闇の渦巻く世界
今朝も早くから師のもとに行っている双子の妹とは違い、ミリアベルは街を出歩き、休みを満喫していた。もちろん遊んでばかりではなく、課題として出されている魔術の練習や予習はしている。肩にシャンクシーションクを乗せ、ミリアベルは共和国の街並みを歩く。
仔猫の頭を撫で、吹いてくる涼しい風に当たる。
「気持ちいい」
夏の暑さも、風のおかげかそこまで酷くは感じない。
精霊湖のことは、ピュリエ、リュート、リオーネ、ミアータに連絡を取った。学校が始まる一週間前にはみなこちらに戻る予定であるため、その時に行こうという話になった。幸い、泊まる場所は父母が手配してくれるようなので、不便はないだろう。まだ一か月ほども後の話であるが、今から待ち遠しかった。
「そう言えば、イーゼルロットはどうしているかな」
仔猫を撫でる手を止めずに少女は言う。仔猫は小さくニャン、と鳴いた。少し、その声は寂しげに感じられた。
夏休みに入り、一週間と少しが経った。その間にも、クロフォードやヨルダン、キーンから連絡があった。一緒に旅をしないか、と言う誘いであったが、イーゼルロットは急用がある、と断っていた。
友人たちのことは嫌いではない。むしろ、感謝すらしている。だからこそ、自分の都合に巻き込むことは避けたかった。
ミリアベルや、他の友人たち。彼らは本来であれば、関係のない人物なのだ。ミアータを操り、事件を巻き起こした存在。それは、自分が本来いた世界から来たものであり、おそらくは父であろう。それをイーゼルロットは確信していた。
どうにかしてその情報を探ろうと、彼は世界中を駆け巡っていた。もとより、暗殺や諜報を生業とする一族の出身のため、その技術は若いながらに極めていた。しかし、そんな彼でも一人であり、そして敵はあまりにも巧妙であった。
手掛かりは見つからない。ダミーの手掛かりを追いかけ、そして失敗すると言った状況である。イーゼルロットの行動を二手三手先まで読んで仕込んでいるとしか思えなかった。
「クソッタレ」
イーゼルロットはそう言い、顔を歪めた。
いっそ、この世界の英雄たちに言えば、とも思ったが、それは甘えだ。自分の世界のこと、そして肉親の始末は自分でつけなければならない。
母を殺したあの男を、そして、自分たちに呪いをかけたあの男を、自分の手で倒さなければ。
イーゼルロットは、静かに自分の身体を抱きしめた。妹とはなれ、独りになるのは久々であった。独りでも生きれる、と思っていたが、それはとても寒いものであるのだと感じさせられた。
友人や家族のぬくもりを、イーゼルロットは思い出す。
(こんな状態で、やつを倒せはしないぞ、イーゼルロット)
自分に言い聞かせる。この体の中にある力ならば、もしかしたら。
けれど、そんな仮定は何の意味もない。見つからなければ、意味はないのだ。
(どこにいる、アンセルムス・・・・・・)
黄昏時の森の中で彼は思う。
そろそろ仮眠を取ろうとした彼は、ふと背後に何かの気配を感じる。腰に隠していた短剣を抜き放ち、それを投げるよりも前に、背後の気配が近づき、彼の短剣を弾き落とす。
首筋に剣を突き立てられる。イーゼルロットは頬に冷や汗を浮かべながら、相手を見る。
「・・・・・・まだ、子どもか」
そう呟いたのは、若い女であった。いや、その女が若いかどうかは実際のところはよくわからない。何故なら、相手はエルフであったからだ。エルフの外見では、年齢を判別することは難しい。人間でいうところの二十代でも、その年齢は優に100歳を超えていることとてあるのだから。
長い耳、風になびく金髪。そして、美貌と緑色の瞳。美しい顔は、警戒のためか硬い。剣を持つ手とは逆の手でイーゼルロットに何かの魔術をかける。
「あなたは誰?どうして、ここにいるの?」
エルフの女が問う。イーゼルロットは「探し物を」とだけ答えた。
「探し物?ここはエルフの秘密の神域よ。・・・・・・答えなさい、あなたは何者?」
「僕は、敵じゃない」
「・・・・・・」
敵意がないことを示すイーゼルロット。その目をエルフは覗き込む。底知れない闇を抱える少年を、エルフの女は信用すべきか否か、考える。
「名前は?」
「イーゼルロット・ファーレンハイト」
「なるほど、ファーレンハイトの一族の者か。・・・・・・探し物とは?」
「それは、教えられない」
そう言い、沈黙したイーゼルロットをエルフは視る。そして、ため息をつく。
「・・・・・・敵ではない、ようだな。抱える闇は深いようだが」
そう言うと、女性は剣をしまう。
「私の名前は、ネルグリューン。ここ、シレン王国の王女だ」
「・・・・・・!」
シレンエルフ部族王国。北部の大陸イヴリスの西部の森林地帯に存在する国である。各地にいるエルフ族の故国であり、エルフの国の中でも最大規模の国である。その歴史も非常に古く、長い間イヴリスにおいて影響力を誇ってきた。かつては排他的であり、他種族から孤立していたが16年前の大戦後は人間種族をはじめ、各種族との交流も盛んである。現女王ネフェリエは英雄たちとの親交も厚く、彼女自身も英雄の一人として戦ったという。その一人娘、ネルグリューンも魔術の使い手として知られている。
魔術のみならず、武術にも精通していることをイーゼルロットは身をもって知った。
