20.魚料理と、白花豆のフリット
詳細な具体的顛末を省いて、
「私さー、高橋諒とつきあうことになったっぽいよ」
と、報告してみたら、三枝眉子は
「ようやくかよ」
と呆れた顔をした。
またしても例のスタンドバーに2人で訪れております。
眉子さまは相変わらずの飲みっぷり。細身のフルートグラスを傾け、淡い金色の液体がスーッと喉に流れ込んでいく様がタイヘンに色っぽかっこよい。
本日の口開けは私のおごりでスペインのスパークリングワイン、カヴァ。
「それにしても“…っぽいよ”ってなんなの、その伝聞推定の文体は。はっきり言やいいのに」
なんだかんだで眉子には気を揉ませたようで、ていうか、わりとしょーもなく巻き添えにしてしまっておりますからな。ちゃんと報告しないとな、と思いつつも、でもなんか照れくさくて、そっぽ向きながらヘンにぼやかした感じになりました。ほっとけよ照れんだよ伝われよ。
明後日の方向むいてしらばっくれてたら、いきなり腰を抱かれてぎゅむーっと引き寄せられた。
な、なにをなさるの眉子さん。こいつ時々、芝居がかった強引口説きごっこをしかけてくるんだよな。
「あい子がそんなふうに照れてんだかビビってんだか腰が引けてるから、こんなややこしくこじれたんじゃないの? 素直になりなよ」
「……別にこじれてないじゃん」
「結構モダモダしてたよ。私から見ればね」
いい大人が何やってんだか。と、呆れたように言い放たれ、返す言葉もございません。
「んで? 今日は高橋さんは?」
「今日は掃除当番っつってたかな。さっさと帰ったよ。眉子にもよろしくって」
「へー。マメに働くねえ。偉いなあ」
「掃除当番サボるとお母さんにエラい目に遭うらしいよ」
「あーまあ、掃除当番はしょうがないかもね。で、どんな目に遭うの?」
「竹中直人の“笑いながら怒る人”のハイパー版、だってさ。怒れば怒るほど静かにニコニコして、でも目は全然笑ってないからすげえ怖い、って言ってたよ」
「なんかよくわかんないけど怖そうだわ」
と、くだらない話でたらたらとグラスを空けつつ、ちょいちょいつまみと酒を追加。また飲み過ぎて二日酔いさまをお迎えするのは勘弁なので、セーブしようと思いつつも、眉子と飲むの楽しいからつい進んじゃうんだよね。
「あ! そういやさ、高橋のマザコンとかキャラ偽装はどーいう噂になってんのかな。全然情報入ってこないんだけど」
先日来、高橋の噂をとんと聞かない。マザコンの話にしろ、私絡みのこともまったく音沙汰がなく。そして、なんだか妙に生ぬるい視線で見守られているような気配がする。そこはかとなく。
「あーそれね、テキトーに噂流しといた」
こともなげに眉子は答えた。
「なにテキトーって。どんな噂よ? 何を暗躍してんのあんたは」
ふふーん? と、この女は楽しげに笑い、お酒もらってこよーっと、と、さらりと追及を躱していきおった。
三枝眉子が“総務の魔女”という異名を持つことは、つい最近になって知ったんすよ。
この女は一見楚々としてさりげなく控えめでありつつ、気がつくとごっつい量の仕事を完遂させていたり、他部署からの無理無理なごり押しをいつの間にやらいなしていたり、ごん太い事柄をしれーっとこなしてしまうのだそうです。
「ちょっとちょっと、それで、どんな噂を流したのさ。教えれ」
シェリー酒のグラスを手に戻ってきた魔女は、んふふふー、とごきげんに笑うばかりで話になりません。
うわーん。
眉子さまには敵わねえや。と、敗北の酒を呷っていたらば、背後からグラスを奪われた。おい何すんだよ返せよ私のモヒート。
「そんくらいにしとけば」
窘める口調に振り向いたら、呆れた顔の諒が立っていた。
「あれ。どしたの、掃除当番は?」
「やってきたよ。今日はあんまり散らかってなかったんで、そんなに手間取らなかった」
さりげにグラスを取り戻そうとするも、返してくれない。ちっ。
「三枝さんから迎えに来るように、って、連絡もらったんだ。いいタイミングだったみたいだね。それ以上飲まない方いいんじゃない?」
ほら、水。と、この店の定番、キュウリの入った水を渡される。
むー。と、眉子のほうを睨むと、にっこり微笑んでひらひらと手を振ってきた。
「お疲れさま、高橋さん。お迎えご苦労様」
完璧な笑顔です。お美しいです。眩しいです。
魔女の暗躍とオカン系彼氏(きゃっ。照)の連携により、あっさり酒を奪われて連れ去られるあい子さんなのでした。
後日、聞いたところによると、以下のような噂がまことしやかに伝播しているらしかった。
高橋諒は料理を嗜む趣味があり、かなりの腕前なのだけれど、“男が料理なんて”と古くさいセクシズムに煩わされた経緯があり、母親を隠れ蓑に隠していたらマザコンと勘違いされ、偶然、芹沢あい子にそのことが知れて、“しっかりしなさいよね。甘えんな”的に一喝され、それがきっかけで互いに意識するようになって、つきあってるらしいよ。
なんだそれ。と不服なツラをしておりますと、諒は
「三枝さんがうまいこと収めてくれたんだろう」
などと、納得しているふうだった。
「母親の病気のこととか、家族のことあんまり言われたくないしさ。大筋は間違ってないんじゃない。特に、あい子に一喝された、ってとこね」
と、なんだか照れくさそうに笑った。
「あの時の啖呵、すげー効いたし。痺れたよ。かっこよかった」
いやあの、それはさ。諒がハンパ対応のへっぽこ野郎だったってだけじゃねえの。
と、内心でツッコミつつ、彼がなんだかやけにふわふわ甘々と見つめてくるので照れた。なんだよこっち見んなよ。
そして、尾ヒレに付け足された“高橋諒は意外とヘタレ”という噂は、面倒被った眉子の意趣返しだと思う。もしくは、単に本音。
眉子、あいつめ。
「さて、どうする、諒? スーパー寄ってくよね?」
最近は、高橋家で夕食→うちまで送ってもらうのがすっかり定番化していて、週3くらいで飯食わしてもらっている。
スーパーに買い出し行くのがデートコース、ってどうなのそれ。とか思いつつ。
「今日は魚食いたい気分かなあ。どう、あい子は?」
「うん、いいね。ムニエルとか、パン粉まぶしてオーブン焼きとか、そーいうの食いたい」
「あー、そっち系ね。おっけ了解。そうだ、北海道産の白花豆、いいの見つけたよ。とりあえず父さんのリクエストで甘く煮つけたから味見してよ。半分は味つけしないで水煮にしてあるけど、どうする?」
「でかした、諒! フリットにして魚に添えよう。パルメザンチーズと黒胡椒で」
「はいはい了解」
というわけで、カンペキに餌付けされているのでした。
なんだよ悪いかよニヤニヤすんなよ(爆照れ)。




