魔術師の卵たち
ミリアベルは今、治療魔術に関する授業を受けている。それを教えているのは、グラウキエ大宗主国出身のリナリー・アルミオン師である。彼女もまた、【五大陸大戦】の英雄であり、母エノラや学園長の親友である。美しい水色の髪に、白い神官衣を羽織っている。現大宗主国代表のアルミオン大司祭の娘であり、彼に変わって代表指名されていたのだが、それを辞退している。その後は巡礼僧となり、各国を巡っていたが、数年前からここで教えている。治療魔術師としての腕は申し分なく、大宗主国をはじめ各国に彼女の教えを受けたものは散らばっている。
彼女の指導を受け、その才能を発揮しているのはリュートであった。他分野では知識のみで、魔力が伴っていないのだが、この授業では彼女のそのセンスが光り輝いていた。一方苦戦しているのはピュリエである。天才的な感覚を持つ彼女の得意分野はもっぱら【壊す】ことに特化しており、直したり治療促進をしたり、と言うのは苦手な様子である。ミリアベルはどれも等しくこなすことができる、悪く言えば器用貧乏である。
「みなさん、失敗しても落ち込まないでください。向き不向きはどうしてもありますから」
柔らかい笑みを浮かべ、アルミオン師は言う。
「さあ、それではおさらいをしましょう」
錬金術、と呼ばれる魔術を教えるのはドワーフ族の教師、オットラントである。地下世界オードヴェル出身であり、ドワーフの王族の出らしい。鍛冶の一族ドワーフ族は鍛冶の技術のほか、錬金術も得意とするために、彼が教鞭をとるのも頷ける。ミリアベルの腰ほどの身長の髭面のドワーフが言う。外見の割に気がいい男であり、評価は決して低くはない。
「錬金術はイメージが大事だ。理論やなんかは後からついてくる。まずはイメージすることだ」
そう言って最初からできる者は非常に少ない。例のごとく、ピュリエは失敗し、リュートもうまくいっていない。ミリアベルは数少ない成功者であった。彼女のほかには、あのイーゼルロッドが成功していた。
作り上げた小さな石ころを見るミリアベル。
「それと同じ原理でゴゥレムも作る。まあ、飽くまで基礎の部分では、と言う意味だが」
そう言い、ドワーフの教師は快活に笑った。そう言えば、ヨンド師も錬金術師だったなあ、とミリアベルは思い出した。ヨンドらの錬金術とドワーフの錬金術は【五大陸大戦】以前は全く別なものであり、互いの交流もなかったが、大戦以後はふたつの錬金術師が交流し、より発展的なものになったと聞く。その辺は、そのうちやる歴史・魔術史の授業でやるらしい。
魔術戦闘訓練、という課目は今の余には必要ないと考えられているが、魔物の存在や、いつ何時異世界からの侵略や戦争があるとも限らないので、その訓練は必須とされている。騎士クラスでの訓練よりも下手をすれば危険なことともなるため、特別な結界を張ったキョウシツで、複数の教師の監督のもと行われる。
魔術師クラス一年全てが集められて授業は行われている。
魔術戦闘訓練の総責任者を務めるのは、一年クラス全体の責任者でもある、アテナ・エウクシオンである。かつてはファムファート大陸のゼレフェン王国の王宮魔術師として名を知られた魔女である。数年前に同王国を辞した後は、この学園で雇われている。妖艶な美女であるが、その実年齢は誰も知らない。一説には二千歳とも三千歳ともいうが、彼女は生徒からのその質問に対し、沈黙と笑みで応えた。
「さて、魔術の戦闘使用は古くからおこなわれてきたことだが、皆決して気を抜かないように」
魔術は便利であるが、だからこそ足を救われることがある。驕れるものは自滅する。そう警告したアテナは、生徒たちをじっくりと見る。
「今、そんなことはしない、と思ったものがいますね。それこそが驕りです。そのような無駄なプライドは犬に食わせてしまいなさい。まずは、初歩の危険度の少ない魔術で一対一の形式で戦います。別に勝ち負けを競うわけではなく、飽くまで『魔術で戦う』と言うことがどういうことかを体験してもらうためだけです」
そう言い、彼女は教師陣に合図する。ヨンド師やオットラントらが特定の位置につき、事態の対処が迅速に行えるようにする。いざと言う時のために、リナリーもこの場にはいる。
「それでは、始めていきましょう」
ピュリエやリュートは早くのうちに戦闘訓練を終わらせた。人に向けて下級とはいえ、攻撃魔術を向ける、と言う経験をしているものは流石にごくまれであり、皆相手を傷つけないか、と心配であった。その様子を見て、アテナはそれでいいのです、と言う。
