7.星空メテオと加藤ヤイバ
「くそがっ!」
俺は狼狽した。
寝転がる野郎どもを蹴っ飛ばす。
「おいお前ら起きろ!加藤がいねえ!あいつ一人で祠に行きやがった!」
馬鹿野郎。
馬鹿野郎、馬鹿野郎。
俺はそんな結末望んじゃいねえんだ、加藤。
「おい起きろって!このままじゃ加藤が、ミートパイになっちまう!」
俺はお前に一秒でも永く生きてほしいだけなんだ。
わかるだろう?
なあ?
わかるに決まってる。
そのとき俺は、加藤の想いに気づいてしまった。
血の気がさっと引いた。
俺たちは生まれながらの親友。
考えることも、きっと同じ。
「……そうか。加藤も俺に、一秒でも永く、生きてほしかったんだ……」
俺は獣のように吠えた。
「ラめるボおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
加藤!
加藤加藤加藤!
お前は本当に大馬鹿野郎だ。
俺は走り回る。
野郎どもの頭を蹴飛ばし、女どもの腰を踏み抜き、廃墟の中を駆けずり回る。
壁にぶつかる。
何度も何度も頭突きをぶちかます。
目の前が真っ白になって、壁に俺の血液がべっとりと付着する。
頭など割れても構わなかった。
知らん。
知らねえ。
頭なんか要らねえ。
加藤、お前はどうして……!
「ぐルぎャべぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」
俺を置いて行かないでくれ加藤。
頼むよ。
後生だ。
俺、今まで悪いことをたくさんしてきた。
ほんと人としてどうかと思う。
馬鹿じゃねえかと自分でも思う。
でもよ。
頼むよ。
ひとつだけ我がまま言わせてくれよ。
たったひとつだけ、我がままを言わせてくれよ、加藤。
生きてくれ。
それだけなんだ。
ほんと。
俺は、お前にはずっと生きててほしいんだ。
これは嘘じゃねえ。
嘘つきな俺の本心だ。
頼むから、何でもするから、俺を置いて行かないでくれ加藤。
俺はお前の幸せを願ってやまねえ。
幸福の思考回路なんていらねえ。
ほんとにほんとに、お前が幸せであればそれでいい。
それが俺の幸せなんだ。
俺はほんとに馬鹿だ。
なんでこんな簡単なことにも気づかなかったんだ。
俺の幸せは、俺個人ではどうにもならねえんだ。
俺の幸せは、加藤から生まれてくるものなんだ。
加藤から付随して沸き上がるんだ。
馬鹿野郎。
死ねよ俺!
マジで死ね!
「死に腐れ、死に腐れ、死に腐れッ!!」
なんでこんなこともわからなかったんだ!
頭突き。
がんがんがんがん!
何度も何度も頭突きをする。
「ジュジュむぎグううううううううううううううううううっ!」
頭突き。
頭突き。
がんがんがんがん!
脳裏に真っ赤な電気が走る。
「メテオくんッ!メテオくんやめてッ!」
「止めるなあさ美!」
「お願いだからやめてッ!メテオくん死んじゃうッ!」
「構わねえ!」
がんがんがんがんがんがんがんがん!
俺の中の脳みそがマナーモードみたいに痙攣する。
「……加藤くん。出発したばかりだから……」
「えっ?」
呼吸が止まった。
「……加藤くんが出るとこ、私見た」
「なんで止めなかったッ!」
「……口止めされたの。それに私……メテオくんが死ぬの、嫌だったから……」
「いつ出発した?」
「……二時間くらい前、だと思う。ねえメテオくん……ねえ……行かないで……?」
俺はあさ美の肩に両手を添えた。
世界一可愛いおめめをじっと見つめる。
「あさ美」
「……はい」
「俺はあさ美のことを死ぬほど愛している」
「……はい」
「お前と同じ時代に生まれてきたことを心底から感謝する」
「……はい」
「俺は・お前が・好きだ!」
「……はい」
「けどな。あさ美。あさ美と加藤、どっちかを選べって言われたら、俺は迷わず加藤を選ぶ」
あさ美のおめめから真珠のような涙が零れ落ちる。
「……はい」
「お前のことを愛してるのはほんとだ。愛しすぎてるほどに愛してる」
「……うん。知ってる」
「俺は加藤を生かす」
「……うん」
「だから俺は死ぬ」
「……うん」
「すまねえ。ほんとにすまねえ。俺は俺の意志を貫く。あいつは親友なんだ」
そう言って俺は、あさ美の唇に血だらけのキスをした。
「世界一可愛い前川あさ美。愛しき俺のヤンバルクイナ」
全速力で駆け出した。
加藤の馬鹿野郎を生かすために。
もしかしたらもう間に合わないのかもしれない。
生贄の祠ってものが、案外近くにあるのかもしれない。
でも邪神は南東だと言った。
建物の近く、とは言わなかった。
南東だ。
それは距離のあるときに使う言葉だ。
もしかしたら二時間ならまだ間に合うかもしれない。
俺は希望を捨てない。
ヤマタノオロチ。
ジャポネーゼ。
待ってろ加藤。
お前は生きるんだ何があっても。
挫けそうでも嫌になっても生きろ。
俺からの願いだ。
俺は死んでも応援する。
死んでからも応援する。
俺だけはお前の味方だ。
安心しな、ボーイ。
目の前の平等院鳳凰子を突き飛ばして廃墟を飛び出る。
木の陰で田中ニコが小便をしている。
黄金の湧き水。
ニコから放たれた黄金の水は中華スープのように香ばしい。
俺は無視して走る。
雑木林を抜け出る。
ここはどこだ?
