キミが一言「いかないで」と泣いてくれたなら
僕が彼女と出会ったのは、随分と霧の濃い森の中だった。
僕は森の中に一人きりだったんだ。経緯は不明。持ち物無し。
最初、足音が聞こえてきた時は体が固まった。
だって森の中だぜ? 人とは限らねぇから。
でも段々とはっきりしてきた輪郭は人のもので、赤色のローブがよく目立った。
顔をフードですっかり隠していた彼女は、僕を見て足を止めた。
「ああ、また来たんだ。お帰り」
はて? 僕は此処へ、前にも来たことがあっただろうか?
首をかしげた僕を、彼女は自分の家へ招いた。此処から帰るのは容易では無いようで、とりあえず一晩は泊まっていくのが現実的らしい。
一本の大木に、寄り添うように建てられた一軒家。外観は随分と小さく見えたけれど、入ってみたら二人でも大分余裕がある。五人くらい一緒に生活出来そうだ。
「その右の部屋使って。着替えはクローゼットの中に入ってるから」
指定された部屋の戸を開けると、何やら懐かしい匂いがした。全く覚えて居ないけれど、それほど昔に本当に来た事があるのかもしれない。
古い書き物机。アルファベットの書物が覗く本棚。真っ白なシーツの敷かれたベッド。あまり生活感が感じられない寂しい部屋に見えるけれど、不思議と居心地は悪くない。
そんな僕の目に、ベージュの扉が映る。たぶん、アレがクローゼットなのだろう。
細い鉄製に取ってを掴んで引いてみる。……あれ? おかしいな。もしかしてコレは押すタイプの扉か? グっと力を込めて押すけれど、やっぱりクローゼットの戸は開かない。
「ごめんなさい。クローゼット二つある事、言うの忘れてた」
唐突に聞こえた声は、彼女のものだ。しかし、視界をよぎったのは紫色のローブでは無い。薔薇のような赤い髪だった。
うっわ、可愛い子。目が赤とは正反対の紺色なのに反発していなかったのも大きいと思う。彼女は、ずっと見ていたいと思う女の子だった。
思わず見とれていたら、クスリと笑った彼女がコンコンコンと、華奢な手でクローゼットの横の壁をノックする。
「そっちのクローゼットは大分前に開かなくなっちゃったの。貴方の着替えはこっちに入っているわ」
「……僕の?」
「ええ、貴方が使うお客様用の」
ああ、一瞬僕専用の着替えが有るように聞こえていた。そうだよな、僕は前にも此処に来た事があるようだけど、覚えてないほどガキの頃だったはずなんだ。仮に僕専用だったとしても、今切れるものが入っているわけ無い。
「着替えたら、しばらく暇潰しでもしていて。なるべく早く支度するつもりだけれど、美味しいものは一瞬じゃ出来ないから」
ローブから着替えたワンピースの上にエプロンを装備して彼女は出ていく。森で拾ったに過ぎない僕に対し、あまりに親切で疑問を持たざるを得ないけれど……辞めた。考えるのがダルい。
しばらくして出された夕食は、柔らかそうな白パンと、カルボナーラと野菜スープだった。
「ごめんね。ご馳走にしたかったんだけど、有り合わせになっちゃった」
いや、匂いでもうお腹いっぱいです。絶対美味いよ。しかも、ローストビーフを綺麗に並べた皿とポテトサラダまで出てきた……。
お礼を言って、ありがたく美味しそうなスープを一口。……ん? 知ってる味だ。それに何だろう? 胸の奥底から、すっげぇ安心する。
「不味かった?」
心配そうに尋ねてくる彼女に「ううん。逆! めちゃくちゃ美味い」って、笑みを浮かべたら、向こうも同じように笑ってくれた。
それから二日、三日と……。僕はずるずるこの家に居着いている。