「魔術がどれほど危険であるか。それを認識できただけでも、あなたたちは一歩、魔術師として前進できた、ということなのです」
そう言い、まだ訓練を終えていない生徒たちを見る。残り組の中には、ミリアベルとイーゼルロットが残っていた。
「それでは・・・・・・」
アテナはミリアベルを見て、その後にイーゼルロットを見た。そして二人の名前を読み上げた。
二人は生徒たちの見守る中、互いを見る。ミリアベルはまだ人に向けて攻撃魔法をかけたことはない。そのため、深呼吸をして、落ち着くように言う。
(落ち着け、私)
そう言い、ミリアベルは深呼吸をする。相手のイーゼルロットは無表情で立っている。
「それでは、双方構えて」
二人が構える。そして合図とともに魔術の詠唱をする。
「炎よ!」
「暗闇よ!」
ミリアベルの火炎の魔術とイーゼルロットの闇の魔術がぶつかり合い、消える。相殺されたため、大きな被害も出ずに終わり、ミリアベルはホッとする。そんなミリアベルを見て、イーゼルロットが笑う。
「大丈夫、アルゲサスさん?」
少年の声は存外優しいものであった。他者との付き合いを拒絶するとは思えない声音の少年の言葉に、ミリアベルは頷く。
「そう、よかった」
そう言い、少年は背を向けて生徒の中に入っていく。その姿に、なぜか心臓の鼓動を押さえながら、ピュリエとリュートのもとに彼女も向かう。
授業を受けながら、ミリアベルは時たまイーゼルロットを見る。
いつも一人で、その顔は特に何も感じていない様子だ。だが、本当にそうなのだろうか。なぜか、一目見た時から彼のことが気になって仕方がなかった。
ミリアベルが友人たちにそのことを話すと、友人たちはニヤリ、と笑っていた。
「ほほう、それは恋ですな」
ピュリエの言葉にミリアベルが驚き、ええ、と叫ぶ。
「いや、そんなのじゃないって・・・・・・!」
「どうかしらねえ」
双子の妹がピュリエの見方をし、姉に追撃をかけた。むっとしたミリアベルは、あんたはどうなのよ、と言う。
「私?」
「とぼけないでよ、クロフォードとあれから結構話しているでしょう!親しげに!」
「な・・・・・・ッ」
絶句するマリアベル。心なしか、顔が赤い。思わぬ名前に、マリアベルは口撃を止めてしまっていた。ふふん、と勝った様な顔をするミリアベルだが、そのまま姉妹でああだこうだと泥沼にはまっていくのだった。
あはははは、とおかしそうに笑うピュリエ。控えめに笑うリュートに、わずかに口を歪めて笑うリオーネ。少女たちは、楽しそうにしており、それを遠くからフィノラが見ていた。
「いやあ、青春だねえ」
そう言うフィノラは、同じ机に座る友人たちを見る。
「ねえ、そう思わないかい?」
彼女と同じ、【エメラルド】の面々はフィノラを見る。ある者は呆れ、ある者は楽しそうに彼女を見ている。
「本当に君は毎日楽しそうだねえ、フィノラ」
彼女にそう声をかけたのは、技師クラスの【エメラルド】であるデュラ・マックールである。灰色の髪の青年は、人当たりのいい笑顔を浮かべている。その隣で無表情で本を読んでいるのは、魔術師クラスの【エメラルド】でフィノラの親友、アガサ・アガッシャ。金茶の髪を無造作に寝癖のまま跳ねさせている。外見さえ整えば、美人になるだろうに彼女は全く気にしていなかった。そして、フィノラの恋人である騎士クラスの【エメラルド】、シャッハ・クロー。黒銀の短髪と爽やかな笑みを浮かべ、恋人を見る。
「本当に君は、あの子たちが好きなんだね」
シャッハの言葉に、フィノラは頷く。妹分として可愛がってきた二人のことをフィノラは愛していると言ってもいい。恋人のシャッハよりも優先してしまう時がある。それを言うと、シャッハは苦笑いする。
「苦労するわね、シャッハ」
アガサが本から顔を上げずに言う。シャッハは苦笑しながら恋人を見る。
「まあ、そう言うところが好きなんだけどね」
そう言い、人のいい笑顔を浮かべるシャッハに、フィノラも「私もだよ」と言い、二人だけのムードを醸し出す。また始まったよ、とあきれ顔のデュラとアガサ。このまま放っておけば、この公共の場でいちゃつき始めかねない。アガサはフィノラの頭を読んでいた厚い本で叩き、ようやくそれを辞めさせたのであった。
