第22話
それからあおいは荷物をまとめて、シンジの家で住む準備を始めた。要らないものが多かったせいか片付けには時間がかかったが、解約の日まで時間があったので困ることはなかった。
「これで本当に同棲…だね。」
「ね。」
「嬉しいな。」
「ねぇ、そんなに僕のことが好きなの?」
「うん。大好き。」
「そんなに魅力あるかなぁ。」
「あるよ。かっこいいし、優しいし…なんか弱いところとか?」
「弱いところ…」
「うん。私、あまり「男!」って感じの人は苦手なの。」
「そっか。あまり男らしくはないもんね。」
「ううん。そういう意味ではなくて。」
「大丈夫。わかってるよ。」
そしてその夜もいつもと同じように、シンジはあおいの髪を撫でキスをしてひとつになった。シングルベッドにふたりは狭かったが、それでも幸せだった。そして夜が明けた。
「ユキ…」
その声であおいは目を覚ました。
「どうしたの?シンジ?」
「ユキが…」
「幻覚?」
「ユキが…」
「幻覚だよ。薬はどこ?」
「これ…」
「飲んで!」
「うん。」
そう言うとシンジは薬を飲んで横にさせられた。シンジは本当は幻覚を見た訳ではなかった。眠っていたあおいに向けてユキの名前を呼んでいたのだった。どうしてもユキのことが頭から離れなかったのだ。それからシンジの心配をよそにあおいは仕事へ行った。
シンジはニルバーナを聴きながら横になっていた。どうしたらあおいにユキを重ねることなく接することが出来るのかを考えていた。考えても考えても答えは出なかった。しかし、このままではいつかバレてしまうと思っていたのだ。ニルバーナを聴くとユキを思い出し、ユキを思い出すとユキが好きだった蓮斗のことも頭に浮かんできたのだった。そうするとあおいが帰ってきた。
「ただいま。」
「おかえり。お疲れ様。」
「今日はずっと横になってたよ。」
「調子悪かったの?」
「ううん。もう大丈夫だよ。」
「そう…調子悪い時はちゃんと話してね。」
「うん。わかった。」
「あれから幻覚は?」
「見てないよ。」
「そっか。良かった。ニルバーナ聴いてたんだね。」
「うん。好きなんだ。知ってるの?」
「もちろん。有名だもんね。」
「あおいは好き?」
「うん…普通に好きだよ。」
「そっか。それなら流しておこうか。」
「うん。」
そして夜も更けてふたりは眠りについた。そして翌朝、あおいは仕事へ行った。それから少ししてシンジは病院へ行った。
いつものように聞き飽きた台詞でシンジは呼ばれた。
「シンジさん。診察室へお入りください。」
「はい。」
そして診察室へ入った。
「調子はどうですか?」
「幻覚はまったく見てません。ただ…」
「ただ?どうかなさいましたか?」
「彼女にユキを重ねてしまうんです。」
「似ているのですか?」
「はい。とても似ています。外見とかコーヒーに入れるクリームと砂糖の量がそっくりなんです。」
「そうなんですね…」
「はい…」
「でもそれは彼女さんにとっては失礼だと思いますよ。」
医師はハッキリとそう言った。
「それはわかってます。」
「同棲してるんです、今。」
「そうですか…」
「だから余計にユキと彼女を重ねてしまうんですかね…」
「それはあるかもしれませんね。ユキさんはもうこの世には存在しないんです。もうわかっているでしょ?だから彼女さんだけを見てあげてください。」
「わかってます。」
「もしかしたら悪化してしまうかもしれませんからね。」
「でも彼女のおかげで寂しさは紛れてます。幻覚が減ったのも彼女のおかげだと思ってます。」
「確かにそれはあるかもしれませんね。それなら尚更、彼女さんと向き合ってください。」
「はい。わかりました。」
「では、また二週間後に来てください。薬もちゃんと飲むようにしてくださいね。」
「はい…」
そう言うと診察室を後にした。シンジはもう薬を飲むことが嫌になってしまった。今回の診察で、薬を飲むことは誤魔化しているに過ぎないと思ったからだ。医師の言葉をそうとらえてしまったシンジは、処方箋通りに薬を飲むことをやめてしまうのだった。
そしてシンジが帰宅すると、あおいが帰って来た。
「あ、おかえり。」
「ただいま。今日は病院どうだった?」
「いつも通りだったよ。」
「そっか。良かった、良かった。」
「あおい、お疲れ様。まだ言ってなかったね。」
「シンジも病院、お疲れ様。」
「うん。ありがとう。」
「病状も安定してるみたいで良かった。」
「…うん。」
その日、シンジは薬を飲まなかった。ただの対症療法に過ぎないと思い馬鹿馬鹿しく思えたこともあったが、ユキのことを忘れたくなかったのだった。
翌朝、シンジはこう言っていた。
「ユキ…会いたいよ…」
当然、ユキからの返事はなかった。
「ユキ!」
その声であおいは目を覚ました。
「どうしたの?」
「ユキ!」
そう言うとシンジはあおいに抱きついた。
「どうしたの?幻覚?」
「ユキ!」
「薬!ちょっと待っててね。」
そう言うとあおいは薬をシンジに飲ませた。しかし、シンジはその薬を飲み込まなかった。
「私、仕事行かないと…横になっててね。」
「うん。いってらっしゃい。」
そう言うとシンジは薬を吐き出して捨てた。朝以来、ユキの幻覚を見ることはなかった。しかし、その日シンジは一日中横になっていた。




