6.決戦のとき
「お前ら。そのうす汚え手を、加藤からどけな。尻の穴を舐めさすぜ?」
加藤を押さえつける男と女が俺を睨みつけてくる。
茶道部の松田正宗が、モヒカンを揺らしながら言った。
「おいメテオ。邪魔すんじゃねーぞ」
「なんだと?」
「こいつのステータスが一番低いんだ。文句は言わせねー」
他の奴らも同調する。
「そうだそうだ」
「ステータスの低い奴が生贄だって決まってんだから、あとから文句を言うなよ」
「つか、ステータス低い奴に生きる価値なんてあんの?ひゃはー!」
「決まったことを今さらグダグダ言わないでちょうだい、メテオさん」
「例外を一度認めると、ルールが形だけのものになっちゃうわけよ」
「つーか、加藤ならステータスが高くても、どっちみち生贄候補でしょ」
「言えてる。コイツしかいねーって感じだもんな」
「異論ないだろ」
「賛成」
「ステータスオール5だぜ?どうやれば生贄以外のことを考えつくんだ?」
「コイツさえ犠牲になれば、また俺たちは普通に生きて暮らせるんだ」
「そりゃ私たちも、心が痛いよ?でもね、仕方ないじゃん?邪神さんがそうしろって言ってるんだし、私も嫌だなーって思うけど、これしか方法がないんだし」
「そうだよなー。仕方ねえもん」
「ああ、仕方ないな」
「たしかに」
「流れ的に、な?」
「な?」
「わかるわかる」
「俺たちが悪いんじゃなくて、邪神の野郎が悪いんだよ」
「マジ胸糞悪いわ。なんでこんな嫌な目に遭ってんの俺ら?」
「ははは。マジ言えてる」
「オレたちのせいじゃねえじゃん。オレたち悪くねえじゃん」
「ほんとそれ」
「もう気がおかしくなりそう。というか、もう狂ってる。早く終わらせたい」
「つーかよ。オレらがこんな目に遭ったのも、お前が宝くじを当てたせいだろ、メテオ」
「あなたが覆面集団を連れてこなければこんなことにならなかったのに」
「あれ?じゃあ悪いのコイツじゃね?」
「うん。元凶はメテオ」
「マジいらんことしやがって」
「そもそも邪神も迷惑そうにしてたしね」
「サービス残業、だっけ?」
「あはは。日本人にわかりやすく言ってくれたんだよ、邪神さん」
「というわけで、この状況もお前のせいなわけだ、メテオ」
「おいコラ、メテオ。なんか言えや」
「おいメテオ。黙りこくるなよ」
「メテオ。都合が悪くなったらだんまりか?お?」
「謝罪が聞きたいねボク」
「謝れ!」
「さっきの威勢はどうしたんだよ」
「なにお前?泣いてんの?」
「ぎゃはは!泣くなよメテオ!ダセー!」
「マジになってるコイツ」
「男泣きー!」
「きんもー!」
「ひゃはー!」
「もう男子。怖すぎ。メテオはもういいじゃん。攻撃の値とか結構いいんだし」
「そうだよ。加藤さえ死ねば、丸く収まるんだよ」
「な?メテオ?わかるだろ?加藤を殺しちまおうぜ?」
「お前もこれ以上、恨まれるの嫌だろ?」
「あたしたちもこれできれいさっぱり忘れるからさ」
「ここは加藤のこと諦めてくれない?」
「うん。わたしもダイナマイトのこと忘れる。これ、メテオくん次第だよ?」
「メテオ。人生、妥協が必要なんだよ。わかるだろ?」
「君が加藤くんと仲いいのは知ってる。でも我慢してほしい」
「堪えてくれメテオ」
「メテオだけの問題じゃないんだ。僕たちの命も懸かってるんだ」
「俺たちは生きるために牛の命を奪ってる。それと同じことだ」
「加藤の命を奪って生き永らえる。いただきます、だよ」
「もう。だから男子やめなってば。メテオは加藤と仲いいんだからさー」
