第17話 田中、初めてドワーフとエルフに出会う
季節は進み、村はすっかり白銀の世界に包まれていた。
降り積もる雪に埋もれそうな小屋の屋根、凍てつく空気、地面に敷かれた踏み固められた雪道。吐いた息が白く立ち昇るたび、冬が来たことを実感する。
そんな中、広場横に建てた共用の大きな小屋では、今日も朝から“地獄の鍛錬”が行われていた。
ズドン! ガキィン! ゴォォ……!
木刀や拳がぶつかり合い、真冬の空気を割って乾いた音が響く。
「師匠、今日は私が先だ」
「いや、昨日は貴様の方が手合わせの時間が長かった。今日は俺の番だ」
「くっ、時間にして三分しか違わなかっただろう!」
「たとえ一秒でも譲る気はない」
「貴様、雪に脳みそやられたのか?」
ああ……また朝からこれだ。
クッコロさんとバルドさんが、どちらが先に俺と手合わせするかで揉めている。俺の了承を得ず何故か毎日当たり前のように勝負を挑んでくる。
ちなみにどちらかとだけじゃない。“両方”と毎日手合わせさせられている。
忘れないでもらいたいのだが俺は武術家でも兵士でもないただの会社員だ。
うんざりしていると、鍛錬場の隅でその様子を見ていたレオンとカレンの姿が目に入った。
「……王国と魔族の最高戦力が揃ってて、しかもその二人よりも強い田中…?」
「ええ。ここ、ひょっとして……世界、落とせるんじゃない?」
黙れ貴様ら。物騒なことを口にするんじゃないよまったく。
俺はただ、静かに暮らしたいだけなんだ……。
「……あのさ。いいこと思いついたんだけど」
俺は二人の間に割って入って提案する。
「一日一回、どっちか勝った方とだけ手合わせするってのはどうかな? そっちの方が集中して訓練できるでしょ?」
「「………………」」
やっぱりだめか…。流石にこんなんで騙されるほど馬鹿じゃないか……。
二人はぴたりと動きを止め、無言で頷き合った。……え? やるの?
次の瞬間、小屋の床を揺るがすような激突音が響いた。
「「おおおおおおおおおりゃゃゃあああ!!」」
ちゃんと馬鹿だった。
カンッキンッブンッサッ
「……………」
なんか一生懸命二人で戦っているので、俺はその隙に小屋の裏口からそっと姿を消すことにした。
*
村の外れ、木立の間を抜けた場所に、まだ住人のいない予備の小屋が数棟ある。住民が増えた時に備え、それまでは訪問者が泊まれるようにと課長の指示で建てたものだ。
俺はそのうちの一つに向かっていた。誰もいない時間の小屋は静かで、寒さは厳しいけれど妙に落ち着く。
だが、そんな静けさを吹き飛ばすように、外で扉を叩く音が響いた。
「すまぬが……誰かおるか? 食糧を少し、分けて貰えないだろうか」
扉越しに聞こえたのは、渋く低い声だった。老人のようでありながら、芯のある強さを感じさせる口調。
続いて、少し高めで張りのある声が返す。
「だから言っただろう、この時期に魔族の森を越えるなんて無理があるって」
「最後は貴様も乗り気だったじゃろうが!」
何やら外で言い合いが始まっている。慌てて扉を開けると、そこには凍てつく風を受けて立つ旅人の姿があった。
分厚いマントに包まれたドワーフの男と、淡い緑の外套をまとったエルフの女。
ドワーフは顎鬚を霜で白くしながらも堂々とした立ち姿で、エルフはしなやかさの中に険しさを滲ませている。
思わず、まじまじと二人を見つめてしまった。
ドワーフとエルフ──どちらも異世界の住人として話には聞いていたが、こうして目の前で出会うのは初めてだ。
ドワーフの短く厚みのある四肢は、鍛え上げられた岩のようで、見るからに頑強。
深い皺の刻まれた顔に鋭く光る眼差しが加わると、まるで山の精霊のような迫力すらある。
一方のエルフは、どこか幻想的な雰囲気をまとっていた。
細く長い耳、白雪のような肌、そして凛とした瞳。その存在だけで空気が澄んだように感じるのは気のせいじゃない。
……すごい、なんか本物って感じだ。
