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第16話 魔王軍四天王、魔王軍を辞める

 ──なんて、美しい太刀筋だ……。


 意識を手放すその直前、俺はそう呟いていた。


 見た目は冴えず、覇気もなく、腰も引けている。 どこからどう見ても軟弱なその男が、俺の相手?冗談も大概にしろと最初は思った。


 課長と呼ばれる眼鏡の男も、右腕と呼ばれるこの田中という男も、どう見ても戦士には見えなかった。


 その田中を、俺が唯一ライバルと認めた女騎士・クッコロが「私より数倍強い」と言ったときには、流石に何かの冗談かと思った。


 だが──あいつは冗談を言うような性格ではない。特に俺との関係性において、無駄な誇張や虚勢を張るような女ではなかった。


 信じられずにいた俺の前に、冴えない男が一歩背中を押されるようにして進み出た。そして、逃げ腰のまま引こうとする。


 その姿を見たとき、正直落胆した。


「(……やる前から逃げる奴は嫌いだ)」


 俺はそう思いながらも、周囲の空気がすでに“試合開始”の流れになっていることを感じていた。


 田中は明確に戦いに難色を示した。真剣は使えない、寸止めでやってくれとまで言い出した。


 真剣の件は構わん。元々、俺の流儀は素手だ。 だが“寸止め”? ……ふざけるな。


 殺し合いじゃなくていい。ただし、本気でこそ見えるものがある。 この条件だけは譲れなかった。


 しぶしぶ了承した田中に、俺は軽く構えてみせる。 それはいつも通りの開幕だった。


 俺の戦いは、一撃で決める。 初動で仕留め損ねれば、長期戦では不利になる。だから、全力で一手を振るう──それが俺の矜持だ。


 相手が誰であれ、容赦はしない。


 そのはずだった。


 拳を握った瞬間、空気の流れが変わったのを感じた。


 ……違う。


 この男、ただ者ではない。


 風が止まったように思えた。

 気配が、空間からスッと消えたように感じた。


 俺の拳は、すでに振るわれていた。いつものように、圧で相手の体勢を崩し、その隙に間合いを詰めて叩き込む。


 ……だが、当たらない。


 いなされ、流され、バランスを崩される。

 強引に踏み込めば、木刀の柄が俺の手首をそっと押し戻してくる。


 まるで──子供に触れるような優しさで。


「……なんだ、これは」


 俺の視界にあるのは、怯えた表情を浮かべる冴えない顔の男だった。だがその立ち姿、その動きは、研ぎ澄まされた刃のようだった。


 強い。確かに、強い。 だがそれ以上に、怖い。


 この男は、俺を極力傷つけない前提で戦っている。 殺す気も、倒す気もない。 ただ、すべてを制している。


 一撃必殺が信条のはずの俺の拳は何度も繰り出された。肘も膝も、投げも蹴りも。すべてが、木刀の柔らかな軌道にいなされ、無力化された。


 力ではなく、速度でもない。

 読みと間合いと、制御。


 その剣は、あまりに優しく柔らかかった。


 戦いの中で、俺は初めて「痛み」ではなく「恥ずかしさ」を感じていた。これは、俺が試されている。


 勝てない── これは、勝てる相手じゃない。


 最後に俺が見たのは、自分に向かって振り下ろされる一本の木刀だった。


 それは、極限まで俺に傷を負わせることを避けた完璧な一太刀。


 ──なんて、美しい太刀筋だ。


 そうして、俺は静かに意識を手放した。



「え、マジで倒れた!? ちょ、ちょっと!? 大丈夫っすか!?」


 俺は慌ててバルドさんに駆け寄りながら、内心で絶叫していた。


(うそだろ、うそだろ!? たった一撃で!? え、これ俺のせい!? 死んでないよな!?)


