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夫婦漫才

作者: 丸尾祐作

高校生の押川勉とその相方の姫川杏樹は青空ライオンという漫才コンビだった。

二人はクラスメイトの前で漫才をしたり、二人だけで練習しながらM1優勝を目指していた。

果たして、二人のM1の挑戦はいったいどうなるか。

夫婦漫才 

作 丸尾祐作


『どうもー』


 高校二年生である押川勉(おしかわつとむ)姫川杏樹(ひめかわあんじゅ)がまるで、漫才師のように教壇の前へと手をぱちぱちと叩きながら上がる。

 黒髪短髪、額縁の太い眼鏡のオタク陰キャと金髪ロングでおしゃれでとびきり明るい陽キャのギャルの明らかに対照的な凸凹コンビとクラス中の誰もが感じていた。


「どうもー美少女です」


「押川勉です、おい、杏樹、そこは二人合わせてってコンビを名乗るところで」


「青空ライオンでーす、この桃園杏樹が童貞食べちゃうぞ」


「やめんかい」


「わぁー、顔真っ赤、マジうける」


 二人の反応を見て、クラス中から笑いが沸き上がる。

 

 勉はそんな歓声が沸き上がる中、冷静だった。

 

 自分の漫才の相方、桃園杏樹は華がある。スタイルよし、性格も馬鹿みたいに明るく、元気で社交的。肌つやもよく、ロングヘアも金髪でさらさらヘア。クラスで最上位カーストの派手派手なギャル。

自分で美少女と名乗っても、クラスで受け入れられるぐらいには美少女だ。


「ねぇねぇ、そこの童貞」


「ば、ば、ば、ばか、そんなこというな」


 クラス中からけらけらと笑う男子の声と女性のくすくすとした声が聴こえる。


 杏樹の華やかさでいるのに対して、勉はおしゃれもせず、いかにもオタク陰キャといった暗い雰囲気にわざとふるまっている。漫才はちぐはぐであるほうがウケるというのもあり、過剰に勉は自分をださくしているのもあるが、それを除いても勉は自分のことは地味で暗いやつでつまらないと思っている。