異世界だ。
奴の箱庭だ。
イビル・ゴッド・ホーリー・ナイト……。
邪神の聖なる夜……。
背後からは俺を追いかける人間の山。
マフィアが「戻れ!」と叫ぶ。
もう「諦めろ!」と叫ぶ。
「これも運命なんだよメテオ!」
認めねえ。
俺は絶対に認めねえ。
俺は運命の理から解放されている。
俺の信じる加藤がそう言ってくれた。
しかしこの世界は邪神の管理下にある。
管理下にあるということは、俺の幸福の思考回路が機能しないということだ。
だから支配できない数値としてステータスが与えられている。
俺は、ここでは、超越できない。
ただの卑しいメガネザル。
アーメン。
だから俺は、醜く足掻く。
一人の人間として、足を踏み出す。
ここはどこだ?
異世界だ。
だからどうした!
ファッキュー邪神!
ゆで卵でも食ってな!
方角を確認して南東へダッシュする。
両腕をぶん回してがむしゃらに走る。
ずっと走る。
ひた走る。
見えた。
もう何十分走ったかもわからねえが、鬱蒼とした森の先に断崖絶壁が見えた。
断崖絶壁には、穢れなき幼女のおへそみたいな洞窟がある。
――生贄の祠。
洞窟に飛び込む。
「加藤!いたら返事してくれ!俺の唯一の偶像、加藤!」
声の限り叫んだ。
俺の叫び声は洞窟内で反響して耳の奥がキーンとする。
暗闇の洞窟を駆けて奥へと進む。
一本道だ。
鉱石か何かが輝いてだんだんと明るくなっている。
その明かりを目指して走っていればいいんだな、イビル・ゴッド?
目的地だ。
きっとここが目的地だ。
荘厳な広間と巨大な縦穴が目に入る。
生贄の奈落穴。
そして、いた。
いた!
いた!
加藤がいた!
加藤はまだ生きている!
俺の願いが通じた。
この世のすべてに感謝を捧げる。
ダンケ。
ダンケ、クロッポ。
加藤は俺を発見すると目を丸くして固まった。
「加藤――」
「来るんじゃない」
「え?」
固まるのは俺のほうだった。
加藤はいつになく厳しい顔つきで、俺のことを睨んでくる。
それもそうだと思う。
俺だって加藤が駆けつけてきたらブチギレる。
なんで来たんだと牙を剥く。
孤高のシルバーウルフ。
感情はニトロベンゼン。
俺はまず加藤を落ち着けるために笑いかけた。
「勝手に行こうとするんじゃねえよ加藤。ベルトコンベアーじゃねえんだぜ?」
「顔の傷、どうしたの。血だらけじゃないか」
「トマトケチャップだ。酸味がきいてるが気にするな」
ニッ。
俺は歯を見せて笑い、じりじりと距離を詰める。
「来るなと言った。なんでわからないの?」
ぴしゃりと言い放たれても俺はめげない。
「言われたくらいじゃわからねえ。いい子ちゃんは三歳で卒業したんでな」
「僕に逆らうのか、メテオ?」
「逆らっちゃいねえよ。逆らっちゃいねえ。ただ俺は、馬鹿なだけだ」
「…………」
「知ってるだろう?馬鹿野郎選手権・金メダリストの星空メテオだぜ?」
「……馬鹿なら、仕方がないな」
ここでようやく、加藤が笑みらしきものを見せた。
「その縦穴はなんだ?」
俺は聞く。
「これが生贄の祭壇だよ。落ちたら二度と、這い上がれない」
「ふうん?深いのか?」
「深いってもんじゃないよ。暗くて先が見えない。穴の直径はこんなにもでかいのに」
「光が届かないのか」
「ああ。穴なんてやわなものじゃあない。地獄だ」
加藤が、手に書類を掲げた。
「ここに取扱説明書がある」
「説明書?」
「生贄の祭壇についての説明書だ。邪神が用意したものだろう。ここにはこう書かれてある。この穴は底なしだ、と。つまり永遠に落下しつづける仕組みらしい。僕にはどうなっているのかわからないがね」
「それは、興味深いな」
「落下しつづける間に、生贄から邪神へとエネルギーが送られる。それは恐怖だったり絶望だったり夢だったり希望だったりする。単純に位置エネルギーも吸収されるらしい」
「すまねえ。日本語で頼む」
「つまりだ。生贄を食べる縦穴だということだ。永久に食べつづけるんだ」
「なるほど。グルメなんだな?俺と気が合いそうだ」
この説明を聞いているうちに、俺は加藤の目の前までにじり寄っていた。
加藤も特に拒否していない。
俺の馬鹿さ加減に諦めたという形だろう。
俺も縦穴を覗きこんでみる。
確かに暗くて底が見えない。
しばらくのあいだ、俺たちは無言で縦穴を眺めつづけた。
すると次第に、反響する足音が聞こえてくる。
「加藤。どうやらタイムリミットみたいだ。マフィアたちがやってくる」
