70 切り替えは大事・・・ですけどね
「間奏の部分は原宿で、カフェとかは許可が難しいかもしれないから、ショーウィンドウ見ているのにしようと思うの」
土曜日、大学近くのファミレスで、MVの動画撮影の話をしていた。
結城さんが『三原色』の曲に合わせて、カット割りについて説明してくる。
渡された紙にはこう書かれていた。
------------------------------------------------
『VDPプロジェクト』の撮影予定について
撮影場所(10時集合、渋谷駅ハチ公前待ち合わせ)
4人渋谷スクランブル交差点→歩道橋
あいみん、ゆいちゃ→原宿でショーウィンドウを見る様子
りこたん、のんのん→ ビルの屋上(許可不可のため加工
それぞれが一人でいるカット(あいみんは公園、りこたんは図書館、のんのんは料理中、ゆいちゃは学校近く)
別日
横浜の山下公園でダンスのカット
------------------------------------------------
「どう?」
「いいと思うよ・・・すごく・・・」
「よかった。独りよがりになったらどうしようかと思って」
結城さんが息をついて、スマホをスクロールした。
「りこたんとあいみん、駅着いたって。もうすぐ来るね」
「うん。きっとこれ見せたら喜ぶよ」
りこたんのペンギンコスプレの衝撃で、作業も手につかないんじゃないかって思ったのに。
結城さんが見せてくれたアイパッドの資料には、ゆいちゃのお手本用定点撮りダンスの秒数や、カットイメージまで細かく記載されていた。
こんなに書いてるなんて・・・発想もいいし、作業も完璧にこなすよな。
「結城さん、なんだかんだ切り替えできるしすごいよね。俺なんて、あいみんのトラコスの火力が強すぎて、動画編集の調査とか全く手につかなかったし」
メロンソーダを飲みながら言う。
「はっ・・・りこたんのペンギン・・・」
結城さんが急に俯いて、ちるちるアイスティーを飲みだした。
「可愛かったね。もう、駄目かと思った。どうして、あんなに似合うの? 歩き方までペンギンみたいになるなんて反則じゃない? 最近りこたんのギャップばかり見て、なんだかりこたんの空気になりたいっていうか、もう空気とは言わないから、宙を舞う埃になりたいってうか・・・」
「・・・・・・」
「可愛いは正義ってりこたんのためにある言葉だと思うの。今欲しいものは、コンパクトミラーで、こう、ペンギンのりこたんと、いつものクールで可愛いりこたんを張りたいなって、あ、鏡を鏡として使うんじゃなくてね、りこたんを愛でるために用意したいなって」
すごい早口で言ってくる。
やばい。結城さんにスイッチが入ってしまった。
これじゃ、話が進まない。進む気がしない。
「えっと、そうだ。この秒数合わせてメモしてるのとかすごいな。プロみたいじゃん」
「あ・・・それはお兄ちゃんが・・・」
「えっ・・・」
ドリンクバーから、こちらに向かってくる男の人がいた。
マジか。この雰囲気は・・・・。
「やぁ、磯崎君。久しぶりだね」
「・・・啓介さん、どうしてここに?」
「偶然こっちのほうに来る用事があったから、推し事の心得みたいなものを話しておこうと思って」
「・・・はぁ・・・・」
絶対、偶然なわけない。狙ってきたな、この人。
てか、どこにでも現れるな。
啓介さんが流れるように結城さんの隣に座る。
どんと、アイスコーヒーを前に置いていた。
「推し事とお仕事はちゃんと切り替えてかなきゃいけないんだよ。みいなは全然できていなかったから、ちょっと叱ったんだ」
「偉そうに・・・」
結城さんが、啓介さんを睨んで心底嫌そうにする。
「言っただろ? 社会人になったらお仕事をして、推し事をするようになるんだから。切り替えることは、最終的にりこたんのためになるんだよ」
「・・・・まぁ、そうだけど・・・・りこたんのためなら・・・」
結城さんがしゅんとなった。
誘導がうまいし、やっていることはともかく、言っていることはすごくまともだ。
さすが社会人だ。
「切り替えか・・・・そうですよね」
