プロローグ カインの傭兵
「ナヴィアたんはかーわいいなあ……」
二十代半ばを過ぎた男が、だらしなく席にもたれながらそんなつぶやきを漏らす。世の女性がその様子を見たらまずドン引きすること請け合いだが、幸いにもここは宇宙空間のど真ん中。
かつて地上を走り回っていた車の3倍程度の大きさの小型宇宙船に乗っているのも男一人。男のつぶやきを聞き取る者など誰もいないため、特に問題はなかった。
『お言葉ですがマスター、私に用意されたホログラム映像は美少女型として設定されております』
訂正。正確には誰もいない、という訳ではなかった。
限りなく肉声に近い電子音が男の頭上から響く。
『美しい少女と書いて「美少女」。そして私の認識では「かわいい」とは愛らしい幼児をもて囃すための蔑みをやや含めた褒め言葉となっております。以上の事柄はマスターも既にご存知かと。ええ、先ほどのマスターの台詞に訂正を求めます……「ナヴィア様はお美しい」と』
一見丁寧に聞こえるが、その実かなり尊大な態度で返答する少女は男の正面やや上の空間を漂っている。
身長147.5センチメートル、体重0.0キログラム。
あふれんばかりの藤色の髪を蝶型のバレッタで後ろに纏めあげ、美しい金の双眼を輝かせているその少女。白いワンピースをひらひらとたなびかせている。パンツが見えそうで見えなかった。男は舌打ちする。
彼女の本体はここで浮いている立体映像ではなく、男が乗っている小型宇宙船の中心部に搭載されたコンピュータである。
名はナヴィア。かつて中断された人工知能開発計画における試作品の一つであり、本来なら廃棄される所をある研究者に引き取られて一命(?)を取り留めた。
しかしなにぶん不法所持であったために早々に手放され、その後数年の間に人から人へと渡り続けて最終的に男の物となったわけである。
「そうだナヴィア、お前は俺の物、すなわち所有物なんだ。だからお前は俺の言う事を聞く義務がある……ようするにお前はかわいい、それを理解しろ」
自信満々にそう宣言し、さらに席にもたれかかる事で頭の位置を少し下げる。だがパンツは見えない。
『はあ、そう聞くとゲスですねマスター。ですがそれでも私は“美しい”のです。あなたが理解しろ下さい』
男は視線を上げて確認する。ナヴィアは特にパンツを隠そうとしていなかった。なのになぜだ、なぜ見えない……絶対領域はプログラムされていない筈だ。
男が思案に暮れている間にナヴィアは周囲の探査を開始する。もうじき目的地の近くに入る筈だからだ。
ナヴィアの手元に光のパネルが広がった。無駄の無い滑らかかつ俊敏な動きでそれらを操作していく。最も全てはイメージ映像であるためある意味無駄だが。何らかの作業をする際には視覚的に分かりやすくしろという、男の指示による物だった。
男——レノス・サーペントは傭兵である。手入れを怠ったバサバサの黒髪に筋肉が一般人程度の中肉中背、一カ月洗濯していないボロいシャツを羽織ったその姿は、どう見てもただの引きこもりだが。
一応結構な数の死線を潜り抜けてはいるのだが、そんな雰囲気は全くない。最近全く仕事を入れていなかったせいだろう。
傭兵の給料というと多くの場合は極めて安価だが、レノスの場合はある理由のために一度で破格の報酬を得る事が出来た。そのため一度仕事が完了すればその金が尽きるまで美女や少女や幼女の尻を追いかけつつ宇宙を気ままに彷徨う、といった生活が可能なのだ。
そんな堕落しまくった環境に彼は一応の満足感を得ていた。しかし男もいつまでも若くはない。ましてや色々とまずい事をして、まずい連中に命を狙われている身だ。なるべく老後のために多くの蓄えを用意しておく必要があるだろう。
そう珍しく真面目に考えていたときに今回の依頼が舞い降りてきた。
目的地は「ノアズ・アーク」……この小型宇宙船なんかとは大きさも機能も比べ物にならない、宇宙軍保有の大型船。そこからレノスを傭兵として雇うと連絡してきた相手の依頼を受けたのが2週間前のことである。