「そうだね」
「俺が飛び降りる」
「僕が言っても断るんだろ?」
「あたり前田のクラッカー」
「それならこういうのはどうだろう。一緒に飛び降りるっていうのは」
「魅力的な提案だが、答えはノーだ。俺はホモじゃねえ。お前と一緒に永遠を過ごすなんてごめんだぜ、相棒。他の男を当たってくれ」
「言うね……」
加藤は目を赤くして涙目になる。
「どうせ僕が飛び降りても、君はついてくるんだろう?」
「あたり前田のクラッカー」
「どっちみち君は消えるわけだ」
「イエス」
「卑怯だなメテオは。いつも卑怯だ。じゃあ僕は、どうすればいいんだい?」
加藤の目の端から、大粒の涙が流れ落ちていく。
泣くな、加藤。
俺は加藤の頭を両手でガッチリと掴み、おでことおでこをごっつんこさせる。
「俺がいなくなったところで何も変わらない」
「そんなことないよ」
「俺は誰も救えない。でもな、お前は違うんだ加藤。お前は俺とは違う」
「…………」
「お前の頭脳には類まれなる才能が眠っている。世界がお前を待ってるんだ。俺は誰も救えないが、お前は何万人を救うことができる。その可能性をドブに捨てるような真似は、俺にはどうしてもできねえ」
「…………」
「お前が自分の才能を使いたがらないことは知っている。べつに使わなくてもいいとも思ってる。だがな、お前という可能性を後世に残せなかったら、そいつは、俺にとっては一生の恥だぜ? お前はお前が生きることでしか俺を慰められねえんだ、相棒」
「メテオの論理にはいつも矛盾がある……」
「もうここに至っては諦めな。辛くても嫌になっても挫けても生きるんだ」
「矛盾だらけだ……」
「ここ数日の一連の出来事は、俺からお前に贈る応援歌だ。必死で生きろ。生きて生きて生き抜け。俺はこの穴の中で、永遠に応援歌を歌ってやる。俺だけはお前の味方だ」
才能に愛された天使。
俺の唯一の偶像。
愛おしき友よ。
「行けよ加藤。もう皆のご到着だ。あさ美に心配をかけたくねえ」
「でも……」
「俺、お前がいなかったらあさ美に告白できなかった。お前がいなかったら、セックスもできなかっただろう。一生童貞だ。でもお前がいたから、俺はあさ美に告白できたし、あさ美とセックスもできた。こうして満足して逝ける。もう思い残すことは何もねえんだ。わかんだろ?」
「でもさ……」
「いい加減にしろよ?俺を怒らせるとミドルパンチだぜ?」
「でも……!」
俺は自分の体をまさぐる。
この世界に転移したとき、身につけている物以外は全て置いてきた。
だが制服のズボンのポケットにはこれがある。
俺はポケットの中からビニールの袋を取り出す。
「加藤、受け取ってくれ。コンドームだ。これを俺と思って大切に持っていてくれ」
「いらない……」
「もう時間がねえ。マフィアの姿が見えた。あさ美も時間の問題だ」
俺は無理やり加藤の手のひらの上にコンドームを乗せた。
加藤がぐっと唇を噛み締める。
ブサイクな顔になってぼろぼろ泣く。
俺までつられて泣いてしまう。
喉の奥がきゅうと締めつけられて痛い。
でも、久々だな、こんなに熱い涙はよ……。
俺は涙を流しながら、目をかっと見開いて、加藤を射抜く。
「俺が飛び降りるとこ、あさ美には見せたくねえんだ。この男心、お前もわかるだろ」
「わかるけど……」
「いつまで駄々を捏ねてんだ。シャンとしろ。俺とお前は、生まれながらの親友、だろ?」
「ああ……」
俺は加藤を突き飛ばした。
涙が舞う。
今生の別れ。
友情と、涙と、男の別れ。
サータアンダギー。
魔法の言葉。昔懐かしい味。友情の、味。
行け。加藤。強く生きろ。
俺はマフィアや平等院やニコや明日香に向かって敬礼をする。
「アディオス!ジャポネーゼ!サワディーカップ!ヤマタノオロチ!」
そして、背面から縦穴にダイブをする。
加藤が必死の形相で片手を伸ばしてきた。
「メテオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
あばよ、ダチ公。
俺はこのほら穴で、強く輝く星になる。
落ちて落ちて落ちて、白く燃え上がる彗星に。
邪神の糧になろうが、俺は永遠に輝きつづけてやる。
何十年だって落ちつづけてやる。
なあ、親友。そうだろ?
彗星のラプソディ。
お前を照らす応援歌。
おわり
ありがとうございました。
感想をもらえたので投稿をしてよかったと思いました。
アディオス!ジャポネーゼ!ダンケ、クロッポ!