というのも、一日目に寝て起きたらこの家全体を真っ白な霧が覆っていたからだ。元々霧が半端じゃ無い場所だったけれど、そんなの目じゃないくらいに。
「こんなに視界が悪いのに、森を抜けるなんて無謀よ」
「ですよねー」
だから、借りている部屋のベッドの上にゴロリと今日も寝そべる。
此処でやる事は、本を読むくらいだ。初めは、彼女に何か手伝いとかは無いかと聞いたが、何も無いとキッパリ言われた。
はぁ、ダメだ。このままだとダメ人間になっちまう。
すると、服を着替える時にどうやっても開かなかったクローゼットの扉が、急にキイィ……と開いた。こわっ……。
とりあえず閉めとこう。あと、彼女にコレが勝手に開いたことも報告しておこう。
そんな事を思っていれば、中で何かが光り、反射的に僕の好奇心が中を覗き込めと訴えてきた。
ちょっとだけなら良いよな。物を盗むわけじゃ無い。
中にはあまり現代でお目にかからない服が何着もあった。
中世ヨーロッパの貴族が着てそうなジュストコールにジレにキュロット。
うわ、これはファンタジーの映画で見たことがある鎧だ。光ったのはたぶんコレだ。
もう一着は……あ、これは今でも一部で見れる。燕尾服だ。
此処は、彼女のコレクションルームなのだろうか? 男物ばかりだから、最初の日、見られないようにとこの部屋へ慌てて入って来ていたのなら可愛い人だな 。
そう思って扉を閉じた僕の背後に、人の気配があった。しまった彼女にバレた! と、振り返ったら、
「ム……カエ、キタ……」
皮膚を全て剥がれたとしか思えない剥き出しの肉の体。異様なほどでかくて丸い闇色の目。不規則に並んでいて、突き出していて、かつ凶悪に鋭い牙。背中にも角のようなおできがあり、僕を上から覗き込むように前のめりになっているが、まともに立てば全長三メートルくらい有りそうだ。
そんな化け物に、何故か僕は恐怖では無く、既視感を抱く。
何だこれ? 今、叫ぶとこじゃねぇの? みっともなく這いつくばって、漏らしてもおかしくないってのに……。
「待って! まだ連れて行かないでっ」
そんな僕を庇うように、化け物との間に彼女が割り込んで来た。
「おねがいっ! 次いつ逢えるか分からないの。ただでさえ寿命を終えなきゃ逢えないんだから、あと一日! あと一日は一緒に居させて!」
「モウ……、ジュウブン、マッタ……」
「きゃうっ」
化け物の手が、地理でも払うかのように彼女の体を真横の壁まで飛ばした。髪と同じ、真っ赤な血が腕から流れている。
「イコ――」
「せめて、彼女の怪我を治してからじゃダメか?」
言葉を遮って、何を言っていんだ僕は……。
自分でも呆れるような事を口走ったけれど、意外な事に化け物は「ナゼ?」と会話に応じてくれた。
「短い間だったけれど、彼女は衣食住を確保してくれたから。ちゃんと恩を返したいんだ」
しばらく化け物は黙り込み、ダメかな? とこっちが不安になった頃、「ワカ……ッタ」と告げ、何処かへ戻っていってくれた。
幸いにも彼女は気を失っておらず、苦痛に耐えながら救急セットの位置を言い、僕に手当てさせてくれた。見た目に反して、それほどひどい怪我じゃ無くて良かった。
ペト。
手当てし終えた瞬間、僕の指先に偶然にも彼女の血が付着。その直後、ズアッと頭――否、魂の底から知らないはずなのに、知っている映像が見えた。
建物からして外国? 中世っぽいが、ちょっと待て! 獣の耳付いてる人とか直立二足歩行のトカゲが居るぞ。
『エリデルーンは、もう駄目じゃ。聖女様が透視水晶で見たところ、死病にかかっておらぬ国民がもうおらんそうじゃ』
