第13話 部下、三段論法で最強となる
場所を移しての会談は、例の“城の最上階”で行われることになった。
最近、やたらとこの場所を使っている気がする。
城といっても、ゴブリン村の外れに建てられた比較的新しい建物で、見た目は立派だが中は質素。特にこの最上階の広間は、会談や重要な話し合いに使われることが多く、すっかり“会議室”的なポジションに定着していた。
今回の来訪者は、魔王軍の南方辺境監察官──クーロンさん。
先ほど広場で出くわした際、人間である俺と課長を見た瞬間、顔を引きつらせていたが、何も言わず一旦呑み込んだのが印象的だった。
そんなクーロンさんを迎える今回の会談には、ボスくん、ゴブ姐さん、課長、俺、そして──クッコロさん。
人間側の事情に関しては、課長と俺はまったくの素人なので、元王国軍の彼女にも同席してもらうことになった。
クーロンさんが部屋に入ってきた瞬間だった。
「お……王国の悪魔が、なぜここに!?」
叫び声の主は、もちろんクーロンさん本人。
何事かと振り返ると、クッコロさんが涼しい顔で微笑んでいる。
「やあ、元気そうだな」
元気そうとかいう問題じゃないらしい。クーロンさんは明らかに動揺している。
「オ、オークの村で“くっ殺せ……!”と叫びながら何度も何度も単身乗り込んできたことを我々は忘れていないぞ!」
……なんだその伝説。
「く、クーロンさん落ち着いて下さい。今はクッコロさんに敵意はありません!」
「敵意? …あ、いやいや、あなたが考えているような物騒な事ではないと思うぞ?」
話を聞いてい見ると、”オークを斬りまくった”という物騒な話ではなく、どうやら“辱めを強制した”という意味での恐怖らしい。
冗談みたいな話だが、クッコロさんのあまりの剣幕に中にはトラウマとなり人間の顔を見るだけでに逃げ出す個体までいるらしい。
クッコロさんの非常に気持ち悪い性癖のドン引きしていると、クーロンさんが苦笑いしながら教えてくれる。
「人間と魔族は確かに交戦状態ではあるが……実のところ、ここ数十年、直接的な戦闘行為はほとんど行われていない」
──なんだ、それ。
つまり、戦争は“してるフリ”みたいなものなのか? よくわからんな。
クッコロさんは「まあ、文化交流とは言わないけど変な均衡はあるな」なんて呑気に笑っているが……。
しかしこの女いったいいくつの属性を持っているのだ。見た目の麗しさに騙されて深入りする前に気づけて本当に良かった。
場がひとまず落ち着いたところで、ボスくんが静かに手を挙げた。
「少し、説明させていただいてもよろしいでしょうか?」
クーロンさんが無言でうなずくと、ボスくんは丁寧に言葉を選びながら話し始めた。
「私たちは数か月前、この森で課長さんと田中さんを見つけました。最初は警戒して、捕らえて村に連れてきましたが、すぐに課長さんは冷静に状況を整理して、我々と話をしてくれました」
ゴブ姐さんもそっと言葉を添える。
「最初は正直、私たちもよく分かっていなかったんです。でも課長さんが私たちに教えてくれたことで──村が変わっていきました」
そこでようやく、課長が口を開く。
「私と田中くんは、もとは別の土地で暮らしていました。ある日、森の中で迷っていたところを、こちらのゴブリンの方々に保護され、この村に連れてこられました」
クーロンさんは腕を組み、真剣な面持ちで聞いている。
「当初は、こちらも混乱しておりました。ただ、拘束中も彼らからは一切の暴力行為はなく、むしろ食事を与えてくれたり、最低限の配慮がありました」
課長は、言葉を選ぶように少しだけ間を置いた。
「そんな中で、私は彼らに尋ねました。なぜ人間を捕らえるのか、なぜ殺さないのか。その答えを聞いたとき──彼らが本当に自分たちの村を守りたいだけだと、ようやく気付いたのです」
ボスくんがうなずく。
「課長は最初、とても怒っていたんです。でも、ちゃんと話を聞いてくれて……それからは、私たちにいろいろ教えてくれました」
「村の作り方、暮らしの工夫など……たくさんのことを」
ゴブ姐さんが小さく補足すると、クーロンさんの眉がわずかに動いた。
「なるほど……その課長というのが、あなたか」
「はい、元・営業課の課長です」
なんだその名乗りは。
……そして俺はその隣に座ってるただの一般社員です。ご期待に沿えなくてすみません。
課長はひと呼吸置いてから、少しだけ口調を引き締めた。