送られてきた動画は画質が荒く、顔のはっきりしない女の他に映っている物は何も分からない。
『……レノス・サーペント殿に協力を願いたい。報酬は』
そんなノイズまじりの女の声、そこで映像は終わった。女は最後に手のひらを広げてカメラに向けていた。指が五本、これ即ち。
「50万ドルか……フッ、悪くないな」
『5000ジンバブエドルだったらどうするんですか』
そんなナヴィアのツッコミを無視してこの依頼を引き受ける旨の信号を動画の発信元に送り返した。
怪しい事この上ない? そんな事は無い。ノイズではっきりしなかったが、あれは結構な美人さんだ、間違いない。美人の依頼なら大丈夫だ、たとえ詐欺でも元は取れる。
それに宇宙軍が傭兵を雇うのはそう珍しいことではない。滅びゆく地球から逃げそびれた者は当時の全人口の3割近く。その後半世紀の間に過酷な宇宙の環境に適応できず死ぬ者も多く、物資の奪い合いによる闘争を始めとする様々な理由によってさらに減少していった。
要するに、どこもかしこも人手が足りないのだ。それは現在人類で二番目に巨大な権力を持つ宇宙軍といえども例外ではないのだろう。
否、正確には彼らは“人間”の戦力には事欠かないのかもしれない。食い扶持のためならば危険な職務のために身を投げ出す者は決して少なくない筈だ。
しかし単なる“人”では対処しきれない事件も多いのだ。そう、“人を超えたモノ”の相手は同類に限る。
『!』
ナヴィアの手が止まり、自らの主に視線を渡す。その様子にレノスもパンツとかパンツとかパンツに関する色々と最低な思考を止め、宇宙空間を広く見渡せる前方モニターに目を向けた。
そこに現れたのは。
『見っつけたぜぇぇぇ!!! この裏切り者があぁぁぁぁ!!!』
非常にやかましい大声が宇宙空間に響き渡る。普通真空で音は響かない筈なのだが、あいにく相手は普通ではなかった。
前方に映ったのはこの宇宙船の10倍はある中型船だ。そして、その上には十代後半とおぼしき若者が直立している。宇宙空間にいるにも関わらず、彼は宇宙服を着ていなかった。
それどころか極めてラフな格好だ。髪を金色に染め、ピアスを体中に取り付けている。その上グラサンまでしており、ぱっと見は1990年代のガラの悪いニイちゃんといったところか。
そんな不良モドキはにやり、と口元を歪めると、こちらを鋭く睨んできた。
「ひっさしぶりだなあ……レノスのおっさんよぉ」
……誰だ?
明らかに自分は相手に恨みを買っている、しかも顔見知りのようだ。が、生憎とレノスは相手の顔を覚えていなかった。ともあれこんな近くにくるまでナヴィアの探知機能に引っかからなかったのは驚愕に値する。相手が凄いのか、相手の宇宙船がすごいのかは不明だが。
ともかく問題はこのまま戦闘準備に入るか、逃げの一手を打つかだ。あの男の他にも“宇宙空間に生身で出て死なずに済むような人間”がいる可能性はある。だとしたらそれなりに厄介だ。まだ死にたく無い。
だがそんなこちらの事情も聞かず、男は叫んでいる。
「覚えているか? イーノックでの事をよぉ……てめえがオレの兄貴をぶち殺してくれやがったあの忌々しい戦争を!」
分からん。
イーノックは居住用ステーションの一つだ。レノスも何度か立ち入った事があるが、比較的都市として繁栄しており住む人の数も多い。その分闘争の数も多く、レノスの仕事も増えた。
そこで毎回敵対した人間を大量に殺したのは覚えているが、誰がその兄なのかは分からない。そんな物は覚えていた所で意味が無い。出会った女の顔と体さえ覚えていれば十分だ。誰が好き好んでむさ苦しい男の汗にまみれた顔なぞ覚えるか。
「てめえ……相変わらずのふざけた思考だな」
しまった、とレノスは思う。どうやら相手はテレパス能力の持ち主だったらしい。
