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第22話 田中、尊厳を失う

 縄で縛られたまま歩く、というのは思った以上に不便だった。


 両手を後ろに回され縛られると何か非常に不安な気持ちになる。なのに、隣の課長は一言も文句を言わず、むしろ平然とした顔で歩いているため文句も言えない。


 俺たちは今、村の中心へと連れていかれていた。案内役を務めるのは村の見張りらしき無名のオークたち。  俺も課長も、クッコロさんもバルドさんも、そしてボスくんにゴブ姐さん──それにオー太郎も含め、全員が後ろ手に縄をかけられた状態で列を作り、おとなしくその後をついていく。


 どうやら、オーク村で唯一進化を果たした個体──通称オー吉の元へ連れていかれるらしい。  そしてこの縛りについては、バルドさんの提案だった。


「オークってのは目に見える上下関係に妙に敏感な種族だからな。こっちが下手に出てた方がいらん刺激をせずに済む」


 その理屈を聞いた課長が納得の表情で両手を差し出した時点で、全員がそれに従うしかなかった。縄は簡単に解けるゆるさではあるけど、なんというか……精神的な屈辱がある。


 ほどなくして、少しだけ視界が開けてきた。簡素な櫓のような舞台が設けられていて、そこにポツンと一脚、背もたれの高い椅子。その椅子に脚を組んでふんぞり返る影がひとつ。


 そしてその男──いや、オークが、俺たちを上から見下ろしていた。


 身体つきは引き締まっており、肌は薄い緑。銀髪はよく手入れされ、顔立ちは……正直、完璧に近い。

 高い頬骨、整った眉、まっすぐな鼻筋──いや、鼻以外は完璧だ。

 惜しむらくはその鼻、見事なまでに“豚”だった。


「いやぁオー太郎君、人間たちと手を組んで村を攻めようとしたみたいだけど──残念だったね。僕にはなんでもお見通しさ」


 自分の歯を光らせながらウインク。全身から“ナルシスト”という雰囲気が噴き出しているようなオー吉に、俺は本能的に距離を取りたくなった。


「オー太郎さんは裏切ってなどいません。私たちは魔王城へ向かう途中で立ち寄っただけです」


 課長が冷静に説明する。 だがオー吉は見向きもせずむしろ鼻で笑いながら呟いた。


「ん? 虫けらの羽音かな?」


 ……こいつ話す気ないな、と若干のイラつきを感じたその時だった。


「……いつからオークは、そんなに偉くなったんだ?」


 静かに、低く重く空気を裂くような声が響いた。


 バルドさんだった。


 オー吉の肩が、ぴくりと震える。 そしてゆっくりと顔を向け──


「ひっ……!」


 腰を抜かしたように椅子から転げ落ちた。


「ま、まさか……バルドさま!? 元四天王の!? ど、どうして人間と……!」


 完全に混乱した様子で地面にもがくオー吉。必死で椅子に座り直すものの、顔は強ばり、額にはうっすら汗が浮かんでいた。


 どうやら、ようやく現実を認識し始めたらしい。


 その隙をついて、オー太郎が一歩前に出た。縛られた手を軽く上げるようにして、口を開く。


「オー吉、ちゃんと聞くだ。この人間たちは攻めてきたんじゃねぇ。魔王城に、ゴブリン村の現状を報告に行く途中だっただけだ」


 少し息を整えて、オー太郎は続けた。


「ゴブリン村は、こいつら人間の手で随分変わっちまったんだ。読み書きや計算を学んで住まいも道具も整えて、今じゃオラたちたちよりも余程いい暮らししてるようだだ」


 すると、周囲に控えていた他のオークたちからも小さな声が上がる。


「確かにあのゴブリンの女進化してるっぽいべ。全くゴブリンに見えないけんども」


「兄ちゃんの方も、なんかただ者じゃねぇ感じしたぞ」


 オー吉の顔がぴくりと引きつる。


「うるさい、黙れ。そもそも“ゴブリン村の改革”? 笑わせるな。オークより格下のゴブリンが進化? そんなの聞いたことないね」


 明らかに焦ったように言い放つ。


「僕より頭が悪くて弱い君たちの意見なんて、価値がないんだよ!」


 その瞬間、ピシッと空気が凍ったのが田中にだけははわかった。


 やばい、課長がキレた。


 気付いたときには、課長が一歩前に出ていた。


「──いい加減にしなさいっ」


 静かに放たれたその声がその場の空気を切り裂く。


 オークたちはもちろん、俺も、バルドさんでさえ全員の背筋が自然と伸びる。


「椅子にふんぞり返って、外部の者ならまだしも、身内の声すら聞こうとしないあなたのような存在こそ、組織にとっては無価値だ」


 オー吉の表情が凍りついたまま動かない。睨みつけられ全身から汗が噴き出しているのがわかる。


 うちの課長がキレたら恐らく眼力で人を殺せる。


 なんて想像していたら今度は課長の視線がこっちを向いた。


「田中くん」


「は、はひぃぃぃっ!?」


 変な返事が口から飛び出す。何? 俺なにかしたのか?


「力を示してあげてください。力に奢る者にはそれ以上の力を示すに限ります」


 えっ。マジで? ここで? この空気で? 何を言ってるのこの人。


 そう思ったが、すぐにクッコロさんがこっそりと耳打ちしてきた。


「師匠、あの豚に、私たちにするみたいに寸止めすればそれでいい」


 ……豚って言っちゃったよ。


 とはいえ、もう断れる空気でもない。俺は縄を外し腰に差していた木刀を手に取り一歩前に出た。


 課長の顔を見た。頷かれた。課長が怖いから断る選択肢など端からない。


 訓練で毎朝やってるあの素振り──それを、恐怖で変なスイッチが入った状態のまま、思い切り振り抜いた。自分では忘れていたけど、恐らくこの世界で初めて本気で木刀を振るった。


 


 風が唸り空気が避け音が爆ぜる。




 その瞬間、オー吉の脳裏に走馬灯がよぎったという。


 幼少期、まだ体も小さくて、兄貴分のオークたちの後をついて回っていた頃。母ちゃんの作ってくれた味の濃い肉団子スープ。読み書きができないからって叱られたあの日。いつか進化してやると、毎晩こっそり筋トレしていた日々──次の瞬間にはオー吉は意識を手放し股間を盛大に濡らしていた。


「「「「「        」」」」」


 静寂の中、俺の後ろからぼそっと声が聞こえた。


「……師匠、どれだけ手加減していたんだお前は」


 バルドさんの恨み節が聞こえてくるが気付かないふりをする。自分でもこんなことになるなんて思わなかったし…。


 そんな中、課長が一歩進み、すぐに目を覚ましたオー吉の前で濡れた股間に視線を向けながら優しく問いかけた。


「……さて、私たちの話を、聞く気になっていただけましたか?」


 その声音は穏やかだったが逆にそれが恐怖を倍加させたらしい。


 小便を垂れ流し尊厳を失ったオー吉は無言で猛烈な勢いでコクコクと頷いた。 喉が乾いているのか、カラカラと音がしそうなほど必死に首を縦に振り続けている。


 俺が漏らしたことはバレてないよな、と不安になりつつその光景を眺めるのであった。

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