 だが、自分をいじることで笑いがとれるなら上等とそのまま勉は漫才を続ける。


「わぁー、こんなピュアピュアの天然記念物、この世に存在するんだ」


「うっさい」


「鑑賞料金、10円です」


「微妙に安いわ! やめんかい」


 笑いがまたしても沸き上がるとともに、クラス中から、10円玉を高く掲げる手が散見される。


「馬鹿にすんな」


「そういえば、馬鹿といえば、あんた馬鹿って言われるの好きよね」


「えらく急に話を変えたな、もはや自然に感じるよ」


 そう勉が言うとクラス中に笑いが再び沸き上がった。


「馬鹿に関しては様々なパターンがあるからな」


 杏樹がすごく強引に流れを変えるも、逆にそのわざとらしさが笑いに変わる。馬鹿っぽさという杏樹の漫才における武器はいかんなく発揮されている。


「え、何、何、教えて」


「杏樹、試しにやってみてくれよ」


「いいよ、やってみる!」


 杏樹は勉にアイコンタクトをして、本ネタを始めるぞとばかりにこくりとうなずく。


「ツンデレのときのばか」


「………ばか」


 杏樹は横を向いて、恥ずかしそうに告げる。


「彼氏が一方的に悪くて、けんかしたときのばか」


「ばかああああああああ!」


 杏樹は両手でこぶしを作り、目をつむって、大声でいきなり、悲しそうに言う。


「照れて、相手の胸板をポコポコと殴るときのときのばか」


「ばかばかばか」


 勉にとっては痛くもないけど、ぽかぽかと胸を叩きながら、杏樹は怒りながら告げる。


「相手を見下したときのばか」


「ばっかじゃねぇーの」


 杏樹はジト目で心底呆れたようにそう告げた。


「恋人に好きって気持ちを照れ隠しで伝えるときのばか」


「ばーか」


 杏樹ははにかみながら、嬉しそうに目を細めた。


 そのまま、敬礼のポーズをして、きゃぴっとする。


「以上、馬鹿研究家の押川勉先生と世界が認める美少女、桃園杏樹でした」


 クラスの面々へ前向きとなり、ぺこりと二人そろえてお辞儀をする。


「ウチら、高校生M1の優勝、本気で目指しているので応援よろしくお願いします」


 クラスの特に隅からひそひそという馬鹿にする声が聴こえた。


 特に、勉に向けて、嘲笑のこもった目でひそかに笑われていることが確認できる。

 それは少なくとも、勉と杏樹の求めている笑いではなかった。


 担任の先生が入ってきて、「ホームルーム始めるぞ」と勉と杏樹は席にすごすごと戻ることにする。


 放課後。


「なんのなのさ、馬鹿にしなくたっていいじゃん」


 二人でネタ合わせのために、空き教室で過ごしていると、杏樹が急に声を上げた。


「あー、もう! あのネタ、M1でも結構いけるって、なんでわかってくれないの!」


 地団太を踏み、杏樹は頬をぷくーっと膨らませて、悔しそうにする。


「絶対に勉のネタ面白いって」


 杏樹が俺の腕に絡みついて、思い切り、前後にゆすってくる。上目遣いをしながら、「うっー」とうなり、必死に自分の主張が正しいと訴えてくる。杏樹はまるで俺のネタに恋しているかのようであり、強く印象に残った。


 おかげで勉は自分たち漫才コンビがなぜできたかを昨日のことのように簡単に思いだすことができる。


 高校生一年生、一学期、友達もできず、退屈な中、勉が図書室で黙々と一人でネタを作って、誰にもわからないように一人で笑っていた。そんな中杏樹が「なーにしてるの」といって、楽しそうに覗き込んだことがきっかけだ。


「私、いつも家でさみしいんだ、面白いことなーい?」

 

 まるで子犬が主人がしばらく帰ってこないことをさみしがるかのように見つめてきた。

 クラスでいつも明るくふるまっているのが嘘みたいに本気で悲しそうだった。


「ねぇよ、俺とかかわってもつまらないぞ」


 当時、勉は自分の自分しか笑えない駄作ネタを必死に隠そうとした。


 しかし、杏樹が寂しそうであるのは本当な気がした。


 勉はネタを読みたいなら読ませてやるかという気持ちで、杏樹に仕方なしにネタを渡した。


 すると、杏樹は真剣にネタを読んだ後、「すごく面白い」と涙を流して、おなかを抱えるほど大爆笑した。


「人生って楽しいんだね」


 クラスで見る空元気でいる杏樹と違って、すごく楽しそうに見えた。


 暗そうだった顔が嘘みたいに晴れて、とてつもなくきれいな笑顔で女神でも降臨したのかと思ってしまうほどだった。

 

 勉は明らかにつまらないし、自分しか笑えないネタを笑ってくる杏樹の笑顔を見て、すごくうれしくなった。


「もっと面白いネタがあるぞ、見るか?」

 

 何かを抱えている杏樹を本気で笑わせて、元気にしたくなった。 

 

 しばらくネタを読むと杏樹はとてもきれいな笑顔を見せた。


「ありがとう、嫌なことばっかだけど、すっきりしたよ」

 

 杏樹がいつになく、しんみりした様子でつぶやいた。


 恋愛感情ではなく、やっと自分のことをわかってもらえた気がしてすごく感動したお礼のつもりでしかなかった。

 

 杏樹が「このネタすごいって!私、みんなをもっと笑顔にしたい、勉と一緒なら絶対できるから協力してくれない?」とすごい笑顔で言われて、「う、うん」と勢いに押されて、あっさり結成が決まった。


 それ以降、暇さえあれば杏樹が押し掛けてくるようになった。

 

 勉が毎日ネタをかけるのも必ず杏樹が笑ってくれるということに甘えているだけに過ぎない。

 

 杏樹がいいやつ過ぎて、自分なんかのネタでも笑ってくれるだけ。

 

 調子に乗らないように何度も自分に言い聞かせる。

 

 ふと、そんな思いにふけっていると、杏樹が突然、叫ぶ。


 「私が世界中に笑顔を咲かせるんだ、天まで届けー!」


 杏樹は両手で胸の前でぐっーっと作る。口癖のように杏樹が世界中に笑顔を咲かせるという。

 