「ひとつ、私からもお伝えしたいことがあります。私たちは、こちらの方々──ゴブリンさんたちが、極めて高い繁殖力を理由に、最前線に使い捨てのように投入されているという話を耳にしました。それが事実であるなら、私はその状況を看過できません」
クーロンさんは一瞬だけきょとんとした表情を浮かべた後、口を開いた。
「……えーと、それは誤解だと思います」
クーロンさんは、少し困ったように笑いながら言葉を続けた。
「そもそも、ここ数年でゴブリンに戦死者は出ていません。ゼロです」
「……はい?」
俺と課長が同時に間抜けな声を出してしまった。
ゴブ姐さんが、どこか気まずそうに視線を伏せる。
「それは本当か?」
「はい。少なくとも私が把握している限り、ゴブリンが人間に殺された記録はありません。正確には、我々の命令でゴブリンに与えた指示は──“人間を捉え、絶対に殺さずにバルド様に引き渡すこと”、それだけです」
クーロンさんの口調は冷静だったが、語られる内容はあまりにも衝撃的だった。
「じゃあ、ゴブリンはその通りに……?」
「そうです。基本的には忠実に従っていました。ただ……その後が、問題でした」
課長がそっと言葉を挟む。
「個体数が一向に増えなかった……ということですか」
「ええ。死体も見つからず、所在も分からず。最初は人間に殺されているのではと疑っていた時期もありました」
「じゃあ実際は……?」
「最近になって、魔族領のあちこちで“野良ゴブリン”が発見され始めたんです。装備も性格もバラバラで、どこか放浪癖があるような……」
俺の中で、なんとなく想像がついた。
好奇心旺盛で気まぐれで、冒険好き。
──確かに、それは村のゴブリンを見ていると想像がつく。
ボスくんとゴブ姐さんが、申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「……すみません、課長と田中先輩に出会う前のことはよく覚えていないんです…自我がなかったといいますか……」
課長は静かに頷くと、優しい声で言った。
「いえ、それは仕方のないことです。大切なのは、これからどうするかですから」
ひととおりの説明を終えたクーロンさんは、深いため息をついて椅子に背を預けた。
「……まあ、今回はあくまで定期視察のつもりで立ち寄っただけだったんですが———」
その口調は、やや気まずそうでもあり、少し呆れたようでもあった。
「さすがにこれは……報告しないわけにはいかないな。ゴブリンの進化だけならまだしも、人間、そして王国の悪魔までが住人として普通に暮らしているとか、聞いたやつ誰も信じないだろ」
そこで視線がクッコロさんに向かう。クッコロさんは例によって無表情で微笑みを返しただけだった。
「とはいえ、我々魔族も別に、人間に対してあからさまに敵意を持っているわけではないんだ。もちろん形式上は交戦中だが……正直、長年の惰性みたいなもんだ」
課長は頷きながら問い返す。
「となると、貴方の上官の判断次第、ということですか……?」
「ええ、正直に言ってしまえばそうなります。四天王のバルド様が動くかどうか、そこが境界線になるだろうな」
その名前が出た瞬間、クッコロさんのまぶたがわずかに動いたのを、俺は見逃さなかった。
「──バルド様が、ですか」
課長が確認するように言葉を返すと、クーロンさんは力なく笑う。
「そう。“魔王軍の抑止力”とも言われるお方だ。強さもそうだが、規律にも厳しい。報告を受ければ、視察に来る可能性はある」
まさかの展開に、場が少し静まり返る。
しかし──
「ふむ……だが、問題はない」
クッコロさんが不意に口を開いた。
「この村には、田中殿がいる。私の知る限り、彼は私の三倍は強い」
「いやいやいやいやいやいやいや!!」
全力で否定したのは俺自身だった。
「勝手に“戦力”として数えるのやめてくれませんか!? あとその“三倍”って根拠もよくわからんし!」
するとクーロンさんが、ぽかんとした顔でクッコロさんを見て──
「……いや、まさかとは思うが、冗談、ですよね?」
クッコロさんは、静かに首を横に振った。
「田中殿は、実戦で私を一度も捉えさせなかった。今朝の稽古でも、私は何もできなかった。あれが実力でなければ、なんなのだ?」
沈黙。沈黙。沈黙。
やめてくれ。マジで勘弁してくれ。
「……はは。ははは。いや……ま、まあ、それも報告に……含めておきます……バルド様が自分のライバルと認める王国の悪魔の三倍………」
クーロンさんの額に、うっすらと冷や汗が滲んでいた。
俺は机に突っ伏したくなる衝動を堪えながら空を仰いだ。