とりあえず、何時もあいつ一人だから、食事でも同、って誘ってみれば?ピュリエは先ほどまでのふざけた様子をどこかにやってそうミリアベルに言った。隙かどうか自分でもわからないけど、気になるなら、話してみれば、と真面目な様子のピュリエにミリアベルはびっくりした。
「どうしたの?」
その問いにピュリエはううん、と首を振る。そして、いつものようにニカッと笑う。
親友のその顔を見て、とりあえず自分から話しかけてみよう、とミリアベルは思った。それが、余計なおせっかいであっても。
早速行ってくる、と奔りだすミリアベル。その背中を友人たちが見る。
「何も今すぐ行かなくても」
リュートの言葉に、あの子は思い立ったらすぐ行動だから、とマリアベルが笑う。
「時々、あのまっすぐさが羨ましいわ」
そう言うマリアベルは、すっかりクロフォードの話を忘れられているものだと油断していた。だが、からかう相手であったミリアベルがいなくなったことで、ピュリエの集中砲火はマリアベルに向かうこととなったのだ。
そんな妹の苦労を知らず、ミリアベルは彼を探していた。
教室を見たが、彼はいなかった。他にもいろいろと探しているが、見つからない。
昼休みも半分を過ぎたころ、彼女がようやくイーゼルロットを見つけたのは、図書館裏であった。図書館は学園でも特に大きな建物であるが、その裏に広がる小さな森の中に彼は一人でいた。いや、正確には一人と一匹、であった。
大きな木の下で座っている彼は、一匹の黒い仔猫を抱いており、優しくその頭を撫でていた。彼は穏やかな笑みを浮かべていた。
「ほら、お食べ、シャンクシーションク」
猫の名前を呟き、パンくずを与えるイーゼルロット。猫がそれを食べ、ぺろりと少年の指を舐めた。笑った少年は、ガサリ、と言う音に振り向く。彼は紅い髪の少女がこちらに来ているのを見て驚いた。
「アルゲサスさん、どうしてここに?」
「あ、ううん、特に用事はなかったのだけれど、ファーレンハイト君を見て、それで」
どぎまぎしながら言うミリアベル。そう、とイーゼルロットは返すと、抱いている仔猫を見せた。
「こいつ、シャンクシーションクっていうんだ。僕が、先日ここで見つけてね」
懐いちゃったみたいでさ、と笑う少年。なんだ、こんな顔もちゃんとできるんじゃない、とミリアベルは思う。猫と戯れる様子からは、とても孤独を望む人物には見えない。何か、ヒトとかかわらない理由があるのだろうか。
「ねえ、ファーレンハイト君」
ミリアベルの振り絞った声に、なに、と少年が彼女を見る。
「どうして、他人と触れ合おうとしないの?」
「・・・・・・どうして、そんなことを聞くの」
少年が返す。紅い瞳がじっと少女を見る。びくりとしたミリアベルはだって、と口を開く。
「だって、あなたは本当に孤独でありたいとは思っていないから」
ミリアベルが診てきた彼は、独りでありながら、本当は一人でいることに抵抗がないわけではない。それは、先ほどの仔猫とのやり取りで確信した。
触れ合うことで、傷つくことを恐れているのだ。
「せっかく、ここにいるんだからもっと、人とかかわっていこうよ」
そう言い、ミリアベルは「ごめん」と言う。イーゼルロットとは、赤の他人で彼女が意見を言う立場にあるわけではない。謝罪をしたミリアベルに、目を丸くして見ていた少年は、「優しいんだね」とミリアベルに言う。そして、ポツリと言う。
「君みたいな人、僕は好きだな」
好き、と言う言葉にそう言う意味で言われたはずではないのに、ミリアベルは照れてしまった。そして、席を出して自分の浮ついた気持ちを落ち着けた。
「だから、私でよければ」
一緒に、という少女の言葉に少年も頷いた。
「それで、アルゲサスさんが迷惑しなければ」
「迷惑だなんて」
そう言い、ミリアベルは握手を求める。少年はその手を握り返し、「これで友達だね」と言う。
「友達になったんだから、アルゲサスさん、っていうのはやめて。それに、私、双子の妹がいるから」
「ああ、そう言えばそうだったね」
騎士クラスのもう一人のアルゲサスもまた、有名である。苗字呼びだと、何かと不便だろう。そう察したイーゼルロットは年相応の笑みを浮かべて口を開く。
「それじゃあ、よろしく・・・・・・ミリアベル」
笑ってミリアベルも頷き、声を出す。
「こちらこそ、イーゼルロット」
足元で仔猫が小さく鳴いた。おねだりするようにイーゼルロットの脚に絡みつく猫を見て、二人で笑う。