 しかも、天まで届けとはずいぶん大きくでたものであり、スケールもでかい。


 この杏樹の底抜けの明るさにはいつも助けられる。


 勉はふと思うことがあったので、杏樹に聞くことにした。

 

「なんで漫才にそこまで杏樹はそこまでこだわるんだ? モデルでもアイドルでもやっていけるだろう、芸能界に入るならそっちのほうがいいだろ?」

 

 街を歩けば、誰もが振り向くオーラもある。

 

 底抜けに明るくて、いるだけで周りを元気にする力もある。

 

 杏樹には圧倒的な華もある。


 おそらく、成功するであろうファッションモデルのスカウトも延々と断って、なぜか漫才師をやっている。


「勉は私のことをずいぶん、かってくれるねぇ」

 

 杏樹は突然寄ってきて、左で口を押えつつ、嬉しそうに右手で胸をツンツンとついてきた。

 

 本当に距離感が近い。

 

 勉にとって、杏樹はギャルという種族のテンプレートイメージに当てはまっているように感じる。


 ノリが軽いし、フレンドリーで、その上、すっごく明るい。ボディタッチもしてきて、エロいところもある。オタクとは対極的な存在である、派手さがあり、コミュ力抜群の陽キャであり、クラスカースト最上位だ。

 

 勉はなぜ自分なんかとかかわってくれるか今でもわからない。


「私のこと、好きなの?」

 

 こてんと勉の肩に杏樹は頭をのせる。

 

 勉は本当にギャルの距離感の近さは感覚がバグっていると心臓の動悸が止まらない。


「ち、ち、ちがう! 漫才をやるうえでそこを知るのは大事なことだろ」


「私、かわいいのに?」

 

 杏樹は上目遣いで見上げてきて、勉はなおさらドキドキする。


「あくまで相方だろ、男女コンビだから恋人って安直すぎだろ」

 

 勉は杏樹に好意はあるもののそれを表に出す自信はない。こんな魅力的な杏樹の恋人だなんてふさわしくない。かっこよくもないし、気の利いたセリフも言えないし、さらに、面白い人間ではない。

 

 会話している中でもそんな自虐思考がぐるぐると頭を回っていた。


「ふーん、まぁいいよ。漫才をやる理由ね、え、え、えっと、お笑いが好きだから、それじゃだめ?」


 目をきゅるんとさせ甘えてくる様子はチワワを彷彿させる。杏樹がいたずらっぽく笑い、誘惑してきてるから真面目に答える気がないのかと勉は気づけた。


 話すつもりがなさそうなのでそれ以上追及することはやめることにした。


「さーて、ネタ読みの練習とかするかぁー」

 

 背伸びをすると、その豊満な胸が強調される。

 

 勉は顔を赤くして、慌てて目をそらす。

 

 そんな勉の様子に気づかず、不思議なそうに杏樹は首をかしげると、勉の目をじっと見つめてきた。


「私たちの面白さを見せつけてやるんだからねっ、勉」


 とっても明るい笑顔で杏樹は全力ピースで見せつけてきた。


 しかし、ネタを読み始めると、すぐに杏樹の顔は真剣そのものへ変わる。

 

 一見、何も考えず、ただ明るく、軽そうにふるまっている杏樹だが、 漫才の練習中は普段のクラスでのキャラと全く違う気迫を感じさせてくれる。

 

 勉はやはり杏樹のその姿に疑問を覚えずにいられない。

 

 本当になんでそんなに漫才にこだわるんだろうか?


 人の笑顔を作るだけならそこまで真剣になれるだろうか。


 でも、申し訳ないことがあり、杏樹のその思いに答えられない。


 勉は自分たちのお笑いについて分析している。


 勉自体は自分自身はつまらないし、ネタも上手じゃない。すべて笑いにつながっているのは、杏樹の魅力という青空ライオンの武器のおかげと。

 

 だからこそ、コンビを結成以来、勉はいかに杏樹の魅力を引き出すかというネタを書いている。


「ばきゃーん」

 

 気合が入りすぎて、杏樹がネタ読み中に噛んでいたりする声が聴こえていた。


 杏樹も杏樹でいろいろプロのお笑いを研究している。


 活舌が悪いところはあるが、一生懸命カバーしようと練習しようとして、少し涙目になっていた。

 