「そうだ。社会人になったら、推しがどんなに可愛くても平常心でいなきゃいけないときだってあるんだからな。俺は、少なくともそう思って推してる」
あいみんのトラコスプレのためにも、ちゃんと切り替えのできる人間にならないとな。
「あー、さとるくん、やっほー」
あいみんとりこたんが入店して、すぐにこちらを見つけた。
手を振って駆け寄ってくる。
「り、りりこたん・・・・久しぶり」
「結城さん、久しぶりね。この前はごめんね」
「いえ、全然気にしてないよ・・・今、MVの話してて」
結城さんが手をつねって、動揺を収めようとしていた。
わかる。俺も、あいみんのトラコスから前を向けない。
「あ、啓介さん、久しぶりです。お元気でしたか?」
りこたんが啓介さんに向かって話しかけると、硬直していた。
天女を見たような表情になっている。
「・・・・はい・・・・」
「よかった。いつもリアタイありがとうございます。スパチャしてもらったりして、今度、何かお菓子とか持ってきますね。今日来てるって知ってたら、持ってきたのですが・・・」
「・・・・・・・」
結城さん兄妹がメガネを曇らせて、こくんと頷いていた。
啓介さんが何かつぶやいてるけど、全く聞こえない。
さっきの、切り替えの話は、推しの前では飛ぶようだな。
すっげー勉強になる。
「ん? どうしました? あ、着ぐるみ配信のときもありがとうございます。応援メッセージたくさんもらえてうれしかったです。結城さんも、ツイッターでも盛り上げてくれてありがとう」
少し身をかがめてほほ笑んだ。
「うん・・・すごく可愛かったから・・・」
結城さんが照れながら話す。
「いきなりの企画でびっくりしたけど、2人に喜んでもらえたならよかった」
「・・・・・」
りこたんが、2人の戸惑いに全く気付かず攻めている。
「隣座ってもいいですか?」
「あ、お兄ちゃん帰るので」
「そう、お兄ちゃん帰りますので」
メロンソーダ噴き出しそうになった。
啓介さん、自分で自分のことお兄ちゃんって言ってるの、無意識だろうな。
「早く早く」
「押すなって。みいな」
慌てて、二人同時に立ち上がっていた。
ここ、4人席だから・・・りこたんとどっちかが密着したら、今日集まった意味なくなりそうだし・・・。啓介さんには申し訳ないけど帰ってもらうしかないな。
「ふふふ、社会人って大変ですね。階段下まで送りますよ」
りこたんが嬉しそうに笑っていた。
結城さんが啓介さんを押し出すようにして、ボックス席から出ていく。啓介さんが転びそうになりながら伝票を取りに行っていた。
「じゃあ、私はさとるくんの隣」
「あいみんっ」
あいみんが隣にくっついてきた。
ショートパンツにダボっとしたTシャツだけど、スタイルがいいから目立つんだよな。
ゆいちゃの言う通り、胸もやわらかそうで・・・。
「わぁ、これ結城さんが用意してくれたんだ」
「そ・・・そうだよ」
あいみんがじいっと見上げてくる。
至近距離の推しの眼差しが・・・。
「むぅ・・・さとるくん、変なこと考えてない?」
「変なことって」
「い・・・いやらしいことだよ。だって、ゆいちゃがあんなことしてきたの見られちゃったし・・・さとるくんがオオカミになったらどうしようかって思って」
「っ・・・・・」
心臓が破裂しそうなほど高鳴った。
平常心。平常心。平常心であることは、最終的に推しのためになるんだから。
アイパッドを手に取る。
「そんなことないって。ほら、ちゃんと真面目に結城さんと話してて・・・」
「まぁ、ちょっとくらいなら、考えていても、許してあげるけど」
あいみんが足を組んで、ちょっとTシャツを抓んだ。
「さとるくんだけだよ」
「えっ?」
アイパッドを落としそうになった。
俺の様子を確認から、頬杖を付いてにいっと笑う。
「はいはーい。りこたんと結城さん戻ってきたし、MVの話しよう」
結城さんとりこたんが、にこやかに話しながら、ファミレスのドアを開けていた。
「・・・・うん・・・」
あいみんが、結城さんの紙を見て、楽しそうにしている。
天然なのにあざと可愛い。今のは反則だろ。
どこで誰から教わったんだよ。教えた人、神かよ。
推しが可愛すぎて、切り替えが無理なんだけど。