『何という事……』
『他国もとうに交易を打ち切っておる。国で最も優秀な医療チームも皆死んだ』
絶望的な雰囲気の爺さん三人……一人と二匹(?)。
そんな彼らの元に、僕に似た身なりのいい男が現れた。
『国王陛下。私はこれ以上、民が死んでゆく姿を見て入られません。ですが、もはや現世に生きる我々には手に負えぬ問題です。故に、この身を悪魔に捧げ、悪魔との契約により特効薬を手に入れます』
『なっ! 何を言っておる! 其方はエリデルーンの第一皇子! そのような勝手な真似は――』
『国王陛下……いいえ。父上が東塔に閉じ込めている魔女と、既に話をつけています』
『随分前から、あの魔女と懇意にしていると報告があったが……あのような売女に誑かされたか愚か者!』
そう国王陛下に睨まれた皇子が、次の瞬間グッと拳を握って声を荒げた。
『彼女は売女では無いッ!! 貴方が優秀さと聡明さ、そして不老不死の体を妬み閉じ込めた何の罪も無い少女だ』
激昂する国王陛下を置いて、走ってその部屋から出た皇子が向かったのは、高い高い白亜の塔だ。
『レニエ、急いで儀式の準備を! あの調子じゃ頭に地に登った父上が塔に大砲を打ちこみかねない』
レニエと呼ばれたのは、赤い髪の彼女だった。
『本気だったの?』
『ああ、これ以上ただ指をくわえて見ているだけなど、私には耐えられない』
『でも……』
『頼む。キミの魔法が、最後の希望なんだ』
渋々承諾した彼女――レニエは、悪魔を召喚した。
さっきの化け物じゃねぇか。
『ナ、ニ……ノゾム?』
『エリデルーンを苦しめている病の特効薬が欲しい。国民全員に行き渡るように』
『ワカ、ッタ……』
皇子が願えば、塔を囲むように、外に大きな湖が生まれた。
『アレ……クスリ。スクナクナル……マエニ、セイブン、トカ……シラベルトイイ』
『ありが――』
王子が心の底から礼を言おうとした瞬間、悪魔目掛けてザバン! と、もの凄い水圧が襲いかかる。
振り返れば、部屋の入り口で聖職者と騎士が手をかざして呪文を唱えていた。
『お前達、何をしている! この悪魔は、国を救ってくれたのだぞ!』
『それとこれとは話が別です。王子を悪魔の餌にする訳にはまいりません』
騎士が、兜の中から壁で瀕死状態の悪魔を冷たく見下ろす。
そして再び水の攻撃が来る前に、皇子は悪魔を守るように結界を張った。
『どうやら皇子は、魔の者共に完全に魅入られたようですな』
そう囁いた聖職者の声は、どこか笑いを含んでいた。直後、斬撃系の魔法を繰り出して王子の体を切り刻んだ。
『皇子!』
レニエが悲鳴じみた声とともに、今にも気絶しそうな王子に駆け寄ったら彼女にも同じ魔法が繰り出された。
『悪魔にトドメを。皇子はまだ死んでいない、西の塔へ閉じ込めろ。魔女は地下で罪人共の慰み者にしておけ』
だが彼らが動く前に、悪魔が巨大な魔法陣を展開する。
『しまった! 瞬間移動を使えるという事は上級か!』
聖職者が目をも開いた時には、既に皇子とレニエを連れてその場から悪魔は姿を消していた。
そしてやって来たのは……この森だ。
皇子は横たわったままピクリとも動かず、レニエが座り込んで泣いていて、悪魔がそんな二人を覗き込んでいる。
『ねえ、悪魔。私もお願いがあるの。この人と、来世でまた逢わせて』
ああ。皇子の奴、死んだのか。
『…………ムリ。オマエ、シナナイ。ライセ……ナイ。ソレニ、コノ……オトコ、ケイヤクシタ。オレガ、クウ』