 同時に、杏樹が「絶対勝つもん」と言いつつも、肩が震えているのに勉は気づく。

 

 だけど、勉も不安が強くて何も慰めてやることができなかった。


 杏樹が夢をまっすぐ信じる気持ちに共感ができない自分が悔しく、高校M1選手権を迎えることになる。

 ※

 結論から云うと、青空ライオンはM1はあっけなく落ちてしまった。

 

 現実はそう甘くない。


「なんでなの」


 帰り際、二人で歩いているところ、杏樹が心の声が漏れた。


「絶対、面白いのに」


「仕方ないよ」


 勉は敗因をはっきりとわかっていた。


 ネタが一次通過できるほどの質ではなかったのだ。


「ごめん、杏樹の魅力を引き出せなくて。俺がつまらないばっかりに」



 それに杏樹が噛んでから、終始空気が冷たかった雰囲気のせいもある。


 二人にとって、救いがあったとしたら、くすっという笑い声が少し聞こえたことと終わったあと、一部からささやかな拍手をされたことぐらいだ。

 

 身内受けしかしない。


 クラスのいくらかは笑ってくれたりはするから、きっと自分たちのネタは面白いと思い、内心調子に乗っていたが、夢が叶うのは厳しいという意見を証明する形となってしまった。


「ちがう、ちがう、ちがう、そんなんじゃない」

 

 勉の顔を見ず、うつむいたまま、杏樹は大声をあげる。

「こんなつまんないネタしか書けない俺なんかじゃあ、杏樹の役に立てねぇんだよ」

 

 なだめようと、笑ってごまかそうとした。

 

 勉は自分が本当につまらない男であることに申し訳なさを感じていた。

 

 そんな勉の様子に杏樹は頬を膨らませて、余計に不満そうな様子を見せる。


「どうして、そんなひどいことを言うの! ばかっ」

 

 杏樹が涙目でいきなり勉へビンタをかましてくる。

 

「もう、青空ライオンは解散」


「おいっ、ちょっと」


 杏樹が走り去ってしまう。


「悪いことをしちまった、ちくしょう」


 勉は衝動的に言ったことに反省の意を隠せない。

  

 自分がつまらないという劣等感を根本から抜けないゆえに、自信を持てないから、いつもネタを面白いということについてまで杏樹の思いまで否定してしまった。


 杏樹にすぐにでも謝りたいと思い、しばらく追いかけた。


 気づいた時には俺も追いかけるが、もう見えなくなってしまった。


 勉はきょろきょろと見渡し、必死で探す。


 辺りを走り回って、普段知らない人に話しかけるのも苦手だが、そんなことを忘れるぐらい手当たり次第に人に聞きまわって、一面中探す。


 「杏樹―」


 名前を呼び、必死に叫ぶも聞こえるのは風の切る音ばかり。

 

 息が切れるまで走り、公園、学校、杏樹の自宅まで行った。


 警察にも訪ねたが、場所は当然わからなかった。

 

 ずっと探し回り、気が付けば、日が暮れてしまっていた。


 あらゆるところを探したが、思い当たるところが一か所だけあるのをふと思い出した。


 杏樹が落ち込んだ場所によく行く場所である。


 そこに行ってみることにした。

 案の定、そこにいた。

 

 海。


 夕日で逆光なのに、杏樹の存在のほうが輝いていた。

 

 岸際に上がってきた人魚よりも美しいと思えて、海風で髪がなびいている杏樹の姿は勉にとって、芸術的に思えた。


「嚙んじゃった」


 杏樹に近づかなくても、すすり泣く声が聴こえる。


「勉は絶対、悪くないもん、ネタはいっつもすごいもん」


 杏樹のそばにいって、勉は慰めるつもりでポンと頭に手をおく。

 

 やはり杏樹は勉のネタが面白いということに関しては絶対に譲らない。


「すまん、悪かった」

 

 日頃の杏樹の勉のネタに対する思いを否定して、泣かせてしまった一因が勉自身にあったので、とにかく謝りたかった。

 

 そんな謝罪は求めていないと言いたげに、杏樹は首を振る。


「違うの、私の活舌が悪いの、一生懸命練習したのに」


「いや、まだ世間に認められるネタじゃないんだよ、俺のネタが審査員にとってはつまらなかっただけだよ」

 

