第10話 女騎士、腐る
場所は、城の最上階──高くて風通しの良い謁見の間。俺が勝手にそう呼んでいるだけだけど。
テーブルを挟んで、こちら側には課長と俺。そして、俺を両脇から支えるようにボスくんとゴブ姐さんが控えていた。
向かいには、王国軍の三人──クッコロさんに加え、その脇にレオンとカレンが控えている。
「……リア充爆ぜろ……課長も爆ぜろ……ゴブリーマンもついでに爆ぜろ……」
俺は終始誰にも聞こえないよう、小声で呪詛を呟き続けていた。
右手に添えられたボスくんの手。左肩に置かれたゴブ姐さんの手。……どちらも、優しく、あたたかい。
2人の優しさが非常に痛い。泣く。
「な、何か非常に怨念めいた悪意が漂っている気がするが……?」
眉をひそめるクッコロに対して、ボスくんが慣れた調子で返す。
「どうかお気になさらず。田中先輩の平常運転です」
ボスくんがさも当然のように答えるが、俺は何も言い返せない。
しばらくして、クッコロさんがゆっくりと立ち上がった。
真剣な面持ちで、胸に手を当て、改まった口調で語り始める。
「改めての挨拶になるが、私は王国軍第三師団長、クッコロと申す。本日は突然の訪問、誠に申し訳ない」頭を下げると、クッコロは一呼吸置いて本題へと入っていった。
「実は貴殿に、お伝えしたいことがあり、誠に不躾ながらこうして伺った次第だ」
レオンとカレンがちらりとこちらを窺い、”やれやれ”といった表情を浮かべる。
「先日いただいた手紙……そこに記されていた“不戦”への覚悟。そして、部下や守るべき存在に対する揺るがぬ信念。さらに、私の部下たち──レオンとカレンから聞いた人物像。すべてを総合して判断した結果……私は、貴殿を王国軍に迎えたいと考えた」
静まり返る部屋。
さらにクッコロは言葉を続ける。
「……先ほどは、勢い余ってしまって……その……求婚のような言葉を発してしまったが……」
顔を背けるクッコロ。レオンとカレンが、うわっと顔をしかめる。
「わ、私は……別に……実際、結婚しても……やぶさかではないのだが……」
小声でゴニョゴニョと呟くようなその言葉が、場の空気に妙な余韻を残した。
その瞬間、俺の中で再び何かが爆ぜた。
いやいやいやいや、何言ってんだこの女騎士。
課長を王国軍にスカウト? そのうえ結婚もやぶさかじゃない? はあああ!?
俺の心はもはやズタボロだった。優しさは刺さり、呪詛は加速し、今この瞬間、俺のヘイトはとどまることを知らない。
レオンが小声でぼそっと呟く。
「いやマジでどうしたんすかクッコロさん……こんな団長初めて見たんだけど……」
カレンも苦笑交じりに、
「ええ、ある意味すごく貴重なものを見た気がするわ……こんな”女”の顔も出来るのね…」
俺は膝に置いた両手を握りしめ、神に対し真剣にリア充が爆ぜることを祈る。
そんな中、課長がまっすぐにクッコロさんを見て、はっきりと告げた。
「申し訳ありませんが──お断りします」
その場に一瞬、静寂が訪れる。
クッコロさんが、目を丸くして言葉を失う。
「な、なぜだ!? 私と貴殿が手を取り合えば、多くの命を救えるやもしれぬのだぞ!?」
課長は少しも動じず、静かに、しかし力強く答える。
「戦いを避けられるのは魅力的です。ですが、私のすべての行動は“田中くんを無事に帰還させる”ためのものです」
「課長ぉぉぉおおおおお、ずびばぜんだじだぁぁぁああ!!」
俺の馬鹿野郎! 課長が俺を見捨てる訳ないだろーがっ! 俺が唯一信頼している上司だぞ!
ちくしょうめ! 大好きだこのやろう!
感極まって課長に抱きつこうとした瞬間──ひょいと避けられる。
床に突っ伏した俺の背中越しに、課長は続けた。
「それに、ここまで共に過ごしてきたゴブリンさんたちとの縁を、今さら一方的に断ち切ることなど私にはできません。もう大切な仲間ですから」
穏やかな笑みとともに言い切る課長の姿に、ボスくんとゴブ姐さんが同時に声を上げる。
「カチョウ……スキ……!」
あまりに感動したのか、ちょっと退化してる気もするが恐らく気のせいだろう。
そんな中、課長がまっすぐにクッコロさんを見て、はっきりと告げた。
「なので、申し訳ありませんが──お断りします」
その場に一瞬、静寂が訪れる。
———そのときだった。
クッコロさんが、鼻を押さえながらふらりと一歩下がった。
赤く、朱く、色鮮やかに赤い完全な鼻血。
瞬時に袖で拭っていたが、確かに俺の目はそれを捉えていた。
(ま、まさか……こいつ……)
俺はそっと観察を続ける。
「課長……田中……尊い……」
聞こえてきた、その一言。
(こ、この女……完全に腐ってやがる!!)
俺は全身に寒気が走るのを感じながら、それを悟られないようにそっと距離を取った。このまま課長がこの引き抜きをしっかり断ればもう関わることは無いだろう。
俺の経験が必死に警笛を鳴らす。見た目に騙されてはいけない、と。
*
「 」
三日後。
再び、クッコロさん、レオン、カレンの三人がゴブリン村を訪れた。
「今回はいかがなさいましたか?」
課長が笑顔で迎えながら問いかけると、クッコロさんは真顔で即答した。
「我々も、この村に加えてほしい」
「…………すみません、ちょっと意味が分かりません」
さすがの課長も、即答に困惑の色を隠せない。
「端的にいうと、軍を辞めてきた。障害は何もない。なので我々もこの村の仲間に加えて欲しい」
クッコロさんがサラリと言い放つ。
「ほんとクッコロさん、振り回されるこっちの身にもなってくださいよー……」
レオンが頭を抱える。
「お前らは残れと言っただろうが…」
「それは、言わないのが優しさ、というものですわ」
カレンのツッコミにレオンが肩を落とした。
クッコロさんは課長をまっすぐ見据えて言う。
「私の願いは和平だ。そのために最も必要な人物は貴殿だと判断した。それだけのこと」
課長は一度目を閉じ、少しの間、沈黙を保った。
「……この村には、いまだ整っていない部分も多いです。資源も、人手も足りません。王国軍のような整備された環境と比べれば、不便なことのほうが多いでしょう」
課長の言葉に、クッコロさんはわずかに頷く。
「それでも……私が共に歩むべき場所はここだと信じている」
課長は目を開けて、まっすぐクッコロさんを見据える。
「私の理想も、願いも、まだ形になってはいません。けれど、それでも尚力を貸していただける──そういうことであれば断る理由などありません」
困ったように、けれど優しく微笑みながら、静かにうなずいた。
「……感謝する」
その言葉を聞いたクッコロさんが、嬉しそうに目を細めた。
だがその直後誰にも気付かれぬよう小声で…
「これで課長×田中カップルの推し活が捗る……尊過ぎる…」
涎と鼻血を垂らしながら、クッコロさんが気持ち悪い微笑みを浮かべて呟く。
(……この女はやばい)
俺は寒気とともに、思わず三歩ほど後退した。
こうして変態が一人、王国軍の元尖兵コンビが二人加わった。
誰も気づかなかったが、この瞬間──歴史上初めて、“魔族と人間が共に暮らす村”が生まれていた。
そしてこの日を境に、惰性で続いていた戦乱の時代が、静かに変わり始める。