階段でつまずくと、そこは知らない世界でした
気分は落ちるところまで落ちていたので、今日やるべき最低限の仕事だけをして帰宅することにした。
仕事をやらない選択肢もあったが、やらないでつけが回って困るのは自分なので、せめて未来の自分を助けるために、できるところまではやっておくことにした。
業務のタイムカードは定時の17時30分に打刻していた。
私の会社は残業を払うまいとする忌まわしき暗黙のルールが存在する。
残業代は月45時間分見なしで5万円がすでに基本給与に組み込まれているが、それ以上働くと上司から呼びだされるとう謎の文化がある。
さらに言えば、みなしで含まれている45時間は働くべきだという考えからサービス残業は当たり前だった。
しかし、仕事は山のようにあるので、45なんて1週間もあれば優にクリアできる。
そんな職場環境だからこそ、推しの力が偉大なのだ。
ところが、唯一の心の支えである推し達ががどんどん遠ざかっていく。
この状況は神のお告げとしか思えない。
私はほどほどに仕事を終わらせて帰宅することにした。
時計を見ると時刻はもう23時30分。
何度転職をしようと思ったのか数えきれない。
親の言うことを聞いて、地元で公務員にでもなっていれば、少しはまともな人生になっていただろうか。
もう少し人間らしい生活をして、アフターファイブも楽しんで、肌もこんなに荒れないで、趣味の幅を広げることができたかもしれない。
それもタラレバの話。
考えたところで今の状況が変わることもない。
結局私は意気地無しなのだ。
転職する勇気もないし、仕事を続ける気力もない。
こんな私が何者かになりたいなんて綺麗事、叶うわけない。
でも、こんな絶望的な状況だからこそ、一抹の希望を持ってしまうのだ。
「さ、帰ろう」
荷物をまとめて、慣れた手つきでオフィスを施錠してビルを出た。
明日の朝も早い。
あ、そういえば、明日はごみの日だった。
今のうちにゴミを外に出しておくと、明日の朝楽になる。
私はふらついた足取りでゴミをまとめて、外の非常階段に出しに行った。
非常階段を一階分降りたところに、ごみ置き場がある。
そこに両手いっぱいのごみ袋を下げて、足元が悪い階段を一段ずつヒール付きのパンプスで降りていった。
が、そのときだった。
ほんの一瞬だった。
気を失うかのような感覚でほんの一瞬だけ、意識が遠退いた。
その意識が自分のものになったかと思うと、次の瞬間には自分の体が宙に浮いていて、かかとに強い痛みを感じて、両手からごみ袋を離していることに気づいた。
このときはとてもゆっくりで、まるでテレビで見るスローモーションのようにからだの動きが流れていく感覚になる。
しかし頭の中はパニックだった。
なぜなら、私の体は非常階段から大きく離れて、下降を始めていたのだ。
階段で転んだ拍子に、手すりに捕まり損ねて、そのまま体ごと外に勢いよく投げ出されたようだった。
一瞬だった。
死んだ、と瞬間察した。
ドンッ
鈍い音が体全身に響いて私は気を失った。
死んだあと、人はどうなるのか?
天国に行って審判されるのか、それとも死後の世界なんて生きている人間の妄想なのか?
私は走馬灯も感じることなく、気を失ったが、幸いにして打ち所が良かったのか、意識はまだ残っていた。
(でも、体痛くない…)
ビルの5階から降りた割には痛みは全くない。
むしろ、ふかふかな芝生の上にいるかのような感覚だった。
ゆっくり目を開けてみると、そこには予想外の景色が広がっていた。
「…あれ?」
私が階段の次に見た景色は、薄汚れた藁の上で、その藁を塞ぐように鉄の檻が掛けられ、薄暗くて不気味で変な臭いがする場所だった。
「…ここ、どこ?」
そこは私の知らない世界だった。
どこかの納屋のような、牢獄のような、息苦しい場所だった。
オフィスなんて、どこにもない。
私は、どうなったの?????
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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