“永遠の死に戻り”の隠された真実
果たして、運命はネモフィラに微笑んだのだろうか。
ネモフィラは、旅をしている中で、興味深い村にたどり着いた。
なんでも“神熊”と呼ばれる山の主に毎年の4歳になる子供を生け贄として捧げ、毎年村の豊作と神熊からの被害を避ける儀式をしていた。
この出来事はネモフィラにとって、他人事には思えなかった。
かつて自分も人身御供として何万という刀を体に刺されて命を絶たれた過去があった。
迷信だけで語り継がれてきた根も葉もない儀式なんて、くそ食らえだ。
今まで犠牲となってきた幼児たちの痛みやその家族の辛さを思えば、すぐにでも止めたい気持ちだった。
自分が八枝子の頃、ほしくても出来なかった子供を意図も簡単に犠牲にするなんて、理解したくもなかった。
そうしてネモフィラは、その村に住み着き、少しずつ信用を集めて、そして神熊の儀式を辞めさせることに成功した。
村の住人は、ネモフィラを称えた。
ネモフィラも悪い気はしなかったし、この村はなんとなく卑弥呼や八枝子の時代に過ごした故郷に似ていたこともあり、居心地がよかったので、しばらく長居することにした。
そして、出会った。
ある日、突然だ。
枕元にローブをまとった奴が立って、「永遠の生き死にに興味はないか?」と説いたのだ。
音も気配も殺気も魔力も何も感じないその不思議な人物に、怪しさと高度な何かを瞬時に感じた。
はじめのうちは、「興味ない」と即答をしたネモフィラだったが、毎夜毎夜訪れるその人物に口説かれ始め、心が揺れ動いてきた。
ローブの人物は、静かに「死後の世界を堪能できる」などと甘い誘い文句をで会うたびに吹き込んでいった。
ネモフィラは、動揺をし始めた。
“永遠の死に戻り”を手にいれれば、永遠に武政に出会うことができる。
今どこにいるかも分からない武政の魂を宛もなく探すよりも、死と誕生の合間にだけ訪れる僅かな甘い夢で出会う方がよっぽど価値がある。
このときすでに、ネモフィラは100万年は異世界で生きてきた。
毎度死ぬことなんて、寝て起きるくらいの短い感覚だ。
しかし、ネモフィラがすぐに首を縦に振らなかったのには理由がある。
ひとつは、ローブの人物の目的がはっきりと分からないこと。
もうひとつは、死には必ず痛みや苦しみ、そして“副反応”が生じること。
さらには、村人の命を少なくとも100は犠牲にしなければならないことだった。
ローブの人物いわく、「次なる1000万年のために、“器”が必要」なのだという。
そのために、その器に適合する者を探しだしているのだと。
奴は勿論ギブアンドテイクをすると譲歩した。
ネモフィラが仮にその“器”でなくても、“永遠の死に戻り”は継続できるという。
つまり、永遠に武政に出会うことができる。
その代わり、“器”に適合したときには、代わりに心臓を貰うと言った。
ネモフィラか適合かどうかは、少なくとも100年はかかると言われた。
それでも、充分すぎるくらいに生きたとネモフィラは感じていた。
それは、生きることが惰性に近くなっていたのかもしれない。
それもあって、ネモフィラは賭けることにした。
この人生が、賭けに値するものかどうかをー。
そして、村人100人という命を奇病と称して、大きな流行り病を村に充満させ、ローブの人物と共に、“永遠の死に戻り”を始めた。
村人100人の命なんて、ネモフィラにはどうでもよかった。
それまでに助けた人数と比較して、蟻以下の小ささだ。
寧ろ、自分が助けた人数の方が何百倍も多いのだ。
神も許してくれよう。
こうしてネモフィラは、ローブの人物に心臓を対価として与え、本人は“永遠の死に戻り”を得た。
死と生の狭間では、毎回武政に出会うことができた。
その度に涙を流し、喜び、肌を合わせ、唇を重ね、体液を交えて、お互いの愛と存在を確かめ合った。
しかし、神はやはりネモフィラが犯した罪を許してはくれなかった。
何度目かの転生をした後から、体のだるさや頭痛、腹痛、腰痛、関節痛の不調に始まり、嘔吐や下痢、全身の痺れや目眩など回を重ねるごとに体調の悪化を覚えた。
その後、そうした不調と共に体事態が変化してきた。
初めは右手。
体毛が濃くなったかと思いきや、次の一時間後には完全に鳥の翼になった。
そして、次は左手。
飛ぶことができない、ただ空を切るだけの真っ白な翼に手が変化した。
そのあとは、蛇のような尻尾がお尻から生えた。
そして、耳は肩幅よりも大きく髪の毛と同じ水色の毛で覆われた柔らかなものに生まれ変わった。
これが、ローブの人物が言う“副反応”だったのだ。
ネモフィラは、覚悟した。
「私は、“器”ではなかったのだ」と。
絶望が迫っていた。
武政に二度と会えなくなる終わりが見えていた。
焦りと葛藤。
ネモフィラには、新しい心臓が必要になった。
自分と同じ“時空を越えて来た者”の新鮮で丈夫な心臓が。
そのとき、タチバナイズミと名乗る者が現れた。
ネモフィラは、“これだ”と感じた。
しかし、タチバナイズミは、“運命の力”を持つ同志であり、“過ぎ来し方の鏡”という重要な役割を持つ者だと分かり、自ら身を引いた。
タチバナイズミが、運命に微笑むと確信したのだ。
これが、卑弥呼から始まり、八枝子を通じて、ネモフィラとして生きた一人の女の物語である。
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