となればあれか、相手と話している間も密かにナヴィアたんのワンピースが雨でぐしょ濡れになった時の想像図を描いていたのもモロバレか。おのれナヴィアたんのあられもない姿を勝手に除き見るなぞ許すまじ。
そんな事を考えていると相手の眼光が二倍増しになった。穴が開きそうである。
だがそうと分かればやる事は一つだ。
「逃げるぞナヴィア!」
『ヘタレですね分かります』
ナヴィアが冷めた目でレノスを見下す。だがそんな事は全力で気にせず反転及び全速力での前進を命じた。
違う。断じてへたれではない。テレパスは効果範囲があるから距離を置いた方が良いと考えたまでだ、と心の中で言い訳する。
それにもうじきノアズ・アークに着く。相手が何者かは未だ分からないが、さすがに宇宙軍のど真ん中に来てまで追いかけてこようとは思わないだろう。これは戦略的撤退だとも。
そもそもレノスの「能力」は相手に思考を読まれると極めて不利に働くものだった。一対一で戦うなどもってのほか、ましてや相手はそれ以上にいるかもしれないのである。
いや、テレパスの男が外にいるにも関わらず宇宙船が動いている事から、ナヴィアのような人工知能を搭載していない限りは少なくとももう一人は仲間がいるだろう。
なんにせよ逃げれば勝ちである。
「待ちやがれっクソがあぁぁぁ!!!」
相手も全速力で追いかけてきた。テレパスの男は相変わらず宇宙船の上に乗ったままである。”普通でない”と言っても、高速で移動する宇宙船の上に乗っていれば相当なGがかかる。運動系統の能力も高いと見て良いだろう。本当に相手にしたくない。
「しかたがない……ナヴィア、A.P.L.による手動操縦に切り替えるぞ」
『お好きにどーぞ』
仕事がなくなったためナヴィアは寝転がって心底やる気なさげに鼻クソをほじりだした。ちょっ、やめなさいそんなことみっともない。だがレノスの焦りを他所にナヴィアは尻までかき始める。美少女というイメージがボロ崩れに。
「オラオラオラどぉしたぁー? 追いかけっこはこれで仕舞いかコラ!」
船内の一大事にも相手の動きは止まらない。どうにかしてこの人工知能に「おしとやか」という設定を書き加える事を決意したレノスは、とにかく今は逃げる事だけを頭に置いて集中すべく目を閉じる。
レノスから銀色の細かい粒子が沸き上がった。それらは集まって液状の金属物質となり、ハンドルやボタンの一切無い操作盤に空いた穴に入ってゆく。船の操作系統に侵入したその物質はレノスに船の状態を伝え、脳波を通しての操作を許可する。
「行くぞ……ブーストモード、開始!」
小型宇宙船がテレパスの男の前から消えた。正確には目視できないスピードで飛び去ったのだが。レノスの思考から数十秒前にはこうなる結果を予測していた男は舌打ちこそしたものの、さして残念そうにもせずに前方を見やる。
「ま、いいさ。奴があの船、ノアズ・アークの宇宙軍に雇われたというのなら……クク、せいぜい絶望する事だ」
そう呟くと、男は不適に笑った。
現在、人類は月と火星、小惑星と太陽圏内に建造された多くのステーションに散らばっている。それらを行き交う宇宙船は小型の物なら車の倍程度の値段で手に入るようになり、一家に一台は常識となった。
そして地球は——人類のみならず多くの生命体が死に絶え、今や死の星の代名詞となっていた。
西暦2030年。突如としてどこから現れたかも知れない隕石群が地球に降り注ぎ、人類は地表から居場所を失いつつあった。
とはいえ当時の技術では隕石群を止める技術も、人類をどこぞへ逃がすための科学もまだまだ発展途上。人類は想像よりも遥かに早い滅びの時を待つしかない、筈だった。
しかし隕石は絶望と同時に奇跡をもたらした。隕石に含まれていた、地球上に存在しない金属元素。A.P.L.と名付けられたその物質は常温で気化して人体に吸収されると、一定の確率でその細胞に突然変異を起こした。
その犠牲者達は数日間細胞が入れ替わる苦しみに耐え抜くと、一代で進化を遂げた新人類「カイン」となった。
