22.風邪ひきあい子さん(前編)
風邪をひいた。
ぞくぞくっと寒気がして、ヤバい、と思ったときにはもう遅い。悪寒、発熱ののち、咳、鼻水、喉の炎症、倦怠感と、ひととおりの症状が出ました。あーだるい。うーしんどい。
「決算終わった直後に風邪ひくあたりが律義だよな」
と、諒が若干呆れ気味に言う。
経理職場は、伝票整理とか領収書仕訳とか事務仕事を淡々こつこつこなす地味めな職場と思われがちですが(実際地味めではありますが)、そんな職場にも仕事の山場的なものはある。
経理にとってそれは、決算、監査、株主総会が三大山場でございます。つい先週、その華々しく絢爛豪華にしてドラマティックに情熱的な業務(嘘)、年度決算が終わったところ。
担当してた部署の部長が2週間ぶんの領収書をせき止めていたことが発覚し、いやーごめんごめん、とか、へらへら謝られて、気をつけて下さいよ-、と無表情で応えつつ、脳内で部長のポマード頭をボコボコにしながら必死で(結構本気で)間に合わせた、涙の決算(ちょっと嘘)でございました。
「頑張っちゃったんだろ。きっと気が抜けたんだな。ゆっくり休めよ」
同じ職場で同じ業務をこなし、かつ自分ちの家事までしていた諒に労られると、なんか情けな申し訳なくなってくる。うう、すまないねえ。
「諒は大丈夫なの?」
我ながら違和感MAXな鼻声で尋ねると「俺はヘーキ」とドヤりやがった。
「ビタミンCサプリ毎日とってるから」
とか、何その昭和のお母さんみたいな風邪予防。
お若い方々に解説しよう。(私もわりかしお若いんだけどね。)
昭和40年代半ばくらいに、一時ビタミンC信仰みたいな流行りがあったらしいのよ。風邪ひくとビタミンCの錠剤をザラザラ飲むの。諒はそれほど極端な摂り方してないみたいだし、適度なC摂取はまあ結構なことですね。
なにがどうあれ、諒が元気なのは喜ばしきことだ。
高橋家では風邪などの感染症にたいへん気をつかう。
玄関に二重の扉が施され、ハンディ掃除機とか除菌スプレーなどが装備されています。外出から帰った者はそこで着衣をバキュームしたり除菌スプレーしたり、かつ、洗面所に直行してうがい手洗い、手指の消毒とか場合によってはマスクしたりするわけね。
何故にかといえば、高橋家のお母上、聡美さんの持病は自己免疫症状といって、免疫機能が自分の身体を攻撃し、自身を損ねてしまう疾患だそうで。なので、免疫を抑える薬を服用する場合があるのです。そうすると当然免疫力が落ちるので、めちゃめちゃ風邪ひきやすい状態になっちゃうそうな。
免疫ない状態での風邪ひきとか、結構ヤバいそうなんですよ。
そんなわけで、週3で高橋家で飯食ってる私としても、おとなしくひとり暮らしワンルームで寝込んでるしかないわけです。早いとこ風邪菌を抹殺し、聡美さんの身の安全を確保せねば。ごほごほ。あ、咳が出るのも身体の防衛機能なんですってよ。がんばれ我が免疫よ!
相変わらずかいがいしいオカン系彼氏様は、スーパーのレジ袋をガサガサぶら下げて看病に訪れ、いろいろ世話を焼いてくれております。エプロン姿が眩しいぜ……。
「まだ咳おさまらないな。薬、服んだか?」
「あ、忘れてた」
「ちゃんと服んどきなよ。薬の前になんか食べた方がいいな。うどんつくれるよ、食べられそうか?」
「ありがと。食べる。お腹すいた」
「熱もだいぶ下がったみたいだけど、まだ熱いな。汗かいたろ、着替え出しとくよ。シーツも替えるか」
何これ天国か。ありがたすぎる。
もそもそとベッドから起き出し、ローテーブルにセットされた小鍋とお椀を覗き込む。彼氏のお手製かき玉うどん (はあと)。はーシアワセ。
小鍋から塗りのお椀によそったうどんは白だしのあっさり仕立て。溶き卵を糸みたいに細く垂らしたかき玉がふわふわと泳いでいて、刻んだ青ネギがたっぷりあしらってある。
あ、これ、汁に少しとろみがつけてあるんだな。緩いとろみがうどんに絡んで、片栗粉の照りつやに化粧されてるみたい。絶対美味いこれ。
添えてあるのはきゅうりの塩昆布和え、青じそも刻んでまぶしてある。
カンペキだ。素晴らしい。持つべきものは料理上手の彼氏ですね!