「そのエルフの王女がどうしてここに?」
「・・・・・・ファーレンハイトの者に隠しても意味はないだろうな」
そう言い、ネルグリューンは口を開く。ファーレンハイトの一族の者ならば、隠したところで仕方はないだろうという若干の諦観が見て取れた。ある意味では正しく、ある意味では間違っているネルグリューンの誤解を解き馳せず、イーゼルロットはエルフの言葉を待つ。
「最近、各地の聖域が荒らされることが多くなっているようだ。五大陸戦争後、祝福が消え、世界が巨悪から解放されると同時に各地の神域には膨大な魔力が渦巻くようになった。以後、各地の英雄や統治者、巫女が聖域・神域を管理するようになった。けれども、何者かがどうやってかは知らないけれども、その力を奪っている。我が母ネフェリエは何らかの徴候であると考えており、こうして私はこの神域で見張っている、ということだ」
「・・・・・・」
イーゼルロットは黙する。そのような話はまだ聞いていない。よほど重大な機密として伏せられているのだろう。だが、これでアンセルムスの動向がつかめるかもしれない、とイーゼルロットは思った。
「神域は、各地にあるのか?」
「詳しくは私も知らないわ。私が知るのは、シレン、つまりエルフ族の神域だけよ。けれど、そうね。あるのでしょうね」
たとえば、とネルグリューンは言う。
「かの有名な、精霊湖、とかはその神域ではないかしら?」
「・・・・・・!」
精霊湖。いつか、その名前を聞いた。あれは、ミリアベルとその友人たちとの会話であったような気がする。彼女たちはこの休みの間に、あそこに行く予定ではなかったか、とイーゼルロットは思う。
不安を感じながらも、イーゼルロットはネルグリューンに感情を見せずに言った。
「情報提供に感謝する」
「・・・・・・あなた、どこかで会ったことはない?」
いえ、とネルグリューンは首を振る。いつか、あなたと似た面影の人と会ったような気がしただけ、忘れて、と。
イーゼルロットはネルグリューンに一礼し、そのまま消え去った。エルフの女性は美しい顔に若干の郷愁を浮かべ、踵を返し、神域に戻っていく。
アンセルムスが何をたくらんでいるかは不明だが、確実に各地の神域を荒らしているのは彼であることをイーゼルロットは確信していた。
(この世界で何をする気だ、アンセルムス)
かつていた世界を支配し、滅ぼした彼は、次なる野望にこの世界を侵攻し始めたとでもいうのか。訳が分からない。何が目的なのか。
この世界を巻き込むことは、許せない。そして、彼がここにいるというならば、あの世界はどうなったのだろうか?
イーゼルロットに知る由はない。
深い闇の奥。地下深くに広がる広大な深淵の中、わずかな灯が光り、あたりを照らす。蠢く影どもを横目で見ながら、彼はまっすぐに敵を見る。黒いフードの奥から覗く、黒曜石の髪と、同色の瞳。闇よりも深い黒を湛えるその瞳を覗き込む。
突然、横で蠢いていた影が鞭のようなもので彼の身体を容赦なくたたいた。彼の銀色の鱗を鞭が討つ。彼は痛みの声を漏らさず、静かに敵を睨む。
「さすが、英雄の一人リクターだ」
フードの男が言う。
「鋼のような精神だ」
そう言い、鞭で打たれ続ける魚人族の戦士を見る。リクターと呼ばれた魚人の男は、その強い視線でフードの男を睨み続ける。
「英雄リクター。お前の持っていた神器の在り処を教えろ」
「・・・・・・それを教えて、何に使うつもりだ」
静かな声でリクターが言う。フードの男が言う。
「そんなこと、貴様の知ることではない」
「ならば言わぬ。例え知ったところで、吐きはしない」
そう言う魚人の戦士に、フードの男は片手を上げ合図をした。横にいた影どもが男を鞭でより強くたたいた。
「口を割らぬか。まあいい、それでもな。だが、いずれ思い知る。抵抗は無意味だということを」
そう言い、フードの男は背を向けて歩き去ろうとする。その男の背にリクターは「待て」と叫んだ。ピタリと足を止め、フードの男は振り返る。
「お前は、アンセルムスか」
リクターの問いに、フードの男は意味深な笑みを返した。
「その通りだ。だが、こことは違う結末をたどった世界より、俺は来た」
「違う、結末だと?」
「ああ。だが、貴様は知る必要はない。・・・・・・続けろ」
フードの男アンセルムスは笑みを浮かべて指示した。鞭を討つ作業を再開した影どもに満足し、彼は歩き去っていく。
しばらく闇の中を歩いた彼は、とある部屋に入った。そして、その部屋にある広い寝台の上に眠らされている、フォクサルシアの女を見る。
彼女の口から聞きたいことは山ほどあるが、キアラはアンセルムスに情報を漏らすまいとして深い眠りについた。いつ目覚めるともしれぬ彼女。下手に手を出せば、情報ごとフォクサルシアの女は死ぬ。故に、アンセルムスも手出しできない。
「厄介だな。だが、まあいい」
アンセルムスはそう言い、左手にはめた指輪を見る。
「もうすぐだ、もうすぐすべてが手に入る。そしてその時こそ、お前は再び俺のもとに戻ってこれる。そうだろう、ナターシャ」
男はそう言い、指輪を愛でるように撫でた。かつては輝いていた指輪だが、それは黒ずんでおり、鈍い輝きを返すだけとなっていた。それでも、愛おしきものとの思い出の品であるそれを、彼は手放しはしなかった。