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第12話 課長、剣術を学ぶ

 早朝。ひんやりとした空気のなか、木刀を握る手にじんわりと汗が滲む。


 ゴブリン村の一日は、この“素振り”から始まる。


 戦う予定があるわけじゃないけれど、運動不足の解消と、万が一の備えとして、一人で始めた習慣だった。


 それが今ではすっかり村の恒例行事になっていて──今朝も、木刀を振るう音が朝靄のなかに心地よく響いていた。


 参加者は日増しに増えている。


 出産を終えたゴブ姐さんたち女性陣も加わった加わった。彼女らが連れているのは、見た目二十歳前後の若者……なのだが、生まれて一週間も経たない子ゴブリンたちだ。


 三つ子が二組と、双子が一組。合計八人、男女半々。なぜか皆、見た目だけはもう立派な成人のようになっている。理屈は分からないがもう気にしない。常識を気にしたらこの村では暮らしていけない。


 そこにクッコロさん、レオンさん、カレンさんも加わり……そして課長。課長が加わった、ということはつまり、ゴブリン村の住人全員が参加しているということ。


 かつては見守るだけだった課長も、いまでは皆と一緒に汗をかきながら隣で木刀を振っている。


 正直、ものすごく筋が悪い。


 構えも打ち込みもどこか頼りない。でも、課長は休まず毎朝参加している。


 たぶん強くなりたいというより、運動不足の解消と“自分だけ楽をしたくない”という課長の信念なのだろう。昔から苦手なことでも積極的に周囲のアドバイスをもらいながら取り組んでいたことを思い出す。


 当然そんな課長に誰も文句なんてないし俺だって毛頭ない。


 ただ一つ。ただ一つどうしても気になることがある。


 ──俺のスキル欄に『師範』という常時発動スキルが追加されていた。


 課長が”言葉”にした訳ではないのだが、どう考えても原因は課長しかない。


 恐らく訓練を通して、課長の中で俺が“師範”として認識されたのだ。


 直接的な害はないし、スキルの効果も『育成効率1.5倍』と『剣による攻撃力1.2倍』と明らかにチートレベルなのだが……趣味で剣を振っている俺にとっては非常に荷が重いスキルだ。


 課長やべえ。


 


 素振りを終えると、皆それぞれ仕事に向かう準備を始める。そんななか、最近の“締め”として定着しつつあるのが、クッコロさんとの手合わせだ。


「お願いできますか、田中殿」


 柔らかな物腰。でも、構えに入ると空気が変わる。


 マスボクシングのような寸止めルールの軽い打ち合い。とはいえ、クッコロさんは毎回真剣そのもので挑んでくるのでこちらも軽い気持ちでやる訳にはいかないので非常に大変だ。


「何かお気づきの点があればご指摘いただきたい」


 打ち合いを終えると、息を荒げたままクッコロさんんは俺にアドバイスを求めてくる。俺なんかでいいのか、と毎回思うけれど、真剣なクッコロさんの表情に負けて自分なりに気付いた点を伝えている。


「田中殿、心から感謝する。また一つ、私は強くなれる」


 まっすぐな瞳。感謝の言葉。まるで……本当に騎士みたいだ。


 訓練中のクッコロさんは、佇まい、剣への姿勢、凛とした表情、美しい外見。まさに完璧な存在である。


 ──問題は、その後だ。


 朝食の時間。


 皆が食卓につき、それぞれ席について配膳が始まる。


 その最中──


「ハァハァ……か、課長のご飯をよそう田中殿……っ。ハァハァハァハァ」


 声を震わしこちらを情熱的に見つめているクッコロさん。


 それだけならまだしも、頬はほんのり赤く染まり、目元が潤んでいるように見える。お箸を握る手も、どこか震えている。気持ち悪いことこの上ない。


 ──やばい、また始まった。


 訓練の時はあんなに完璧な武人なのに、日常になるとこれである。ギャップが酷い、当然悪い意味で。


 そして日々、腐り具合に磨きがかかっている気がする。


 課長の分のご飯をよそう俺を見て、指先を唇にあてながら「……ああ、この奉仕、尊い……」などと呟いている。想像力が豊か過ぎる……。


 我々の観察よりも、日々自分への尊敬が失われていっているレオンさんとカレンさんに目を向けて欲しいものである。


 ちなみにここ最近新たな主食らしき芋が加わった。俺たち食糧調達班が見つけた粘りのある山芋のような芋──日本でいう“つくね芋”のようなもの。


 蒸すと甘味があり、もちもちして美味い。課長が火入れや調理法を工夫し、味付けを提案した結果、これが食卓の主力になりつつある。


 「主食」と「おかず」といった概念がようやくこの村にも定着し始め、食事のバリエーションも日に日に豊かになってきている。


 そんな俺の苦労も、当初虫と木のみしか食卓になかったことも知らずレオンさんとカレンさんが当たり前の顔してそれを美味しそうに食べているのが少し気に食わなくて、試しに当時のメニューを再現して出したら、二人して絶句していた。ちょっとだけ、スカッとした。


 芋美味い……美味い。確かに美味いんだけど……やっぱり米も肉も食べたい! 


 今度課長に相談してみよう。


──そのときだった。


 村の南のほうから、何やら慌ただしい声が響いてきた。


「な、なんだこの建物は!? ご、ごごごゴブリンはおらぬかっ!?」


 明らかに異質な声。しかも複数。どうやら複数名の訪問客が村の外れに現れたらしい。


「ちょっと見てきますね」


 すぐさま立ち上がったのはボスくんだった。落ち着いた口調ではあったが、その表情にはほんの少しだけ緊張が滲んでいる。


 俺と課長も顔を見合わせ、椅子を蹴って立ち上がった。


「行ってみようか」


「はい」


 騒ぎの元に辿り着くとそこには鎧に身を包んだ兵士と思しき”魔族”がいた。確証はないけど二足歩行の動物みたいな顔の人間を俺は知らない。


「お疲れ様です。今は私ゴブリンの代表です」


「人間がなに…をふざけ……。え? 人間…なの? 顔色が極端に悪い人間…?」


 まじまじとボスくんの顔を確認したその魔族は口を半開きにしたまま固まった。


「……いや、すまん。ゴブリン…なのか?」


 ボスくんは穏やかな笑みを浮かべ、こくりと頷いた。


「はい。外見は変化しましたが、私はれっきとしたゴブリンです。ご用件をお聞かせいただけますか?」


 魔族は混乱しながら周囲を見渡す。


「この建物……整備された区画……いや、どう見ても訓練施設まであるぞ!? 本当にここはゴブリン村か? いやいや、そもそもゴブリンがこんな流暢に会話できるものなのか…?」


 あらいやだ、この魔族さん分かり合えそう。そうなんです、この村おかしいんです。


 魔族のその視線の先には、規則的に並んだ住居群、水路と貯水槽、そして訓練場らしき広場が広がっていた。正確に言うとあただの広場なんだが木刀がたくさん置いてあるから訓練場と勘違いしたのかもしれない。


「定期巡察で立ち寄っただけなんだが…………こ、これは面倒なことになりそうだ…。見なかったことにしたい…」


 俺の勘が告げている。

 この魔族さんも上司に苦労させられている方に違いない。レオンくんに次ぐこの世界での心の共に成り得る存在になるかもしれん。

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