元大魔法使いとの大敗、そして異世界生活終了の合図
ネモフィラさまによって召喚された魔獣の生暖かい息がねっとりと顔にかかる。
あまりにもその魔獣は近づきすぎて、ピントが合わなくなるほどだ。
(これは…ケロベロス?)
ぼんやりした輪郭をなぞると、翼の生えたライオンのような体つきをした金色の生き物が息巻いている。
(違う、ケロベロスは頭が3つあるやつだ。じゃあこれはなに?)
命の危険があると、どうやら人間は冷静になるようだ。
ロキとの戦いでもそうだったが、あまり私はピンチでも慌てない達らしい。
が、それは次の瞬間には打ち砕かれた。
ズキィーーーーッッツ!!!
光の集合体であるいまの私のからだ全身に鋭く強い痛みが瞬時に走った。
激痛だ。
いや、激痛なんてものじゃない。
声も出せないほどに痛い。
そうじゃない。
痛みなんてものを通り越している。
ギィンッツ
また痛みだ。
痛みがもっとも強いところに視線を合わせる。
すると、そこには何か刺さっていた。
(鹿の…角?)
金色に光輝く角。
大人の男の人の腕よりも太くて硬い角の先が私のからだにめりめりと食い込んでいる。
「あぁ…っ!は…ぁっ…ッツ!」
この時でようやく声が出た。
しかしこれは、あえぎに近い。
「待て待てケリュネイアよ。心臓は傷つけるなよ。私の大切な獲物だ」
ケリュネイアと呼ばれたその鹿は、何も言わずに私のからだから尖った角を引き抜き、ネモフィラさまの方に行き、体を擦り付けるようになついた。
「…ハァ…ハァ…」
血だ。
血が出ている。
しかし、序盤に魔法で壁に固定されたきり、体を動かせないので、床にぽたぽたと私の赤い血が落ちる。
(この光の集合体にも、血が流れてるのね…)
「ネメア、お遊びが過ぎているぞ。もう行き耐えてしまう。まぁ、所詮人間なんてこんなものか」
ネモフィラさまは大きな耳のような毛深い物体を揺らしながら、余裕そうな表情を浮かべている。
「ネモフィラ…さま…どうし…て?」
息がうまくできない。
「欲しいからさ。それだけだ」
さっきまで少女のように泣いていた彼女はそこにはいない。
いま目の前にいるのは、たくさんの魔獣を従えて、氷のように冷たい視線を血だらけの体に向けて送る冷酷な得体の知れない“何か”だ。
「血まで欲しいとは…言われてないわよ…」
「ふん?なんだシェイクの書いた戯曲のようなことを言うやつだな」
ネモフィラさまは薄ら笑いを浮かべ、両翼の毛繕いを始めた。
「まぁ、よい。今すぐに楽になるぞ。お前の友人たちには、“元の世界にもどしてやった”と言っておこう。ロキにはすぐバレるとは思うが、人ひとりくらいなんでもないぞ」
「あなたも…かつては…人だったのでしょう」
「お前には関係ないことよ」
「そうやって…他の村人の…命も…奪ってきたの…?」
「誤解するなよ。やったのは奇病だ。私ではない」
また私に食いかかろうとするケリュネイアとネメアを制止ながら言った。
「じゃあ…その奇病を始めたのは…あなたなんでしょう…?」
「黙れ」
「あなたの…胸に心臓がないのは…どうして…?」
「お前は質問が多い」
ヒュッと風を切るような音がした。
次の瞬間、私は地面にドンッと落ちた。
壁との拘束が切れたようだ。
「おやおや、ダメではないかケレネーよ。ケリュネイアもネメアもしっかりと我慢しておっただろ?ケレネーだけが、“獲物”を独り占めしたのか」
ネモフィラさまは、その他大勢の魔獣を従えて、満足そうに笑う顔を見せた。
しかしことあとから、私の視界は急に霞がかかったように見えずらくなり、そして耳鳴りがしたかと思えば、直後にこもったように聞こえにくくなった。
体を動かそうとしても、どこも動かない。
近くだけは、まだギリギリ見える。
その視界は色も失っているが、見える範囲に私の血のような液体が溢れ出ているのは分かった。
「どれどれ、私を怒らせた主の最後の姿を見届けて、心臓を頂こうかな」
ネモフィラさまの声だけが聞こえる。
「…ふん」
「お前はやはり、“あっち側”のやつだったのか。体を見れば分かる。魔法もない。魔力もない。魔術も使えない。特殊な能力があるわけでもない」
「…」
無論、私は声を出す力もない。
「しかし、“運命の力”は持っている…か」
少しの間が空いて、続けた。
「人の子よ。死が近づいて、元のからだの輪郭が浮き出ている。私にはそれが見える。丈夫に生んでくれた親に感謝するのだな。そして」
(…そして…?)
「私のように、“苦しまずに済むように”してやる。そんな運命を持たなかったことにも感謝するのだな」
ブゥゥゥゥウンッ
何か剣で空気を割くような音がした。
(あぁ、私はこれで完全に終わるのだ)
私の異世界生活の幕がしまる音も同時に聞こえた。
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