 あまりにも突然の決着に、広場の空気がしばらく固まっていた。


 ポカンとしているゴブリンたち。 そして、信じられないものを見るような顔のクーロンさんとミラージュさん。


「……バ、バルド様が……」


 クーロンさんの声が震えていた。


「四天王の中でも、1対1なら最強とまで言われる武人が……」


 ミラージュさんが、小さく呟く。


「一撃で……?」


 いや、ちょっと待て、あれは偶然だ。俺の木刀が奇跡的にバルドさんの急所にあたっていい感じに気絶を誘発しただけで──


「田中! すごかったぞ!」


 いの一番に飛び込んできたのは、クッコロさんだった。


「いや、あの……まぐれっす、ホントに……」


 そう言うと、今度は周囲のゴブリンたちが拍手しはじめた。


「「田中先輩さすがっす!」」


「やっぱり田中先輩もただ者じゃなかったんだ!」


「この村の守護神っすね!」


 えっ、ちょっ、みんな!? なんかすごい持ち上げられてる!?


 いやいや、確かにギリギリで拳を避けたり、なんとか転ばせたりしたけど……あれは反射的なもので、俺にそんな実力があるとかそういうのじゃ──


「うっ……」


 バルドさんが呻いた。


 ゴブリンたちがざわめく。俺も思わずのけぞった。


 ──起きた!?


 ぐぐっと身を起こし、バルドさんがこちらを見つめた。その目に、涙がうっすらと浮かんでいるような気がした。


「……父上……」


「え?」


「父上が……川の向こうから……こちらに来るなと言っていた……」


(おいおいおい、完全に三途の川じゃないですか!?)


 とっさに笑顔を貼り付けて、「ははっ、よかったですね! あっち行かずにすんで!」と誤魔化す。


 バルドさんは、ふらつきながらも立ち上がり、課長と俺の前にぴたりと立った。


 そして、深々と頭を下げる。


「先程までの無礼を、どうかお許しください」


「えっ」


「課長殿──そして我が師匠、田中様」


「ぶっ!?!?」


 思わず飲んでいたお茶を盛大に吹き出す。


「し、師匠って、なに言って……!?」


「私は生涯かけてあなたに追いつきたい。田中様、どうかこれからもご指導ください」


 偉丈夫が涙目で真剣に言っている。


 いやいや、無理無理無理。俺、普通の会社員っすよ!?


 後ろで課長とクッコロが「ふふっ」と笑っているが、お前らのせいだと声を大にして言いたい。


 少しの間、重たい沈黙が流れた。皆がバルドの言葉の真意を探るように見守っていた。


 そして、バルドはゆっくりと姿勢を正すと、静かに一礼し、こう言った。


「この村のことは、私から魔王様に伝えます。悪いようにはならないよう、尽力いたします」


 そのまま、バルドとミラージュは転移魔法で帰還していった。



 ──数週間後。


 季節は秋を過ぎ、村には冷たい風が吹き始めていた。


 小屋の数は二十を超え、大広場の脇には体育館ほどの共用小屋も建っていた。

 薪小屋、食料庫、魚の燻製棚──冬を迎える準備は万端だ。


「これで、冬も乗り越えられそうですね」


 課長が満足げに頷き、俺はようやく安堵の息をついた。


(ああ……なんとか、少しは落ち着けるかもしれない)


 その瞬間、広場に光柱が突き刺さった。


 眩い光が収まると、そこにいたのは──


「お久しぶりです、師匠」


 ……バルドさんだった。


「ま、また来たんですか!?」


 俺が絶望の声を上げるのと同時に、黒い傘の少女──ミラージュさんも隣に姿を現す。


「本日は、ど、どういったご用件で……?」


 恐る恐る尋ねると、バルドは胸を張り、拳を握って高らかに宣言した。


「魔王軍を抜けて来ました。これからは、師匠の身の回りの世話は俺にお任せください!」


「         」


 背後で大笑いしている課長やクッコロさんの食事に虫を混入させることを固く誓う。


「あの、えー……四天王の後任とか、その……報告とか……」


「クーロンに押し付けてきました」


 あまりにも即答だった。

 迷いを一切感じさせないどころか清々しくすらあるその対応に言葉を失う。

 

 俺はそっと一歩下がり、空を仰いだ。平穏な異世界ライフはまだまだ訪れそうにない。

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