第7話
そして週末も明け、蓮斗はまた仕事へ行った。相変わらず教育係のなつに仕事を教わっていた。しかし、仕事覚えが良かったせいもあり、その週の半ばから蓮斗は一人で仕事をするようになった。昼食は相変わらずなつと食べていたが、今までとは違いどことなくふたりの間の空気は重たかった。
「ねぇ、なつさん、気にしないでくださいね。」
「ありがとう。」
「また遊んでくれますか?」
「私で良ければ…」
「是非、お願いします。」
「良かったぁ。」
そう言うと場の空気は少し明るくなった。蓮斗は春子の自殺の件を話したことを気にしていたのだ。
「今週末は空いてる?」
「はい。」
「じゃあ、今週末にしようか。」
「いいですよ。」
「場所と時間はどうしようか…」
「また町田でもいいですか?」
「うん。いいよ。」
「じゃあ、町田に十三時でお願いします。」
「了解!」
そして週末に会う約束をしたのだった。蓮斗は気まずさを隠すことで精一杯だったので、また同じ場所の町田を提案してしまったのだ。特に用事がある訳でもなく、また映画が観たい訳でもなかった。ただ自分の住んでいる街だった、それだけの理由で町田を提案したのだった。
週末、蓮斗は朝起きるといつもと様子が違うことに気付いた。そこに春子が居た…そんな気がしたのだ。いや、確かにそこに春子が居た…蓮斗はそう思わざるを得ない状況だったのだ。
「春子?」
死んだはずの春子は当然そこに居る訳がなかった。
「春子?」
何度も蓮斗は春子の名前を繰り返し呼んだ。すると返事が聞こえた。
「蓮斗…」
頼りなく薄っすらとした声だったが、確かに蓮斗には自分が呼ばれる声が聞こえた。それは間違いなく春子の声だったのだ。この世には居ないはずの春子の声が蓮斗にはハッキリと聞こえたのだった。
そして約束の時間に間に合うように、蓮斗は支度をして待ち合わせ場所へと行った。
「お待たせしました。」
この日、蓮斗は遅刻をしたのだった。律儀な蓮斗は遅刻することなど人生でほとんどなかった。この日、なつはTシャツにジーパンというラフな格好だった。
「ううん。大丈夫だよ。」
「喫茶店行きませんか?少し相談に乗って欲しいんです。」
「いいよ。」
そう言うとふたりは前回と同じ喫茶店に入りコーヒーを注文した。蓮斗はブラックで、なつは砂糖だけを入れていた。前回と同じ風景だった。
「相談って何?」
「今朝…春子…死んじゃった子の声が聞こえたんです。」
「え…?」
「それって幻聴じゃないの?」
「いえ。確かに「蓮斗…」って声が聞こえたんです。」
「…」
「それは幻聴だよ。」
「…そうなんですか?」
「そうだよ!」
「やっぱり幻聴ですよね。」
「絶対にそうだよ。」
「そんなことないと思うのですが…」
「そう…」
「薄っすらと頼りなくですがハッキリと聞こえました。僕のことを呼ぶ声が…」
蓮斗の様子がおかしいことになつは気付いた。
「蓮斗くん、これから病院行こう。職場には内緒にしておくから。」
「病院?」
「そう。」
「精神科ですか?」
「うん。そうだよ。」
「…」
「早目に受診した方が良さそうだよ。」
「僕、そんなに変ですか?」
「正直に言うね。」
「はい。」
「いつもと違って様子がおかしいよ。」
「やっぱり変だってことですか?」
「うん。だから病院行こう。」
そう言うと半ば無理矢理、蓮斗は精神病院へ連れて行かれた。
問診表を書き、初診の手続きを済ませて暫く待っていると蓮斗は呼ばれた。
「蓮斗さん、三番にお入りください。」
そうして三番の診察室へ入っていった。
「問診表を読ませていただきました。亡くなった方の声が聞こえたのですか?こういうことは初めてですか?」
「はい。初めてです。でも確かに聞こえました。」
「そうですか…とりあえず今回は安定剤を少し出しておきますね。もしもまた聞こえるようなことがあれば受診しに来てください。」
「はい。わかりました。ありがとうございました。」
「お大事に…」
そして診察が終わり、診察室の中でのやりとりをなつに話した。
「ねぇ、蓮斗くん、なんだって?」
「とりあえず幻聴が聞こえたことを話しました。」
「そしたら?」
「いえ、今回はそれで終わりでした。」
「そっか…」
「それで安定剤を出されました。また幻聴が聞こえるようなら来てくださいとのことでした。」
「そう…心配だなぁ。」
そして週末も終わり、蓮斗はまた仕事へ行った。
「おはようございます。」
「おはよう。」
いつもと変わらない様子だった。しかし、蓮斗が安定剤を飲むようになっていることだけが変わっていた。職場ではなつ以外、そのことを知ることはなかった。なつは蓮斗との約束を守っていたのだ。
「蓮斗くん!」
小声でなつが蓮斗を呼んだ。
「大丈夫なの?」
「はい。なんとか。」
蓮斗も小声で話した。
「あれからあの人の声が聞こえたりする?」
「いいえ。大丈夫です。ありがとうございます。」
「そう…良かった。」
そう話していると休憩時間は終わり、みんなは仕事に就いた。いつもと同じように仕事をしているとどこからか蓮斗を呼ぶ声が聞こえた。
「蓮斗…蓮斗…」
蓮斗の耳にははっきりと聞こえた。
「春子…?」
倉庫のラインの音が五月蝿いはずなのに、蓮斗にはそれ以上に大きく自分のことを呼ぶ声が聞こえたのだった。間違いなく大好きだった春子の声だった。それからもラインの騒音をかき消すかのように春子が蓮斗を呼ぶ声が聞こえた。
「蓮斗…」
「春子!」
蓮斗は声を荒げて春子の名前を呼んだ。それに周りで作業をしている人たちは気付いた。そこへなつは手を止めて蓮斗の元へ駆けつけた。
「蓮斗くん、大丈夫?」
「今、春子が…」
「春子さんはもう居ないんでしょ?」
「でも…今…」
「春子さんはもう居ないの!」
「…」
「すみません!蓮斗くん、調子悪いみたいなので早退させてあげてください。」
なつがそう言うと、蓮斗は早退することになった。
「すみません、なんか…でもはっきり聞こえたんです。」
「病院行きなよ、ね?」
なつはそう言ってくれた。職場では蓮斗が声を荒げていた話題で持ち切りだった。普段は黙々と作業をこなしている蓮斗が声を荒げて春子の名前を呼んでいたのが珍しかったのだ。そして蓮斗は病院へ行くことにした。