第11話 元王国兵士、泣く(レオン視点)
「初めて課長と田中先輩が来た日のこと? 勿論覚えていますよ」
ボスくん──異様に理知的で整った顔立ちのゴブリン──は、俺の問いにそう答えた。
俺たちがこの村に移住してから、数日が経った。
王国軍を抜けたとはいえ、まさか魔族の──しかもゴブリンの──村で暮らすことになるとは思わなかった。
最初は違和感だらけだったが、徐々にある“異常な点”が浮かび上がってきた。
……この村、あまりにも住みやすすぎる。
まず水路が居住区のすぐ近くに整備されており、非常に衛生的。獣臭さなど皆無だ。
さらに驚くべきは、我々が移住してきた翌日には、なんと我々用の小屋が建っていたことだ。
屋根付き、竈付き。何なんだその施工スピードは?
……いや、そもそもこの村のゴブリンたちは、普通じゃない。
言葉は流暢すぎるほどで、姿かたちも美形揃い。とても昔、前線で追い払っていた相手と同じ種族とは思えない。
俺はこの異常な“発展”の秘密を探るべく、村の主要人物にインタビューを試みることにした。
まずはボスくんだ。
少し首を傾げながら、彼は思い出すように語った。
「ある日、村の外れで見慣れない二人を見つけました。課長と田中先輩です。最初は完全に敵だと思って、仲間と協力して縄で縛って牢に入れたんです。俺はその後、見張りを別の仲間に任せて離れていたんですが……戻ってきたら課長が怒ってて」
静かにキレた?
「『お前たちは何のために戦っているんだ』って、問い詰められて。あれ、怒鳴ったり脅したりじゃなくて……ただ真っ直ぐに言われて。怖いというより、ズンって胸に刺さった感じでした」
「それで……?」
「気づいたら、縄をほどいてて……課長に、もっと話を聞きたいって言ってたんです。何ていうか……自分たちが当たり前だと思ってたやり方が、すごく幼稚に思えて……目が覚めた、って、そういうことです」
「目が……覚めた?」
「はい。怖かったですけど、あの人の言葉には、なぜか逆らえなかったんですよね」
レオンさんが見ている“俺”が、当時の俺とは別物であることも説明しておきます。
「それからなんです、急激に変わったのは。課長の教えを受けて、言葉を学び、仕事を学び、考え方を学んで……気づけば体つきまで変わっていました」
確かに、眼前のボスくんは筋肉のつき方からして明らかに“ただのゴブリン”ではない。
「最初は“上位個体”と呼ばれ、そのあと“親方”として村の建築を担うようになりました。進化、といってもいいのかもしれません」
進化したゴブリン──あまりにファンタジーすぎて、現実味が薄い。
だがこの村の光景を見る限り、それを否定できる要素は何一つなかった。
なるほどわからん。
このままでは核心に届かない。
次に俺が話を聞いたのは、“ゴブ姐さん”と田中先輩が呼ぶ、見た目麗しいゴブリンだった。
引っ越してきた当初は妊婦だったはずだが、今は五歳くらいの子供と手をつないでいる。
……気にしたら負けだ。
「なぜこの村はこんなに住みやすいのか?」
俺のストレートな問いに、彼女は少し微笑んで言った。
「それは、全員が“誰かのために”を当たり前にやっているからでしょうね」
ボスくんやゴブ男さん(ゴブ姐さんの旦那さんらしい)たちは家を建てたり畑を耕し、女性陣はその分、食料を確保する。
自分にできることをする。できないことは誰かに頼る。その代わりに、別の形で返す。
その行為に優劣なんてない──助け合いが当然になっている、それだけだと。
聞いていて、俺はなんだか恥ずかしくなってきた。
心のどこかで“野蛮で粗暴”だと考えていた魔族のほうが、よほど“人間らしい”なんて。
……情けない話だが、認めるしかなかった。
──それでも、どうしても腑に落ちない。
なぜこんなにも短期間で、ここまでの発展が可能だったのか。
俺は、最後の手段として、恐る恐る課長のもとを訪れた。
「お忙しいところすみません。少しだけ、お話を伺っても……?」
課長は柔らかく微笑みながら頷いた。
「この村……おかしいですよね? 悪い意味ではなく、ただ、異常に発展している。ゴブリンがここまで変わるなんて、正直……怖いとすら思ってます」
課長はしばらく黙ったまま、俺の顔を見ていた。
その沈黙がやけに長く感じたのは、俺の心にわずかな後ろめたさがあったからかもしれない。
「……あなたの言う通り、確かに“異常”かもしれません。でもそれは、“正しすぎる異常”です」
ぽつりと漏れたその言葉は、意外なほど柔らかく、けれど芯があった。
「一人ひとりが、役割を理解して動く。誰かのために行動することが、当たり前になる。そこには競争も優劣もなく、あるのは信頼と分担だけ──それを異常と呼ぶなら、私はそれを誇りたいですね」
「ゴブリンが怖い。それは、彼らが賢くなったから? 言葉を覚え、秩序を守り、助け合いを大切にしているから?」
「い、いや……そういうわけでは……」
「人間が優秀で、魔族は劣っている──そんな前提が、もし貴方の中にあるのだとしたら、それを崩されるのは確かに怖いでしょうね」
言い返せなかった。
ただこの村のことを知りたかっただけなのに、俺自身の傲りを突きつけられたような気がして。
気づけば、沈む夕日を見つめながら、じわりと涙が滲んでいた。
……田中が恐れている“課長”という存在。
その理由が、ようやく少しだけ、分かった気がした。
* * *
落ち込んだときに頼るのは、やっぱり常識人の友達だ。
俺は田中の姿を探し、近くにいたカレンに声をかけた。
「田中、見てない?」
「ん? さっきクッコロ様と“軽く打ち合いでも”とか言ってたわよ」
「なんで止めないんだよ!?」
まずい。田中が死ぬ。
クッコロ様は王国軍最強の剣士だ。軍を辞めていく若者の理由トップが“クッコロ様の訓練がきつすぎる”である時点でお察しだ。
そんな相手と“軽く打ち合う”なんて──殺してくれと言っているようなもので……。
まずいまずい、早く止めないと。俺は必死に村の周辺を駆け回り2人の姿を探す。
み、見つけた……が、俺の想像とは全く違う結果だった…。
「ま、まいった。完璧に私の負けだ」
田中は軽く頭を下げて、木刀を胸元で抱えるようにして立ち尽くしている。
木刀を弾き飛ばされ、眼前に寸止めされたクッコロ様。
汗もかかず息も切れていない涼しい顔の田中が笑顔でお礼を言う。
……えっ? 勝った? 今、田中が?
王国軍最強のクッコロ様に、田中が勝った?
いや、まさか。何かの見間違いだろ。もしくは全力じゃなかったとか──。
それはあり得ない。クッコロ様は手加減ができるほど器用な人じゃない。
田中は木刀を大事そうに抱えたまま、きょとんとした顔で俺の方を見た。
「レオンさん? どうしたんすかそんなに息切らして……あ、課長ならたぶん広場にいますよ?」
お前だけは信じていたのに…
こいつは絶対に王国最強を簡単に倒したことを気付いていない。もはや言葉も出ない俺を前に、田中は小首を傾げて微笑んだ。
──この村には、本当に“常識”が通用する相手がいない。
俺はその現実を、静かに受け入れ始めていた。