彼らの進化の仕方は様々だった。運動神経が異常に発達した者、念力やらテレパシーやらが使えるようになった者、前々から研究していた黒魔術を実践できるようになった者……そんな異常事態の中でも人類が必要としたのはただ一つ、とにかく現状を乗り切る力を持つ者達だけだった。
結果として、それは知能が発達したカイン達となる。一箇所に集められた彼らによって宇宙進出のための研究が日夜続けられた。そしてあろう事か数ヶ月でそれは完成されたのである。
人類が積み重ねる筈だった科学をあっさりと数百年分は飛び越えたであろう彼らに、しかしその時点で怒りだす者は僅かだった。地球と生死を共にしたい自殺志願者以外は我先にと彼らの開発した宇宙船に乗り込み、さっさと母なる惑星から遠ざかって行った。
人類は救世主であるカインに感謝した。問題はその後である。新しい環境は適応しきれなかった多くの人類を死に追いやった。しかしその数が予想よりも圧倒的に少なかったのはやはりカインの功績だ。
多くの宇宙船内部には地球のものと変わらない野菜や果実を生み出すプラントが広がっていた。カインの発明だ。
地球に置いて行ったのと変わりない牛や豚、鳥類に魚介類が揃って飼われている。カインのクローン技術によるものだ。
見ろ、宇宙服なしに人が宇宙船の外を泳いでいるぞ……カインはみんな生身で宇宙空間を生きられる。
宇宙船の中を雨が降っている。カインの超能力だ。
子供が浮いている。上に同じく。
風が吹いてスカートが! 上に同じく。
明日あの人が死ぬよ。カインの予知能力で分かったんだ。
カイン、カイン、カイン…………ああ、カインはすごい。隕石から抽出されたA.P.L.の力で変わり果てた人々。
彼らは、本当に人間か?
半世紀前まで同じ人類でありながら、人類に依存され、同時に恐れられるようになったカイン。
人は彼らを危険視する。それは彼らによって救われた事実を忘れた、身の程を弁えぬ偏見。されど強大な力を得た彼らが傲り高ぶるのもまた事実。
やがて人とカインの間には明確な境界線が引かれるようになった。カインが人を脅かすならば、そんな危険な連中は同じカインに任せておけ。人では敵いっこない、と。
レノス・サーペントもそういった、人類からかけ離れた存在となってしまった一人である。
現在、隕石及びA.P.L.は宇宙政府によって隔離こそされてはいるが、数が数だけにどこからでも流出する。
人からカインへの進化をもくろんで盗み出す者も多く、レノスはそういったA.P.L.を幼少期にたまたま自分の物としてしまった。それが幸か不幸かは誰にも分からない。
人類に比べると優秀な部分が少しはあるし、今宇宙船の窓を開けて飛び出してもテレパスの男同様、死にはしない。うっかり宇宙船から離れすぎて帰れなくなったら話は別だが。
カインはカインにしか殺せない。
そんな考えを持つ人間によって、レノスはカインを狩るカインとして雇われ続けてきた。今回もその筈だ、多分。
無論、同族のカインからは彼のような存在は忌み嫌われている。共食い、同族の血を啜って生きる吸血鬼。レノスもまた様々な蔑称を付けられてきた。それでもなお彼がこの仕事を続ける理由は何だ。レノスはそう問われるたびにこう返してきた。
「給料が高いからな」
なりたがる者が少なく、かつ需要の多い職業の給与がそれなりに高額なのはいつの時代もそう変わりはしないだろう。
そんな言動のためにますますレノスは同族から狙われやすい立ち位置となった。実際、カインだろうと人類だろうと彼はさして興味を持たなかった。ただし美女及び美少女除く。これ大事。
二次元三次元は問わない。仮にナヴィアが1万人の名のむさ苦しいオッサンの乗った宇宙船に攫われたとしたら、迷いなく皆殺しにして奪還するだろう。ナヴィアたんマジ天使と叫びながら。
まあそれはさておき。
『ノアズ・アークまで約100キロメートルです』
今は単なる目的地。そして後にレノスにとって新たな始まりの地となる船は近い。