『だったら、彼の魂の代わりに私の不老不死の体をあげる。せめて彼を転生させて。食べないで』
悪魔は、それでは自分がしたことに対して対価が大きいと言った。
『じゃあ追加で、私の魂を彼の魂に寄生させて』
悪魔は考える。考えて、それだと皇子に逢えるのは、皇子が寿命でし盗んでんだけだが、それでも良いのか? と問いかけた。
『………え?』
『ジカン、キタラ……ムカエニ、イッテヤル』
『待って、私まだ応え――――』
映像が、全て消えた。ふと気がつけば、俺の顔を彼女もとい、レニエが心配そうに覗き込みながら頬に白い手を添えている。
「全部、見たのね?」
レニエの声が、涙を浮かべる瞳とともに揺れる。
僕は頷き、自分の身に起こった事を思い出した。
そうだ。僕はこの森にくる寸前、病院のベッドの上で横になっていた。容姿も本当はこんなに若く無いんもっとしわくちゃで、頭のてっぺんも寂しかった。
僕は今、寿命で死ぬ寸前なんだ。
「ごめんなさい……。私、気持ち悪いよね」
ずっと、ずっと、ずっと。
レニエは、最期の森の景色が広がるこの場所で、僕を待っていた事を謝り、自分を傷付ける言葉を吐く。
僕は……何をいうべきだろうか。
待っててくれてありがとう? それとも、謝らなくて良いよ。か?
違う。そんなのじゃ、この胸に溢れて来る感情をきちんと伝えられる気がしない。
「僕に会えたのは、何回なんだ?」
「……七回」
何百年も待ったに違いない。けれども逢えたのは、たった一桁の回数。クローゼットの服は、全部僕が此処で着た事がある物に違いない。鎧がなんであるのか気になるけど、そこはつっこまないでおこう。
「どうして、それでも待ってくれるの? 魂に寄生したら、離れられない?」
首を横に振る姿から、そうではないという事が伝わって来る。
「好きだから」
「本当にたまにしか会いに来ないし、君の事を覚えて無いんだよ?」
「それでも」
「僕は生きているうちに、君じゃ無い人を愛した事もある」
「知ってる」
「僕より良い男が、世間にはたくさん居るんだよ?」
「そんなの要らない。私は、貴方だけを愛してるの……!」
レニエはボロボロに泣いていて、僕は、自分がだいぶ意地の悪い質問をした事を自覚した。
ごめん。と謝る手が、僕の意思とは無関係に震え出す。悪魔の気配も、心なしか感じられるようになった。
もう、死ぬんだな。
今なら分かる。何度も何度も、この体験をした。彼女を一人、こんなに寒い場所に残して、一人だけ暖かな現世に戻る体験。
「ねえ。もう一度、『お帰り』って言ってくれるか?」
ごめん、一人にしてごめん。こんな事で喜ぶ男で、ごめん。
「うん。……お帰り、お帰り――」
僕は静かに目を閉じて、キミに
「ただいま」
――最後の言葉を告げた。
だって、数日前に言えなかったから。レニエに「行ってらっしゃい」と言わせるのは、酷な気がしたから。
下手くそな笑みをレニエは浮かべる。本当に、下手くそだよ。今思ってる事、そのまま曝け出せよ。例え泣いても……その後で僕は、君の笑顔を好きになるから。かつて、そうだったように。
次は、何十年後にキミにまた逢えるだろうか?
出来る事なら次は、ずっとキミと一緒に居たい。
お付き合いくださりありがとうございました。
以前書こうと思って放置していた短編を仕上げてみました。ですが気分がハッピーエンドを望まなかったのでこうなりました。れ、連載の第一部の最終話を仕上げないといけないのに私ときたら……。
次にいつまた短編を書くかは分かりませんが、見かけて興味を持たれたら、フラ~っと立ち寄ってくださるを嬉しいです。