7月8日(金曜日)B
瀬上杏子に案内されたのは学校から徒歩数分の距離にある喫茶店だった。クラシカルな雰囲気と紳士な客層を見れば、話し合いを落ち着いてするには最適な場所だ。
「ところで、あなたは誰ですか?」
席に着き注文をし終えたところで最初に口を開いたのは瀬上杏子だ。
「俺は安岡悟といいます。西南高校二年生、及川とはクラスメイトでした」
彼女の顔が微かに歪む。疑心、懐疑、敵意、全部あてはまりそうな顔だ。
「彼女とは生前に懇意にしていまして」
嘘八百、でまかせはこの際、仕方がないと割り切ろう。
隣の席の秋穂ちゃんからは、ギロリ、と睨まれたが。
「それだけの理由で?」
「いえ、一番の理由はこれなんです」
俺は懐から真新しい用紙を彼女に差出し、それを読ませた。それから数分後、彼女はどこか腑に落ちない様子を表しながらもしぶしぶと俺を認めたようだった。
「遺言・・・ですか」
「はい。それが不遇な彼女が最後に残した言葉であり、願いですから。
それを友人としてぜひ叶えてやりたい、と思うのは人情というものです」
その用紙は幽霊になった及川の頼みごとを聞いた翌日に書かせたものだ。友達だからという理由で、関係者に死んだ人間のことを尋ねるのは無礼過ぎる。
「生前に私がやりのこした物を見つけてください」という遺言の内容を一応の建前上の理由としている
「わかりました。私に話せることでしたら幾らでも協力をしましょう」
「ありがとうございます。じゃあ、まずは友達になった経緯でも」
「ええ。
及川さんとは中学の二年生の時にクラスが同じになりました。当時の私は他人とコミュニケーションを取るのが苦手で・・・お恥ずかしい話ですけど、クラスではしばしば一人でいることが多かったんです」
くすり、と含みのある笑いがどことなく少女の面影を残してる。
「そんな折に、及川さんの方から声をかけてくれて。
気が合っていたのか、同じ独り同士だったからなのか、それからすぐに私達は友達になりました」
独り・・・・・・ねぇ。
「私からもいいですか」
運ばれてきたオレンジジュースに秋穂ちゃんはまだ口をつけていない。
「姉は中学二年の冬頃から徐々におかしくなり始めました。丁度、あなたと友達になった時期です。
最初は帰宅する頻度が減るだけでしたが、三年に上がる頃には時々わけのわからないことを言うようになり、夏を過ぎるころにはもうほとんど家に帰って来ませんでした」
警察に捜索願いを出して受理されたが真っ当な捜索はされなかったらしい。
年間、数十万件の捜索願いが出されている現状で不良にまで労力を割くのは惜しい、というのが公僕の見解なのだろう。
「あなたはそんな当時の姉の唯一の友人でした。ですから、どうして姉がそうなってしまったのか、もし何か心当たりがあるなら聞かせて下さい」
それからしばらく、この空間は店内の音楽が支配することになった。
運ばれてきたカップを一口だけ、コクリ、と傾けた後、瀬上杏子は静かに語りだした。
「すみません。
及川さんとは良い友人関係を築いていましたが、心当たりは何も。
互いに私情には深く介入しませんでしたので」
「そう・・・・・・ですか」
「実は私もそのことが気にかかっていたんです。突然に友達をやめようと言い出されたのが、その時期・・・でしたから。
当初、学校側はそれを問題と捉えていませんでした。
及川さんは度々に学校を休むことがあり、家庭の方からも学校側に対して何らの申告もなかったようでしたから」
なぁ、及川、お前は全然独りじゃなかったんだな。少なくとも、お前が生きていた時から瀬上杏子はずっとお前のことを気にかけていた。
ようやく一人は見つけることができたようだ。
そんな視線を隣にいる及川に向けると、にこり、とした笑みを返された。
「もう一つ・・・もう一つだけ、聞いてもいいですか」
「もちろんよ」
「姉は・・・・・・あなたにとってどんな存在でしたか」
「彼女は、不思議な存在・・・でした」
氷のような表情がほころんでいるように見えるのは俺の錯覚だろうか。
「一緒にいるだけでいつのまにか落ち込んでいた気分が治るんです。まるで彼女から元気を分け与えてもらったみたいに。
周囲の人達は彼女を煙たがっていましたが、彼女と関わった人達は口をそろえて『変人』だと言いました。
私もその一人でしたけど。
人一倍に物事に打ち込んで、ハプニングに一喜一憂しては最後には必ず笑っていた。テストで良い点を取っても悪い点を取っても、『どうだ!』って言って満面の笑みを見せてくるんです」
目の前のこの女性は気付いているだろうか?
