新たな教師と予感
紅い髪の女性とミリアベルが出会って数日後、彼女は再びその人物と会う機会を得た。それは、魔術クラスの授業の一つである魔術史である。とはいえ、魔術史はそれまで専任教師が突然の用事でしばらく休講となっているはずであり、早くとも再会は一か月後、と言う話であった。後任を見つけようにも、早々見つからないものだ、と誰かが言っていたのを聞いた記憶がある。
「今日から魔術史を担当します、クローリエ・シュバイアーです」
そう言い、新たな教師となった女性が頭を下げる。ミリアベルを見つけると、彼女は小さくウィンクした。クローリエ師曰く、自分は大した魔術師ではないが、知人の学園長の頼みでしばらくここで教えることになったのだという。あまり名の知れた魔術師ではないようで、首をひねる生徒もいる。プライドの高い学生などは、このような頼りない教師に教わることはない、と内心思っていることを隠さないものもいる。
にこやかな笑みを浮かべたクローリエはそのような教室の様子には一切気にせず、授業を始めた。
彼女の授業は指定された教科書に従わず、また記述されていない魔術に関する伝承を語りだす。
「この世界、エデナ=アルバを作った13人の神々ですが、そもそも彼らもどうして自分たちがここにいて、世界を作れるのかは全く分かりませんでした。彼らは自分たちで自分たちを調べ、そのうちに世界と自分たちに溢れる不思議な力の存在を見つけました。それが、魔力です」
まるで見て来たかのように語るクローリエ師。
「本にはそのような記述はありません」
生徒の一人が言うと、そうでしょうね、とクローリエは笑う。
「飽くまで、私の想像での話、とでもしておきましょう」
今は、と彼女は言った。
「魔力を見つけた神々は、しかしそれ以上に強い力を己の中に秘めていたため、ほとんど研究らしい研究はしませんでした。辛うじて、知識の神クドラが人間やエルフなどの魔術に長けた種族とともに研究した程度ですね」
そのうちに、魔術は様々な体系に分かれていった。エルフの使用していた治療魔術、人間の使用した一般的な魔術、ドワーフの錬金術、獣人などを中心とした亜人の精霊魔術、闇のものが使用する死霊術などと。
しかし、種族間の対立や争い、そして長い空白時代により、その魔術の多くは失われてしまった。今現存する魔術には、そのうちの古代魔術、と分類されるものがあるが、それでも古代の魔術の半分も再現は出来ていない、とクローリエ師は語った。
それを再現し、古代の技術の継承を目指す研究者もいまだに多い。
「先生も、そう言った研究者なのですか」
「ある意味、そうとも言えます。ですが、私自身はそこまで魔術を追い求めていませんから」
飽くまで魔術に携われるだけで、そこまででは、と彼女は言う。
だが、ミリアベルは彼女がただそれだけではない、と言うことを感じていた。クローリエは自分をただの一般人、と言った言い方をするが、そんな人物が学園長と知り合いのはずがない。そして、自分の名前を知る彼女は、どこか母や父、それに学園長と似た雰囲気を持っていた。具体的にどこが、とは言えなかったが。
授業が終わり、次の授業に行こうという友人に先に行くように言い、ミリアベルはクローリエのもとに行く。
「あら、やっぱり来たのね」
来ることを予期していたようで、笑顔で彼女はミリアベルを見る。
「先生は、私のことをご存じだったようですが・・・・・・」
初対面の時に、と言うと、クローリエはええ、と言う。
「それはもちろん。あなたとはあなたやマリアベルがまだ赤ん坊の時に会ったのですから。魔なたは憶えてないでしょうけど。フフフ」
「あなたも、父や母と同じ『英雄』なのですか?」
英雄の中には、面の世界に出る者もいれば、そのまま姿や名を隠し生活する者もいる。彼女もその一人なのかと問うと、「そうね」とあっさり彼女は認めた。
「私の本当の名前はクローリエ・ギャレッセンというのよ。聞いたことはない?」
「『双鎌』のタムズ・ギャレッセンとその妻、クローリエ・・・・・・?」
ともに大戦の英雄である。父母がたまに聞かせてくれた「大事な友達」の名前であるが、歴史ではあまり触れられない。その存在も伝説なのでは、と言われている英雄である。
ミリアベルの言葉に彼女は無言で肯定した。
「このことは内緒よ」
そう言い、まだまだ質問のあるミリアベルに「次の授業。遅れるわよ」と指摘する。ミリアベルの顔色を見て、彼女は言った。
「またいつでも話を聞きたければ来なさい。いろいろ話してあげるわよ」
授業の道具を割り当てられた個室に置き、クローリエは学園長室に向かう。
その途中で、黒い髪の男性が彼女の脇の影から現れ、その横に並ぶ。
「あら、タムズ。あなたも今終わったところ?」
隣に立ったチラリとみてクローリエが聞くと、男性は「ああ」と言い、額の汗を拭う。
タムズ・ギャレッセン。英雄の一人で、クローリエの夫でもある。彼も、今日からこの学園で教える教師となっている。担当は騎士クラス・技師クラスの戦闘訓練である。此方は別に欠員が出たわけでもなく、クローリエとともに来たタムズのために造られた科目である。戦闘訓練の中ではハードなため、二年次以降、と言う指定がある。
「ミリアベルにあったわ」
「そうか。どうだった?」