一人暮らしの風邪引きの侘しさを噛みしめたことのある者には、このありがたみがしみじみ沁みまくる。
ではでは、いただきまーす。
「あい子、シーツの替え、どこ? ちゃんと整頓して小まめに替えたほうがいいよ、布類ってしまい込んでおくと古着くさくなるから」
「使ったタオルと使ってないのごっちゃにするの止めなよ。洗濯んとき紛らわしい」
「あ。寝ながら本読んでたな? 少し控えた方がいいよ。視覚情報処理って結構体力使うらしいんだ。風邪の回復にはしっかり睡眠。本読んでないで、ちゃんと寝なよ」
……ありがたいけど、小うるさいな。
「食ったら薬服んで、汗拭いて着替えて寝ろよ。横になってるだけじゃなくて、ちゃんと眠れるように努力すること。わかった?」
「あ。歯磨き忘れんなよ? かったるいからって食ってそのまま寝ると虫歯になるぞ。ただでさえ抵抗力弱ってんだから」
「あい子。鼻かんだチリ紙ベッドに置きっ放しにするな。こーいうのにも風邪菌がいるんだから、きちんと始末しとかないと。ビニル袋置いてあるだろ」
…………。うん。はい。わかりましたー(渋々)。
世話焼いてくれてありがたいし、助かるんだけどさ。おっしゃることはごもっともなんだけどさ。
うるっさいなあ、もう。
とか思っちゃうのは、ついつい母ちゃんに甘えちゃう子どもメンタルなだけであって、圧倒的に諒が正しいのはわかっちゃいるが、うるさいもんはうるさい。
なんだよもう、がみがみくどくど。
だいたいが諒は、訪ねてきて「どう?」と病状を確認した後、むー、と眉根を寄せて私の病人スタイルに説教をかましたのだ。
転がってたテレビのリモコンを見て、いわく、
「また時代劇のDVD見て夜更かししてたろ。ちゃんと眠らないと回復しないぞ」
アイスクリームの空き容器とか棒を片付けながら、
「食欲ないからってアイスばっか食うな。ちゃんと食事しないとダメだろ」
ヒマだし、この機会に読み返したくなってネットで大人買いした「剣客商売」文庫本、番外編も含めて21冊セット、隠しといたにも関わらずベッドの下から発見し、
「何のために休んでるんだ。遊んでないでちゃんと治せよ」
と、溜息交じりにのたまわれたものです。
その後、しょうが湯つくってもらってベッドに放り込まれ、ひと眠りして起きたらまたしても説教三昧、という次第。
眠ってる間に諒は、そこいらの片付けだの買い物だの洗濯だの病人食の調理だのきりきりコマコマ働いてくれてたので、そりゃもうありがたいんでございますけどもさ。
……なんかさー。風邪ひいて彼氏に看病してもらうの、ってこういうんじゃなくない? もっと、こう、あの、アレだ。おでこくっつけて体温確かめる的な例のヤツとか、そこまでベタなことやらんでもいいけど、もう少し「大丈夫か?」的にいたわられたりとかさ。
あまりにもマザーだよ諒。実家の母と変わらんよ。このままだと「あんたもいい年なんだし、しっかりしなさいよー」とか日頃の生活態度と人生設計へのお説教にスライドしかねないよ。彼氏なのに。カレシ! カタカナで表記したところで変わらんけど、カレシ!なのに!
(発熱によりアホさマシマシ口調で失礼致しております)