及川の過去を嬉しそうに語っている自分に。
「彼女の笑顔が大好きでした。それさえ見ていれば良かった。
家の押し付けられた教育で溜まったストレスも人脈作りのための友達ごっこも全部が苦痛だった。でも、彼女の笑顔さえ見れば、報われた気がした。明日も頑張ろうって気になれた。
彼女は沈んでしまった私の心を引き上げてくれた凄い子なんです」
嬉々として語る目の前の女の子は気付いているだろうか?
お嬢様の自分から、ただの少女の瀬上杏子の口調になっていることに。
「彼女は学校で爪弾きにされてたけど、人一倍に明るかった。誰かに認められようと頑張って頑張って、結局空回りしてばっかりだったけど、やっぱり最後は笑顔で」
瀬上杏子という少女は気付いているだろうか?
目元から涙を零してる自分に。
「自分の不幸なんか全然感じさせなくて、それどころか、私の心配ばかりしてくれて。
彼女の存在は、存在は・・・私にとってなくてはならない物でした」
「やっぱり、姉はそんな人・・・・・・だったんですね」
険しい表情の口元を微かに緩める秋穂ちゃん。
凍てつく氷のような肖像からただの年相応の少女になっている瀬上杏子。
二人は生前の及川という存在を共有している。
どうやら俺はこの場では部外者以外の何物でもないようだ。何一つ口をはさむことができない。
隣の及川も今までの情報収集の時より、随分と穏やかな顔つきになっている。
「よかった。・・・ほんとうによかったね。・・・お姉ちゃん」
少女になってる人間はもう一人いたようだ。
「瀬上杏子さん。今日はありがとうございました」
謝辞を述べて、俺達はグラスに残っている飲み物を飲み干した後、店内に出た。
蒸し暑い外はまだ明るい。だが、俺も秋穂ちゃんも今日はこれ以上の情報収集をする気はなかった。
互いに軽い会釈をするとそのまま別れ・・・
「一つだけ聞いてもいいですか」
ようとしたところで瀬上杏子は俺と秋穂ちゃんに向き合った。
「及川さんは遺言の他に何か残していませんでしたか」
両の手の拳が握りしめられていた。
「何でもいいんです。例えば、日記とかノートとか。何だったら写真でも・・・」
「いえ・・・」
その声を、
「いえ・・・姉は何も残しませんでしたよ」
その声を遮ったのは、秋穂ちゃんだった。
「そうですか。及川さんは遺言以外・・・・・・何も残さなかったんですね」
顔が俯いていた。
何かを堪えてるように見えた。
「それでは、私はこれで失礼いたします」
そう言って、瀬上杏子は元来た道を戻っていった。
俺達とは反対方向だ。
優雅に上品に・・・。
真っ直ぐに背筋を伸ばしながら。
もう、少女の面影は微塵もない。
俺達も家路につくことにした。
会話も何もない寂しい帰り道だった。
及川の奴は瀬川杏子と別れた時にさっさと帰っていきやがったから余計に寂しく感じてしまう。今日は、あーだこーだと落語家顔負けのせわしなさはない。
「あ、じゃあ、また明日」
家に着いた所で足を止めて、明日もよろしくと秋穂ちゃんに伝えたのはいいものの、
「・・・・・・・・・・・・」
なぜか返事はなく、そのまますたすたと歩く秋穂ちゃんの姿を見てどうしようもない寂しさが胸を貫いてしまった。
「あ、じゃあ、また明日!」
「・・・・・・・・・じゃあ、よろしくお願いします」
わずかばかりの沈黙の後、しぶしぶといった顔で返事をされてしまった。
え?俺と一緒はいやなの?
今日限りの特別?
心がまた寂しくなった。
聞き込みはもう十分だった。というより、これ以上あいつの罵倒や好き勝手に脚色された噂は聞くに耐えない。何よりも、それを及川自身に聞かせたくなかった。
へらへら笑っていつも誤魔化しているが、実のところ、その目はちっとも笑ってなんかいない。
痛々しいほどの空元気。
それでも今日は価値のある日だった。
明日はどうするか・・・。
及川の小中学の担任、クラスメイトには既に聞き込みを済ませていた。仲の良かった友達がいたかどうか尋ねたが、結果はなしのつぶて。
実際の所、ここ1週間で分かったことと言えば、生きていた頃の及川は誰からも嫌われ、蔑まれ、疎んじられていたという事実。誰一人としてあいつの側にいなかった。その代わりに、いじめ、ハブり、しまいには身体目的で及川に近付くやからは後を絶たなかった。
まともな話をしてくれそう人はいない。
瀬上杏子ならもしかして、とも思ったが・・・。
「悟、どうしたの?