まるでRPGの画面から飛び出してきたような、異世界の種族の“正解例”みたいな二人だ。
初めて見るはずなのに、どこか“物語の中でずっと知っていた”ような既視感があった。
ただ見た目こそ勇ましく整ってはいるが、あの言い合いの内容と、表情の険しさ、マントの痛み具合を見ればかなり疲弊しているであろうことが伝わってくる。
「とにかく、中にどうぞ。暖かいものくらいは出せますから」
俺は扉を広げて二人を中に招き入れた。
しばらくして、課長が部屋にやってきた。
湯を沸かし、食料庫から干した魚と芋、それに麦粉の保存パンを運び、手際よく皿に並べていく。
「ようこそ。雪の中を越えて来るのはさぞ大変だったでしょう」
課長の声は穏やかで、旅人二人を暖かく迎え入れる。
ドワーフは名をガンザムと名乗った。年齢は百を越えているが、旅慣れた落ち着きと職人らしい気難しさを感じさせる人物だった。
エルフの女性はリリル。口調はキツめだが、こちらもどこか世話焼きな気配がある。言い合っているようで息が合っているのは、長年の相棒ゆえかもしれない。
芋と魚のスープを口にした途端、二人の表情がほっと緩んだ。
「うむ、うまい。腹に染みる」
「……ありがたいわ。正直、もう限界だったの」
そんな二人にほっとしていたのも束の間。
「師匠! 勝負がつかなかった場合は、どちらとも手合わせしてくれるのだろうか!?」
「馬鹿を言うな。真剣だったら確実に今回は私の勝ちだっただろう?」
「はっはっは! 貴様の太刀筋で俺の首が飛ぶわけないだろう」
バルドとクッコロの声が、勢いそのままに小屋へ飛び込んできた。
……この二人、真剣な顔で何を言っているのだろうか。
呆れを通り越して思考を放棄しようとしていたその時。
ガンザムとリリルの目が、同時に二人へと向けられた。
「ん? 貴様ら”王国の悪魔”に”魔族のゴリラ”か?」
恐らくクッコロさんとバルドさんのことなんだろうけど、もう少しカッコいい二つ名は用意できなかったのだろうか。”魔族のゴリラ”に至っては100%見た目だろうに……。
そこへ、バルドとクッコロがやや興奮気味に話し始めた。
「まさか、ここでこの二人に出会えるとはな」
「ガンザムとリリル……伝説の鍛冶師コンビだ」
その語り口は妙に熱がこもっていた。
「ドワーフのガンザムが鍛えた武具に、エルフのリリルが付加魔法を加える……その手法は、世界のどの国にも真似できない。“アル中とショタコン”と呼ばれ恐れられている」
そりゃ恐れられるだろうよ、と言いたい。
「ふざけて作った武具でさえ、小国の年間予算に匹敵すると言われている。俺も昔、手甲を打ってもらいたくて訪ねたが……断られた」
「くっ。私も、同じくだ」
クッコロが渋い顔で頷く。
「どうやら二人は、生涯で一つだけ、自分たちの最高傑作を作る。その使い手を探して、旅を続けてるらしい。だが……中々“お眼鏡に適う者”が見つからないと聞く」
「……………」
田中の背筋に、じわりと嫌な汗が滲む。ここ最近の経験則から非常に嫌な予感がしてならない。
「だが、今なら分かる。俺にはまだ早かった」
バルドが真剣な顔で田中の方を振り向く。
「だが、師匠──田中ならば、間違いなく選ばれる」
「確かにな。師匠なら間違いないな」
クッコロが笑いながら便乗する。
「……え? ちょ、待っ」
「ほう?」
リリルの目が細められる。
「この冴えない男が、私たちの“最高の一振り”にふさわしいと?」
「お、俺には絶対に無理ですから! 他をあたってください!」
田中は両手を振って必死に拒否した。
「そうやって“やらない理由”ばかりを探すのが、田中くんの悪い所です」
課長だ。なぜいつも“正論”で追い詰めてくるのか。
「いや、つい先日までただの会社員だったの貴方が一番知ってるますよね!?」
とてつもなく嫌な予感が確信へと変わっていく。
「ふむ……とてもそうは思えぬが……とりあえず試してみよう」
岩に刺さった剣が抜けるかどうか程度でありますように……と俺は静かに祈るのだった。