第21話 課長、オークに説教する
異世界に来てから、こんなにも心穏やかに歩いたことがあっただろうか。…
朝の光が木々の葉を透かして降り注ぎ、足元の草は朝露に濡れてしっとりと柔らかい。俺たちは今、村を出て南へ向かっている。目的地は、魔王軍の本営──通称、魔王城。
クソ、目的地が魔王城でなければ完璧だったのに…。
川沿いの小道を一列になって歩きながら、鳥の声や虫の羽音を聞いていると、どこか遠足のような気分になる。 でも、護衛として並ぶクッコロさんやレオンさん、カレンさん、それにバルドさんやボスくんの顔つきは引き締まっていて、気を抜いていい旅路じゃないこともちゃんとわかる。
出発から半刻ほど経った頃だった。
空気がふっと震えたような気がして、次の瞬間には目の前の景色が歪んで見えた。 視界の端に白い影が現れたと思ったら──現れたのは、ミラージュさんだった。
相変わらず無表情で、何を考えているのか読めないその姿。 彼女は俺たちの列の少し先に立つと、真っ直ぐにバルドさんのもとへと歩いていった。
耳元に顔を近づけ、何かを囁く。
バルドさんは軽く頷き 「ミラージュが魔王城まで転移で送ってくれると言っている」と課長に伝える。
課長は少し驚いた様子を見せると、静かに一歩前に出てミラージュさんに頭を下げた。
「わざわざありがとうございます。……でも、その申し出はお気持ちだけ、ありがたく受け取らせていただきます」
課長の言葉を聞いて、ようやく俺も事情を飲み込む。
どうやら今のやり取りは、ミラージュさんが魔王城まで俺たちを転移させてくれるという申し出だったらしい。
「……テレポートか。そりゃまあ、便利だよな」
なるほど。確かに早くて安全、合理的な手段だ。でも課長は言葉を続けた。
「こちらの世界に来てから目の前のことで精一杯で……気づけば、自分の足でちゃんとこの世界を見ようとしていなかったように思います」
課長の言葉をミラージュは真剣な表情で受け止めている。
「できる限り自分の目で、自分の足で、見て回っておきたいんです。今はまだ、その時間を惜しむ段階ではないので」
ミラージュさんはしばらく無言で課長を見つめていたが、やがてほんのわずかに頷くと、そのまま静かに姿を消し、風が一筋彼女のいた場所を通り抜けていく。
まぁ課長ならそういうだろうなとその光景を眺めていると、少し離れた場所で見守っていたバルドさんとクッコロさんの会話が聞こえてくる。
「──ああいう上官なら、命張れるよな」
「たとえ自分より弱かったとしても、現場を見ようとしてくれる奴の下なら、俺は戦える」
そんなふたりの会話を背中で聞きながら、少しだけ誇らしい気持ちになり再び歩を進め始めるのだった。
*
それからしばらくは何事もなく、旅は順調だった。
道端に咲く見慣れない花やこの世界特有のやたらとでかいカブトムシっぽい何かを追いかけたりしながら俺は道中を満喫していた。
──それが、いけなかった。
つい目を奪われて先行していたその時だった。
ピリッ、と空気が変わる感覚がして、咄嗟に地面を蹴って横へ跳んだ。
直後、鈍い音を立てて一本の槍が俺のいた場所を貫く。
「ひ、ひぃぃぃいっ!? な、なんだ今の!?」
「「(あんなの師匠以外絶対に避けられん)」」
反射的に距離を取りながら声を上げると、木陰から一体のオークが姿を現した。 手に持っているのは鉄槍。体格はいいが、どこか素朴な雰囲気のある奴だ。
「今のは警告だど! 人間が何しに来ただ!? これ以上進むようなら容赦しねぇど!」
喋った。しかも訛ってる。もう嫌いになれない。
そこにボスくんが一歩前に出て、手を上げながら落ち着いた声で言った。
「オークさん、待ってください。この人間は敵ではありません」
「人間が人間かばったところで、信用なんてできねえだよ!」
(……いくら美形でも、肌が緑の人間はいません)
思わず心の中で突っ込んでいると、警戒心を解かないオークに対して静かに声が飛ぶ。
「オークよ、矛を治めよ」
その声の主は元四天王のバルドさんだった。 名乗りを上げるわけでもなく、ただ一言──それだけだったが、オークの反応は一変した。
「ば、バルドさまでねぇか!? ご、ごごご苦労様っす!!」
四天王を抜けてきた、とバルドさんは言っていたがまだ末端までその情報は届いていないのか。その場で直立不動、もはや敬礼の勢いである。
少し緊張の解けた空気の中、課長が一歩前へ出て声をかける。
「突然驚かせてしまって申し訳ありません。私たちはこの先にある魔王城を目指している者です。あなた方の村を荒らすつもりはありません」
オークは一瞬きょとんとした表情を浮かべたあと、バルドさんの方を何度も確認しつつ、おずおずと口を開いた。
「そ、そうか……いや、こっちも悪かっただ…怪我させなくてよかった」
そのまま軽く雑談が始まり、オークがこの近くにある村の住人だとわかる。ボスくんがゴブリン村での暮らしや変化を話すと、オークは羨ましそうに口を尖らせた。
「んだらゴブリンの連中がそんないい暮らししてるんだっぺか? そりゃ羨ましい限りだなぁぁあ」
その流れで、自然と俺たちはオーク村へ寄り道することになった。
道中、オークがぽつぽつと村の話をしてくれる。
「俺らの村にもな、つい最近ひとりだけ“進化”した奴がいてよ……名前は“おー吉”ってんだけども…そいつが進化した途端、急に偉そうになってよぉ。なんでも命令しやがるし、やたら上から目線で村ん中の空気がちょっとピリついててさぁ……」
その話を聞いていた課長が、ふと足を止めた。
「詳しくお聞かせ願えますか?」
オークは少し戸惑いながらも、今の村の様子やおー吉の態度について、知っている限りのことを話してくれた。
「それは……許せませんね。他者を使う立場の者として、あるまじき行為です」
課長の口調は穏やかだが、確かな怒気をはらんでいた。
「私がもの申しましょう」
「うむ、そんな上下関係、魔王様も望んでおるまい」
バルドさんもいつになく真面目な顔をして頷く。
村へ向かう足取りが、少しだけ早まった気がした。
*
オーク村の手前まで来たところで、突如、空気が張り詰めた。
ピュンッ。
乾いた音を立てて、一本の矢が地面に突き刺さる。
それも俺たちの行く手を阻むかのように、寸分違わぬ位置に。
「誰かに見られている……!」
クッコロさんがすぐさま身構える。バルドさんも矢の位置を一瞥し、すぐに対応できる間合いを取った。
その緊張感の中、木陰から一体のオークが姿を現す。
「す、すまねぇ……おー太郎……オラ、どうしてもおめえらを村に入れるなって言われて……」
そのオークは弓を下げながら、申し訳なさそうな顔でこちらを見ている。
ボスくんが怪訝そうに眉をひそめて声をかける。
「誰に言われたんですか? 俺たちは何もしていませんよ」
「おー吉の奴が、おー太郎が裏切ったって言ってきかねぇんだよ……! “村の外の者とつるんでいる”って……意見を言おうとすると殴られるだ」
聞いた瞬間課長のこめかみがピキピキと音を立てた気がした。
「どうやら──この村も組織改革が必要なようですね」
その静かな怒声に、俺は背筋をしゃんと伸ばす。
おー吉くん…ご愁傷様です。