そんなに怖い顔して・・・。
あ、今日のご飯がちょっと不味かったのかな?」
「あ、いやいや。そうじゃない」
及川が自分の作った食事を台所に持っていこうとしたのを慌てて止める。
夕飯時に考えることじゃなかったな。
「どうしても不味かったら作り直すけど」
「怖い顔っていうか、これが素の顔なんだけどね。
ちなみに俺はにらめっこで一度も負けたことがない!
フハハハッ!」
いつも勝った後に残るのは切なさだけだったけど。
俺の顔って・・・・・・そんなに怖いの?
「えへへ、そっか。
料理には自信あるけど、好きなものとか嫌いなものとかあったらどんどん言ってね。どんなにおいしくても嫌いなものが出てきたら嫌だもんね」
冷凍食品や即席麺ばかりではイケナイとの及川のお叱りにより、食卓に並んでいるのは手作り料理だ。
安い材料で良くもここまで、と舌を巻かざるをえないほどの出来栄えだ。
記憶がないとはいえ、身体は覚えているものなんだな。
「安心しろ。俺には好きと大好きの2つしかない!」
「悟って、女の子にモテたことないでしょ」
おいおい、それってつまり俺が単純な男だからか。
「残念ながらそれは違う。こう見えてもモテ期の時は三股、四股は当たり前だったんだぞ。
・・・・・・小学生の時は(ボソッ)」
「ぷっ、あははははは。
それってモテ期が小学生で終わってるってことなの?!
くくく、あっははは」
自虐ネタは諸刃の剣だが、受けてるならいっか。
「ははははははははっ。
あ~だめ~、お、お腹が、くくくっ、い、いたい~。
あはは」
ちょっと笑いすぎですよ、及川さん。それ以上はイジメです。
「ははは。
何だかこういうのっていいな」
「誰かと一緒に飯を食うのがか?」
「うん。
あとはね、自分の作ったご飯を誰かがおいしそうに食べてくれるのが。
悟は本当においしそうに食べてくれるんだね」
「うめェ物食べれば誰でもそうなるさ」
「ん・・・そう言ってくれて、ちょっとだけ嬉しいかな」
くすりとした笑みをこぼした。
大人びた愛らしい表情で。
だが、男を虜にする極上の笑みというより、それはむしろ女の子の無邪気な笑顔に近い。
今の及川は美しいよりも可愛いという表現がピッタリに思える。
「なんか、これが初めてな気がする」
「記憶が少しは戻ってきたのか?」
「うんうん、全然。これっぽっちも」
胸の前へ両手をもってくる。
それから及川はぎゅっと手のひらを握りしめた。
「でもね、どうしてかわからないのに、ここがほんとにあったかいの」
まただ。
また、突然に変わっていた。
はかない、と思った。
その仕草は男を魅了するにはあまりにも可憐過ぎていた。
触れただけで壊れてしまいそうな繊細なガラス細工そのもの。
普段の及川は子供みたいなのに、時折にこうして及川の『女』は顔を覗かせていた。
「よかった・・・な」
俺はその『女』から目をそらしていた。
どきどきと心臓のうるささが『女』に聞こえていないか気が気じゃなかった。
「赤いよ、悟」
耳に心地好いとろけそうな音だ。
「ほっぺた」
「あ、ああー、ね、熱でもあるのかなー。
あ、あはは」
何となく、及川千鶴という女を求めていた男達の情欲がわかっような気がする。
向かいのテーブルから身をのり出して「大丈夫」と言いながら俺の頬に手をあてていた。少し上から見上げるような形で黒い大きな瞳がじっと見つめている。
そして、ちょこんと音がした。
『女』が額を合わせていた。
無防備な『女』の顔をすぐ目先でさらけ出しながら。
その時だった。
懐から感じた微かな振動が、じっと止まっていた俺の思考を現実に引き戻してくれた。
「け、携帯!」
「ん?」
「携帯が鳴ってるみたいなんだ」
「そう」
額から自分のじゃない熱が離れていく。
俺はこれで良かったと思いつつも、少しだけ名残惜しさを残しまま電話に出た。咄嗟のことだったから着信主は確認していない
「はい、もしもし」
「夜分遅くに申し訳ありません」
「・・・・・・え?」
聞き慣れないソプラノの声に俺は一度耳から携帯を離し、表示されてるディスプレイを見た。
知らない番号だ。
「安岡悟さん?」
それもそのはずだった。
今日会ったばかりの人の声なんて聞き慣れなてるはずなんてない。
「瀬上杏子です。及川さんのことで、もしかしたらお役に立てるかもしれません」