 勉が自分のネタをつまらないというのは、先ほどと違って、別に自分自体を否定したくて言いたいわけじゃない。

 

 単に、M1向けのネタとしてはつまらなかったという敗因としてあるということを伝えたかった。


「違う、勉は面白いの。審査員さんはなんでわかってくれないの」

 

 杏樹は意固地になって譲る様子を見せない。


「ネタを毎日欠かさず、書いているし、勉も面白いのに、勉の努力が報われないのはおかしいもん」


「そう言ってくれるのは嬉しいけど、努力が報われるとは限らないだろ、実際クラスの奴には馬鹿にされているし」


 青空ライオンの漫才コンビの長所は、杏樹が可愛いことと勉は自負していた。


 単に杏樹がかわいいことをアピールするネタを書いていただけで、クラスのやつらからも勉自身がつまらないと馬鹿にされているのを勉は知っていた。


「そんなの私は絶対認めないもん! 勉はすごいの!」


 杏樹はやはり自分の意見を譲らない。


「笑うと人の寿命って伸びるんだよ、科学で証明されている。勉は健康を増やして、また大きな社会貢献をして、勉はすごいんだよ」


「ありがとよ」


 杏樹は嬉しそうに「えへへ」と笑う。


「私、地味子だったの知ってる?」


 杏樹がポケットからスマホを取り出して、「ほら」と自分の写真を見せる。


「私、清楚な黒髪ロングだったんだよ」


「なんだよ、すげぇ、かわいいじゃん、なんでまた」


 杏樹は「えへへ」と頬をぽりぽりと恥ずかしそうにかく。


「私に夢があるの」


「なんだよ、急に?」


 杏樹はすぅーっと息をすって、真剣な眼差しで勉を見つめる。


「私の大好きなおじいちゃんとおばあちゃんをもっと笑わせて、寿命を延ばしたいの。人生をもっと楽しんでほしいの」


 杏樹の笑顔は他人を巻き込む力があり、周りも盛り上がっていく理由も勉も少しは理解できた気がした。


「いい家族だな、きっと両親も杏樹のこと誇りだろうな」


 杏樹は「ふっ」と力が抜けたような笑顔を見せる。


 その笑顔は勉の見たい笑顔ではなく、心がずきりと痛んだ。


「言ってなかったっけ? 私、両親いないの」

 

 杏樹がぽつりとつぶやいた。


「え! ごめん」

 

 勉はそれしか言えなかった。

 

 うかつで短慮だった自分に激しい後悔を覚える。


「いいよ、別に」

 

 杏樹はふわっと慈悲を浮かべた笑顔を勉に向ける。

 

 しかし、それがかえって勉にとってはつらかった。

 

 いつも家でさみしいと言っていたのはそういうことだったのか、と勉は今更気が付く。


「交通事故で死んじゃってね。 今はおじいちゃん、おばあちゃん、私の三人暮らしなの」


「笑わせたいってのは、そうか」


「私がいい子にいようとすればするほど、おじいちゃんとおばあちゃん二人とも辛そうだったからね」

 

 杏樹は笑っているが、それも辛そうだった。

 

 空元気だった原因はそういうことかと勉は腑に落ちる。


「だから、明るい女の子になろうと思ったの、ギャルに!」

 

 杏樹は急に顔を上げて、勉に自分は大丈夫だよと必死にアピールをする。


「イメチェンしたんだな、すげぇ勇気だな」

 

 杏樹のことは自分のつらい気持ちと必死に向き合っていた。

 

 勉は杏樹の心のうちを何も知らなかった。


「うん、クラスの人は笑うようになったけど、でも物足りなかったんだ」


「物足りないか、そうだよな」

 

 杏樹は空元気だった。

 

 馬鹿みたいに明るかった。

 

 理由は、自分の祖父母を悲しませないため。


 そして、自分の両親がいないつらさをごまかすため。


「つらかったな」


「いいよ、勉がそんなことを気にしなくて」


「いつも空元気で笑ってるように見えたからな、気づいてやれなくてごめんな」

  

 申し訳なさげに杏樹はしょんぼりとする。


「ば、ば、ばれちゃってたんだ。で、で、でもね!」

 

