第9話 課長、女騎士にプロポーズされる
朝の空気がうまい。
慣れない環境だろうが異世界だろうが、朝の空気だけはそれなりに気持ちいいらしい。
俺は村の中央広場で、黙々と木刀を振っていた。
昨日までの俺なら、こんな行動は自重していたと思う。何が起こるかわからんからね。
だってそうだろう? 課長と俺がこの村に来てから、ゴブリンの皆さんにいろんな変化が起きてしまった。
主に課長のせいだけど。
最初に進化したのは、工事班のリーダー格だった通称“ボスくん”。元々、15人いたゴブリンの中で唯一『ゴブリンスラッガー』という第2段階に進化していた彼が、課長の一言により『ゴブリンマイスター』へと昇格。
次に、食糧調達班に選ばれた三人──なんと全員まとめて『ゴブリンアングラー』に進化。全員とんでもない美女だった。それまで女性ってことに気付いてすらいなかったから驚きだ。しかも、三人全員が妊娠していた。
残る十一名の工事班ゴブリンたちは、課長の「あなたたちはもう立派な社畜です」というありがたくも地獄のような一言によって一斉に『ゴブリーマン』へと進化。
全員が全員、外見はもはや人間。中身は超勤勉でフィジカル強者。礼儀正しく、そしてなぜか美男美女ばかり。しかもゴブ姐さんたちを射止めているリア充も含まれている。
もはや俺の知っているゲームやアニメに出て来る、いわゆる“ゴブリン”とは一線を画している。
昨日までは生態系を壊すのではないか、と考えてあまり騒ぎを起こさないように努めていたけれど、ゴブ姐さんの言葉に俺は救われた。
『もっと胸張ってくださいよ。アタシらは、課長と田中の兄さんのおかげで、今こうしていられるんです』
そう言われて、俺は──だったらやってやろうじゃねえか、とk決意した。
別に戦争したいわけじゃない。 だけど、この村を守るために俺ができることがあるなら、精一杯やってみせる。
木刀を両手で握り、深く息を吸い込む。……振る。
バシュン。
自分でも驚くほどの鋭い一閃が空を切った。
スキル“大剣豪”の効果なのか──いや、そうとしか思えない。
「……すげぇな、俺……これなら世界一にもなれたかもしれないっすね…」
驚いてる暇もなく、もう一度、そしてもう一度と素振りを繰り返す。
気づけば、背後からざわざわと視線を感じた。
「「「……ご指導、お願いします!!!」」」
振り返れば、ゴブリーマンたちが一列に並んで正座していた。
その後ろでは、ボスくんが木刀を自作して素振りを始めている。
「仲間を守るための力は必要ですからね。田中先輩のご指導、ぜひ受けたいです」
「いやいや、まだ俺も素振りしか──」
そこへ、ひょっこり課長が登場。
「すごいじゃないか田中君!まるで田中流剣術の師h———
「「ストォォォォップ!!!」
俺は咄嗟に木刀を課長の口に押し込んだ。
「絶対それ以上言うんじゃねえぞ。何が起きるか想像つくな!? あ?」
課長は黙ってコクコクと頷いた。
──ゴブリンさんが進化してあれなんだから、これで人間が進化なんかした日には、想像しただけでもか弱い俺の胃に穴が空くわ。
そうして騒がしい朝の特訓(?)を終えるのだった。
*
訓練を終えるとすぐに全員で朝食の準備に移った。
といっても焼き魚一択だが、先日までの虫オンリー生活を思えば、この変化は涙が出るほどありがたい。
「……うまっ」
炭でじっくり焼いた魚は、シンプルながら香ばしく、噛むごとに旨みが広がる。
「いやー……これっすよ、これ。やっと人間に戻れた気がします」
俺の向かいで同じく焼き魚を頬張る課長も、どこかうっとりした顔で頷いている。
「本当に……これだけで生きる意欲が湧いてきますね。あとは、米があれば……」
「やめてください課長。それ以上は贅沢です」
朝の空気と焼き魚。異世界でこんなに幸せを感じるとは思わなかった。
そんな穏やかなひとときのなか、課長が手元の端末をいじりながら話しかけてきた。
「田中君、今日の予定だけど、食べられそうな植物の調査と採取をお願いできますかね。昨日、AIがいくつか候補をリストアップしてくれていてね」
「了解っす。魚ばっかりだと流石に栄養偏りますからね。できれば山菜とか、芋っぽいのとか見つかるといいんすけど」
そう言って立ち上がった矢先、遠くから地響きのような声が聞こえてきた。
「頼もぉぉぉおおおおおおっ!!!」
ものすごい勢いで村の入口に現れたのは、白銀の甲冑をまとった細身で小柄な女騎士だった。身長よりも大きそうな大剣を背負う姿のギャップが半端ない。———何より可愛すぎるだろ!!