「うん。もう少し言い方があると思う」
「加藤を犠牲にするのは決定として、やっぱり気持ちよく送ってあげたい」
「うん」
「私もそう思う」
「後味が悪くなるのは嫌だもん」
「みんなで明るく送ってあげようよ」
「加藤もきっと喜ぶよ。私たちの糧になれるって」
「ほんとそれ」
「ねえ加藤。ウチらのために、死んでくれるよね?」
「というか、死んで?」
――ケルベロス。
俺は笑った。
おかしくておかしくてたまらなかった。
乾いた笑いが漏れる。
「お前らぎゃーぎゃーぎゃーぎゃーうるせえんだよ。盛りのついたアルパカかよ。今は体育の時間じゃねえんだ。ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー騒ぎてえなら、ぼっち運動会でも隅っこで開いてな。開会宣言くらいはしてやるぜ、ピストルボーイ?」
「アルパカじゃねえ。人間だ!」
「まあ俺の言いてえことはただ一つだ」
「あん?」
「俺が生贄になる。そうすりゃあ、加藤は死なねえし、お前らも死なねえ。世界が羨むハッピーエンドだぜ? なあおい。ウィンウィンと行こうじゃねえか、ボーイ?」
前川あさ美がぎょっとして俺を睨む。
前川あさ美が、激しく首を横に振る。
「正気かよ……」
「こいつマジでやべえ……」
「イカれてやがるぜ……」
ざわめき。
俺は歯の抜けたチンパンジーのように笑いつづける。
「俺は加藤のいねえ世界なんかクソだと思ってる。そんなの生きる価値なんてねえよ。死んだほうがマシだ。偽りの楽園よ、オサラバ。忍者がドロン」
「なに言ってんだよ。加藤が死ねばそれで収まるんだぜ?」
「話を聞いてなかったのかよ、金剛谷。俺は加藤のいねえ世界には用がねえって言ってんだ。耳かき喫茶にでも行ってきな。金なら用意してやる。三億で足りるか?」
「……まあ、お前が死ぬっていうなら、止めないけどよ」
「そもそもだ。この原因をつくったのは俺だ。俺が謎の覆面集団を呼び寄せてしまった。だから、ボン!だ。そいつはすまねえと思ってる。それを償うのも俺だ。加藤じゃねえ」
「……まあ、うん」
「俺が言いたいのは、論理を履き違えるなってことだ。お前たちは加藤をイジメて楽しいかもしれない。自分の下に弱者を置くことで楽をしているのかもしれない。でもよ、だからと言って、こんなときまで下に置くのは違えんじゃねえか?悪いのは俺だろうが」
「……そう、だな」
あさ美が俺の服の裾を引っ張る。
「……メテオくん」
「あさ美は黙ってな」
「……でも」
「口を閉じるんだ、ハニー。自分の問題は、自分で解決する。それが男だ」
やっぱりあさ美は泣いた。
「さあ、子羊たち。加藤を解放してやれ。生贄はここに決まった」
これが俺の勝負。
命を懸けた決戦。
あばよ、ダチ公。
茶道部の松田正宗が、モヒカンを揺らして言った。
「わかったよ。すまなかったな、加藤。立てるか?」
松田がそう言うと、他の奴らも加藤から身を引いた。
松田がやさしく手を差し伸べるが、加藤は立ち上がろうとしない。
床に顔面を擦りつけたまま、うずくまって震えている。
顔を上げることができないのだ。
加藤は、声を押し殺して、泣いていた。
いいんだ加藤。
お前はよく頑張った。
今まで十分苦しんできた。
もう休め。
だけど今日くらいは、いっぱい泣け。
俺はお前のために死ねて嬉しい。
サータアンダギー。
魔法の言葉。
できたてほやほや。昔懐かしい味。