「大きくなったわ。それに、あの黒い瞳は、彼を思い出すわ」
遠い目で言うクローリエに、ああ、とタムズは思う。遠くに行ってしまった、仲間。罪を抱え、己を許せなかった彼は、この世界を去った。
「そう言えば、あなたのほうはどうなの?マリアベルやクロフォードは?」
「俺の方ではまだ直接は会っていないが、二人とも大きくなったものだ」
二人は親友たちの子どもたちの話をする。
「ゼルの一番上の養子もここに通っている。なかなか腕の立つ役だ」
早速授業で手合わせをしており、なかなか見どころがある、と彼は笑って言う。そして、ふと思い出したように言った。
「あいつも、元気でやっているんだろうな」
悪い噂は聞かないし、と言うと、そうでしょうね、と緑色の髪の友人を思い出しながらクローリエが返す。デュラの養父にして英雄の一人、ゼル・マックール。ファムファート大陸にある交易国家バーティマの指導者と言う立場ゆえ、そうそう彼らが合うことは出来ない存在内である。
「それよりも、どうして私たちを学園によこしたのかしら」
クローリエの言葉に、タムズはさあな、と返す。学園長セラーナは二人が俗世から離れた生活をしているのにもかかわらず、教師として自身の学園に来てくれないか、と頼み込んできた。その様子は、普通ではなかった。クローリエやタムズが聞いても、答えてはくれなかった。
「何か、あるのかもしれないな。まだ、確信が持てないから言わないだけで」
「でしょうね」
同じ学園の教師であり、仲間であるリナリー・アルミオンも詳しくは聞いていない様子で、心配している。この様子では、他の仲間も同様だろう。
二人が話していると、学園長室が見えてきたが、学園長室には鍵がかかっている。鍵以外にも、本人以外を立ち寄らせないための結界も丁寧に張っている。クローリエであればそれを破れないこともないが、仲間内で相手の信用を失う行為はしたくなかった。
「仕方がない。その時になれば、セラーナも言うだろう。まっていよう」
「・・・・・・そうね」
二人は頷くと、仕方なくその場を離れていった。
二人は学園長室にセラーナがいないものだと思っていたが、実際は違う。
学園長室にはセラーナ以外にも数人、人がいた。
学園長室に呼び出された【エメラルド】の生徒たち。フィノラ、シャッハ、アガサ、デュラに加え、技師クラスのスロート・フイヴン、騎士クラスのメサイア・バーリが集められていた。各クラス二名選出されるため、【エメラルド】全員が揃えられていた。
机に手をついている学園長と、彼女の横には砂色の髪の青年が立っている。学園長に並ぶ力を持つ青年の名をセウスと言う。その青年が口を開く。
「今回、君たちを呼び出したのは他でもない、任務のためだ」
「任務、ですか」
【エメラルド】のリーダー格のシャッハが言うと、セウスは頷く。
三年になれば、魔物退治や異変の調査などを行うことも増えてくる。下手な国の騎士団よりも優秀な人材がそろっており、その中でも【エメラルド】は強力であり、そういった依頼が学園に入り込むことがあるのだ。今回もそう言う任務であり、別段珍しくはない。だが、全員に招集がかかる、というのもまた、異例である。通常一人から三人、多くて四人だ。
シャッハをはじめ、生徒たちの目に緊張の光が見える。
「かつて、私たちが戦った【喪失者】のことはあなたたちも知っているわね?」
学園長の問いに、シャッハたちは頷く。
【喪失者】。異世界より現れた、破壊の使者。『神』が【五大陸大戦】の末に招聘し、その世界に招いた災厄であるが、世界の協力により、その時に襲ってきた【喪失者】は殲滅されている。以後、その存在はこの世界では確認されていない。
「それに近いものが、ラカークン大陸の西で見つかったそうよ。対象は一体」
そう言い、地図を取り出し、件の場所を示す。ヨトゥンフェイム共和国より馬車を使って一週間と掛からない場所である。
「ここに、我々で調査に行く、と」
「ええ。万が一を考えて、セウスも同行させます」
そう言った学園長の横で、青年は笑う。【エメラルド】たちはセウスを見て、驚く。しかし、下手をすれば戦闘になるのだ。学園長が彼をつけるのも、万が一の出来事を警戒してのことだろう。
「了解しました。シャッハ以下、【エメラルド】、任務に就きます」
「ええ、頼みます」
皆をお願いね、とセウスに目くばせするとセウスは一礼した。生徒に先に逝って準備をするようにセウスは言い、学園長室には二人だけが残る。
椅子に座りながら、ふと窓の外に広がる青空を見る学園長。
「杞憂だと、いいのだけれども・・・・・・」
「タムズやクローリエ、リナリーには言わないのか?」
「まあ、言えないわ」
セラーナは言い、確証が持てないもの、と言う。それに、と口を濁す。
「彼が、まさかこの世界を滅ぼそうとするなんて話、信じられないでしょう?」
「・・・・・・」
セウスは沈黙し、セラーナを見た。セラーナはともかく、いまはまだいいわ、と言う。
「今は、とりあえず事態の把握に努めましょう。わかったわね、セウス」
「それが我が君の意志ならば」
セウスは礼をして学園長室を出た。
思い溜息をし、学園長は目を閉じた。
脳裏に思い浮かぶ、この世界を去ったはずの友人の姿。
「アンセルムス・・・・・・」
セラーナは彼の名を呟き、そのまま意識を手放した。