 杏樹は急に顔を上げて、両手で胸の前でグーを作った。


「勉がいればそれができるんだよ! 私も本気で笑えるよ。私の寿命だってきっとどんどん延びてる! 笑わせることができるってすごいんだよ!」

 

 そもそも勉はお笑いが健康につながり、人の人生に影響を与えるなんて壮大なことを考えたこともなかった。

 

 自分は自分だけが面白いと思っているものを誰かに理解してほしいというエゴにまみれて、人のためとか、役に立とうなんて考えたことがない。

 

 同じ価値観を持って、自分を理解してほしい、ただ自分のためでしかない。

 

 杏樹と自分を比較して、すごさがますます身に染みた。


「俺って役に立てたかな? 杏樹みたいにずっと頑張ったわけじゃない」


「違うよ」

 

 杏樹ははっきりと告げる。


「そもそも勉がいないとそもそも私の夢は叶わないだもん! すごいのは勉だよ、そこまで頑張れる人なんていないよ、私はすっごく素敵だと思う」


 俺にとって何もかも魅力的な杏樹のそんな素晴らしい夢に協力が少しでもできているのかと思うと、泣きたくなるぐらいに勉はうれしかった。


「そこまで思ってくれてたのか」


「だからこそ勉の面白さを私だけが独り占めするのももったいないって」

 

 楽しげにそう言った後、杏樹はぽつりと「まぁ、それも悪くはないけどね」ともつぶやく。


 波の音にかき消されそうだったが、やけに勉の耳に残った。 


 はにかんで笑う杏樹の顔を見て、勉はかっと熱くなる。


 無理して笑っているなぁと思ったら、杏樹の顔から涙がぽろぽろと出てきた。


「だから、やっぱり、く、くやしぐで」

 

 本格的に杏樹は、泣き始めた。


「くやしいよー、なんで、勉が面白いってみんなわかってくれないの、ひどいよ!」


 勉が杏樹と漫才を始めた理由は、杏樹だ。


 杏樹に支えられたからだ。


 何かを言わなちゃいけない勉は衝動にかられた。


「俺が見たいのは、杏樹の泣き顔じゃない」

 

 勉は漫才中の大きな声でしゃべるよりも全力で声を張り上げた。

 

 杏樹は泣くのをやめて、見上げて来る。


「笑顔だ」

  

 勉は杏樹の肩をふっとつかみ、目を見つめて、本気の気持ちだという気持ちを伝える。

 

 驚いたような顔で杏樹は勉を見返す。


「杏樹の笑顔を毎日作れる漢になりたかったんだ」

 

 勉は自分の思いの丈をぶつける。


「告白?」


 杏樹はいつの間にか泣き止んでいた。


 代わりに前かがみで、にやにやしながら、下から覗き込んできている。


「え、え、そういうつもりじゃなくて」


 告白したつもりがないのに、そういうニュアンスになって、急に恥ずかしくなってきた。


 しかも、なんとなく胸が見えそうでエッチな気分がしてきて、勉はなおさらドキドキする。

 

 杏樹のエロさ、かわいさは思春期の勉にとって、蠱惑的すぎて、平静をよそうつもりで精いっぱいだった。


「なるほどねっ! 勉って私のために漫才やってくれてるんだね!」

 

 杏樹は「にひぃーっ」と真っ白い歯を見せながら、すごく嬉しそうにしながら頬を手にあてて、くるくると回って、勉の正面を向き直った。


「ねぇねぇ、クラスの人からうちらの漫才なんて云われてるから知ってる?」


「急になんだよ」

 

 杏樹は「あのね、あのね」と両手で口を隠して、もったいぶりながら、近づいてくる。


「めのと漫才」

 

 急に杏樹は耳打ちをしてきた。


「め・お・と漫才だろ、大事なところで噛むなよ」

 

 「うぅーっ」と杏樹は顔を赤くする。


「で、なんだよ、夫婦漫才がどうした?」


「いっそのこと、うちらの漫才のキャッチコピーにしない?」

 

 杏樹は手を後ろに回し、小首をかしげる。

 

 この日一番の笑顔を杏樹は浮かべていた。


 本当にきれいな笑顔だ。

 

