに。だるいのに。諒は、説教ばっかりで。母ちゃんかよ。実家かよ。そりゃね、諒は私のために言ってくれてるの、わかってるけど。諒の言うことが正しいけど、でもさあちょっとくらい甘やかしてくれたっていいじゃん」
「あい子、あのなあ…………」
さすがに諒も呆れて窘めようとする。私だってアホなこと言ってんな、とは思うけど、止まらないんですー(ぶんむくれ顔)。
「なんだよ諒のバカ」
「来てくれて嬉しいのに。せっかく、諒なのに」
「洗濯とか片付けとかゴハンとか。嬉しいけど。助かるけど。でも、さっきからずっと諒の背中しか見てなくて」
「バカ諒」
あからさまに「アホか」と呆れ果ててた諒は、私の駄々っ子ぶりにさらに呆れたのか、はあ、とか、ため息ついて、それから、私の顔を見てぎょっとしたように目を瞠った。慌ててティッシュに手を伸ばす。
「泣くこたないだろ」
って、まったくだよ、泣くこたない。バカみたいだ。
だけど。だけどさ、諒。
「………さ、寂しいよ、バカ諒。傍にいてよ。かまってよ」
何言ってんだ自分ーーーー!
と、こんなときにも自分ツッコミが止まらないあい子さんでございます。
我ながら蚊の鳴くような声で、あまりに甘えたくった台詞に鳥肌立つぜ。マジ何言ってんだ。恥ずかしい。
羞恥の余り、蒸発して消えたい。
とりあえず逃げよう、と、狭いワンルームで逃げるも何もないんだけど、ユニットバス方向に立ち上がろうとしたら、
「ぐぎゃっ」
いきなり視界が揺れて目の前が紺色の布地でいっぱいになり、っていうか、紺色の布地に鼻先突っ込むように密着させられて、端的に言うとそれは諒のエプロンの生地で、要は、がっちり抱きしめられてた!
膝の上に乗せられて長い腕の中に閉じ込められ、何すんだこら、と、抵抗しようにも、ぎゅうぎゅう囲い込むようにむちゃくちゃ抱きしめてくるので逃れようがない。
「ちょっと、諒。離してよ」
「いやだ」
くくくく、と笑い含みに即答されて、っていうかさっきから小刻みに揺れてるのは声もなく爆笑しているらしかった。
「ったくもう、普段素っ気ないくせに、不意打ちでそういう必殺技かましてくるんだからな」
愉快でたまらない、というふうに、くつくつ肩を揺らして笑い続け、その振動がダイレクトに伝わってくる。こんにゃろ、笑いすぎだ。
「あい子、キレながらデレるの、可愛いすぎるって」
とか、恥ずかしいこと言いながら、ぎゅうぎゅうに抱きしめてきて、頭をくしゃくしゃに撫で回された。
やめれ。離せ。
諒は笑い声を響かせながらも、
「ごめんな。それだけ弱ってんだよな。うちさ、母親がああだし、兄貴が看護師だったりするんで、病人に慣れすぎてるんだよ。つい、実務的な態度になりすぎたかもな」
ちょっと困ったように言った。
目の前にエプロンとボタンダウンの白シャツの襟元、そこから覗く首元とか喉仏が上下するのが見えて、間近で響く声とか体温とかがチョクで伝わってきて、なんだかドキドキする。それ以上に、泣きたくなるくらい安心する。
諒だ。
私の、諒だ。
そうっと顔をあげてみたら、申し訳なさそうに見つめてくる諒と至近距離で目が合った。
うう。やっぱかっけーな。
「弱ってるのに、寂しくさせてごめん。俺の彼女なのに。甘やかしてやれなくて、ごめんな」
いえいえこちらこそ。すっかり世話になっておきながらわがままばっかりで申し訳ありやせん。
とかなんとか言おうと思ったものの、ぶんぶん首を横に振って応えるのでいっぱいいっぱいです。
だって、諒が。
「あい子」
やたらに甘ったるい声で私の名を呼ぶから。
長い指が、髪とか頬とか耳元を愛おしげに撫でて。
くしゃくしゃ乱雑に撫で回していたのが嘘みたいに優しく、そっと私を引き寄せて。
半眼に瞼を伏せ、軽く顔を傾けて、唇を触れようとして。
そのとき、私の唇から洩れた声は、
「うどん」
すこっ、と肩すかしを食って、諒は空振った。はははは。わざとです。やーいやーい。
「あい子、あのなあ……」
「うどん、伸びちゃうよ。食わしてよ」
「だからって、このタイミングで」
粉末レベルまで雰囲気を粉砕され、さすがに彼もフテた。
宥めるように、彼の胸とか腕のあたりをパタパタして、苦笑しながら言い訳する。
「いや、あのさ。嬉しいけど、止めとこうよ。感染るよ。諒に感染ったら、聡美さんも危ないんだから」
「大丈夫だよ。どのみち、あい子さんが治るまで帰ってくんな、って圭兄に厳命されてる」
「え。じゃ、諒、うちに泊まんの」
帰んないんだ。居てくれるんだ。
「そう。治るまで居座ってやるから、出てってほしければ大人しく療養に励むんだな」
いや別に出てってほしいわけではないけど。むしろ嬉しいけど。だからって調子にのって説教され続けるのはたまらんな。
などという私の心持ちを正確に読み取り、諒はおもしろそうに私を見やった。
「というわけでお望み通り、うどん食わしてやるよ。はい、あーん」
お椀と箸を手にとって、私に向かって数筋のうどんをつきつける。
「ほれ、口開けな」
「い、いいよ。自分で食べられるし」
「ダメ。いいからほら、あーんしろ、あーん」
動物の給餌に近い感じの“あーん”でほどよい温度のうどんを口に突っ込まれた。
「どうよ?」
「……美味しい。です」
「そうかそりゃよかった(棒)。はいもうひとくち、あーん」
彼氏の膝に乗せられ、手ずから「あーん」で食わしてもらってるにも関わらず、なんですかね、この白々しいクールなエアーは。
「諒、ね、今度は卵食べたい。レンゲでかき玉のとこちょうだい。青ネギも入れて」
「ああこら、汁がこぼれる。ちゃんと食えよ」
「だから自分で食べるっつってんのに」
「甘やかされたいって言ったのあい子のほうだろ」
「だったらもっとうまく食べさせてよ」
この後、誰しもが予想されたと思いますが、お約束通りにきっぱりばっちり諒に風邪が感染ってしまい、圭さんにアホの子を見るような目で呆れ果てられ、修くんに同情され、聡美さんに笑い転げられ、博至さんに生温かく見守られましたのでございます(恥)。




