19.降参
実は昨日。愉快な酒豪女王・三枝眉子さんとの飲みの顛末で、こんな経緯がありましたのです。
いいかげん酔っ払ってきてご機嫌な眉子(呼び捨て)は、何杯目かのマールのグラスを片手に、私にからかうような目線を投げてきた。
ていうか、ずーっと「ふふーん?」とか意味ありげにニヤニヤ笑ってばっかりいるんだけどな。そんな様もかわいいよ眉子! ほんのり赤みのさした目元が色っぽくて素敵よ!
とか余裕こいてられたのもこのあたりまで。
「ねえねえ、あい子さん。なんであのとき、あんなにエキサイトしちゃった訳?」
探るような目で、下から覗き込むようにして尋ねてくる訳です。尋ねる、って言っても、答えはわかってる、と言いたげに。
「あのとき、って、給湯室の、あれ?」
「そう、あれ。っていうか、それしかないじゃない」
なにしらばっくれてるの? と蠱惑的な流し目が炸裂する。何このお色気地獄。
「なんだかねえ、あんな剣幕で怒鳴りつけるなんて、あい子さんらしくないよねえ」
「私らしくない、って。うーん、そう言われてもなあ」
妙に粘着されるのにも困ったし、その時点で私も酔いがまわってきてて思考が鈍ってた。どうして? うーん、どうしてだろう。
自分でもよくわからずに、塩漬けオリーブとか摘まんでたら、いきなりガッと手をつかまれて、指先からオリーブをばっくり食われた。
ま、眉子さん、何をなさるの。指ごと食われるかと思った。
もぐもぐしながら、じろりと睨んできて、
「気に食わないよね。そうやって、自分には関係ない、みたいな顔しちゃってさ。永世中立の俯瞰で眺めてる傍観者のつもりでいるんじゃないの」
苦情を申し立てられてしまった。
「……何言ってんの、急に」
酔ってんの? と気遣うと、くすっと笑った。酔ってるけど、正気だよ。とか矛盾した台詞を宣って、それから、ふふふふ、と、さらに楽しそうに笑う。
「でもさ。そうやって、自分は関係ない、ってつもりでいたくせに、ムカついてるんじゃない? どうして、はっきり言ってくれないんだろう、って」
それから、私に顔を近づけて耳元に唇を寄せ、ゆっくりと囁いた。
「本当は、わかってるんじゃないの?」
「…………やべえ。やっべえ色っぽい! 今のはぞくぞくキたよー、あやうくオチるとこだった!」
と、ふざけてごまかして、眉子も「なんだ、オトしたかと思ったのに、残念」とか、ごまかされてくれた。
そんな顛末が脳裏によみがえってきて、で、目の前では高橋が思い詰めたような表情で私を見つめているわけなのですよ。
わかってる。知ってた。
知ってたけどさ。
「あのね」
私が口を開くと、高橋は固唾をのんで身構えた。「待て」を食らった犬みたいでちょっと笑った。
軽く自嘲気味に溜息をついて、両手をあげた。降参、のポーズ。
「あのね、違うの。私も、ごまかしてた」
「……?」
彼は、今度はビクターのマークの犬みたいに首をかしげて、私の台詞の続きを待った。
「高橋さんのことは、ずっとイケメンだなあ、かっこいいなあ、って思ってて。だから、面倒くさいから避けてた。注目度の高いモテる人に近づきすぎると、人間関係がややこしくなるから。
私は圏外です。って、勝手に降りてた。そのつもりだったんだよ」
高橋は、意外そうに驚いて目を見開く。何か言おうとして、それから、私の話を最後まで聞こうと思い直したらしく、黙って促した。
「つまりさ、私も見た目で判断してたの。思いっきりツラの皮で態度を決めてた。
イケメンだから好き、っていう人の方が素直だよ。イケメンだから面倒くさい、避けておこう、なんて。傲慢だし、失礼だよね。
だいたい、圏外とか圏内とか、決めるのは私じゃないのに。高橋さんの気持ちなのに」
「だから、“女の人はツラの皮めあてで一方的”って話を聞いたとき。なんか、あれっ?と思った。そのときはなんだかよくわからなかったけど、思いっきり刺さってた。単純だよ。図星食らってショック受けたんだ」
あのとき感じた、“なんか”違和感、その正体はそれだった。
“女の人はみんな俺の顔ばっかりもてはやす”
“でも、あい子さんは見た目で判断しない”
全然そんなことない。
誰よりも見た目を気にしてたのが私で、そのことに気づきたくなくて、“圏外”とか予防線張ってた。
本当は、ずっと。
「ずっと前からさ。高橋さんがつくってるって知らなかったときから、高橋さんのお弁当、いいなあ、って思ってた」
「弁当?」
いきなり話が飛んだので、彼は、「へ?」と怪訝な顔をする。
そーいう顔も絵になるよね。このイケメンめ。
「うん。すごくセンスいい。食べることが好きで、食事を楽しもうとする意識が明快で、創意工夫にあふれてて。
おおげさに言うとさ。この人は人生楽しんでるな。って、そういう感じ。高橋さんのお母さん、いいな、って思ってたんだ。料理って人柄出るよね」
「そうしたら、そのお弁当は高橋さんがつくってた、って聞いて。めっちゃ動揺した。ただのイケメンだと思ってたから」
正直すぎる発言に、高橋は苦笑する。私はやけくそ気味に続けた。
「ご馳走してくれた夕食もすごくおいしかった。今日の、修くんの献立もよかったけど、あれも全部、高橋さんの影響だよね。献立の立て方とか、味つけとか。きっと高橋家の味は、高橋さんがつくってるんだ。
私、高橋さんのごはん、すごく好きだよ」
「………あ、うん。それはどうも。」
ふーー。っと、思いきり息をついてみたものの。
なかなか決定的なことを言う勇気が出ない。
「でさ。あのとき、あんなキツい言い方になっちゃったのはさ。だからつまり、逆ギレなんだよね」
なんだかもう、泣きそうな気持になって、ぐちゃぐちゃだ。
声が震える。
「なんだよ。あんたイケメンなのに。面倒くさいのに」
「…………」
「モテまくってちやほやされて、そのままいい気になってりゃいいのに、ちゃんとゴハンとかつくっちゃって」
「…………?」
「お母さんや家族を大事にしちゃってて」
「……あい子さん?」
「エプロン似合ってかっこいいし。ひたし豆もしぐれ煮もおいしかったし。こないだの角煮ももっかい食べたいし」
「あい子さん」
「その上、私のこと好きだなんて言うし」
「あい子」
いつの間にか向かいから彼の手が伸びてきて、私の手に触れた。節の張った長い指、骨張った男の人の手が、そっと、私の手を包む。
「……勝手に呼び捨てとかするし」
「うん。ごめん。それから?」
「手とか握るし」
「うん。それで?」
「高橋諒のくせに」
「……のくせに?」
「ちゃんと言って、あい子さん」
「……私いま、絶対、顔赤くなってるし。勘弁してくれないかなあ」
「そこは頑張ろうよ。ほら、言ってみ?」
「調子にのるなよ」
「…………頼むよ、あい子さん。俺も切実なんだ」
高橋の手は微かに震えてる。
なんだよ、この期に及んで。あんなこと言っといて。
しょうがない。
降参だ、降参。
「諒」
「あんたが好きだよ」
高橋諒は顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに笑った。
くっそぅ。かっこいいなあ、もう。




