1杯目.恋都と宵ノ森
学校が終わるとわたしは靴を履くのももどかしく、その店に向かう。『Cafe宵ノ森』。わたしの好きな人がいるお店。
重たいドアを開けると、アンティークのドアベルがカランコロンと音を立てて、そのひとの長い珈琲色の耳がぴくぴくと動く。
「いらっしゃい恋都さん」
鼈甲のフレームの眼鏡をかけた男の人がにこやかにわたしを迎えた。ウェーブのかかった黒いボブ、同じ色の蝶ネクタイとエプロン。濃い色の肌に金色の目、長い耳。そのカフェのバリスタ、宵ノ森さん。彼はダークエルフだ。
わたしが産まれてくる前のこと、この世界のあちこちに時空の裂け目が出来て、異世界が流れ込んで来たそうだ。最初は事故で大変なことになったらしいけど、今は友好的な種族とわたしたちの世界の人間は手を組み、お互いの世界を行き来して仲良くやっている。エルフやダークエルフなんかはその友好種族の筆頭だという。
「いつものください」
「いつもの、っていうと、宵ノ森ブレンド? いいの? 恋都さん、知らないよ……?」
「いいんです! 宵ノ森ブレンド、ブラックで!!」
静かな店内にコポコポとサイフォンの音が響く。この店の名前にもなっている『宵ノ森』というのは彼のあちらの世界での名前を日本語にしたものらしい。本当の発音も教えてもらったけど、わたしには聞き取れなかったので日本語で宵ノ森さんと呼んでいる。
「ミルクと砂糖、本当にいらないの? 無理しなくていいんだよ? だって君ってば……」
「もう! 子ども扱いしないでくださいってば!」
「仕方ないじゃないか。だって僕と比べたら君は赤ちゃんみたいな年齢だよ?」
小説やアニメで見たとおり、ダークエルフは凄く長生きらしい。彼もまた見た目通りの年齢ではないと聞いている。何歳と具体的には知らないけれど……。
「ん……ずっ、あっづ……!!」
恐る恐る飲んだのに、淹れたてのコーヒーが思ったより大量に流れ込んできて、わたしはその熱さに思わず声を上げた。
「ほら、言わんこっちゃないって」
カウンターから乗り出して来た彼がミルクピッチャーを傾けて、わたしのコーヒーに中身を注ぎ込んだ。彼の肌の色と同じ水面に白いミルクが沈んで、小さいクラゲみたいにいくつも浮かび上がってきた。
「お砂糖は?」
「……みっぢゅ……」
「ふふ、いい子だ。素直が一番成長するよ」
にっこりと笑う彼の視線はどこまでいっても子供を相手にする顔でしかなくて、ミルクとお砂糖をみっつも入れてもらったのに心なしかまだ苦い。
「こんなおじいさんの店にいつも一人で来て、退屈ではないかい? 友達を連れてきてくれたって大歓迎なのに」
宵ノ森さんはいつもこんなことを言うけど、わたしは彼との逢瀬のチャンスをかしましい友達なんかを連れてきて台無しにしたくなかった。
「……宵ノ森さんと、二人っきりですごすのが好きなの」
「そう?」
「…………好きってことですよ?」
「そりゃ光栄だ」
「……真面目に聞いてよ」
「うーん。さっきも言った通り、君は人間の尺度で言ってもまだ子供だからね。せめて僕のコーヒーが心からおいしいと思えるようになってからまた教えてくれるかい?」
このひと、いつもこうだ。こう言えば、わたしがはしかみたいな恋を忘れて大人になっていくと思っているのだ。
「ちょっと意地悪だったか。別にコーヒーが楽しめるのは大人の条件なんかじゃないから。あんまり本気にしないでね」
「……ずるい言い方。いいもん。わたしすっごいレディになるからね」
負け惜しみと共に、冷め始めたコーヒーをやっと飲み干したわたしは、お金を置いて今日は帰ることにする。
「恋都さん」
「……はい?」
「恋の都って、とってもいい名前だ」
「!!!!!! ま、また来ます!!!」
そう言って見つめて来た金色の視線がとっても素敵で、わたしは真っ赤になって外に飛び出た。
走り出した帰路の途中で、彼が『本気にしないでね』と言った言葉がかかるのは『コーヒーをおいしいと思えるようになってから』で、『また来てくれるかい』の方でないのに急に気付く。
(絶対飲めるようになってやるから……熱いのも、苦いのも絶対克服してやるから……!)
そうしたら早く大人になれるってわけじゃないけど、わたしは家までの舗装された道を全速力で駆け抜けた。
いつもはムーンライトとノクターンで書いています。はじめてのなろうで慣れませんが、面白かった、続きが気になるなどございましたら感想、評価、ブクマなどいただけると幸いです。