第2話 課長、ゴブリン村でプロジェクトを立ち上げる
藁のチクチクした感触で目が覚めた。
寝返りを打った瞬間、ゴツゴツした地面に頭をぶつけてうめき声が漏れる。
目を開けた。天井がない。朝日がまぶしい。横を見ると課長の背中。
……あぁ…夢じゃなかったか…。
起き上がって課長を確認すると、課長は巨大な岩の上にノートパソコンを広げキーボードを叩いている。場所は変われど、やってることが変わらないのがこの人らしい。
「あざーす課長、なにやってんすか?」
寝起きの声で問いかけると、課長はちらりとこちらを見て言った。
「おはようございます、田中君。“あざーす”ではなく、“おはよう”ですよ」
「あ、すんません……おはようございます」
いつものやり取りが少しだけ心地よい。
「このPC、なぜかネットワーク接続が生きてましてね。Wi-Fiのアクセスポイントもないはずなのに、通信が安定してるんです」
課長の声に少しだけ熱がこもる。
「そして驚いたことにAIの情報内容が、おそらくですがこの世界用にアップデートされています。田中君、これは凄いことですよ」
「アップデートって……どういうことすか?」
「具体的な地名や言語パターン、この世界の魔法理論の基礎らしき情報が登録されているんです。現代日本の常識では説明がつきませんね……。非常に興味深い」
課長はキーボードを叩きながら、まるで「面白い資料を見つけた」とでも言いたげに目を細める。
「おそらく、我々がこの世界に転移したタイミングで、AI側にも何らかのアップデートが走ったのではないかと。未知のプロトコルに対応してます。正直……ワクワクしますね」
その言葉に、俺は苦笑を浮かべるしかなかった。
「課長、ワクワクしてる場合じゃないっすよ……俺ら、帰れんのかどうかって話で──」
「それについてですが、田中君」
ふいにキーボードを打つ手を止め、課長がこちらを見た。
「異世界モノの結末って、一般的にどうなるんですか?」
「……え? あぁ、そういうやつだと、だいたい世界を救って帰るとか、なんだかんだ残るとか……?」
「なるほど…」
課長は小さくうなずき、再びパソコンを閉じる。
「田中君は、日本に戻りたいんですね?」
少し間が空いた。俺は言葉を選ぶようにして答える。
「……まあ、できるなら、そりゃ……」
「では、私たちの最終目標は“帰還”と設定しましょう」
即答だった。
「ただし、上席者として明言しておきます。田中君の身の安全を最優先事項とさせていただきます。帰還はその次です。異論、ありますか?」
「……ありません」
悔しいがこの人は本当にカッコいいなちくしょう。
……課長、マジで理想の上司っすわ。
———その時、洞窟の入り口に影が差した。
「…カチョウ、タナカ、メシ」
野太い声が響く。例のボスゴブリンだ。
……課長と俺が飯になる訳じゃないよな?恐らく昨日の様子からそれはないと思うが、ボスゴブリンの凶悪な顔を見ると不安になる。
俺たちの前に運ばれてきたのは、直径一メートルはあろうかという巨大な木の皿だった。まるで大家族の食卓のように、虫の串焼き、色とりどりの木の実、虫の足っぽいのが飛び出ている丸い塊が山のように盛られている。
その周囲に、ゴブリンたちがぞろぞろと座りはじめる。
ひとつの大皿を、みんなで手を伸ばして取り合って食べるスタイルのようだ。
「……課長、なんか大家族になった気分っすね」
「合理的でいいじゃないですか。取り皿を用意する手間も省ける」
「いや、そこじゃないっす」
課長は虫の串焼きを一本手に取り、何もなかったかのようにそっと…気持ち俺の方によせ寄せて来やがった気がする。そして木の実の方へそっと手を伸ばす。
俺も恐る恐る木の実を一つ摘んで口に運ぶ。思ったより甘みがあって悪くない。
周囲のゴブリンたちも自由に手を伸ばし、虫や実をわしわし食べている。
暫くゴブリンと人間が食事を共にするシュールなシーンが続き、おもむろに課長が立ち上がる。
「皆さん、食事しながらで結構なので聞いてください」
その声に、ゴブリンたちの手がぴたりと止まり視線が課長に集まる。
異世界の屋外、ということを除けばランチミーティングのシーンと何ら変わらない………参加者ゴブリンだけど。
「我々の基本方針は、仲間を守ること──それに尽きます」
ゴブリンたちの目が課長に向く。何を言っているのか理解していないようだが、皆一生懸命理解しようと背筋を伸ばしている。
”我々”と言っている時点で課長は既にゴブリンを自分の部下と判断していることが伺える。
「ですが、“仲間を守る”という言葉は抽象的すぎて、具体的な行動に結びつきにくい。だから私は、それを三つの段階に分けて実行していこうと思います」
課長がボスゴブリンを見ると、うなずいた彼が立ち上がり、課長の言葉を簡潔な言葉に置き換えて仲間たちに伝え始める。
「カチョウ、マモル! ミンナ、イキル!」
昨日より確実に意思疎通のレベルが上がってるよこの人…
まずは短期目標──と、課長は続ける。
「第一に、“村の防衛体制の整備”。次に、“労働環境の改善”。そして“医療”──怪我や病気への備えが早急に必要です」
「マモル! シゴト、ラク! ケガ、ナオス!」
ボスゴブリンの言葉にざわつくゴブリンたち、特に大きな声で騒ぐ個体を一瞥し課長は続ける。
「次に、中期目標。“食料を自給する仕組み”を作ります。農業、牧畜を導入し、持続可能な食の確保を目指します」
「タベモノ、ツクル! ウマ、カウ! ナクナイ!」
さらにざわつきが大きくなり、課長が声の主に対し「まずは聞きなさい」と一喝。
「グギャ…」
「意見は後で聞きますので、まずは聞いて下さい。少しは田中君を見習いなさい」
気付くと俺は俺はいつもの癖で背筋を伸ばし話す課長へ身体を向けていた。
「ミナ、タナカ、マネ…」
ボスゴブリンがそういうと、その他のゴブリンたちが皆、俺の真似をし背筋を伸ばし始める。
まるで、新入社員が一斉に研修姿勢を取ったかのような光景。
いや、待て待て。課長の声が響き渡る中、俺はなんとも言えない気分で固まっていた。
俺は一体何を見せられているのだろうか?
俺の混乱を他所に課長はさらに続けていく。
「最後に、長期目標。“教育制度の導入”です。知識を蓄え、次の世代へと受け継ぐ。それがこの村の未来を築く鍵になります」
「コドモ、マナブ! オボエル! ツヨクナル!」
場が静まりかえった。
課長は一呼吸置いてから、静かに言った。
「これらを、私は“ゴブリン労働改革プロジェクト”と呼ぶことにしました」
ボスゴブリンがぐっと拳を掲げる。
「カチョウ、ハナス! オレ、ワカル! ヤル!」
「オゥ! オゥ!」
ゴブリンたちが次々に声を上げる。
「カチョウ、サイコウ!」
ゴブリンの群れの中で、得意げな顔をしている個体がいる。
それを見た周囲のゴブリンも…
「カチョウ、サイコウ!」「サイコウ!」「カチョウ、サイコウ!」
一斉に騒ぎ出す。
……………いやいやいや。
なんだこれ、朝から意味がわからない。
虫と木の実つまみながら“改革プロジェクト”って……何してんだ俺。
田中寿樹矢、27歳。
ただのサラリーマンだったはずが、気づけばゴブリン村の模範社員みたいになっている。
………帰りてぇぇぇぇええ!