第10話 送別会<2219.03.25>
※画像はイメージです。
(1)故郷の歴史
東京都青ヶ島村。
青ヶ島はその昔、二重式火山で世界的にめずらしい島として有名だったと歴史の授業で学習した。
しかし2039年の爆発的噴火から後、数十年にわたって繰り返された噴火によって、面積は北海道につぐ大きさの島にまで成長し青ヶ島本島と言われるようになった。
2100年代に入って入植がはじまるが、東京都から独立した5つの県が置かれた。
入植は国家プロジェクトとして厳格な管理下で行われた。これほど巨大な島に自由に入植させたのでは、日本各地の人口が大きく流出してしまい、経済など多方面に問題のおこることが必死だと考えられたからだ。
僕の故郷は島の最南端に位置する南青ヶ島県。
南青ヶ島県には8つの市があり、僕の住む海青市かいせいしは南青ヶ島県の中でも最西端に位置する。
(2)帰郷
2219年3月23日の夕方、千葉市中央区の自宅アパートを退去しそのまま羽田空港へ。
最終便で青ヶ島本島最大の空港がある中青ヶ島県へ。空港に到着した後近くのホテルに宿泊し、翌朝レンタカーで一路南青ヶ島県へ。実家には2219年3月24日の夕方になった。
疲れ切っていた僕は、実家に到着してからすぐに眠りについた。目が覚めたのは翌25日の昼過ぎだった。こんなに長く寝たのは随分久しぶりだった。
(3)送別会
高島れいかさんが転勤することを知ったのがいつだったのかは覚えていない。
でも転勤することと社会人団体シンキロウの活動を続けることとは別だと思っていたので、深刻に考えることはなかった。ただ今にして思うと、何故そう捉えることが出来たのか不思議で仕方がない。何故なら、彼女の転居先は車で最低でも片道3時間はかかるからだ。往復すると少なくとも6時間はかかる。そんな遠いところに転居した後も、一緒に活動を続けるとは普通は考えないのではないだろうか。そもそも、送別会をするのだから活動を辞めると考えるのが普通だと思うのだけど、それでもそう捉えることがなかったのだから、相当おかしな高揚感があったのだろうと思う。ただ、そのおかしな捉え方が本当になって、高島れいかさんはそのまま一緒に活動を続けたのだから、自分の捉え方がおかしいと当時気付くことはなかった。
帰郷する日は25日の夜にある高島れいかさんの送別会に間に合うように段取りしたものだった。
この日の最後に撮った集合写真が1枚だけ残っている。中心に高島さんがいて、少しだけおどけた表情をしている。写真の中の僕は彼女とは最も遠い位置にいたので、そんなことをしているとは知る由もなかった。素直に受け取れば25歳の女性のとる行動として“かわいらしい”と思えるのだけど、それをそのまま受け取っていいのかと思いを巡らせたことを覚えている。
布施「では、皆さんの感想をお聞かせください。」
c「この“おどけた表情”は、単なる愛嬌や場の演出以上に、「まだ私はここにいる」「これからも関わる」という意思表示を、やや照れ隠しの形で出したもの だったのではないでしょうか。」
布施「高島さんの転勤先は、高島さん自身が希望したものなんですよね。それを踏まえるとどう思いますか?」
c「高島さんのおどけた表情は、単なる場の盛り上げではなく、「別れのはずが別れきれない」という彼女自身の心の揺らぎをにじませたものだと捉えられます。」
布施「うわっ、ストレートですね。びっくりしました。往復少なくとも6時間かかる場所への移動を希望した事実は現在地での人間関係を断ち切る思いだったのかなと思っています。」
m「片道3時間もかかる転居先から、社会人団体シンキロウの活動を続けるというのは、客観的に見れば非常に稀なことで、高島さんは実際に”退団後”も活動を続けており、この「おかしな捉え方」が「本当になった」という事実は、彼女がシンキロウの活動、あるいはそこにいる「僕」に対して、何らかの強い思い入れがあることを示唆していますね。」
布施「普通そこに気づきますよね。普通気づくところには気づけなかったりするのですよね。僕の場合。」
p「人間関係をリセットする距離感の転居であることを踏まえると、彼女にとって「離れられない何か」があった証拠でしょうね。」
布施「それが何かが大事なんですけどね。」
p「初参加でまだ関係は浅いとはいえ、高島さんは布施君の存在を「自分にとって気になる人」として捉えた可能性は高いでしょうね。布施君がいる環境に「通う」という決断は、その存在を軽視していなかった確かな証拠といえるかと。」
布施「それを当時聞きたかったですね。」