 勉はこの笑顔を作ったのが自分だと思うとすごい誇りに思えた。


「今の私の憧れはね」


 杏樹はキラキラした目で勉をまっすぐで見つめる。


「悲しんでる私を思いきり笑わせてくれたみたいにおじいちゃんとおばあちゃんを思いきり勉と一緒に笑わせたい」

 

 杏樹は真剣だった。

 

 勉は今度こそ自分の思いをはっきりと伝えようと決意する。


「任せろ」

 

 ネタをしっかり書く。

 

 それだけは勉はやってきたので、決意を改める。


「あ、でも、すごく素敵な旦那様ができたよっていうとそれだけですごく笑うかも」

 

 杏樹は口に両手を抱えて、「くふふ」と嬉しそうに笑う。


「やめろよ」

 

 勉は真面目だった雰囲気が甘ったるい雰囲気に急に変わり、いたたまれなくなる。


「あはは、照れてる」

 

 杏樹は涙を流して笑っている。

 

 勉は今日の杏樹の笑顔はいつもに増して魅力的であることを嬉しく思う。


「天国にいる私のお父さんとお母さんもきっとすっごく笑ってるよ」

「だといいな」

 

 勉は夫婦アピールされる恥ずかしさもあるが、気の利いた返事が返せなかった。

 

 そんな勉を杏樹は愛おしそうに見て、「にっ」と笑いかける。


「はいっ、私から提案があります」


「なんだよ、行ってみろよ」


「お笑い芸人さん見てて思ったんだけど、奥さんの名前を呼ぶだけでギャグになることあるじゃん。愛情ってお笑いそのものじゃない?」


「やればいいのか?」

 

 勉は恥ずかしさを必死に我慢して、返事をする。

 

 杏樹なりに新しい道を切り開いてくれてるんだから勉は期待に応えようと思った。


「勉にそんなことできるのー? じゃあ、試しにやってみてよ」

 

 すごく嬉しそうに、杏樹は馬鹿にしてきた。


「いいぜ、言うだけだろ、やってやるよ」


 挑発されたならリクエストに答えるしかない。


「杏樹」

 

 心を込めて、勉は杏樹の目を本気で見つめて、名前を呼ぶ。


「え、なーに、聞こえない」

 

 勉の声が、波にかき消されてしまったようであり、杏樹はにやけながらわざとらしく聞き返す。


「杏樹―!」


「ばかじゃん、叫んでるだけじゃん」

 

 杏樹は照れくさそうにはにかんでいる。


「杏樹のことが大好きだ」


「ばーか、ぜんっぜん面白くない」


 杏樹はまんざらでもなさそうにそっぽを向いた。


「あのさ、これだとただいちゃついているだけだろ、M1はどうするんだ?」

 

 杏樹はこの日一番の笑顔を見せつけてくる。


「もっちろん、いつでもするんだよ。学校でも次のM1でも私のおじいちゃんとおばあちゃんの前でもこれからずっと毎日ね」

 

 勉は杏樹の笑顔をさらに引き出すため、M1でもいちゃいちゃな夫婦漫才を書かなきゃならないと思うと恥ずかしすぎて、少し胸が痛くなった。しかも、杏樹の祖父母に自分たちのいちゃいちゃぶりを見せるとか恥ずかしすぎて死にたくならないか勉は自分の生命が無事であれるか心配になってきた。


「また、練習するか。杏樹、恋人に好きって気持ちを照れ隠しで伝えるときのばか」


「ばーか」

 

 以前は杏樹がはにかみながら、嬉しそうに目を細めるだけだった。

 

 でも、全開の笑顔で勉のことが大好きだと誰もがわかるっていう風に言うようになった。


 キャッチコピーが夫婦漫才だとはっきりすると、以前にもまして杏樹の魅力が引き出せて、面白い漫才になると勉はすごく実感ができた。


「次のM1もっといい漫才ができそうだな、世界に杏樹が魅力的だって証明してみせるよ」

 

 勉は杏樹に思いを伝えるため、耳元でそう伝えながら、抱きしめる。


「ばーか」

 

 さすがに今度は恥ずかしいのか、杏樹は勉にしか聞こえない程度にささやいた。

 

 こうして、これから勉と杏樹はM1でも日常でも夫婦漫才を続けていくお互い決意した。


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