女騎士の背後から、見知った二人の顔が現れる。
「おぉ、友よ! また来たぞ!!」
レオンとカレン。前回訪れた王国の尖兵コンビが、今度は同行者付きで戻ってきたらしい。
「うわ……女神…様なのか……?」
その女騎士──一見してわかるほどの超美人だった。絵画から飛び出してきたような整った顔立ち、輝く金髪、抜群のプロポーション。まさに俺のドストライク。
「……田中君、目がハートになってるよ」
課長のツッコミにも動じず、俺は呆然とその姿を見つめていた。
――ダメだ。今すぐ自己紹介して、せめて名前だけでも覚えておこう。
「レオン、カレン。その人って王国の偉い人……なんだよな? 一応、紹介してもらってもいいか?」
二人は顔を見合わせて笑うと、コクリと頷いた。
「ん? ああ、俺らの上司の女騎士”クッコロ”隊長だ」
なんてこった。
そういえば前回、レオン達が上司の話をしていたっけな。 その口ぶりから、もっと厳つくて近寄りがたいタイプを想像してたんだけど……実際に現れたのは、見た目可憐な美少女、ギャップ萌え過ぎるわ。名前はあれだけど。
と、クッコロさんに見惚れているとクッコロさんはず真っすぐに課長の前へ。
「貴殿が”課長”殿か?」
クッコロ隊長はピタリと立ち止まり、直立不動の姿勢で課長を見据えた。
「初めまして。その通りです、私が課長です」
「まずは、お礼を申し上げる。貴殿からの手紙──確かに拝読した」
静かな声だったが、言葉には明確な芯があった。
「部下の話を聞き、改めて内容を読み直して……いてもたってもいられなかった。貴殿のような人物が、この最前線でゴブリンらを率いている。信用している部下とはいえ疑わざるを得ない内容であった」
「恐縮です。つたない文章でしたが、真意が伝わったのであれば幸いです」
そのやり取りを少し離れた場所から見ていた俺は、つい口を挟んだ。
「あの……その手紙って、どんなこと書いてあったんですか?」
クッコロ隊長は、俺に視線を移すと、ふっと柔らかく微笑んだ。
「最初にあの手紙を読んだときは、部下の誤報じゃないかと疑っていた。けれど、実際にこうして村を目にして……ゴブリンたちの進化を目の当たりにして、部下たちの報告、貴方の真意が真実だったと、心から理解できた」
とてつもなく嫌な予感がする。俺のこの手の予感は不思議とよく当たる…。
「戦わずして共存を模索する姿勢。そして何より、仲間を第一に考えているあの文章──同じ部下を持つ立場の者として、強く心を打たれた」
そこまで語ったあと、再び課長に向き直る。
「……貴方のような上司が、我が軍にもいてくれたならどれ程心強い事だろう」
クッコロ隊長は、胸の前で手を組み、大きく息を吸い込むと……
「頼む、結婚してくれ!!」
「 」
ボスくん、ゴブ姐さん…頼むから俺をそんな優しい目で見ないでほしい。