「明日、俺は生贄の祠に行く。確か南東だったな?」
「ああ」
「今日はもう疲れた。俺は寝る」
俺は壁際に寄りかかって目をつぶった。
静かだ。
もう誰も加藤を押さえつけない。
それぞれが移動して、それぞれの活動を始める。
加藤が俺の横に座って、嗚咽を漏らす。
俺はそんな泣き音を聞きながら、眠りに落ちた。
淋しいけど、こんな最後も、悪くない。
生まれながらの親友。加藤ヤイバ。
天才で、科学者で、野球がうまい。にんじんも食える。
世界最高の親友。
◇
ちゅんぴけ、ちゅんぴけ~♪
鳥のささやきメロディで目が覚める。
俺の人生最後の日だ。
青年期の終わり。
寝覚めは思いのほかいい。
なんだか急に、これまでの加藤との想い出ばかりが脳裏に過る。
五万円札を握り締めて一緒に温泉旅行に行った日のこと。
俺たちはなにも知らなかった。
電車を乗り継いで乗り継いで片道で二万円もかかった。
宿賃が足らない。
目的の駅に着いた俺たちは、道路にこびりついたうす汚えガムを二時間眺めて帰った。
ちょっと日焼けした。
俺たちはなんだかそういうものひとつひとつに青春を感じた。
一緒にプリパラを見たことも忘れねえ。
俺には何が面白いのかよくわからなかったが、
女の子が跳んだり跳ねたりする3Dに感動しながらイベリコ豚を食った。
あのときの俺は酔って酔って心が浮かれていた。
イベリコ酔いだ。
俺はイベリコ豚を食ってイベリコ酔いをしたんだ。
俺と加藤は明け方まで国歌を斉唱した。
加藤が鼻から牛乳を吹いた日のこと。
加藤が鼻から牛乳を吹いたもんで、俺はびっくりして鼻からペヤングを吹いた。
俺たちは声に出して笑い合う。
寒い寒いクリスマスイブのこと。
競馬を見に行ったこともあった。
トレンチコートで変装して大人に混じって馬券を買った。
俺は興奮して仕方がなかった。
体がうずくのを止められなかった。
どうにも抑えられず、俺は競馬場に飛び込んで短距離走を始めた。
警備員が慌てて追いかけてくるが、俺は対戦車ライフルのように速かった。
誰も追いつけない。
そんなとき、加藤。
お前はこう言ってくれたよな?
がんばれーっ!
五馬身差でメテオが速いぞーっ!
ロードカナロアに負けるなーっ!
写真判定で俺は勝った。
懐かしい想い出。
サータアンダギーメモリー。
それに俺たちはレイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説を愛読している。
最初は加藤が俺に貸してくれた。
俺はチャンドラーに嵌まり、夏休みの読書感想文は大抵チャンドラーになった。
登場人物のフィリップ・マーロウに心酔していた。
今なら告白できるが、加藤。
お前は俺にとってのフィリップ・マーロウだった。
唯一無二の偶像。
生まれながらの親友。
加藤ヤイバ。
ちゅんぴけ、ちゅんぴけ~♪
小鳥たちのささやきメロディで我に返る。
いつまでも思い出そうと思えば加藤との日々を蘇らせることができる。
だが思い出しすぎると別れが湿っぽくなるのでここでやめだ。
俺はやめ時を見誤らない男だ。
やめ時のメテオ。
巷の高校じゃ知らねえ奴はいねえ。
周囲を見渡すと、クラスメートはまだ床で眠りこけていた。
今は何時だろう?
いつ出発すればいいのか?
まあいい。
クラス委員長の京極明日香かカリスマの平等院鳳凰子が指揮を執ってくれるだろう。
そこで俺は違和感に気づく。
どこを見渡しても、加藤の姿が見当たらなかった。
俺は、加藤の涙の意味を知った。